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第十八節 咆哮

 

「あはははははッ‼」


 ――叫ぶ狂喜。それを耳で受けつつ、目の前の攻防に神経を集中させる。気を緩めれば、待っているのは死――。


「粘るのねえ⁉ 案外‼」


 それが分かっていてなお、否応なく気を引いてくる戦況があった。壁一枚を隔てた横。凄まじい勢いで魔術を乱発しているのはセイレス。そしてその猛攻を凌いでいるのは――‼


「……ッ!」


 ――フィア。【時の加速】が掛かっているといえ二人の足ではあの魔術群を避け切れない。加えて今は――。


「ぐ……」


 芝に落とされた片膝に、荒い息。分断から数分で既にジェインの体力が限界を迎えているのだ。……元より父から受けた損傷を治癒で誤魔化し、半ば無理矢理に行動していた状態。【時の加速】の維持だけでも相当に辛いはずであり、それについては無理のないことでもある。


 ……しかし。


 セイレスとフィアとの間で幾つもの障壁が展開しては消え、砕かれては新たに展開されていく。得意分野である障壁での防衛戦に持ち込んだといえ、得意分野(それ)はセイレスも同じこと。前回の戦闘でも底の見えなかった魔力量は未知数であり、セイレスに分があることは間違いない。あのままでは――!


「――ッ!」


 リゲルの首筋へ向かう父の刃。反射的に防ごうと伸ばした『終月』を、しかし刀身は有り得ぬほど精緻な操作を以て回避する。


「ぐッ‼」


 回り込んだ分到達が遅れたのか、リゲルの反応がギリギリのところで間に合う。腕を浅く切られながらも、迎撃の拳を撃ち込みに掛かるリゲル。


 それをなおいなしつつ残る一刀で切り込んだ――刃を『終月』が迎える。……拳と刃、黒刀と黒刀。諸手で受けてなお一歩も引かない膂力に寒気を覚えながらも、リゲルと息を合わせて何とかその身体を退ける――。


「――」


 淀みなく体を退き下げる父。その顔に力みや焦り、耐え凌がれていることへの意外性などは微塵も立ち表れていない。……片腕、刀一本につき一人。状況の上で言えばこちらが圧倒的に有利なはずだが、そんな固定観念を吹き飛ばすほど腕の差が状況には濃く浮き出ている。バロンとほぼ互角に渡り合っていたはずのリゲルでさえ、反応が精一杯と言う感じだ。


「……勝ちの目がないことくらい、分かりそうなものだが」


 ジェインと同じく体力を消耗しているリゲルは言うまでも無く、俺も『破滅舞う破滅者の円環』を利用して何とか父の動きについていっているのが現状。一動作ごとに通常以上の負荷が身体に掛かり、重さを増していくのが分かるようだ。加えて【時の加速】を受けている以上、俺たちの戦える時間は更にその半分。そしてそのことをまた、相対する父も理解している……。


「けっ、分かりゃしねえぜんなもん。御託並べてる暇があったら掛かって来いよ……ッ」


 言い返すリゲルも、流石に疲労の色が隠せていない。覇気もやや弱まっているように感じられる。――無理をしている。傍目にもそのことが理解できた。


 ――このままではマズイ。脳裏に過る警告。フィアとジェインも、俺とリゲルも。今のままでは勝ち目無く一方的に追い詰められていくだけだ。何か、何か逆転の手を。


 半ば祈りつつ俺が父を見据えた、その直後。


「――⁉」


 轟音。その音に一瞬だけ、この場にいる全員の注意が同じ個所へと集められる。……見えるのは粉塵と、破壊された校舎の壁。其処から抜け出たと思しき一つの人影が、見間違いかと思うほどの猛速でこちらに迫ってきている――。


「――」


 味方かとの期待を男の身に付けている聖職衣が脆くも打ち砕く。――驚異的な脚力。校舎からここまでの距離を僅か数跳びで詰め切り、重さを感じさせない所作で俺たちの前に降り立った。……状況を眺める瞳。


「……交渉の材料にと思ったが」


 明らかに強者と分かるその気配に身震いがするが、それよりも注目しなければならない事柄が目の前にあった。……下ろされた腕の先。荷物の如く粗雑にぶら下げられているのは、紛れも無く――。


