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第三節 登校初日 昼を食う場所

 

 ――昼。


「つ、疲れましたね……」


 数学の授業を終えたあとで、廊下に出たフィアが感想を零す。……大きく息を吐きながら。


「……そうだな」


 答える俺はそんなことしか言えない。先ほどの授業の様子を見ていたせいか、声の内にはやや重いものが混じり込む。……授業の内容自体は至極適切だった。


 俺が言うのもなんだが。初回とあって大半の時間はオリエンテーションに割かれたし、後半に踏み込んだのもあくまでさわりとしての導入部分。俺が聞いていて分からない部分は実際皆無だったし、教室の雰囲気を見ていてもそれはそうだったように思う。しかし……。


「……」


 それでもフィアにとっては困難な内容だったのだ。オリエンテーション以外の部分ではずっと、なにを言われているか分からないと言うように目を白黒させていた表情を思い出す。


 中途で気が付いた俺の危惧の通り、フィアは中高で習うような基礎的な数学の知識を何一つ持っていないようだった。元々真面目とはいえ、知ってさえいれば凡そ必要のない部分まで熱心に書き留められたノートの書き込みは、傍から見ていれば却って痛々しく。


「漸くお昼……ですね。楽しみです」

「一番近い食堂は確か、真正面の建物だったな」


 それでも昼休みとあってか気持ちを切り替えている。胸に湧く感情を無視するように、努めて普通らしい言葉を発した。


 一旦外に出、正面の校舎に入り、先週の記憶を頼りに歩を進めていく。この学園にある食堂は全部で四か所。


 広さは大体同じくらいだが、それぞれで用意されているメニューが少しずつ違っている。昼休みの時間は九十分。足を伸ばそうと思えば伸ばせる時間といえ、まずは手近な場所から行った方が無難だろう。


 そう思っての行動だったが……。


「……わあ」

「……人が凄いな」


 辿り着いた食堂は生憎、まるで祭りのような大賑わいだった。


 上級の学年も交じっているのか、年齢も服装も様々な人間でごった返している。中には講師らしい人物もちらほらと見えるのが驚きだ。きれいに並べられたテーブルはそのほとんどが一杯。所々空いているのも一人席ばかりで、フィアと俺が並んで座れるようなスペースは見当たらない。俺たちの先を歩いていた学生、あとからきた中にもこの様子を見て引き返す人間がいる始末だ。


「……どうする?」

「今から他のところに行っても、同じくらい混んでるかもしれませんよね……」


 それなりに長いとはいえ昼休みの時間は限られている。俺たちは今日が初日。混み具合も分からないうちから博打のような学食巡りをしたくはない。


「食べ物だけでも買っていくか」

「そうですね」


 となれば場所に拘らないのが上策だろう。既に食べ始めている人間が多いのか、スペースと違って売店の方は大混雑と言うほどではない。十人程度の列の後ろに並んで、その間にショーケースの中身を吟味する。回転は良好で、そう待たずに順番が来る。


「フィッシュサンドを四つお願いします」

「えっと、ミックスサンドイッチを、二つ下さい」


 その他に飲み物として俺は紙パックのオレンジジュース、フィアは小さめのペットボトルに入ったお茶を選び、纏めて代金を払う。お釣りとして数枚の小銭を受け取って。


「さて」

「……どこに行きましょう?」


 ひとまず退いてから考える。学園の敷地内にはベンチもあるが、此処に来る途中で見た限りでは既に弁当などを持参した学生に占拠されているようだった。校内に何か所か置かれているカフェテリアも混んでいるだろうし、第一食事を持ち込んで席だけ借りるというわけにもいかない。飲み物まで買ってしまったならば。


「……屋上って出入り自由だったか?」

「そう、ですね。十九時までは鍵が開いてて、自由に入って良いって説明された気がします」

「行ってみるか。そこなら空いてるかもしれない」

「はい」


 歩き出した。授業のメインとなる校舎は全て屋上で繋がっているため、どこからでも適当な棟から上がれば屋上に出ることができる。それなりに長い階段を上り、扉を開けた目の前に広がった景色。


「これは……」


 ――庭園。


 一瞬その言葉が脳裏に浮かぶ。……そこまで言うとやや大げさだが、ちょっとした庭と言っても差し支えないだろう。化粧石で綺麗に舗装された道。


 間隔を置いて所々にベンチと花壇が設けられ、背の低い樹木も植えられている。ロの字型をした校舎の屋上が全て繋がっているせいで見渡した先はかなり広い。頭では分かっていても、実際目にすると圧倒されるだけの広大さだ。


「なんでしょう? あれ――」


 言われてフィアの向いている方向へ目を凝らす。……俺たちがいる長辺の端に見える緑の塊。なんだ? 遠目ではよく見えない。確かに気になる。


「行ってみるか」


 確認するが時間はまだ充分にある。ちらほらといる学生を目端に、景色を見回しながら進んでいく。徐々に。ゆっくりと確かになっていく、その姿は。


「……凄いな」


 草木で覆われた、緑の空間。中へと続く通路はやや狭く、緑の間を通って行くようになっている。


「入ってみませんか?」

「ああ」


 当然のように中へと踏み入る。……その瞬間に出迎えてくる多種多様な草花。植物には詳しくないのでよくは分からないが。


 こうして歩きながら見ているだけでも様々な種類のものが植えられていることが分かる。花が咲いているものもあればひたすらに葉を茂らせているものもあるから、時期ごとに何かしらの花が咲くように調整されているのかもしれない。


「綺麗ですね……」


 後ろを歩くフィアの呟きが聞こえてくる。目に留まる箇所の多い中を歩いていくと、どうしても歩くスピードが遅くなってしまう。花壇や樹木もそうだが、学園の屋上によくこんな場所を用意したものだ。開放的な他のスペースとは違い、ここはある程度他から仕切られた空間になっているのも俺としてはありがたい。とはいえ……。


