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第六節 対価

 

「――ほう」


 声が飛ぶ。


「やりますね。今のは九割九分九厘、死んで終わりかと思いましたが」

「……っ」


 声にならない。肺から喉に掛けて感じる焼け付くような熱は、口の中に於いては錆びた血の味へと変わっている。全力を超えて動こうとした後特有の虚脱感により、手足は萎え切ったかのように力が入らなかった。荒々しい呼吸、全身で確かめている冷たい床の感触が、自分が生きているという事実を無機質に伝えてくる。


「では、午前はこの辺りにしておきましょうか」


 召喚に応じて現われた神鳥から、光にも似た柔らかな炎が放たれる。煌めく火炎は中途の物一切を焦がすことなく、倒れ伏したリゲルの身体を暖かく包み込んだ。


「……よっ、と」


 全身の傷が癒されるのを感じつつ――身体を起こす。……疲労と失血により動かなくなっていた肉体だが、癒しの炎を受けたことで普通に立ち上がれる程度には回復している。


「悪いな毎度毎度。助かるぜ」

「こういった手法を用いるなら回復手段は必須です。礼を言うほどの事でもありませんよ」


 火の粉を散らしつつ消えて行く不死鳥を尻目に、随所に張り巡らせた糸が賢王の袂へ回収される。


「どうなってんだそれ?」

「禁則事項ということにしておきましょうか」


 返されたのは茶目っ気のある笑顔。どこまで本気なのかは見当も付かないが、元より興味本位で尋ねた手前、そう言われてはリゲルとしてもそれ以上追及するつもりはない。


「しかし、ここまで続けられるとは思いませんでした」


 やや感心した素振りを見せつつ賢王が感想を漏らす。――リゲルの頼み入れから始まったこの訓練。


 単純に言えばそれは以前のように強引なほど懇切丁寧に短所を補わせるのではなく、課される理不尽とも言えるような困難をただひたすらに乗り越えるというものだった。……大方はリゲルとしても予想通りであり、当然望むところでもあったのだが、その度合いがこれまで全てでリゲルの予想度合いを越えてきている。


「……自分でも驚いてるぜ」


 実感を込めてリゲルは深々と息を吐く。……自分なら乗り越えられるだろうと考えていた当初。意気揚々とこの場に立ったリゲルを襲ったのは、以前のような自立型ではない、賢王の直接操作する一個の人形。


 フットワークは自身より軽く、手足からは鋭利に磨き抜かれた刃物が跳び出し、渾身の打撃を何十発撃ち込んでも倒れない。そんな相手と予告なく、いきなり、背後からの奇襲という形で戦わされたのだ。


 あの時ばかりは正直死を覚悟した。背中を切りつけられた痛みと出血とで逸る呼吸。直感的に身を躱してどうにか浅手に抑えたものの、首筋を狙ったあれは勘が働かなければ確実にリゲルの命を奪っていた一撃だった。徐々に身体を切り刻まれていく痛みに耐え、意識が朦朧とし始めたあの時を、リゲルは辛うじて【覇者の剛拳】でのカウンターを取ることで生き延びた。


 それがあれ以来毎日。本物の殺意と殺傷手段を用いた修行は、今日で既に二桁、十日を数える頃に来ている。言うまでもなく即ちそれは、リゲルがこれまで全ての死線を潜り抜けてきた事実の証明なのだ。


「毎回ギリギリだけどよ。流石に二体一変はキツイっての」

「当り前です。余裕で躱し切れるようでは到底死線とは言えません。常にそれまでの貴方では越えられない壁を出しているからこそ、こうまで感心しているのですよ」


 そう今度は柔らかく笑みを零し。


「自分でも気付いているのではないですか? 身に表れている変化に」

「……まあな」


 分かる。感覚が、今までとは違うのだ。


 筋肉の使い方、手足の動かし方、状況に対する判断力、直感等々――。死線を越える度、生を掴み取る度に自身の全てが一段研ぎ澄まされていくような感覚。単なるスペック上の成長ではなく、正に戦いの場に身を置く者として自身が高められていることを肌で感じている。