「決裂か? 冥希」

「……ああ」


 ――立慧さん⁉ 既に意識が無いのか、首元を掴まれているにも拘らず抵抗するような素振りは見受けられない。……肌に覗く痣、切り傷。あらぬ方向に折られた右腕。頭部からは出血もしている。着ている服は一部が引き裂かれ、また別の箇所は炎に触れたかの如く焼け爛れて……。


「遣る方ないな。なら、生かしていても意味がないか」


 絶望的な感情に襲われる俺の眼前で、立慧さんを掲げたアデル。そのもう一方の腕が、蛇の如くに鎌首を擡げた――!


「立慧さんッ‼」


 指。喉を貫こうとしたそれを遮るように展開されるのは、輝くような光の障壁。――手を翳しているフィア。反射的に取ったと思しき行動。


「――優しいのね。自分の身が危ない中で仲間を守ろうとするなんて」


 セイレスの嗤いが届く。気付いたように振り返るフィア――。


「じゃあ、さようなら」


 致命的な隙。そこを突いて放たれた、セイレスの魔術が二人へと迫る。――フィアも即座に障壁を展開しようとしている。だが今までに見た形成の速さで、あの速度の攻撃を防ぐことは――!


「――グ――!」


 真横から届く気配に全身の毛が逆立つ。――遂に体力の限界が来たのか、俺との連携で何とか父に対処していたリゲルの動き、それが崩れた。一糸の乱れも許されぬ攻防の中での間隙。取り返す余地もないまま、当然の如く一刀がリゲルの胴へ吸い込まれ――。


 ――間に合わない。本能的にそのことを悟らされる。……立慧さんも、フィアたちも、リゲルも。このままでは紛う方なく、全員が死ぬ。


 ――終わるのか? 内に響くのは慚愧と後悔。……此処で何もかも。俺が助けに行きたいと望んだばかりに、フィアが、皆が。


 ――嫌だ。


 頭の内。どこか自分でも分からない場所で、確かに声がした。


 塗り替えられぬ絶望に潰された、そことは別に。……望みの無い状況でも。


 不可能と言われる事態でも、どんな障害が立ち塞がっていようとも。


 俺は――。


 ――諦めたくない――ッ。






「――」


 予定された殺害の中途。


 不意にアデルは腕を止める。……眼前に展開された障壁。中々の強度を備えていそうだったが、局所に力を集中させさえすれば問題無く破ることができる。無駄な抵抗と嘲笑う意図も無く、余計な手間だと舌を打つ腹積もりも無く、ただ目的の為に淡々と、事態を処理しようとしていた――。


 その腕が今は止まっている。それは決して、目の前に展開されている障壁の強度を読み違えたからではない。凡そ予想だにしなかった事態が、アデルから腕を突き下ろす暇を奪っていたからだった。


「なッ――」


 セイレスは驚愕の声を上げる。――自らの前で余りに愚かな隙を晒した少女。その愚行を逃さず咎め、必殺を期して魔術を放った。選択したのは速度に優れる雷属性の高位呪文。これまでに見せていた少女の反応速度で間に合うはずも無く、雷の槍は後ろの青年ごと、その身を串刺しにするはずだった。後にできるのは内外から焼き焦がされた黒焦げの死体という、そこまでできていた予測。


 ――凡そ十割方覆せなかったはずのそれを平然と、撃ち破ったモノに対し。


「……」


 中途で止め引いた刃。柄に手を掛けたまま――蔭水冥希はソレを注視する。自分だけでは無く、此処にいる三者の視線の先に立つ一人。幼い時分から良く見知っていたはずの、その姿。


「――守る」


 情念を秘めた声。砕け散らされた壁の破片が、煌めきと共に消えて行く中で。


「俺は、誰一人――」


 構えた黒刀。その切っ先は何処へ向けられるでも無く。姿勢は守りを何よりも強く意識している。


「――殺させない」


















「――〝潰れなさい〟」


 言葉と共に永久の魔の全身に掛かる凄まじい圧力。空気、空間。身体そのものが発話者の意に沿おうとして軋みを上げる。自己に属しているはずの事物さえ捻じ曲げられるほど、強力な支配。


