第五節 修練
「――用意は良いのか?」
「ええ。いつでもいいわよ」
先日夕刻に退棟した立慧。太鼓判を押した治癒師だけではなく、田中の目から見てもその動きに違和感はない。
「重ねて言っとくが、俺の専門は杖術だからな。教えられんのはあくまで基礎的な部分までだと思っといてくれや」
「良いわよそれで。家を出てから殆んどこっちの鍛錬は自己流だったし、知識のある人間に見てもらえるだけでもあり難いわ」
いつになく殊勝な台詞。感触を確かめるように腕を曲げ伸ばししている立慧を、田中は複雑な心情で見つめた。
――技の上達に協力してほしいと頼まれたのは、田中が立慧のリハビリに付き合わなくなる丁度前日のこと。
〝――武術、教えてくれない?〟
いつものように千景とはタイミングをずらして見舞いに行った田中。互いに他愛もない話をしていた中途、唐突にそう切り出されたのだ。自分の武器となるものをみてほしいと。
〝なんの冗談だよそりゃ〟
始めはそのように思った。あの立慧が自分に教えを乞うことなどあり得ない。素っ気のない声色を鑑みても、何かのジョークなのだと。
……だが。
〝私じゃ勝てないの。……お願い〟
次に続けられた思い詰めたような声の重さと、何より真っ直ぐに下げられた頭に。流石の田中と雖も、そう思い込み続けることはできなかったのだ。
「元々師に付いてたんなら、套路はできんだろ?」
こうして実際に引き受けてみてもやはり慣れない。自分が立慧に教える立場として向き合っている状況に何とも言えぬ居心地の悪さを感じながらも、田中はどうにかそれらしく振舞ってみせる。
「まずはそいつを見せてもらうとすっか。純粋な武術の腕がどんなもんなのか、知っときてえからな」
「分かったわ」
疑問も挟むことなく素直に指示を入れる立慧。体勢を整え、一呼吸。全身に気を巡らせた後に、拳、蹴りを空へ放つ。
――范立慧は『アポカリプスの眼』の一人、アデル・イヴァン・クロムウェルと戦って敗れた。
惜敗などでなく惨敗だった。……あの負傷を見たのなら嫌でも分かる。元より敵は聖戦の義にて特例使徒を務めた相手。支部長である立慧との実力の差は歴然であり、それが如実に結果として現れただけの事なのだ。――と。
「……」
そう単純に割り切って取ることは田中にはできていない。……初めての見舞いで訪れた治癒室。布団で隠された枕の端が僅かに濡れていることを、武人として磨き抜いてきた田中の観察眼は否応なく見て取ってしまっていた。……生きて帰れたならただの敗北。
だがそこに付与された意味の重さ、立慧にとってどれだけの深刻さを持っていたのかを、田中は漠然とであっても感じ取っている。とはいえ、そうだとしても……。
「――どう?」
唐突に耳に届いた台詞。紛れもなく自分へと掛けられた声に、意識を引き戻される。
「リハビリ明けだから、少し鈍ってるかもしれないわね」
「――っと」
「……何よ」
「いや、何だその」
立慧の怪訝な顔つきにしまったと戸惑う。……完全に見逃していた。意思疎通に対して錆びついた頭で、何とか言い逃れできるような台詞を探し――。
「……お前さん、案外と胸もあんだなぁ、とよ――」
「……っ!」
「おっとと」
形にしたのはそんな下らない台詞。応えて繰り出された蹴りを田中は紙一重の余裕を以て空振らせる。悪くない速度の蹴りではあったが、田中からしてみれば避けられないということはあり得ない。二人の間にある武術家として否応のない実力差。
「……頼むから少しは真面目にやってくれない? 冗談でやってるわけじゃないんだから。こっちだって」
「悪い悪い。つい、な」
頼むわよ、と。念押しついでに一つ息を吐いて立慧は套路に戻る。傍から見ていても分かるほどの集中と、真剣さに。
「……」
見つめる田中の脳裏を一瞬、修行時代の光景が掠めていく。……あの時は、自分が指導する側に回るなどとは思いもしていなかった。
回ることがあるとしてもそれは遠い将来。遥か先の事であるような気がしていた。協会に籍を移してからはなおのことだ。こんな自分が誰かに、武を教えるなど――。
「――どう?」
またしても。遠くへ揺蕩いかけていた、田中の意識を呼び戻す声。
「今ので一通り終わったけど。感想は?」
「……そうだな」
流石に今度はしっかりと目にしていた。促すような立慧の視線に、焼き付けた動きを思い返しつつ頭の中で言うべき内容を纏めていく。……先に宣言しておいた通り、田中に杖術以外の武の心得はない。
しかし同じ武術であればある程度、共通する傾向性というものがあると田中は予てより思っていた。仮にも武術連盟に在籍し、二十三雄の技を目に焼き付けていた身だ。門外であってもその技量の高低、技の良し悪し程度なら把握できる。その観点から言えば……。
「悪くねえが、やっぱ全体的に粗削りだな。我流でそこまでやれてんなら大したもんだとは思うが……」
下手に動きの粗が眼に付く分、どこから口にしたものかどうか迷う。そのまま少し考え込んで、あー、と髪のない頭皮を掻き。
