第四節 決心
――その翌日。
「……っと」
食休みを経て訪れるのは、恒例のリハビリの時間。……今日もフィアに助けられながら廊下を俺は進んでいく。慣れてきた道を一歩ずつ、ゆっくりと。
「……もうちょっとです」
「……そうだな」
隣にいて手を握ってくれているフィア。その真剣な態度は始めの頃から変わらない。食事時に見せるような疲れた素振りも、この時間になると完全に鳴りを潜めていた。……集中してくれているという、そのことは本当にありがたい。
……しかし……。
「――あら」
考えているうち。知らず知らずのうちに床を見つめていた俺の頭に、正面から声が響く。上げた目線の先に。
「立慧さん」
「相変わらず仲良いわね。あんたたち」
応えたフィアに手を上げている、立慧さんがいた。――この間と変わらない。俺と同様にやはり少しは良くなったのか、片手で手すりを掴んでいるその姿。……如何ともし難く注意が向けられるのは、以前と明らかに違わされているその一点。どこを見ても……。
「……田中さんは?」
「いないわよ。今日は私一人なの」
――いない。俺の疑問に返されたのはあっさりとした回答。……一人? どうして。
「って言うより、今日からね。昨日もう来なくていいって言ったから」
「え……」
「違うわよ」
思わず声を上げた。何があったんですかと問いたげなフィアに、からにアクセントを置いた立慧さんは苦笑いしつつ。
「そうじゃなくて。――アレな言い方だけど、あいつもこの時期に怪我人にばっか時間かけてるわけにいかないでしょ」
「――」
「私の面倒を見なきゃ他にやれることは増えるわけだしね。……個人的な頼み事もしたし、あんまり時間を取らせるのも心地悪かったのよ。向こうからは言い出し辛い事かもしれないし」
何の気なしに言われたであろう台詞。それに対して言いようのない気持ちを覚える俺の前で、田中は別にそんなことないだろうけど、と。
「ま、それもここまで体調が回復したからだけどね。――まだ一人じゃ危なっかしいんでしょ?」
「……それは」
唐突な質問に答えあぐねる。口を噤んだ俺の逡巡をどう解釈したのか。
「無理は禁物。厳しいうちは、遠慮なんてせず仲間を頼りなさい? 特にあんたは先走り気味なんだから」
「……はい」
「じゃね。お互い早く退院できるよう、頑張りましょ」
互いを激励するようにそう言って。立慧さんは動かなかったはずの腕を高く上げ、振り向かずに俺たちの横を抜けて行った。……去り際に、頬を仄かに撫でていく空気。
「行きましょう、黄泉示さん」
「……ああ」
気を取り直すように言うフィアの声に応えつつ。今朝にした決心を、俺は内心で新たにしていた。
「――ごちそうさまでした」
「……ごちそうさま」
夕飯時。食べ終わった食器を俺の分まで片付けているフィアを見つつ、考える。……リハビリの前から決めていたことだが、いざ切り出すとなると言い辛い。少しの躊躇いの末。
「――フィア」
「はい」
できる限り決然と出した声に、フィアがこちらを向く。なんでしょう、と問いかける瞳。
「明日から、リハビリは俺一人でやる」
「――え――」
「フィアが助けになってないわけじゃないんだ」
固くなる表情。即座に紡ぎだした一言は、フィアのその機微を目にしてから。ゆえに当然――。
「その逆で、凄く助けられてる。ただ……」
迷う言葉選び。一瞬、先輩から聞いた事柄を口にしようかとの考えも過るが。
「俺の方も大分良くなってきたし、いつまでも頼ってるわけにもいかない。そろそろ、一人でできるかどうか試してみたいんだ」
「……」
そのことについては触れず。俺自身の思いを伝えることで答えとした。……数秒の思案。
「……分かりました」
それを経てフィアは頷いてくれる。受け入れてくれたことにホッとする俺の前で、でも――と。
「無理だけはしないでくださいね。私、いつでも手伝いますから」
「ああ。ありがとう」
「……じゃあ、今日はもう行きますね」
トレイに乗せた食器を持ちつつ。前まで歩いてドアを開けた、フィアが長い髪を揺らして振り返る。いつもと変わらない、それでいてどこか寂しそうな笑みを浮かべ。
「お休みなさい、黄泉示さん」
「お休み、フィア」
引かれる気持ちを堪えた、その姿が閉まるドアの向こうへと鎖される。……遠ざかっていく足音、それを耳にしながら。
――フィアにはもっと、自分のために時間を使って欲しい。
そのことを思う。このところのフィアは明らかに疲れていた。葵さんに頼んで師事しているのなら、そちらの方に時間を割かなければ身にならない。……フィア自身が体調を崩してしまう恐れもあり、先輩が敢えて俺に伝えてきたのもそれを案じてのことだろう。
――やり遂げてみせる。
でなければ意味がない。決心し実行した以上、必ずやり遂げなければならないのだ。
――次の日。
昼飯が終わり、昨日の話し通りフィアは帰って行った。食休みをしてコンディションを整えたあと。
「……」
