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第七節 進展

 

「――ありがとうございました……っ」

「……お疲れ様です」


 今日分の修行が終わり。肩で息をするその姿を、葵は落ち着いた瞳で見る。……問題はない。ただ魔力と体力との消耗で疲れているだけだ。


「っ葵さんは――」

「……まだ少しやることがありますので」


 あと三十分もすれば夕飯の時間になる。それまでにシャワーを浴びたりもしたいことだろうと、額から滴り落ちる汗が照明を反射する様を目にしつつ言葉を紡ぐ。


「先に向かっていて構いません。また夕飯時に」

「はい。また……」


 ぺこりと頭を下げて去っていくフィア・カタスト。通路の向こうへ消えるその背中を一瞥して、葵は訓練場、その広い空間に向き直った。


「――【水刃乱舞】――」


 詠唱に連れて展開されるのは数十を数える水の刃。それら全てをぶつかり合わぬよう、高速で操作しながら可能な限り立ち位置を変えていく。……本格的な戦闘がない時分、その期間に訓練を積んでおかなければ魔術の腕など直ぐに錆びる。微細な操作や制御の技術などはその典型であり、葵と雖も胡坐をかいているわけにはいかない。


「――」


 身に付いた感覚から半ば機械的に操れることを確かめつつ、敢えて困難な軌道の操作を自らに課していく。――脳裏に浮かぶのは先ほどの指導の内容。状況から教鞭をとることになった葵だったが、初めて行う教えという行為に戸惑いを覚えることも多かった。学術院を卒業したのはもう幾年も前の事。本山勤めの日々に色褪せた遠い記憶であり、補佐官となってからは指導などとは凡そ無縁の毎日を過ごしていた。……四賢者や賢者見習いを近くにしての無言の学び。それこそが最も大きな要素だったのだ。


「……」


 ――生徒として見た場合、フィア・カタストは悪くない。


 際立った才気こそ無いものの、熱意と努力とがそれを補って余りある。修行時にできなかった部分は部屋に戻っても練習しているらしく、大概次の修行時までには改善か、時には完全に仕上げてきているほど。センスはそこまでないはずだが、葵の指示に対する飲み込みも良い。修行の開始時に抱いた懸念は全くの杞憂であり、蔭水黄泉示のリハビリに付き合わなくなってから更にその傾向は顕著になった。……これであの予測が当たっていれば。


 ――だからこそ、疑わしくなる時がある。


「……」


 ……自分は、上手くできているのだろうか?


 壁、床、天井。水刃の速度を上げつつ思う。……技術を教授することはできているはずだ。自分の分析と指摘とはフィア・カタストに通じ、その証左として彼女の技量は確かに上達してきている。


 だが教えるとは、それだけの事を言うのではない。……秋光と零の事を考えてみれば、そのことは嫌でも分かる。


 葵にしてみれば、秋光と零はある種師弟の理想像とさえ映っていた。師足る秋光は高潔な信念に相応しい実力を兼ね備え、弟子の事を思って時を割いていた。弟子たる零は若くから才能を見込まれ、その師の期待に応え続けてきていた。


 ――だがその結末はいわずもがな。


 裏切り。師の殺害。死。


 零は秋光が自分との違いに気付けなかったと言った。自らの理想を背負わせたと、その軋轢で苦しんだのだと。


 そうなのかもしれないと葵は思う。葵の目から見ても秋光は零を信頼していた。その力量と努力とを認め、自分が抱えている弱みは決して見せなかった。自分と同じ道を見据えているものと、そう信じて疑わなかった。


 だが――。


 秋光が零を信頼したのは、零が秋光の期待に応え続けたからでもある。


 十五年余り。それだけの時間を師弟として過ごしながら、恐らく零は、一度たりとも秋光の期待を裏切ったことがなかったのだ。


 きっと零は、期待に応えないことができなかったのだろう。


 零は秋光を尊敬していた。召喚士としても、人としても。いつか秋光が安心して後を任せられるような、秋光の後を自負を持って継げるような四賢者になりたいと、そう葵に話していた。互いに――。


 違いに気付くのが遅過ぎた。


 互いに互いの望む姿を見せ続け過ぎ。相手の見せた姿を信じて、それが切っ掛けを得て破綻した。予定調和の如くに。


 ――自分はそうなっていないだろうか?


