第三節 変化
「――」
この部屋で目が覚めてから、早五日。
治癒棟での生活にもどうにか慣れてきた。三度の食事とリハビリにはフィアが付き合ってくれているし、午後には毎日のようにリゲルとジェインが見舞いに来てくれる。目が覚めてから会っていない葵さんたちの間でどういう話が進んでいるのかも聞いているため、治癒棟から出られずとも取り残されているような特別な不安はなかった。
だが……。
「……」
昼飯の時間。流石に毎回が〝あーん〟では心が持たないと、一昨日から気合いを入れて食事はなんとか自力で取るようになっている。フィアと他愛もない話をしながら、この後のリハビリに向けて栄養を摂取するのだが。
「……フィア」
「ふぁいッ⁉」
二度目になる呼び掛けに。ゼリーの入ったスプーンを持ちながら、うつらうつらしていた眼が覚醒する。
「……疲れてるんじゃないか?」
「そ、そんなことないです。大丈夫ですよ」
咄嗟に笑顔を浮かべて急ぎスプーンを口に運ぶ。……その表情が、どうしても無理をしているようにしか見えない。
最近フィアはこうした様子を見せることが増えてきている。リハビリの時は特別気合いを入れてくれているようだが、食事時などは最たるものだ。今日は朝から少し眠そうだった。
「……くぅ」
そうこうしている間にまた眠っているし……。
「……フィア」
「……はっ」
気付いたように身体を震わせる。暫し目をパチクリさせて。
「だ、大丈夫です! ほら、こんなに元気ですから!」
大きく身体を捻り、腕を回して見せるフィアに対し。
「……」
俺はそれ以上、何も言えなかった。
――気になることは他にもある。
「よーう、黄泉示!」
リハビリまで少し休んで来ると言って退出したフィアに代わり、室内に響く威勢の良い声。いつものように陽気に手を挙げて扉を開けるのは、リゲル。
「おはよう蔭水。……といっても、もう昼だが」
横並びのまま部屋に入ってくるジェイン。リゲルと比べると幾分静かにも聞こえるが、充分耳に届く声量。これもここ数日で見慣れた光景だ。
「おはよう。リゲル、ジェイン」
「具合はどうよ? そろそろ歩けるようになって来てんじゃねえか?」
「ああ。調子は割と良い感じだ」
いつものように体調について話す。リハビリでは未だにフィアがしっかりと支えてくれているが、多少奮起すれば一人でもこなせるくらいには回復したと思っている。万一が怖いので、試してはいないが……。
「だとしても無理はすんなよ。治癒師にも言われてんだろ?」
「蔭水は何かと無茶をしがちだからな。怪我はしっかり治して貰わなければ、僕たちも困る」
「……ああ」
リゲルの言う通り。リハビリ時以外は休んで回復に努めるようにと初日に治癒師からも言われている。流石にそれは分かっているとも思うが、実際無茶をしてこうなってしまっているので強くも言えない。
「まあでも実際、調子は良いんだ。……フィアのお蔭もあってだろうな」
「カタストさんか」
「けっ。また惚気が始まったぜ」
「違うって。フィアには本当に――」
感謝していると。そう、言おうとしたところで目に留まったこと。
「……リゲル」
「ん?」
「腕、どうかしたのか?」
気になったのはポケットに突っ込まれたままの左腕。……ジェスチャーをしている活きのいい右腕と比べて、先ほどからほとんど動かされていない。勿論ただの偶然と言うこともあるが……。
「ああ……こりゃ何でもねえよ」
リゲルは話すときも大抵両腕を使って身振りをしているような印象があるので気に掛かった。当人も何かあること自体は否定せずに言う。
「ちょっとばかしトレーニングで張り切り過ぎてな。今、色々と自主トレしてんだ」
笑って見せる。運動神経抜群なリゲルが、自主トレで怪我……?
「……そうなのか」
「そうなんだよ! なっ、ジェイン!」
「そういうことらしい」
頷くジェイン。普段言い争ってばかりの相手に同意を求める辺り、明らかに何かがおかしい。半分呆れたようなジェインの仕草を見てもそれは確かだが。
「――気を付けろよ?」
リゲルの発言に合わせていると言うことは、ジェインも一応それに乗っかっているということなのだろう。訊いても素直に答えてくれない気がして出した言葉に。
「おう。心配要らねえぜ」
「……」
右腕の親指を立てて見せるリゲル。ジェインは最後まで、黙ったままだった。
――やはり様子がおかしい。
「じゃあ黄泉示さん、また明日」
リハビリのあとの夕食も終わり、フィアが帰って行ったあと。……この頃のフィアたちの態度に、そんな違和感をひしひしと覚え始めていた――。
「――順調のようですね」
夜。初めて見舞いに来てくれたのは郭。長く一纏めにして垂らした黒髪を揺らしつつ、品格のある佇まい。
「早くに来られればと思っていましたが、色々と忙しくてですね。幸い賑やかなようだったので、それを口実に少し遅れさせてもらいました」
「いや、それは全然」
構わない。協会の関係者であり今のメンバーの中でも実力者である郭が忙しいのは想像がつく。寧ろ見舞いに来てくれたこと自体に驚いているくらいだ。
「……郭は今何をしてるんだ?」
勧めた丸椅子に腰かける郭に、気になっていたことを尋ねてみる。フィアたちから全体の大まかな様子を聞いてはいるが。
「そうですね。今後の方針について葵さんや凶王たちと話し合ったりはしていますが、他に……」
