第二.五節 フィアの決意
「――……ッ」
夜。ともすれば疲れに湧き上がって来そうな欠伸を噛み殺して、気持ちを落ち着かせながら私は廊下を進んでいく。――もっともっと。
心の中で呟くのは何度も繰り返してきた決意の確認。……今まで以上に頑張る。そして――。
「――失礼します」
「どうぞ」
力を入れすぎないように注意したノック。中から聞こえてきた声に応えて扉を開ける。相手の姿を確認して室内に一歩入り、なるべく音を立てないよう静かに扉を閉めた。
「……こ、こんばんは」
「こんばんは。フィア・カタスト」
どもりがちになってしまった台詞を平静に出迎えてくれるのは、葵さん。静かで、それでいて厳しさのようなものを纏っている雰囲気は、こうして机に座っていると一層増しているようにも思える。……一対一で接することは未だに少しだけ慣れない。思わず飲み込んだ喉の動きで、口の中に唾気が溜まって来ているのが分かった。
始まりは黄泉示さんに付き添って今日の分のリハビリを終えたあと。担当する治癒師の方に連絡をお願いし、今夜の面会を取り付けて貰ったのだ。詳しい内容を尋ねずに連絡してくれた治癒師の方には本当に頭が上がらない。だからこそ、きちんとやらなければ。
「用があるとのことでしたが、内容は?」
「はい。ええと……っ」
促され、緊張からの強張りで声が詰まる。こうしてまた本山に戻ってきてここにいる以上、葵さんだって間違いなく忙しい身であるはずだ。割いて貰っている時間を無駄にはできない。用件は端的に、思い切りよく――!
「わ、私を弟子にして下さい! お願いしまふッ⁉」
「――」
言葉に合わせて思い切り頭を下げた私の舌に走る痛み。……沈黙。目元に湧いてくる涙。耳に残る自分の声を三回ほど反芻してから気付く。
――噛んだ。これ以上ないほど明確に、しかも相手に頼み込む一番大事な場面で。笑い事でない失態に血の気が引いていくのが分かる。これでふざけていると取られてしまったら、本気でないと思われてしまったら。
それだけで終わりだ。……訂正した方がいいのだろうか。けど、変に取り繕おうとするのも――。
「――あ」
「弟子とは」
悩んだ末に言い掛けた言葉を、いきなり出鼻から挫かれる。上げた視線の先には、一切表情を変えていない葵さん。
「正式に協会に所属し、魔術師としての道を歩むに当たって――ということですか?」
思っていた反応は微塵もなく。噛んだ事実など初めからなかったように、掛けられた声はどこまでも冷静だった。
「……あ、い、いえ。その、そうではなくて――」
声が萎む。あからさまな痴態を無視されたこと、意図とはまるで違う言葉の解釈をされたことでこんがらがる頭。弟子、という言葉を不用意に使ってしまった自分が恨めしい。今更後悔してみても、後の祭りにしかならないのに。
「私――学園での戦いのとき」
何を言うべきか。真っ白になった頭の中で、考えてきたはずの事柄をもう一度、組み立て直すように話し出す。
「大して役に立てなくて。それで黄泉示さんたちが傷付いて、それで――」
そう。あのときに、あの後に私が考えて、思ったこと。
「このままじゃいけないと思ったんです。……だから、葵さんに」
「教えを請いたい、と?」
「……そうです」
私には、郭さんのように一人で強くなれるだけの力がない。
ジェインさんのように一人で本を読む力も。一人ではどうして調べたらいいのかも分からない。……だから。
「強くなって、今より仲間の力になりたいんです。――お願いします」
また一度できるだけ深く頭を下げる。知っている中で指導を引き受けてくれそうな人。魔術を使うという私の戦い方からしても、一番向いているのが葵さんのように思えたのだ。
「……」
「……その、葵さんも、お忙しいとは思うんですが……」
「……」
沈黙が続く。……駄目、なのだろうか?
考え込むような仕草をしている葵さんに、どうしても不安な気持ちが襲ってくる。忙しいと思うなどと、どうしてそんな言葉を付け加えてしまったのか。多忙を承知で頼むなど厚かましいことこの上ない。そう言われてしまっても仕方がないような、無茶を言っている気がしてくる……。
「分かりました」
「――!」
――え。
「指導を付けましょう。――ただ、私にも仕事があります。当面の間、それほど多くの時間は裂けません」
まだ事情が良く飲み込めてない私の前で、淡々と葵さんは話していく。……事務的に。
「折を見て少しずつ時間を増やしていく形になるでしょう。それでも構いませんか?」
「――は、はい!」
――やった。
「ありがとうございます!」
感謝。感極まって頭を下げた直後、ふと思い当たったこと。
「――あ。その……」
指導を受け入れてくれた葵さんに申し訳なさと決まり悪さを感じながら、切り出す。
「黄泉示さんとのリハビリがあるので、できれば時間帯を午前と夜にお願いしたいんですが……」
「……リハビリは治癒師の仕事では?」
「……それはそう、なんですけど……」
――何て説明したらいいのだろう。
私と葵さんとでは立場が違う。私にとってはそれが大切なことで、やらなくてはならないとも、やりたいとも思っている。そうだとしても、葵さんからすればただの我が儘と映るかもしれない。私にとって必要なことだと言って、それで納得してもらえるだろうか?