 フィア・カタストの真摯さに。彼女の熱意と努力に、甘えてしまってはいないだろうか? 自分の理想像を相手に見出し押し付ける――。


「……」


 それを恐れるならば、適切に見なければならない。互いに、教え学ぶその相手を。


 同時にギリギリを攻めなければならないとの判断も葵にはあった。……フィア・カタストに目覚めの時が来るとすれば、それは間もなく。そう遠くないはず。現時点だけでなく、それからのことも含みいれて予定を立てなければならない。そうなれば――。


「――っ」


 一瞬。思考に気を遣ったその隙に制御がずれる。執り成そうとして負荷が増したその機を逃さずに乱れた水刃。高圧の水流同士がぶつかり合い、弾け飛び、室内に飛沫を散らす。葵の頭上にも降り注ぎ。


「……」


 水の支配者の適性を以てすれば回避できる――落ちる雫を葵は甘んじて身に受ける。……まだまだだ。濡れそぼる髪の重さを感じつつ、吐くのは溜め息。こんなことで心乱しているようでは、真っ当な指導など。


「――珍しいですね」


 掛けられた声。身体を取り囲む熱気と衣服髪から立ち昇り始める蒸気に、葵は意識を切り替える。魔術による熱の付与。


「……郭」

「葵さんが濡れているところなんて。初めて見ましたよ」


 明日は雨ですかねと。そう冗談を口にしつつ戸口から郭が葵の方へ歩いてくる。……水属性の魔術を扱う術者は、初歩の内は制御が上手く行かず自分や身の回りの物を水浸しにしてしまうことがしばしばある。そのことを言っているのだろうと思いつつ、感謝します、と一言。


「――お互い大変ですね」


 それに軽く手を振って郭が見せたのは、どこかやれやれといった顔つき。


「特別補佐と賢者見習いが、揃って協会員でもない技能者二人のお守りとは。彼らにはもう少し、遠慮というものを覚えて欲しい気持ちもありますが……」

「今は致し方のないことでしょう」


 葵の返答に分かっていますよ、と返す。一瞬空けられた間。


「それで、用件は?」

「いえなに。昼の彼らの会話を聞いて、葵さんも同じようなことを考えてるんじゃないかと思いまして」


 勿体ぶった言い回しだが、葵としても大方の予想はつく。この時期に彼らについて考えていることと言えば。


「その確認と、打ち合わせです。僕から話しても大丈夫ですか?」

「ええ。構いません」



















「――」

「――どう?」


 動きを止め。柔らかな中にもどこか誇らしげな立慧のその表情は、田中の思い込みによるものだとは思えない。


「いや……」


 残るイメージを起こして挙げ連らねられそうな欠点を探してみる。……田中の記憶にある限り、指摘できる不備はなかった。


「完璧だな。初日に出した条件は、全てクリアできてる」

「でしょ」


 胸を張る立慧。――訓練を始めて五日後。


 田中の当初の予想に反して、立慧はメキメキと自らの腕前を伸ばしていた。……こちらが指摘した欠点を端から直しているわけだから当たり前と言えば当たり前だが、それでもその学習速度には田中をして驚かされるものがある。ここまで学び上手だったとは、普段の肩意地を張っているような態度からは想像もつかない。


「悪いが、正直言って驚いたぜ。まさかここまでやれるもんだとはな」

「見込みが外れてがっかりってわけ?」

「てめえの眼力の方にな。師匠みてえには――」


 言葉を止める。中途で消えそぼったその声に、立慧は特別注意を払った様子はなく。


「私だってこれくらいできんのよ。端から教わろうとすればね」


 上達を認められた嬉しさからか、少し得意げな声調子で言葉を続けていた。


「元々今まで一人でやろうとしてたのが無茶だったって話。相手は四賢者と同格なわけだし、郭や葵に指導を頼むなんていうあの子たちを見習って、私ももう少し協力的になることにするわ」


 ――確かに立慧の武術の腕前は上がっている。


 そのこと自体は疑い様もない。そして立慧自身の言っているようにそれは、経緯はどうあれ彼女が今までとは方針を変えた結果なのだろう。己の力量の不足を認め、素直に他者を頼る態度。