――一人。手すりに掴まり、これまでに何度も歩いた道のりを歩いて行く、……やはり歩ける。まだ身体の随所は重く、奥底には疲労が溜まっているような感覚はあるが。
それでも始めの頃とは違う。……他人に頼らざるを得なかった時とは。こうして意気を入れて動けば、一人でも充分――。
「――っ」
思っていた最中。一瞬、太腿にぐらつきを感じて歩みを止める。……大事無いことを確かめてから、再開する進行。
――今は、一人だ。
フィアはいない。己を支えるのは自分しかいず、だからこそ下手に転びでもすれば一気に大事へと繋がりかねない。慎重に、用心深く行かなくては。
「……」
まだ先は長い。歩き始めたばかりの道のりを自覚して、今一度気合を入れ直した。
―――
――
―
「……ふぅ……っ」
自分の部屋が見えたことで一気に達成感と安心感が出て来る。横開きの扉をスライドさせると、真っ直ぐにベッドへ。倒れ込むように全身を預けたところで、身体全体に巡る疲労を享受した。
――予想以上に疲れた。
息を吐きながら思う。一人ということでいつも以上に気を張っていたからか。これまでフィアがいてくれたことが大きな支えになっていたのだということを改めて実感する。……それでも、どうにか一人でやり遂げられた。
「……」
自信が付いたような気分と共に、回復を確かめられたようなある種の安堵感が湧いてくる。怪我の前は自然とできていたことが、こうまで難しい。上手く動かせなくなったことで逆に自分の身体の使い方を自覚し直しているかのよう。そんなことを思いつつ――。
「……」
寝転んで見上げた天井。一人でいるせいか、久し振りに思考がクリアな気がする。……フィアも、ジェインも。
全員が全員。俺がこうしている間にも、次の段階へ進む為の努力を続けている。今朝方治癒室を訪れた賢王に仄めかされたのは、リゲルがかなり厳しい訓練をしているということだった。
――強くならねばならない。
考えていたことではあった。……ただ自分の状態やリハビリという状況に追われて、具に検討することがなかった気がする。もっともっと。
「――ふう」
――焦ってみても仕方がない。
言い聞かせるように息を抜く。ここでまた身体を壊しては元の黙阿弥。本格的な取り組みは回復後という、そのことに変更の余地は無い。
ただ、言ってみれば今のこの状況自体が俺の持つ力のリスクを良く示している。
戦う度に倒れて、治癒を受けて……これだけの期間を回復に割くのでは、とてもでないがまともな戦い振りとは言えない。呪具という邪道を選んでいる以上幾許かは仕方のないことだとしても、それを改善する方法は探っておくべきだろう。
「……」
所持者の力を引き出す――『破滅舞う破滅者の円環』の効果は至ってシンプルだ。扱い方も念じるだけ。
但し引き出せる力の上限が凄まじく高い。試したことはないしできれば試したくもないが、恐らく俺自身が壊れるまで力を引き出すことさえできるような気がしている。
そして更に言えば、引き出すことのできる能力は身体能力に限らない。
今回新たに判明した事実。あの時、俺は確かにそれまでとは段階の異なる【魔力解放】を使っていた。セイレスの光球を防ぎ切るほどの防御力。多少の魔力を纏わせた程度では間違いなく消し炭になっていたはずだ。円環の力が、俺の【魔力解放】の性能を引き上げた。
――ならばそれはつまり、魔術のような物も扱えると言うことだろうか。
「……いや」
一瞬試してみたい衝動に駆られて、思い留まる。……こんなところで魔術をぶっぱなすなどとんでもない。それに呪具の力を使えば当然、その代償に襲われることになる。
肉体を強化する代償は肉体その物への負担。では、本来扱えないような魔術を使えるようになる代償は?
その目星も何となくではあるが付いている。光を受け止めた直後に感じた、あの頭痛。代償は精神か、若しくは脳なのだろう。……治癒師の説明にもあった。運び込まれた直後の俺は肉体のみならず、精神的にも大きく摩耗していたと。戦闘で掛かるストレスだけではなく、恐らくそれは円環の――。
「……」
今更ながら。
自身が背負った力の特性に、恐怖のような怖気を感じていることに気付く。シンシアさんの言った通り。この呪具は俺の望みを叶える。代償として、俺自身を壊しながら。
「――いや」
漏れた呟き。リスクがあるとしても、この力は仲間を守るために必要なもの。要は使い方の問題だ。郭も言っていたように、できる限り負担の少ない、効率の良い方法を見付け出す。あの日使う技を、【無影】から【一刀一閃】へ変えたように――。
――できることから、自分なりの戦い方を見付けだして行かなくてはならないのだ。それと共に。
セイレスから言われたこと。あのことについても、考えておかなくては。
「……」
時計を見る。……夕飯までにはまだ時間がある。フィアは少し早目に来るかもしれないが、それでも一時間弱ほどは取れる計算だ。フィアとの夕飯時に、話をする体力が残っているように――。
「――」
今の内一眠りしておこうかと。俺は、薄黄色の天井が映る目を閉じた。




