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第十九節 守る者

 

 ――防げない。


 感覚的にそのことが分かってしまう。……立慧さんへ障壁を展開したこと。それが何よりも致命的な隙になった。


「――」


 魔術が迫る。……死ぬ。それを理解していながらも、私にはどうすることもできず――。


「――っ⁉」


 気付いた時には、何か力強いものに身体を支えられていた。


「きゃっ――」


 地面に下ろされる。咄嗟に見回して、私だけでないことに気付く。


 ――立慧さん、リゲルさん、ジェインさん。見知った人たちの姿は、誰一人として欠けないで其処に居て――。


「――」


 最後の一人。……大切なその人は、確かに私の前に立っていた。


「――守る」


 言う。私たちを見る三人を前にして、黄泉示さんが。


「俺は、誰一人――」


 言葉から伝わってくるのは強い決意。……覚悟。紛れも無い強さの表れ。


「――殺させない」


 だけど――。


「黄泉示……さん?」


 なぜだろう。胸の中に言い知れない不安が過る。目の前にある、その背中が……。


 これまでとは違う、何かを纏っているように見えた。












「……」


 宣言――。決意の表れと見て良いだろう行いを冥希は瞻視(せんし)する。……今し方目の前で起きた光景。その事態に、内心で複数の思考を重ねながら。


 確実に()れた一撃であるはずだった。冥希の一刀も、セイレスの魔術も、アデルの一撃も。何れも標的自体に対処不可能でありながら全てが重なり合っている絶好機。元よりそうしたタイミングを狙い討つ心積もりだったとはいえ、あれほど出来た形でそれが叶うことになったのは掛け値なしの幸運と言うしかない。直感と経験とが相俟って肯定した、絶命の未来――。


「黄泉示……さん?」


 ――それが覆された。他ならぬ青年、蔭水黄泉示の手によって。


 どこか覚束なげな()を含んだ呟きを流しつつ、冥希は今し方見せ付けられた動きを思考の中で反芻する。整理してみれば至って単純。斬撃を打ち払い、魔術を両断し、アデルの腕から支部長を取り返した。児戯と言えるほど短絡的な動作の積み重ねだが、省みるべきはその速度。


 ――それら三つの動作が行われる間、冥希たち側が誰一人として反応出来なかったという事実に尽きている。


「……なるほど」


 努めて平静。だが声の内奥に初となる警戒の色を滲ませているアデル。間違いなく、相手を見る眼は切り替わった。


「二人が遅れを取ったというのも、強ち責めることはできんな」

「……っ」


 セイレスに至ってはその反応は更に顕著。一見隙だらけと思えるほど黄泉示を注視しつつも、その裏で新たな障壁を展開し続けている。あの速度を攻撃に回されたならセイレスでは対処出来ない。そのことを踏まえた上での措置だろう。愚かであっても蒙昧ではない。状況を考えるなら寧ろ、慎重を期すセイレスの方が正しい対応ができていると言え。


 ――保有者の身体能力を強化する呪具。


 その認識は今でも変わらない。元より黄泉示の持ち手で警戒すべきなのは新たに手に入れたらしい呪具の力だけ。バロン、セイレスより事前の情報が齎されて以来、冥希はそのことを予測し、だからこそ戦闘の序盤を確認に、中盤を分析に費やした。運動を補助する間接強化とは違う。肉体の性能そのものを引き上げる直接強化に、戦闘の渦中でも問題とならないだけの応答速度。発動に特徴的な起こりも無い。


 導き出した性能は往々にして優秀なものではあったが、分析の終わりと共に冥希はその弱点にも既に考察が及んでいた。肉体に作用し、肉体を媒体とする直接強化である以上、強化の程度は肉体の強度に依存している。どれだけ苦痛を凌いだとしても、筋組織の崩壊を加味すれば大凡四、五倍。それが強化値の限界だ。


 しかし――。


「――中々頑張るじゃない坊や。骨のあるところを見せてもらったわ」


 その身体能力であの状況を覆すことは決してできない。判断を新たにする冥希の前で、守りを盤石に整えたと思しきセイレスの眼前に展開されたのは巨大な円陣。常人には読み解けぬ意味を付与された紋様が、魔力を受けて宵闇に似た妖光を放つ。


「その調子でどこまで足掻けるのか、試してあげようかしら」


 宣言と同時――。


 その時を待ち侘びていたかの如く育て上げられていた光球が撃ち出される。何の変哲もない無属性魔術だが、『王家の書庫』内の魔導書の力を得た今その威力は通常の数倍近く。どれだけ肉体を強化していたとしても耐えられない。