「感謝してるぜ。あんたじゃなけりゃ、こうまで上手い具合に追い込んではくれなかっただろうな」

「まあ、冥王に頼めばギリギリのところで死んでいるでしょうね」


 縁起でもない台詞を口にしつつ一回転した。いつにない仕草に、リゲルの視線が留まり――。


「――では、そろそろお願いを聞いて貰いましょうか」


 聞こえてきたその声に、思わず動きが止まる。


「……は?」

「ええ。無茶な訓練の対価として、私の願い事を一つ聞いてもらいます」

「……聞いてねえんだが? んな話」


 問うたリゲルに向けられるのは、常識を疑うとでも言いたげな賢王の眼。……俺が悪いのか? 分かっていてもついそう思わされるだけの眼力。


「それは当然言っていませんからね。――この賢王に頼み事をしたのです。対価として願いの百や二百、安いものではありませんか」

「いや、だとしてもその数は勘弁して欲しいとこだけどよ……」


 否定しつつ様子を窺うが、賢王の表情は真剣だ。……具体的には目が笑っていない。強情に断れば何をされるか分からないなと、見て取ったリゲルは面倒そうに頭を掻き――。


「――しゃあねえな」


 承諾と共に覚悟を決める。断ればどうなるかという話の前にも、事実として特訓に付き合ってもらっている現状がある。元からこの件については此方の側に借りがある話であり、そこを突かれればリゲルとしても強く拒絶する気にはなれなかった。


「どんと来いだぜ。……ま、午後の修行に響かない程度には加減してくれよ」

「失敬ですね。死線を潜り終えたばかりの若者に、無理をさせるつもりなど毛頭ありませんよ」


 賢王の表情は変わらないが――声に溢れ出ている喜色を耳にすれば、自分の選択が間違っていなかったことが分かる。喜んでもらうというのは気分の悪いことではない。例え相手が相手だとしても。


「至極簡単なことです。内容は――」


 ――ま、偶には年上孝行も悪くねえか。


 そんなことを思っているリゲルに告げられていく具体的な内容。……数秒後。


 早くも自分の判断を撤回したくなる未来が待っているなどとは、この時のリゲルは想像だにしていなかった。












「……ふう」


 郭のいる書庫を出て、数十分。真上に昇っている太陽の光を眩しく受ける。中庭での素振りと円環の試しを終え――向かうのは食堂。


 ――なんだかんだ言って、全員と顔を合わせるのは久し振りだ。


 昨日退棟した立慧さんは一足先に食卓に加わっているはずで。今日からそこに俺とフィアが加わることになる。思えばフィアにも、大分長い間付き合わせてしまっていた……。


「……あ」

「黄泉示さん」


 そう考えていた最中に鉢合わせる。――フィア。噂をすれば影とは、少し違ったか。一緒に行きましょうと歩調を合わせ。


「……どうだった? 修行は」

「一応は順調なみたいです。今は――」


 歩きながら聞いていく話。……これまで通りの障壁と治癒に加え、葵さんの指示で新しく強化魔術の訓練もしているらしい。後衛に不足しがちな身体能力や反応速度を補い、戦闘中の立ち回りをよくする為にということだ。


「黄泉示さんはどこに行ってたんですか? あのあと――」

「ああ、郭に修行を付けてもらいに行ってたんだ」

「郭さんに――ですか」


 意外そうな声。説明を求めるような疑問符の浮く眼差しに、頷きを返し。


「【魔力解放】を高めないといけないと思って。無事見てもらえることになった。指導も的確で――」


 敢えて負荷を掛けていた法陣の話、教えてもらった集中力を高める訓練の話をする。態度は少し素っ気ないけど、と言うと、フィアはでも、と継いで。


「郭さんも優しいですよね。指導の件もそうですし、学園の時も」

「……そうだな」


 助けに行きたいという俺たちの意見を後押ししてくれていた。……まあただ、優しい、というか。


 厳密には少し違う気もする。学園の時も今回でもそうだと思うが、あれは――。


「――」


 益体のない思考の中途。目前に見えてきた食堂、その中からする微かな話し声に注意が向く。


「……リゲルさんでしょうか?」

「そうじゃないかな」


 恐らくは。この距離ではまだ判断できないものの、歩を進める度に推測が確かさを帯びていく。もう一人響いている声は賢王。二人で特訓をしていると言っていたから、そのまま一緒に来たのだろう。


「驚きますね、きっと」

「ああ」


 何だかんだで賢王は知っていそうだが、少なくともリゲルにとってはサプライズになるはずだ。万が一にも余計な心配を掛けないよう、復調したところをしっかり見せようと意気込んで踏み入った――。


「リゲ――」

「――いけませんよ」


 空間の中で。良く分からない光景が展開されていることに、出した声と足を止める。……まだ少し時間が早いせいか。


「急に起きようなどとしては。まだ始めたばかりではないですか。堪え性のない」

「うるッせえ‼ はずいんだよこっちは‼」


 俺たちとその二人以外には人気のない食堂。賢王は長テーブル前の椅子ではなく、壁際に置いてあるソファーの方に腰掛けている。……リゲルもそこに一緒におり、それは別に構わないのだが。