「――ッッ‼」


 強く括り付けた意を以て振り払う。放出した力の余波と共に弾ける邪気。永久の魔の身体に自由が戻り――。


「〝千切れなさい〟」


 ヴェイグと管理者との間に割り込んだのは塗り固められた巨大な邪気の剣。発す言霊を代わりに受けた剣がその巨躯を捻じ曲げ、中ほどから半分に千切り取られる。操る邪気の再生を待たずして一息に攻勢に出ようとした踏込み。


「――ッ」


 神速に近いその薙ぎがまたしても空振るのを目にしつつ――ヴェイグは立ち位置を変える。永久の魔が前に出てくれている。……如何に絶大な力を持とうともヴェイグは人間。現象のレベルにまで達した永久の魔と比べればその耐久の差は歴然であり、此処に来てその差が色濃く表れていた。普段は気にさえ留める必要のないような要素が浮き彫りにされているのは、常外の二者をも超える規格外の相手を前にしているからこそ。


「ッ‼」


 一瞬の機を見止めたのか。戦斧と槍を投じ、無数の障壁を伴ってヴェイグが疾走する。絶大な魔力の強化を受けた肉体が齎す速度は正に神速の域。展開できるだけの魔具、魔術を弾幕として重ね合わせ、管理者の矮躯に向けた突破を狙う。


 言霊に依る万象支配の力が如何に強力であろうとも、管理者が相手取るのはかの『永久の魔』、そしてヴェイグ・カーン。力の域それ自体が災害と呼べる二者での波状攻撃。本来なら言葉を発している余地など与えられない筈であり、それこそが節理。


 だが――。


「……」


 あろうことか。空を割く魔具、押し寄せる魔術の波を、管理者は佇んだまま回避していた。……この領域そのもの。『世界』そのものが、同一存在足る管理者への攻撃を拒絶しているのだ。攻略に当たり頼れるのは唯一、手足に等しい得物以上に強く括り出された己だけ。


「――」


 瞬すら置き去りに管理者を圏内に収めたヴェイグ。間髪入れず攻撃に移ろうとした直前、自身のいる空間に異変を感じ、――退く。押し潰される空間、重力操作。躱し損ねた左腕を無理に引き抜き、治癒も疎かに体勢を立て直した。


「意外と粘るのね。貴方達」


 小さな溜め息――目の前の二者に初めて人間的な仕草を見せつつ、管理者がその無機質な瞳を向ける。


「いい加減無駄だと分かりそうなものだけど。まだ、希望があるの?」


 万象支配の力を抜きにしたとしても、管理者には一切の隙がない。始まりからその場を一切動かないまま、淡々と両者を迎撃し続けている。


 いや、寧ろ事態はその逆と言えた。隙を突くどころか、全霊を賭して当たらなければこうしてここに留まることすらままならない。自分たちが挑んでいるはずが、一度挑むことを止めれば次の瞬間にでも消し去られそうな重圧(プレッシャー)


「『世界』内の力では私を傷付けることはできない。どれだけ強くとも、どれだけ重くとも」


 そのことは他ならぬヴェイグが身を以て痛感させられていた。魔具に魔術。如何な精緻さと巧緻さを込めて放とうとも、全てが一片の気も削ぐことなく退けられる。……大きさでも数でも機転でもない。必要なのはただ単純な同格の力。