「――」


 そしてセイレスのその所作に、間髪入れずアデルが動いていた。破棄された詠唱に伴い現われた光の壁が黄泉示の背後にいる仲間たちを取り囲む。――捕縛。万一にも助け出せないよう先手を打った。躱せば背後にいる仲間が死ぬ。性格を踏まえられた一手を前にして、黄泉示はその場を動かず――。


「――黄泉示さんッッ‼」


 轟音を劈く叫び。――直撃。迫り来る脅威に黄泉示は何の対応も見せることなく、文字通りにその身で魔術を受け止めたのだ。


「……動かなかった?」

「不要だったか」


 決まり手を放っておきながら腑に落ちぬとばかりのセイレス。零されたアデルの呟きの意味を理解しているのは、当人の他に冥希のみ。……考えてみれば当然のこと。


 ――全身の筋肉の自己破壊。先の戦闘でさえあれだけの負担。それが限界を優に超えた動きを披露しておいて、無事であるはずもない。全身の観察と呼吸音から冥希は大まかに損傷の度合いを捉えてもいた。呪具の力を借りたとしてもまず動くことは不可能。それだけの損傷。アデルもそれを分かっていた上で、保険としてセイレスの動きに乗ったのだ。


「あ、あ……っ!」


 絶命を予期したような少女の嗚咽が届く。……セイレスには言い含めてある。死んではいない。あとは重傷を負った黄泉示をアデルに処置させ連れ帰るのみ。煙が晴れる直前。


「……!」


 ――それに気が付いたことで。最大限の驚愕が、冥希を襲った。


「……!」

「黄泉示、さん?」

「……何?」


 立っている。蔭水黄泉示が、二本の足で。全身から沸き上がる黒煙は、爆破の余波だけではない。


 ――【魔力解放】。


 肉体を覆う濃紺の流れは暗黒の魔力。鎮静の力を持つそれが衝撃と熱とを遮り、その意識と身体を踏み止まらせた。理屈にすればただそれだけのことと、そう言って切り捨てられるほど目の前の光景は冥希にとって易くない。黄泉示が発動していた【魔力解放】では、あの威力の魔術を防ぎ切ることはできなかったはずだからだ。


 技の段階が上げられている。光球の射出から到達まで、一秒にも満たぬその合間に。及第点と呼べるレベルから、技法としての到達点、【咎武罪装】へ続く直前にまで。


 ――あり得ない。


 思考より先に明確な回答が冥希の脳裏にて下される。死地においての突発的成長などという、そんな事柄では説明できない異常。


 なぜならそれは――。


「……ここまで来ると不気味なものだな」


 苦笑気味と言えるアデルの声が、思考に流れかけていた意識を現実に引き戻す。【魔力解放】を強化して一命を取り留めたとはいえ、その身体は未だ満身創痍。黄泉示は動こうとはせず、優位は依然として冥希たちの側にある。


 しかしそれを重々に理解しているはずのアデルも、セイレスも。ここに来て具体的な追撃に入ろうとはしていなかった。迂闊に仕掛ければ、何か予測の付かない事態を引き起こされる恐れがある。


 そんな懸念を格上に対しても抱かせるような、得体の知れない雰囲気が今の黄泉示には漂っているからだ。必要なのは目の前の青年を、明確に戦闘不能にするだけの腕。


「下がれ。私が――」


 断じた冥希。歩み出ると共に柄に手を掛けた。


「――」


 その手が止まる。なにかを確かめるように、走らせたのは黒瞳の視線。


「……なに? どうしたのかしら?」

「……」


 セイレスが訝しげな視線を送る。アデルは示し合わせたかの如く、警戒の色を秘めた目付きで周囲を見回している。猛者二人が勘付いている以上敢えて言葉にするまでもない。正体は見定められぬが、何かが――。


「ッ‼」


 ――瞬時。景色を突き破る何か。過たず心臓に狙いを定めてきたそれを直感を頼りにして躱し切る。見止めた瞳に映るのは一筋の黒。――影?


「くっ――⁉」


 視界の端で二人もまた同様の攻撃を受けていた。冥希と同じく反射的に攻撃を回避したアデルと対照的に、大きく反応を遅らせたのはセイレス。素人染みた動きで避けようとする体幹目掛けて楔の如き影が突き進み――勢いのまま三重に張られていた障壁を貫通。四枚目に皹を入れたところで、辛うじて止められるに至る。


「誰――!」

「――おやおや」


 一命を取り留めてなお焦りの消し切れないセイレスの声音に応じ、暗がりから悠然と進み出るは、二つの人影。


「躍進目覚ましい学園を見物しようかと、わざわざこのような場所まで足を運んでみれば」


 わざとらしい話振り。一見して豪奢な、それでいて洗練された花衣。


「まさか学び舎にこのような輩が紛れているとは。どこの国であろうとも、昨今の治安の悪さは問題ですね」

「……」


 どこまでも場違いに、ある種の雅ささえ備えた笑みで冥希たちの視線を出迎えたのは――凶王が一人、賢王。大仰に首を振って見せるその隣には正体不明の黒い、闇に覆われたような人型が肩を並べている。……状況から考えてそれが残りの凶王、冥王であることは明らかだった。