 だが……。


「……魔術の方はどうよ?」


 内にある懸念。それをどう言葉にしたものか思い浮かばず、田中は別の方面から手を付けに掛かる。


「そっちの方は俺はからっきしだが。上守とは協力してやってんのか?」

「――ホントはそうしたいんだけどね」


 挙げた名前。親友であるもう一人の支部長の名に、立慧は僅かに眉根を下げて。


「あの娘の戦い方は私以上に独特だし……正直言って、手助けできることがあんまりないのよ。術法の毛色も違うし。だからそこはお互い、一人でやってるわ」


 残念そうに口にして、それに、と。


「千景は本当に、強い娘だから」


 そう、断固とした口調で付け加えた。


 ――千景が前回バロンに敗北を喫したことは、立慧も本人から聞いて知っている。


 田中が駆け付けたこともあって傷は浅手。相性の悪い相手だったとはいえ、一対一での敗北には千景としてもそれなりに思うところがあったことには違いない。……ただ。


 それでも千景は一人での修練を選んでいた。……自分の扱う技法と身に着けてきた戦い方を今一度見直す。そうして自分を根底から徹底的に鍛え直すのだと、田中も立慧も耳にしている。今この時も千景が言葉に違わず邁進していることも。


 ――ここに至ってもなお自らの戦い方を貫いている千景は、確かに強いだろう。


 技能者としての実力では勝る田中からしてみてもそれは紛れもない強さ。自分でさえ持っているかどうか分からないものだ。そのことを否定するつもりはない。


 だが――。


「……」


 やはり。目にする田中にはどうしても気にかかっていた。千景の事を口にする立慧のその言い振り。まるで、私は違う(強くない)とでも言いたげなその表情。


「……りーふ」

「――けど、あんたも暇人よね」


 話し出しを遮ったのは、呆れたような立慧の声目付き。


「自分の方の修行は良いの? あんたが修行してるとこ、見たことないんだけど」

「……生憎だが、人目に付かねえよう修行する癖がついててな」


 歯に衣着せぬ物言いにやや皮肉を込めて田中は言う。……既にそうした必要がなくなっているとはいえ、四十年以上を費やしてきたスタイルはそう簡単に変更の利くものではない。ともすれば未だに人の気配に反応して杖を繰る手を止めてしまうことが、今の田中にとっては逆に悩みの種でもあった。


「そ」


 短い相槌。空いた沈黙に、田中が何か言葉を補填しようとしたとき。


「……感謝してるわ」


 小さく呟くように言った立慧のその台詞。声に込められた情感が、田中の口の動きを止めた。


「わざわざ私の訓練に付き合ってくれて。……だから、ありがと」

「お、おう」


 いつになくストレートな物言いに戸惑わされる。言葉に詰まった田中の様子を、立慧はクスリと笑いながら目にし。


「――頼りにしてるわよ。田中」

「――」


 嘘偽りなど微塵もない。長い人生の中で恐らくは初めて見せられただろう、屈託のない純粋な笑顔。正面から突き付けられた思いに――。


「おうよ」


 ――つい口の端を上げてそう答えてしまった自分に対し。心の内で田中は、唾を吐いた。軽はずみな対応を取り返す暇もなく。


「――田中」

「あ、千景」


 見える通路の入り口に現われたのは、先ほどまで話題に挙がっていた千景当人。精が出るな、と言いつつ田中たちへと近づき。


「悪い。ちょっと話があるんだがいいか?」

「――俺にか?」

「ああ。忙しいんならまたにするが……」

「――行ってきなさいよ」


 意外な指名。思わず訊き返した田中の背を、立慧の台詞が押す。


「私はもう少し一人で練習してるから。見直したいところもあるしね」

「そうか」


 なら、と。套路を踏み始めた立慧を後ろに、千景のあとに着いていく田中。見通しのいい景色に背丈の小柄さを改めて感じつつ。


「にしても、珍しいな」


 見えるつむじを何とはなしに眺めながら、言葉を紡いだ。


「上守の方から俺に話なんてよ。どうした? 修行を付けてくれって話なら悪いが――」

「田中」


 冗談めかして言った台詞が切られる。中庭から離れた廊下。振り向いた千景の、真剣なその眼の色に。


「――頼みがある。どうか、聞いて欲しい」



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