「……」

「約束を忘れたとは言わせませんよ。そろそろ諦めて受け入れなさい」


 見つめる視線の先――ソファーの上に寝そべって。賢王の太腿に頭を乗せているその姿勢。起き上がろうとして肩を押さえつけられているとはいえ、その様はどこからどう見ても膝枕と言う他ない体勢で。


「下手に拒むなら修行を終わりにしますが――それでも良いのですね?」

「ぐっ……!」


 洒落にならない条件を押し付けられたリゲルが歯を食い縛るようにして抵抗をやめる。身体の横で握り締められ、震えている拳。……本気で嫌がっているようだが、賢王の方はまるで気にしていない。逆に大人しくなったのを良いことに、頭を撫でに掛かっている始末だ。


 ……なんだこれ。


 寝かしつけるような。良い子良い子と言わんばかりのその手つきに思わず自問する。……よくあれを耐えていられるものだ。


 実質的に断る余地のない条件を出されているとはいえ。……リゲルにとっては半分拷問にも近いのではないか。そう思える光景に、何とも言えない気分が湧き上がり……。


「……もう良いだろうが。誰か来ちまう前に、そろそろ止めろって――」


 気恥ずかしさより最早気疲れが勝っているような、そんな口調と共にリゲルが俺たちの方を向く。誰もいないことを確認するつもりだったのか、何とはなしに動かしたのだろうその瞳が。


「――」

「あっ」


 動きを止める。隣から小さく上げられたフィアの声。……静止した時の流れ。互いに見つめあっているその中で――。


「――おや、来ていたのですか。私としたことが、さっぱり気付きませんでしたね」


 見事です、と。口元を隠しつつそんなことを言ってのける賢王。――絶対に嘘だ。


 口元に僅かに浮かんだ笑みを見逃してはいない。文句の一つも言ってやりたいところだが、今はそれよりも。


「……よう、リゲル」

「……お、おお」


 どんな表情をしたものか。分からずぎこちなく手を上げた俺に、リゲルもどうにか手を上げて返してくる。賢王の太腿に頭を乗せたままのその姿勢で、力なく笑みを作り。


「フィアもいんじゃねえか。――今日が退院だったんだな。……知らなかったぜ」

「……済まない」

「……リゲルさん」


 下ろされた掌。自重気な色の混じる面持ちを直視していられずに目を背ける。……こんなことになるのなら、事前に教えておけば。後悔と共に強く拳を握り締めたそのとき。


「――蔭水」


 ――追い討つように。最悪と言えるタイミングで後ろから掛けられた声。反射的な勢いで振り向いた俺の視線を迎えるのは。


「……ジェイン」

「今日退棟だったのか。――おめでとう」

「あ、ああ」


 屈託のない眼差し。完治を素直に祝福してくれるジェインだが、後ろが気になって真っ直ぐに目を向けることができない。フィアも。


「カタストさんも。……どうして入らないんだ?」

「ジェ、ジェインさん。今は、その――」

「離しやがれこの――ッ‼」

「まだ約束の時間ではありませんよ。男児足るもの、口にした約束は守らねば」


 どうにか止めようと視線を左右に揺らしている。ジェインの来訪を察知して激しくなるリゲルの抵抗。押し止めるべきかどうか、宙をさ迷ったフィアの掌を掻い潜り、ジェインが食堂に足を踏み入れた。


「――」

「……っ」


 戻した俺たちの目に。……映るのは、先ほどより惨憺たる光景。抜け出そうと奮戦したのだろうリゲルの身体。変わらぬ黒を纏うそのスーツが。


「全く……手のかかることですね」

「グッ……ッ‼‼」


 糸でがんじがらめに押さえ付けられている。こめかみに血管の浮いた鬼のような形相からしてリゲルは渾身の力を込めているようだが、絹糸のように細い糸はそれでもなおビクともしない。頭は相変わらず太腿に乗せられたまま、身動きだけが更に取れない状態になっている。