全部を説明すれば分かってもらえるのかもしれない。頭ではそう考えていても、万が一冷静な論理で動機を否定されるのが怖かった。
「……まあ、良いでしょう」
黙りこくる形になってしまった私に、葵さんから声を掛けてくれる。
「時間帯の件は了承しました。しかしその分修行には励んでもらうことになります。肝に銘じておいて下さい」
「は、はい。勿論です!」
「では、早いうちからということで、明日から始めようと思います。詳しい時刻は――」
――漸くだ。
浮足立つ気持ちを抑え付ける。これはまだ最初。見据えた道のりの、ほんの始めの一歩をスタートしたに過ぎない。
――力を付けるのだ。
葵さんの説明を聞きながら強く思う。もうこれ以上、傷付く誰かを見なくて済むように。
「――以上です。何かありますか?」
「あ……」
促された質問に声を出す。……前回の戦いでの不調。詳しいだろう葵さんに尋ねようと思っていたこと。
「その、私の固有魔術についてなんですが……」
「――私から言えるのは以上です」
「……はい。――ありがとうございました。失礼します」
扉を開けて。大仰なほど丁寧な所作で頭を下げて部屋を出たフィア・カタストを目で見送り、葵は一人執務室の椅子に腰を下ろす。……実にタイムリーな提案だった。胸中に浮かんだそんな感想を、思い起こされる回想の波に漂わせながら。
〝――あの魔力についてですが〟
今より数時間ほど前。郭、賢王らと交わした会話。
〝おや。気付いていましたか〟
〝当然でしょう。……カタストさんの魔力に近いものでしたね〟
学園からエリティスの屋敷へと戻ってきたあの時分。二階の廊下付近に残された、どこか異質な魔力の気配を葵たちは感知していた。フィア・カタストの魔力に近しいという分析も三人が一致。それについて話を進めることになった。
葵に限って言えばそのことに気が付いたのは協会へ移る前。蔭水黄泉示、范立慧の両人へ追加の治癒を手掛けていた最中、感じた異質な魔力との妙な親和。
その原因がフィア・カタストの掛けた治癒魔術の残り香だと気付くまでに要した時間は然程長くはない。考えてみれば単純な事実。あの時点における二人の魔力的な共通点は、重傷に当たりフィア・カタストの綿密な治癒を受けていたということ以外にあり得なかったからだ。
〝では、それについて賢者見習い殿の意見を聞きましょうか〟
〝……良いでしょう。僕が推測するに、あれは――〟
――魔力暴発。
それが郭の告げた見立てだった。
〝カタストさんには恐らく、支配級の適性が眠っているものと思われます。以前のセイレスとの一件を踏まえても〟
追加の根拠として郭が挙げたのはそのこと。―――属性の加護を受けるとまで言われる支配級の適性ではあるが、目覚めの段階ではその力は非常に暴発を起こし易いものでもある。自らの持つ潜在的な魔力の大きさ、力の余りの扱い易さに、それを制御する技術が追い付いていないのだ。
とはいえ支配級の適性を持つ者全てが不安定な状態で力に目覚めるというわけではなく、無意識下で制御のための用意を整えてから目覚めが始まる事例の方が現実には多い。しかしながらフィア・カタストの場合、敵の幻術などの影響で心身が揺さ振られた結果としての強引な目覚めが引き起こされていると推測。本来なら為されているはずの準備が終わらないうちに、支配級の適性の目覚めの兆候が出て来てしまっていると、郭は自らの見立てをそう語った。
〝聞けば敵方の魔術師と限界近くまで魔術戦を繰り広げた直後。感応があったとしておかしなことはないでしょう〟
賢王も概ねその見解に同意していた。葵とて殊更の異存はない。確信までには至らないが、魔力暴発の要因として考えられる原因の中でも支配級の適性の目覚めは有力な候補だ。
〝監督役が必要でしょうね。彼女自身の為にも、これからの戦いの為にも〟
三人の話し合いはそんな結論で締め括られた。葵自身が協会の仕事に追われる中、折を見て手を打とうと考えていたのだが。
――まさかそれが、当人の志望により成立するとは。
思っても見なかった事態に葵は目を眇める。幸いにして――協会の業務は実務派の支部長らと協会員だけである程度回す用意が整い始めているところだ。三大組織と凶王派が壊滅に等しい現状、協会の長として葵が殊更に関わる必要のある案件は見受けられず、他者を指導する余裕がない訳でもない。
そもそも葵たちの目的である『アポカリプスの眼』への対抗を考えても、メンバーの内二人がリハビリを必要とする状態ではこちらから仕掛けていくことは難しい。動き出しは二者の回復を待ってから。それまでにできることと言えば戦力の増強、即ち既存のメンバーの力の底上げであり、その一環として指導を付けるというのは理に適っている。断る理由はなかった。
「……」
事が良い方向に進んだ――。そう捉えて間違いはないだろう。自分から言い出した分、此方から一方的に言付けるより当人のやる気があるという点は望ましい。フィア・カタストの性格を考えれば、伊達や酔興で特訓を口にしているのでないことは葵としても予想が付けられる。