「……口で言うのはあれだから、実際に指摘してこうと思うんだが構わねえか?」
「なに? 手合せするってこと?」
「ま、早え話がそうだ」
屈みこんでいた姿勢から立ち上がり、空を切る速度で一回りさせた杖。
「実戦形式で戦って、今一なとこが出て来た時点で指摘する。そっちの方が早いと思うぜ」
「分かったわ。……本気で行っていいのよね?」
「構わねえよ。ただ、魔術はなしな」
頷いて構える立慧を正面から田中は見る。……やはりこの方が性に合っている。動かずに指示を飛ばすだけなど、自分には向いていない。
「眼に付くたびに杖でつつくから、そしたら止まれよ。説明すっからよ」
「了解。――じゃ、行くわよ」
「……」
一人でリハビリを始めてから丸四日間。
始めはヒリヒリとした緊張の連続だった歩行も、回数を経るごとに徐々にこなせるようになっていった。一番の山だった初日。それを乗り越えてからは寧ろ、回復して行く自分の体調を強く感じられるようになったほど。……自分自身で動くという、その意識がやはり重要だったのかもしれない。そして迎えた今日の朝――。
「――お世話になりました」
食事後の簡単なチェックを無事に終え。担当だった治癒師に深く頭を下げる。
「ありがとうございました。コナーさん」
朝食から傍にいたフィアも同様。……いつの間にか治癒師の名前まで聞いていたのか、まるで友人のように言葉を交わしている姿を見つつ。
「……よし」
患者衣から普通の衣服に着替えた身で外へと踏み出す。……漸くの退棟だ。体調がしっかりしているのは先に確かめたので当たり前と言えば当たり前だが、それでもこうして歩くのが何だか新鮮な気がして、自然と気持ちが昂ってくる。
「大丈夫ですか? 身体は……」
「ああ。もう全然、元通りだ」
確信を持ってそう答えられる。リゲルとジェインはそれぞれ賢王との特訓、書庫での読書と日課があるので来ていない。言えば来てしまうかもしれないと思ったので、今日が退棟だとは伝えなかったのだ。昼飯時に姿を見せることになるだろうが、驚くだろうか。
「私はこのまま訓練場に行きます。黄泉示さんは――」
「……俺は」
あのあと話してくれた日課の内容。フィアは今、午前と午後の二回に分けて葵さんに修行を付けてもらっているらしい。問うような視線を受けつつ。
「考えてたことがあって、それを実行に移そうと思う」
敢えて皆までは言っておかない。……失敗する可能性もある。結果で一喜一憂させない為にも、話すのは成否が明らかになってからで良いだろうと思えた。
「頑張ってください。きっと、上手くいきます」
「ああ、フィアも」
互いに視線を交わして分かれた足取り。……向かう先は決まっている。頭に浮かべた地図の通りに足を進め、十分ほど歩き通して見えてきたそこは。
「……」
もう一つの書庫。ジェインから聞いた話なら、まだここにいるはずだ。
「――」
重厚な扉を開けて窓のない室内へ入り込む。……古びた紙の匂い。本棚が所狭しと並ぶ空間は書庫と言うより倉庫のようにも見え、通路は割と狭い。見落としがないよう、影になっている部分にも逐一目を凝らし――。
――いた。
「――郭」
目に留まった人物の姿。掛けた声に対し、相手――郭は本に落としていた眼を上げる。
「ああ。貴方ですか」
退棟おめでとうございます、と告げられた社交辞令。返しの謝辞も早々に。
「――俺に、指導を付けてくれないか?」
「……は?」
郭の視線が訝しげなものへと変わる。それを振り切るようにして言葉を続けた。
「治癒棟にいる間、考えたんだ」
円環が俺の潜在能力を引き出すものであるならば、使用後の副作用は引き出した能力と今の俺との能力に開きがあり過ぎることから来ているもの。
つまり一時的にでも良い。今の俺の能力を補い、その差を縮めることができさえすれば。
「【魔力解放】を高めればその分円環の使用と副作用を押さえられる。だから――」
「魔力操作に詳しいだろう僕に、指導を頼みに来たと」
――流石話が早い。頷いて見つめ返した俺に対して。
「……確かに考えろとは言いましたが……」
郭の方は微妙な面持ち。暫しの沈黙のあとで、小さな溜め息を吐く。本を置き、組まれた腕の先。しなやかな指先がリズムを刻むようにトン、トンと腕を叩いている。
「それで僕に頼みに来るとは、何と言うか。断られるとは思わなかったんですか?」
「それは……」
……正直思ったが。ただ、誰が適任かということで考えるなら俺に選択肢はほぼなかった。賢王はリゲル、葵さんはフィアに修行を付けているし、後からそこに割って入るわけにもいかない。だから――。
「まあ、良いですが」
勢い込んで言葉を続けようとした出だし。解かれた両の腕に、声になろうとしていた息を呑み込む。二、三見つめなおし。
「……良いのか?」
「嫌なんですか? ――驚くことでもないと思いますがね」
本を手に取って再び俺を見た郭の瞳に、呆れの色はない。