「……ああ。なるほど」


 毒食わば皿まで。最早どんな反応を見せるのかが気になり始めていた俺の前で、納得したように頷いたジェインが、眼鏡を外した。


「疲れているようだ。少し、ショッキングな光景が見えた」


 ゴシゴシと眼鏡拭き用の布でレンズを拭いていく。一点の曇りもなくなった眼鏡を再度かけた、その視線はリゲルたちを向いていない。……逸らしている。


「……意外だな」

「余りにいたたまれなくてな。僕はあいつのことは好きじゃないが、流石にあれは同情する」

「……ッ‼」


 その哀れむような声に耐え切れなくなったのか。


「もういいだろうが! 先輩たちに見せたってなんも面白くねえだろこんなもん‼」

「何を言いますか。面白くなるのは、これから――」

「――何をしてるんですか?」


 爆発したリゲルの怒りに賢王が答えた瞬間。……背後から響いた声に、賢王を除く誰もが凍り付かされる。……これは。


「……郭」

「……郭さん」

「……何をしているのか、と訊いてるんですが」


 俺たちの気付かぬ間に隣へと来ていた郭。一歩前へ踏み出したその秋霜の如き視線は一点へ固定されたまま、傍にいる俺たちには目もくれていない。射殺すような双眸に正面から見据えられながら――。


「……っ‼」

「見ての通り、膝枕ですが」


 平然と答える賢王。膝上でもがくリゲルの努力は虚しく、いつの間にか口まで丁寧に糸で封じられている。……膝上の鯉。


「……なぜそんなことを?」

「それは勿論、青年の熱いリクエストにお応えして――」

「ムグォッ‼ モガモガッッ‼」


 そんな表現の浮かんだ前で、しれっと大嘘を吐いてきた賢王。否定のために必死でもがき叫ぶ、その光景を目に。


「……分かっていますよ」


 溜め息を伴って吐き出された郭の声は、予想以上に険を含まないものだった。


「どうせそこの凶王が、訓練の代価とでも言って無理矢理に従わせたんでしょう。貴方に非はありませんね。迂闊と言えば迂闊ですが」 

「――まあ、言ってまだ二日目だからな」


 見事なまでに的を射ている分析の途中、またもや背後から声が響いてくる。今度は――。


「多少進歩が見られなくても気にすることじゃねえよ。地道に続けてりゃあ、ある程度の成果は嫌でも付いてくるもんさ」

「いいわよ、そんな気を遣わなくても。――にしても今日だったのねアイツ。そろそろだと思ってたけど」

「見舞いに行った時も意気込んでたからな。で、カタストの修行はどんな調子なんだ?」

「悪くないペースです。順調にいけば――」


 先輩たち。……葵さんもいるようだ。またもやこの悶絶しそうになる光景が晒されてしまうのかと、俺を含めた誰もが意識を一瞬その方へと遣った。


 ――刹那。


「――おや」


 声を上げていた賢王。膝元から零れ落ちるのは、先ほどまで幾重にもリゲルを縛り付けていた無数の糸。それと同時――。


「――ッ!」

「わっ⁉」


 飛ぶような勢いで膝上から跳躍したリゲル。賢王から大きく距離を空け、俺たちの近くへと着地する。……増々人間離れしてきたその動き。見事な着地に目を見張った俺たちの前で。


「……凄いな」

「ふぅ……助かったぜ郭。感謝――」

「――王としての自覚を持って下さい、賢王」


 リゲルには答える事無く、郭は賢王へ鋭い視線を向け続ける。込められた冷たさに、胃の縮むような感触が舞い戻ってくる。


「過去にも言ったではないですか。重責といえ、張り詰めてばかりでは身が持たない」


 まるで悪びれた様子無くそれに答える賢王も、恐ろしい胆力の持ち主だ。流し目を送り。


「適度な息抜きは必要です。私にも、貴女にも」

「……貴女も見ていたなら止めてくれませんかね。冥王」


 あらぬ方角に向けられた郭の言葉と視線に連れて、――見上げた天井から人影が落ちてくる。……いつの間に。驚きに目を見張る俺の前で、音も立たない降り立ちに続き舞い落ちてくる紙片。


〝ドキドキの三角関係がどうなるかと思って。あっさり終わっちゃって残念〟

「「誰が三角関係ですか」」

「……なに? 何かあったの?」


 そこだけはきっちりとハモらせていく両者。丁度そのタイミングで入ってきた先輩たちは、事情が呑み込めずに困惑している。……説明はし辛く。


「いやまあ、別になにもなかったっすよ? ――な⁉」

「――そ、そうです。何もありませんでした」

「……そうだな」

「……まあ、別にいいんだけど」

「お、久々に見る顔がいるじゃねえか」


 田中さんの目が俺を向く。続けて葵さんも。


「回復したようで何よりです。治癒棟での生活、ご苦労でした」

「……ありがとうございます」

〝これ、用意した〟


 指を鳴らす仕草と共に降ってくる〝退院おめでとー〟の紙吹雪。冥王と先輩たちとに礼を言いつつ、一部では未だ続いている微妙な空気を引き摺って。


 ――俺たちは漸くの事、各々の席へと着いた。



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