第一.五節 不足
「――ッ‼」
鈍く。拳を打ち付ける音が、廊下に響く。余韻を残して跳ね返る残響。
「……聞こえるぞ」
「……ここなら心配要らねえよ。黄泉示も疲れてるみてえだったし、治癒師もしっかりドアを閉めてたしな」
――黄泉示の見舞いを終えた後。治癒室から離れた廊下で、二人は言葉を交わしている。……学園での戦闘。蔭水冥希を前に、為す術なく完敗したあの戦い。
「……情けなくて反吐が出るぜ」
――何が無茶をするな、だ。
中途で意識を失ったとはいえ、事の顛末をリゲルは自分でもよく理解している。……身体が言うことを聞かなくなっていたあの場面。黄泉示が呪具の力を稼働させなければ、リゲルたちは確実に殺されていた。すべきでないはずの無茶、追うべきでない負担。よりにもよってそんなものに、自分は助けられたのだ。
「それは僕も同じだ。あの戦い、実質的に僕は足手纏いにしかなっていなかった」
ジェインもまた苦々しく吐き捨てる。
「魔力を使い果たしてしまえばできることがない。……つくづく思い知らされた」
【時の加速】は補助呪文として極めて優秀。だがその一方で魔力消費はかなりのこと激しい。支配級の適性を持たないジェインの魔力容量はリゲルには及ばず、倍率を上げている今一戦で魔力が底を突くことは充分に起こり得る事態となっている。魔術を失ってしまえばジェインの能力は一般の学生とほぼ変わらない。常人相手ならいざ知らず、技能者としても手練れ揃いである『アポカリプスの眼』との戦いで通用しないことは明らかだった。
「てめえには頭があんじゃねえか。親父にもそこを鍛えられたんだろ?」
卑下に対し口にしたのは言葉限りの慰めでは無く、リゲルの本心。そもそもジェインの役割はフィアのような補助一辺倒ではなく、司令塔としてのものが備わっているはずではないか。
「戦術はある程度、互いの力量が近付いてから効果を発揮するものだ。大軍同士なら別かもしれないが、少人数戦では取れる動きが大きく限定される。実力差があるとなれば尚のこと、な」
「……そりゃそうか」
リゲルは息を吐く。父、レイルの采配を目にしてきた手前、戦闘における策略の重要性は最低限理解していた。前以て整えられた用意、思惑の裏を掻く手段が、時に単純な兵力差を覆す。
だがそうした策謀は大抵の場合、正面衝突を避けた上でどれだけ効果的に敵勢力を削ぎ落とせるのかに要点がある。……若しくは戦闘自体に持ち込めない場所、優位な布陣を整えるかだが、現状にあってはそれも限りなく難しい。総合的な戦力、個々の質、状況的な優勢も敵方が保持している状態では、策を仕掛けられるだけの下地がないが故。
「……今のままでは駄目だ。僕たち自身が、更に変わらなければ」
「あいつらには、太刀打ちできねえ」
立ち込める沈黙。……役に立っていない訳ではない。今までリゲルたちがしてきた努力、修練は紛れも無く、彼ら自身の血肉となっている。だからこそこれまでを生き延びることができてきた。
――だが、それだけでは足りないのだ。
「……っ」
「どこへ行く?」
不意に。歩み出した背中に、ジェインが声を掛ける。
「思い付いたことがあんだよ。やれることは全部、試してみるまでだ」
振り返らずに吐き捨てるように言ったリゲル。足を進め。
「――自分のせいで仲間が傷付くなんてのはもう、御免だぜ」
「……」
去り際に言い残された台詞に、ジェインは暫し押し黙った。
「……僕も」
小さな呟きが零れる。
「迷ってはいられない……か」
静かに首を振って。リゲルとは反対の方角へ、ジェインは歩いて行った。