「私を傷付けられるのは『世界』を超えた力だけ。――貴方の持っている、その剣だけよ」

「……」


 告げられるその言葉通り――まだ見せぬ永久の魔の切り札。それならば管理者に届く可能性はある。


「貴方もどうせならその本じゃなく、大剣か何かを持てば良かったのに」

「……生憎、僕が見付けられたのはこれだけでね」

「そう」


 端から興味はないと言う風に。管理者が自らへ剣を構えた、永久の魔を見た。


「――なら、貴方はただの足手纏いね」


 突き。首筋を狙ったその剣先が弾かれる。何者も寄せ付けない膂力を誇るはずの永久の魔が、抵抗すらできぬほどの力。


「――〝終わりなさい〟」


 静かな一言と共に。大きく仰け反りながらも体勢を整えようとしていた永久の魔が、動きを止める。――何が起きたのか。


「……流石に時間が掛かりそうね」

「――っ」


 誰に聞かせるでもないような小さな呟き。眼を見開く先で、永久の魔の身体が次第に薄れていく。末端から徐々に。色を失っていくその様子。


「――無意味な真似をしたものね」


 対峙するヴェイグ一人に、管理者が歩みを進めた。


「あれも、貴方も。充分に分かっていたはずなのに」


 いや、歩みを進めたように見えたのだ。管理者は始めの位置から微動だにしていない。動いているのは逆に、自分の方で。


「世界には抗えないと。希望を見出したことで、貴方たちは愚かな道を選んだ」


 その瞳の奥にある深冷の煌めきを目にできる距離にまで近付いたところで、漸く距離の縮まりが止まった。


「――貴方ならいつか必ず辿り着いてくれると思っていたわ。ヴェイグ・カーン」

「――」


 掛けられたその言葉に、ヴェイグの動きが一瞬だけ止まる。


「……僕の事を知っていて、この時まで生かしていたと?」

「あれの扱いには私も困っていたの。世界内の力では消し去れないし、追放にはもう一度『門』を開かなくてはならない。そんな破滅的なリスクは冒せない」


 感情を押し殺したような声に、淡々と。無情に管理者は告げる。


「『世界』の枠組みに押し込める為には担い手が必要。一度引き受けられたそれなら、滅世を望む担い手ごと消去できる。――こんな都合のいい方法があるかしら?」

「……」


 ヴェイグは答えない。ただ俯き、全てを受け入れたように黙り込んで。


「――だからこれで全て、必然よ」


 言葉の終わりに閉じた管理者の唇が。微かな息を纏って、上下を離した。


「〝終わりなさい〟」


 告げられるのは世界そのものの下す審判。人であるヴェイグに、抗う術など当然在るはずもなく――。


「――」


 起こらない。訪れることのない変化に、管理者がその眉根を僅かに持ち上げた。


「――いや、済まないね」


 上げた顔を詳らかにしたヴェイグ。その面持ちに現われ出ているのは、紛れもない喜びの色。


「やはりこの力の事に関しては、理解が足りないようだ。――さしもの貴女でも」


 大仰に広げられた両腕。何かを確かめるように空を握り締めたヴェイグの眼が、管理者を向く。


「世界外の力の動向を完全に予測することはできない。良かったよ。その予想が間違っていなくて」

「……まさか」

「君が僕たちを呼んでくれたことで全て上手く行った。……長い時を経て、この世界は漸く終わる」


 思わず零される呟きは微かに。見つめる双眸に宿される強い光が、管理者を打った。


「始めようじゃないか。世界を終わらせる、本当の時を」













「……」

「……いやあ、疲れたね」


 白の空間から完全に消え失せた管理者の姿。佇む永久の魔を隣に、息を吐き出すのはヴェイグ。


「管理者が消滅した以上一時的ではあるが、世界を覆うプロテクトも弱まるはず。そこを突いて用意を整えるよ」


 永久の魔に声を掛けつつ。果てなき天蓋に目を凝らすようにして仰ぎ見た。


「【世界を終わらせる術式】の――」


 言葉が止まる。この場にいる二人が同時に感じ取ったこと。此処に来た始まりと似たような感覚。『世界』を覆う時の静止が、終わる――。


「――」


 気付けば薄暗い空洞の中。預けていた背に岩肌の冷たさを覚え、ヴェイグは帰還の事実を認める。同時に響いてきた鎧の音。


「――よう」


 帰還したガイゲ。二人はホテルへ置いてきたのか単身。佇む永久の魔へチラリと視線を遣って歩いてくる。


「一応聞いときたくってな。今日明日あたり目処がつくってことだったが……」


 話し始めのそこでふと、ガイゲは相手の口元に浮かぶ笑みに気づいたように。


「……何だ? どうかしたか?」

「いや、何でも。頼もしい仲間がいてくれることの心強さを、噛み締めていただけだよ」

「はっ、冗談ならもっと上手くやるんだな」


 佇む永久の魔を一瞬見遣りつつ。同志と紡がれる会話に、ヴェイグは意識を割いた――。



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