「――でさ、こう言ってやったわけよ!」

「なにそれ~あはは」

「――それはおかしくないかい? 学説によれば――」

「いやいや。こういうエビデンスもある。更に重要なのはこの後の展開なんだ」


 これだけ綺麗であれば、やはり人気のある場所なのか。手前の区画からは既に賑やかな話し声が聞こえてきている。此処で食べるならもう少し奥まで行った方が良いかもしれないと、前から一つ一つのスペースを順に通り過ぎ――。


「――」


 不意に。開けた視界に瞬かせた眼。辿り着いた最奥は、丁度屋上のへりとなる場所。


 視界に再度広大な景色が広がりを見せている。偶々なのかどうなのかは分からないが、ベンチは空。生い茂る草木のお蔭で話し声も遠く聞こえ、落ち着いた静かさが空気を満たしている。絶好のポジションだ。


「ここにするか」

「そうですね。静かで、良い場所ですし」


 フィアも頷いてくれる。賛同を得て、目の前のベンチに腰を下ろそうとした――。


「……あ」


 そのフィアの動きが止まる。予定していなかったようなその動き。不自然に固定されたその視線を追った先に。


「……」


 場所の一角。草木の覆いに隠れ、更に目立たない隅に座り込んだ、一人の人物が見えた。硬く冷たい石の床はこの季節に座るには向かないだろうが、そんなことは知ったことではないと言うように、何も敷かずに直接腰を下ろしている。風に揺らされる長髪の色は鮮やかな栗色で。


 ……女性の学生だろうか。眼下に広がる景色の方を向いている表情は窺えないものの、その口元から濃い灰色が一筋の煙として空へ昇っていくのが見える。――煙?


 ふとした気付きと共に漂っている香りに気付く。煙草の匂いだ。学園内は基本、禁煙のはずだが……。


「……」


 二人でその人物を見つめたまま立ち止まっている数秒間。立ち去ったものか、どうしたものか。そんな俺たちの内心から溢れ出る、微妙な空気の漂いに気が付いたのか。


「――」


 俺たちの見つめていたその人物が振り返る。――やはり女性だ。袖の余るダボダボの上着に、目付きの悪い不良らしい女学生。煙草を咥えたままのその女性は俺たちを見て、焦げ茶色の瞳を少しだけ細めると。


 上着のポケットに手を突っ込み――取り出した携帯用と思しき灰皿で火を揉み消し、同時に取り出していた袋に吸殻を入れて縛り上げる。此方を見ないまま何事もないように立ち上がり、地面に付いていた服の裾を払うその仕草。……マナーが良いのか悪いのかよく分からない。いや、それよりも。


「えっ――」


 立ち上がったその背丈がやけに小さいことに驚く。小学生とは言わないまでも、中学生くらいの身長だ。女の子? と思ってしまった内心が顔にも出ていたのか、ガラの悪い女生徒は声を上げた俺の方を睨むようにジロリと見て。


「――」


 そのまま何も言わずに。一瞥もくれることなく去っていった。


「……驚いた」

「……そうですね」


 足音が聞こえなくなってから口を開く。睨まれたときは少しドキリとした。思わず声を零してしまった、俺が悪いのだが。


「あんな方もいるんですね……」

「それはまあ、な」


 不良とでも言えば良いのだろうか? 近頃では滅多に見ないような気もするが、これだけ人がいればいはするということだろう。擦れたような雰囲気と低い背丈がやけにミスマッチだったが。


「……ひとまず座るか」

「はい」


 なんにせよあの学生がいなくなったことで人目が消えた。そう気を取り直してベンチに腰を下ろす。日に当たっていた木は思いの外暖かく、緊張に晒された気分をほぐしてくれる。手に持っていた包みを膝に乗せ……。


 用心深く紙を剥がした中から現われたのは食欲を刺激する小麦の焼き色。見た目の方はかなり美味そうだが、果たして味の方はどうか……。


「……」


 かぶりつき、咀嚼する。歯切れの良い歯応えに、さわやかな酸味と甘み。揚げられた衣の覆いの中から肉厚な白身が飛び出してくる。


「……美味い」


 素直にそう思わされる。シンプルで素朴な味わいだが、美味い。使われているパンは至って普通。挟まれているのもレタス、トマト、フィッシュフライと極々あり触れた食材なのに、不思議なくらい旨いと感じる。歯応えや色味からして、素材自体が新鮮なのだろうが……。


「……んっ」


 隣を見ると、フィアがサンドイッチにかぶりついている光景が目に入る。はむはむと具材を食べていくその姿が連想させるのは、現実には見たこともないイメージの中だけの小動物だ。


「美味しい……」


 同様の感想を呟く。同じ購買で売っているのだから当然と言えば当然かもしれないが、俺のだけが美味いわけでないことが分かったのは有り難かった。


「旨いな」

「はい。」


 来る以前ではこっちはそんなに食事事情が良くないイメージだったが、外食や今回のこれで完全に払拭された感じがある。そのまま暫くお互いに、黙々とサンドイッチを食べる時間。


「良い天気ですね」

「……だな」


 眼下に広がる学園の敷地。コントラストをなす空と雲を背景に、遠くまで見渡すことのできるのは町の風景だ。……雨だったら目も当てられない。そよがせる気持ち良い風も、寒さの中で湿気を孕めば全く別の様相に様変わりするだろう。晴れの日に来れた幸運を噛み締めつつ。


「――」


 二人ベンチに並んで。俺たちは、静かな昼食の時間を過ごした。



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