「自分のできない点を認め、それをできるようにしようとしている。そういった人間の手助けをするのも四賢者の務めです」
見下しも面倒さも。あるのはただ、それを己の責務として受け止めている至極淡々とした口調。
「僕も自分の修練をしながらになるので、ある種片手間にということになりますが。それでもよければ引き受けますよ」
「――ああ。頼む」
迷うことなどあるはずもない。即答した俺に。
「ではまず、【魔力解放】を発動してもらいましょうか」
「ああ――」
早速指示を出してくる郭。それに従って意識を集中する。……己の内側に流れるモノを、一気に外側へ引き摺り出すように――ッ。
「――」
「……久々に見ましたが」
溢れ出したのは仄暗い魔力の纏い。ユラユラと揺れ動きつつ循環する魔力の流れへ、郭がその特質を見極めるように目を細める。
「流石に以前よりは上がっていますね。魔力の密度も量も、多少はマシになっているようです」
「多分、円環の――っ⁉」
消える⁉ 郭に答えようと意識を逸らした瞬間、全身をふらつかせる脱力感と共に霧散してしまう魔力。……不意の感触に暫し目を瞬かせ。
「……十秒も持たないんですか?」
「いや……」
違う。呆れたような声に思わず首を振る。【魔力解放】の制御についてはこれまででも何度も訓練してきた。流石に十秒が限界はあり得ない。……これは。
「多分今までとは段階が違ってて。それで、保つのが上手くできないというか……」
「そうですか」
気のなさそうな返事。……うろ覚えではあるが、最後に使った【魔力解放】はそれまでとは何かが違っているように思えた。その時の変化が影響しているのだとすれば、つまり。
「――では」
そういうことだ。郭が指を鳴らすと、内心で確かめる俺の足元に浮かび上がる魔法陣。
「これでもう一度やってみてください」
「……」
言われるがままもう一度【魔力解放】を発動させる。……全身から揺らめく暗色の魔力。先ほどは直ぐに消えてしまった分、より集中して制御を保つように意識するが――。
「ッ――っ⁉」
「……なるほど」
床の法陣が幾度かに渡って発光の度合いを変える。その都度魔力の制御が楽になったり難しくなったりし、最後にどうしようもないような離散の感覚がしてまたもや魔力が散ってしまう。反対に安定した法陣の光……。
「大体は分かりました。この上で限界まで【魔力解放】を試してみてください。今のところは、それで終わりにします」
―――
――
―
「……っ」
消失する魔力。
何度経験しても慣れない急激な脱力感と、脳の奥に蓄積していくような熱っぽい疲労感とに頭がくらつく。……既にこれで十数回目になる試しは疲れのせいかその前と変わることなく霧散し、挑んだ次。
「っ……ッ……!」
解放。これまでで多少なりとも掴んだ感覚を頼りにできるだけ魔力を纏めに掛かる。……五秒、十秒。悪くない調子だ。このまま――!
「――ッ!」
「……こんなものですかね」
一瞬の昂揚を機に。敢え無く霧散した手応えに引かれるようにして頭を落とす。意志とは無関係に荒げられる呼吸。瞬きする視線の先で足元の魔法陣が掻き消える。……駄目か。体力をかなり削られている。魔力もそろそろ――。
「では、最後にもう一度だけやって終わりにしましょう」
「……え」
限界だ。そう思った矢先に飛ばされた指示に顔を上げる。……法陣が消えたのならそれは、終わりという合図では……。
「なに止まってるんですか? 早くして下さい」
「……」
困憊の最中でのその言い方に少しばかりカチンと来るが。……ここで苛立っても仕方がない。指導を頼んでいるのは俺だし、事実あと一回くらいならできるはずだ。郭の見立ては正しい。寧ろこれで本当のラストだと、そう思って意識を集中させた全身の魔力の流れ。数秒を掛けて息を整え、これまで通り。
「――っ⁉」
引き摺り出す――その一手目でまず驚かされたのは、これまでにはなかったその軽さ。
後半では引き出すのにも勢いの要った魔力が、こうも簡単に。……続けての収束、その状態での維持も順調だ。まるで今までが、意図的に重りを付けられでもしていたような――。
「――」
「……今頃気が付いたんですか」
もしやと思って送る視線に答えたのは、郭の呆れましたと言った顔付き。
「あの法陣は貴方の【魔力解放】に軽めの枷を掛けるものです。――負荷を掛けた状態に慣れさせることで、平時を楽なものにする。単純な方法ではありますが、その様子だと間違ってはいなかったようですね。まあ、だろうとは思っていましたが」
郭の言葉に耳を傾けている間も魔力の流れは散りゆくことなく留まっている。……二十秒、三十秒。
「……っ!」
一分近くまで来たところで枯渇前特有の虚脱感のようなものを覚えて解除する。……今日初めての自力での解除だ。変わらぬ脱力感。頭と身体とに重たい疲労感はあるが、それでも確かに上達したという手応えがあった。……この短時間で。
「あとはそうですね。集中力を養う訓練法を幾つか教えておきます。一人でできるものですので、休憩の時間にでも――」