――が、依然として不可解なこともある。
片隅に置いておいたそれらを葵は今一度思い返す。……一つはあの時に感じた魔力の異質さ。残留していたのが本当にフィア・カタストのものだったならば、最上級魔導師たる葵には直ぐに知れる。しかし、葵が感じたのは類似性だ。似通っているとは思ったが、同じだとは思わなかった。それがどういうことなのか。
二つ目。仮にあの原因がフィア・カタストの引き起こした魔力暴発だとするならば、周囲に被害が全く出なかったというのはおかしい。
魔力暴発というのは文字通り、制御を外れた純粋な魔力の暴走だ。当人にもそれを止めることなど出来ず、起これば大抵の場合何かしらの被害が出る。人であれ、物であれ、破壊の跡がまるでないことは通常では考え辛い。……当人が消耗していた時点だったことから、纏まり切らず霧散したという考えもあるが。
「……ふう」
――どうもしっくりこない。
そんな感慨を息と共に吐き出す。何かが見えているようで、見えていないようだ。それも自分だけの感覚ではないのだろう。少なくとも予想を口にする郭は、確信を持って話しているようには見えなかった。
「……」
不調と言う固有魔術の件については葵はそれほど重要とは考えていなかった。……協会の歴史を以てしても固有魔術は未だに謎が多い。発動者の自己と深い関わりがあるのは確かだが、元より発現法も安定化も確立はされていない技法。九鬼永仙を退けた実績があるとはいえ、確実性の低い手段に頼ることは当人にとっても良くない結果を招きがちになる。
とはいえ不安気な当人の様子を見てそのままにしておくわけにもいかず、一応心当たりはあると告げてはおいた。支配級の適性の目醒めが始まっているのなら、それは自己の変調に繋がっているはず。過渡期に何かしらの不調が出てもおかしくはない。不安や悩みが与える影響も鑑みて、ひとまずは気にしないことと。
――それに。
蔭水黄泉示。あの青年についても考えておかなければならない。概要は既にフィア・カタスト、リゲル・G・ガウス、ジェイン・レトビックの三人から聞き終えていた。所有者の限界を超えて力を引き出す呪具と、その戦い振り。
蔭水冥希、アデル・イヴァン・クロムウェル、敵方の魔術師三名を前にして抑えの役割を果たしたことは、葵の想像を遥かに超えた破格の戦果と言って良い。……賢王の知古が手掛けたと言うだけはある。あの覇気のない青年が、まさかここまでの猛者を演じられるようになるとは。
しかし――。
「……」
反面としてその代償は大きい。その戦いには常に尋常でない負荷が掛かり、今回も治癒練への入室を余儀なくされている。毎度毎度このようなことを繰り返してれば近く遠からず、まず確実に死に至るだろう。
――修練が必要だ。
必然として確信する。呪具の代償を踏まえた上で可能な限りそれを制御し、我が身を磨り潰さないようにするための。それを踏まえてこの先管理して行く必要がある……。
〝――状況の不利は明白です〟
葵の脳裏に賢王の声が思い起こされる。
〝あれに情報にあったような力が加わるとなれば、『アポカリプスの眼』だけでさえ相当に強力な障害。奥に更なる障害が構えているとしても、一戦一戦に全精を注がなければ到底勝利など見込める余地はないでしょう。――全名の力を上手く使い熟していかなければ〟
賢王の言外に含まれる言葉の意味。それは即ち、目的の為の最大効率を重視して事を進めていくと言うことに他ならない。
学園の件について考えれば事は分かり易くなる。あの場に居たのが郭でなく賢王だったならば、場合によっては腕尽くでも彼らを止めていただろう。何のことは無い。学園の人間を見捨てることが、自分たちの果たすべき目的にとっては最も効率が良いことであるからだ。大を取り、小を切り捨てる――。
上に立つ者ならば当然の如く身に付けていなければならない考え方。その有用性、そのある種の必然性と言う物は、葵も重々に承知しているつもりだった。……だが式秋光の理念を受け継ぐ身として、単純に看過することだけはできない。
「……」
時計を見る。存外時間が遅くなっていることに気付き、椅子から上げた腰。……今日はもう寝なくては。明日の行動にも差し支える。
そう思いつつ考えを進める。エリティスの力を目前で披露した以上、敵は恐らく葵たちがその力でどこかに隠れ潜んでいると考えるはず。
敢えて場所の割れている本山に舞い戻ったとの考え方はしないだろう。悠長にしていれば不味いかもしれないが、そうでなければある程度の猶予はある。……どの道、今ある戦力を鍛えていかなければ勝機など到底見出せないのだ。
――利用するのではない。
葵はそこをはっきりと心に刻む。仲間として、力を合わせていくこと。そこさえ間違えなければ、きっと……。
道は違っても、秋光と同じ方角に辿り着ける。
フィア・カタストの件については、あの場にいた三人に伝えておくか……。
事務的な思考を働かせたまま、葵は退室の用意を整え始めた。