それぞれの具体的な活動内容についてまでは余り知らないのだ。ベッドで半身を起こしている俺に対して、郭は言うべきかどうか少し迷うような素振りを見せ。
「書庫の魔導書を紐解いて、幾つか古典魔術を会得しようかと考えているところです」
「古典魔術?」
「時代の流れに合わせて理論化・規格化・体系化が成されてきた近代魔術と違い、主に古代から中世にかけて用いられていた魔術群のことですよ」
耳慣れない単語に疑問を投げた俺に対し、説明で理解を補いにかかる。
「効果が特殊かつ扱いの難しいものが多い。有効な場面が限定される為に現代では優先順位が低いとされていますが、こんな異常事態に扱うには丁度良いかと思いまして」
「……なるほど」
「時代に合わせて洗練してきたと言えば聞こえは良いですが、古典の持っていたような固有性や特異性を切り捨ててもいるわけですからね。元より上を目指すなら踏む必要のあった手順が、少し早まっただけの事です」
そういった観点は流石というか。頷くしかないでいる俺の前で、そこで思い出したように。
「そういえば彼――レトビックも書庫に入り浸っているようですね、このところ。第一書庫の方なので、何をしているのかまで詳しく知りませんが」
「――ジェインが?」
頭の中に思い浮かべる二人の様子。……何かしているならリゲルではなかったのかと、その点で少し意外に思う俺に対し。
「ええ。まあ大方、何か新しい術でも身に付けようとしているんでしょう。今の彼ではどう頑張っても支援と司令塔以外の役割はこなせませんしね」
「……それでも充分じゃないか?」
「どうでしょうね。少なくとも僕の予想が当たっていたとすれば、彼自身がそれでは不足だと考えたからだと思いますが」
そう言ってのける。……ジェインが、か。考えたことのなかったその内容に、思わずして少し思案し――。
「――他人の事より自分の事を考えたらどうですか」
上げた視線にぶつけられた郭の眼差し。瞳に浮かべられた真剣の色を理解して、身を固くする。
「呪具の代償の重さは身を以て思い知ったでしょうし。漫然と今のスタイルを続けて行くことは、この先難しいのでは?」
「……それは……」
――そうかもしれない。俺の中に浮かんでくる思考。戦いの度に今回のようなことを繰り返していては身が持たないし、何より俺たち全員の行動に縛りをかけてしまうことにもなる。どうにかしなければならないと、再び考え込み始め――
「まあ、自分の持つ力について考えるのは常に自分自身です」
――た俺の前で。話は終わりだと言うように、郭が立ち上がった。
「何か呪具の代償を軽減できる方法でも見付かればいいですがね。――では。早目の退院を期待していますよ」
「――よっ」
郭の来訪から数十分。ノックに続き開かれたドアの向こうに立っていたのは、千景先輩。相変わらず小柄な背丈の響かせる靴音に連れて、ミスマッチな煙草の香りが微かに室内に入ってくる。俺を見つつ。
「悪くなさそうだな。まあ、カタストがあれだけ献身的に介護してればそうか」
そう言って微かに笑った。……先輩は前にも一度来てくれたことがあったのだが、そのときはフィアがいるのを見て直ぐに帰ってしまったのだ。そんな指摘に気恥ずかしさを覚える余地もなく……。
「……先輩」
「ん?」
思考を占めるのは郭が言っていた事柄。どうしたと促すような視線を向ける先輩に、覚えていた疑問を切り出した。
「……そうだな」
――俺の口にした内容を受けて先輩が考えるように腕を組む。自分の場合だが、と前置きしつつ。
「――私にとって、今から何か別の術理を修めることは難しい。これまででも私自身の戦い方に合った技法を選んできたつもりだし、却って付け焼刃になり兼ねないからな」
「……はい」
――それはそうなのだろう。……先輩と俺たちとでは技能者としての歴が違う。やはり参考にはならないかと、耳を傾けつつそう思い。
「だから私は、今までに自分が習得した技法の見直しをしてる。その気になって一から叩き直すつもりで見てみると、案外気付かされることも多くてな」
「見直し……ですか」
思考を引かれたのは告げられた台詞の中身。……それも一つかもしれない。
確かに賢王に付いて呪具を得てからというもの、俺の修練や意識はそれに掛かりきりになっていた。円環を含めた持ち手の中で、何かしら見直せる事柄があれば。
「蔭水の場合はただでさえこれまで急ぎ足で進んできただろうし、零れ落ちていたものがあればこの際に拾っておいた方がいい。――他の誰かを頼るのも手だ。カタストが葵に師事してるみたいに――」
「――えっ?」
傾聴の最中。唐突に告げられたそのことが、意識に掛かる。――フィアが。
「フィアが……葵さんに?」
「……やっぱり言ってなかったのか。まあ、カタストならそうだろうと思ったんだ」
俺の様子を見た先輩は、織り込み済みだったというように軽く息を吐き。
「カタストは今、魔術に関して葵の手解きを受けてる。学園での戦いを受けて、自分なりに考えた結果なんだろう」
「……」
告げられる事実を飲み込む傍ら――同時に、今までフィアが見せていた妙な態度にも合点がいってしまう。……それで、あんなに疲れたような表情をしていたのか。
フィアが――。
「難しいかもしれないが、できることなら今のうちからやっておいたほうがいい」
考え込む俺の耳を打つのは先輩の声。話を元に戻した口元に、穏やかな微笑みを浮かべて。
「その方が後悔が少ないはずだ。後になってからするよりも、きっとな」




