第十六節 抵抗
「――前回は、互いに急ぎ過ぎた」
治療するフィアたちを背後に。警戒心を顕にする俺に向け、父が話し掛けてくる。
「これはお前たちにとっても利のある話だ。こちら側に付けば、お前たち四人は滅世後も生き延びられる」
「っ――」
口にされたのは意外な台詞。――滅世が終わった後も?
「これはヴェイグ・カーンも了承済みのことだ。お前が望むなら、生き延びる人間に更に何人かを加えてやってもいい」
「……」
そんなことは考えもしなかった。……仮にリーダーであるヴェイグが了解しているという話が本当ならば、永久の魔とレジェンドたちであっても勝手な真似はできない可能性が高いが。
「……なら、どうして二人を」
「レイルの息子は些か気が逸っていた。お前の意見を待たずに襲い掛かられては、此方が困る」
治療中の二人に目を遣りつつ言った台詞を、見越していたような言葉。
「エアリーの養子は頭が切れる。だがやはり、お前自身の判断を聞くのに余計な口を挟まれたくはない」
「信用、できると……」
「今治癒を見逃していることが、殺意のない何よりの証左とは思わないのか?」
……分かっている。距離を空けて話しているこの状況であっても、父やセイレスがその気になれば簡単に治癒を妨害できる。それをしないのは、答え如何によっては殺さないという可能性があるからこそ。
「――決めろ黄泉示。私は、お前に答えを訊いている」
突き付けられたその選択が、真剣の如く俺の心臓を竦ませてきた。……考えろ。
「……」
提示されているのはある種、破格と言って良い条件だ。俺が首を縦に振ればこの絶望的な状況はそれだけで打開できる。父とセイレスを相手取ることは避けられ、もしかすると『アポカリプスの眼』自体がこの学園から即座に撤退するかもしれない。
当然受け入れた際のリスクも大きい。提案を飲めば少なくとも俺たち四人は恐らく敵陣のど真ん中に連れ去られることになる。父の言葉が嘘でないとしても、それ以外の相手方の動きは分からない。見る限りセイレスは父に刃向うことはしていないようだが……。
いや、それ以上に。
俺たちがここで戦線を離脱すれば。……戦力差はさらに広がる。『アポカリプスの眼』、レジェンド、『永久の魔』、ヴェイグの目的を挫くことは一層不可能になる。仲間のうちの何人かを生き延びさせることができるのだとしても、そうなれば――。
「……」
――できない。
俺の中で明確に答えが決まる。……できない。父の要求を飲むことは、なんとしても。
だが、答えを口にすることもまたできない。俺が拒絶の言葉を口にしたが最後、俺一人で父とセイレスの二人を相手取らなくてはならなくなる。如何に円環の力があったとしてもそれは望みのない戦い。今のこの状況下では愚策でしかない。
「ッ〝我が手の光よ。彼らを癒し、その痛苦を〟――」
「手伝うことはあるかしら、蔭水冥希」
「ない。強いて言うなら、水を差すなセイレス」
〝後は校庭へ。合流して彼らを迎え撃つか、場合によっては撤退も視野に入れましょう〟
背中側から聞こえてくるのは必死に紡ぎ出されるフィアの詠唱。二者の様子を窺いつつ、突入前の郭の指示を思い返す。……校舎からは未だ複数の音が響いている。その中のどれも近付いて来る様子はない。先輩たちもまた、他のメンバーを前に苦境に立たされているのか。
「……訊きたいことがある」
――時間を稼がなければ。肩に圧し掛かる重責と緊張とで掠れがちな声。渡された沈黙を肯定と見なして、言葉を続けた。
「小父さんは。……レイルさんやエアリーさんたちは、どうなった?」
――亡くなったことは知っている。
自分たち以外の生き残りはいないのだと。……葵さんや立慧さんたちからも聞かされた。受け入れることもできている。だが、例えそうだとしても。
「……」
訊かずにはいられなかったのだ。……よもやという予感。問いを投げ掛けられた父は、こちらの意図を推察するように一瞬だけ目を細め。
「――死んだ」
大した間も置くことなしに、端的にそう告げた。
「レイル、エアリーは永久の魔に殺された。東は私と相対し、私が殺した」