「凶王⁉ なぜ――!」


 ――魔術協会、黄泉示たちと手を組んだということか。


 セイレスの狼狽を余所に、冥希は淡々と現状の把握を済ませる。……可能性は思い描きつつも、それがこの短期間で成立していた事実には少なくない驚きを覚えていた。まさかレジェンドの追っていた二人が今、このような形で自分たちの前に姿を現すとは。


「っ⁉」


 伝わる微かな気配。アデルの動揺という事態に気を引かれ、一瞬視線をずらした冥希も気付かされる。


 ――無い。先ほどまで目の前にいたはずの黄泉示たちの姿が、何処(いずこ)にも。斃れていた支部長まで消し去られている。意識的に周囲の気配を探るが、微かな気配一片ですら感じ取れない。これは――。


 空間転移? 魔力の始動さえ掴めなかった事実に意を置きながら冥希が頭の片隅でその原因を思考した――。


「チッ――!」


 直後、機敏な足捌きと共にアデルが周囲の空間へ向け、拳を振るう。――糸。同様に二刀を振るい、伝わる触感からその正体を看破した冥希。即座に斬撃へ【壱の閃】を加え、自身とセイレスの影から湧く凶器を並行して切断していく。


「退け、セイレス!」

「――」


 ――目晦まし。アデルが炎を放った隙に言い放つ。先に障壁の強度を確認されている以上、二度目はない。妨害されてなお的確に急所を狙い撃ってくるこの攻撃がある限り、ただの術師であるセイレスは案山子同然。戦力外を示唆する恥辱の指示に、セイレスは一瞬表情を歪ませたが――。


「くっ……!」


 頭で理解はしていたのか、口惜し気な声に連れてその姿が掻き消える。限定条件下でのみ扱える転移法。寸を惜しむこの状況下で瞬間的な戦線離脱が可能であったことは、今の冥希が唯一セイレスに感謝して然るべき点だった。


「――素晴らしい動きです。蔭水冥希」


 静かな足音。続き飛ばされる声は、賢王から。現われた時と変わらぬ柳眉端麗なその出で立ち。陽動といえ、アデルの放った火炎は完全に退けられた。並び立つ冥王も当然のごとく無傷。


「己の身を危険に晒し、敢えて仲間を庇うとは。『救世の英雄』の名に恥じない行動ですね」

「……」


 皮肉はそれと受け流し、冥希はただ構えを取る。……今の攻防。死の危機にあったセイレスを救う為、冥希は自身に向けられた攻撃への対処を気持ち疎かにしていた。当然全て急所は外してあるものの、二人の凶王を前にして軽くない手傷であることは間違いがない。


「貴方も中々のものでしたよ。アデル・イヴァン・クロムウェル……」


 此方の応答など気にしていないのか、余裕を保持したまま賢王の目線がアデルへと向けられる。


「聖戦の儀に得心がいかないのは我らも同じ。どうです? 客分として賢王派に席を置いてみるというのは」

「……遠慮しておこう。生憎、既に所属は決まっている」

「そうですか。それは残念です」


 煩雑な会話はアデルに任せつつ、冥希は僅かの間に一変した戦況について考える。――黄泉示たちとセイレスが戦線を離脱。新たに現われた敵は凶王が二人。王の中で格下と言われる二者ではあるが、そんなものが所詮机上の評価に過ぎないということを現に相対する冥希は良く分かっている。――強い。しかもその強さは単純なパラメータに基づいた通りの良い強さではなく、搦め手染みた手強さに関連してのもの。


 冥希、またアデルも『アポカリプスの眼』内では格上に当たる。しかしそれは両者共に真っ当な技、真っ当な身体能力といったいわば直接的な戦闘能力についてのこと。人形師と暗殺者に尋常な戦い振りなど望むべくもない。どころかまともな戦闘を端から外していくことが両技能者の本領である。加えてどちらも最高峰と言える手練れとあっては……。


 勝算は薄い。そう判断を下さざるを得ない。先の僅かな攻防からでも技量の高さは十二分に窺える。両者とも本領はまだ沼の底。王と呼ばれる者がどれだけの手練手管を隠しているのか想像もつかない。セイレスの離脱を見逃したことでさえ、二人を仕留める為の仕込みであったように思えてくる。


「さて……どう料理したものですか。生け捕りも良いかもしれませんね」

「……」


 なにか用意をしている。それが分かり加速した思考。――この状況下での明確な勝機は二点。冥希が【咎武罪装】を発動するか、若しくは二人のうちどちらかでも名を唱えることに成功するか。だがこちらの一挙一動を逃さぬような態度を見るに相手もそのことは知れていると見える。となれば――。


 ――勝ちの目に拘らないか、だ。


「……」

「まあ、余り遊んでいては確かに他に悪いですか」


 人影の所作に賢王が反応する。向いた水晶のような瞳。


「では、早々に」


 ――来る。


 本能的直感。戦いでは久しく感じたことの無い緊張を胸に抱きつつ。


 蔭水冥希は、刃を振るった――。

















「――黄泉示、さん?」

「――」


 聞き覚えのある声と共に、爆炎が晴れる。身体から立ち昇る魔力に当てられ、景色は未だ濁ったままだ。


 ――何をしたのか。自分でも上手く説明することができない。『破滅舞う破滅者の円環』を起動させ、身体能力を強化してフィアたちを助けた。代償として直後に訪れたのは全身の骨、筋肉が軋みを挙げるような未体験の激痛。フィアの声に答えることもできず、ただ構えることで精一杯な中、セイレスから光の塊が放たれ――。


 ……まともに喰らった。それは確かだ。身体の上で散った威力の光。爆発の衝撃をはっきりと覚えている。


 しかし多少の熱さは感じたものの、俺自身は今こうして意識を保ったまま。皮膚が焦げたような感覚も、肉が焼け爛れたような感触も無く、それどころか逆に身体を支えるのが少し楽になっているような気分を覚えるほどだ。……これは、【魔力解放】の……?


 今までとは全く異なるような魔力の流れに対し、些か戸惑いを覚えたその時。


「――‼」


 突如として走った頭痛。高熱の際のそれを数倍に強めたような痛みに一瞬、息が止まったような錯覚を覚える。――熱い。まるで先ほどの魔術で身体ではなく、脳が焦がされてしまったかのように――‼


「――ッ‼」


 気付いたフィアが治癒を掛けようとしてくれているのを感じる。だがなぜか、いつものような疲労が癒されていく感覚が訪れない。呪具の力を借りて動かした肉体はとうに悲鳴を上げていて、手足は僅かな衝撃でも崩れ落ちてしまいそうなほど震えている。……【魔力解放】も、解けようとしているのか。


 ……駄目だ。霞む意識の中で必死に魔力の流れを引き止める。――まだ父はこちらを見据えている。戦いはまだ終わってはいない。ここで倒れてしまっては、何も……。


 俺が辛うじて、姿勢だけを保とうとしていた時――。


「――間に合ったようですね」


 囁くような声。同時に見えない大布を被せられたかのような、えも言えぬ安心感に似た感覚が身体を包み込むことを意識する。……これは……。


「エリティスさん‼」

「はい。私め不肖、エリティスでございます」


 フィアの声ににこやかな笑顔で答えたのは――紛れも無いエリティスさん本人。


「全員に【路傍の石】を掛けました。彼らに貴方たちを認識することはできませんから、静かに、落ち着いて行動してください」


 ――良かった。声を聞きつつ思う。俺たちが学園に向かったことを察し、助けに来てくれたのか。これで――。


「うっ⁉」

「おっと」


【魔力解放】が解けて倒れそうになった俺をエリティスさんの伸ばした腕が受け止める。――全身が痛い。魔力の補助が切れたせいか、頭の痛みと共に苦痛となって俺の身を苛んでいる。


「……酷い状態ですね。カタスト嬢、立慧譲とMr.蔭水に治癒を」

「で、でも、さっきまで――!」

「今は大丈夫です。落ち着いて」

「は、はいッ……!」


 ――そうだ。フィアの掌から出た光。癒されていく肉体を感じながら思い返す。……自分たちの事ばかりに意識が行っていたが、戦っているのは俺たちだけではない。校舎の各所にはまだ、郭や先輩たちが残されているはず。


「え……エリティスさん」

「ええ。分かっていますよ」


 支えられた状態で何とか口だけを動かした俺に対し、エリティスさんは前以て予測していたように言葉を返す。


「他の所にも彼らが向かっていますから。今はもう、自分の身を休めることだけを考えて下さい」


 俺の意を汲み取った完璧な回答。返す言葉などあるはずもなく、黙ったまま口を閉じる。問題が解決したことも勿論だったが、それ以上に――。


「――ッ」


 目元に涙を浮かべて治癒をしている、フィア。その必死な表情を見てしまっては、例え口だけでもそれ以上動かそうとは思えるはずがなかった。……そうでなくとも。


「早目に戻りましょう。ここは決して、安全とは言えませんから」


 もう。父と対峙する、賢王、冥王の姿を目端に捉えつつ。


 眠りに落ちるように急速に。俺の意識は現実から離れていった――。



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