「――ッ!」
最も聞きたくなかった答えを、僅かの躊躇いもなく。……東小父さんは。
「……何でだ?」
父が失踪したあとの俺を引き取って育ててくれた。かつて父と肩を並べ戦った戦友でもある。レイルさんや、エアリーさんも。
「なんでそんなに、平然と言えるんだ?」
震える声と腕を、意志の力で辛うじて押さえ付ける。――同じ仲間であったはず。それなのに。
「なんで小父さんたちを殺してまで、貴方は……‼」
「――一分待つ」
荒いだ語気を差す、冷徹な一言。
「余計な時間を掛けるつもりはない。過ぎれば仲間から殺していく」
答えを促されている。時間稼ぎさえ果たせなくなった中で過ぎて行く制限時間。……十秒、二十秒。
「……貴方が、世界を滅ぼそうとするのは」
これしかない。舌の上に乗せるのは、問えば引き返せないだろうその言葉。
「母の為か?」
「――」
思いを乗せてぶつけた台詞に、父のそれまでの氷のような気配が一瞬、皹入ったように見え。
「……東か」
それだけで全てを察したらしい。微かに零された呟きに連れて、塗り替えられた表情が一層冷たさを増した。
「――私がこの道を志した動機がどうあろうと、それをお前が知る必要はない」
「ある。母の死が原因で貴方が変わったなら、それは――!」
此処で退くわけにはいかない。微かに感じた手応えを頼りに、続け様に俺が畳み掛けようとした。
「――黙れ」
その瞬間を。……ただ一語。たった一つの言葉に竦まされる。――これまでに向けられたどの殺気とも違う。冷え切った冷たさの奥にとてつもない熱を秘めたような、有無を言わせない純粋な威圧。
「知ったような口を利くな。黄泉示」
突き付けられたその双眸に怯んだ――俺の態度を見て取った父が、自戒するように目を閉じる。……一つ、溢れそうになった感情を抑えるように息を吐き。
「……此処に来てお前と問答をするつもりはない。覆せぬ戦力差がある以上、お前たちの抵抗は何れ終わる」
色を執り成したように眼を開いて、再度冷厳な面持ちで語り始めた。
「仲間と共に永らえる道を選ぶか、どこまでも無為に此処で死ぬか。……求めているのは、その答えだ」
「……」
――どうする?
頭の中に響く声。……対話は明確に拒絶された。時間を稼ぐことも難しい。下手に長引かせようとすれば却ってフィアたちが殺されることになるかもしれず、従う意向を示して連れ去られれば二度と戻ってくることはできないだろう。
二人の立ち上がる気配はまだない。増援が来る様子もない。……そのどちらを選んでも詰みならば。
「……断る」
――いっそのこと此処で、敵の刃を俺へと向けさせた方が良い。
「俺は、貴方たちの側には付かない」
「……そうか」
覚悟と力を込めて突き付けたその答えに、父が零す。静かなその声色に秘められているのは落胆か、それとも失望か。
「――ならば力づくで連れて行く」
予想外だった台詞を耳にした瞬間。秘めていた刃を抜き放つように、研ぎ澄まされた殺気が全身を震わせた――‼
「――!」
全身が凍て付くような凄まじい殺気。――蘇ってくる記憶。誘い込まれて放った【無影】を防がれ、何の抵抗もできぬままただ立ち尽くすしかなかったあの日。
――今の俺はあの時とは違う――! 身体の奥底から沸き上がってくるのは緊張と闘志。……『破滅舞う破滅者の円環』。【魔力解放】の練度を上げ、扱い熟せない【無影】に代わって新しく【一刀一閃】を身に付けた。既に【魔力解放】と円環とは稼働させており、正真正銘、今の俺にできる全力の体勢を取り終えている。
だというのに――。
「……っ」
――分かる。なまじ力が付いたせいか、以前とは比べ物にならないほどはっきりと。……俺と父との間にある力の差。勝つことなど文字通りに考えられない。フィアたちが動けるようになるまで時間を稼ぐことでさえ、果たしてできるかどうか――。
「残念ねぇ? 自分から選ばせたかったでしょうに、結局力押しにになるだなんて」
「……水を差すなと言ったはずだ」
嘲笑めいたセイレスの軽口に答える――その間にも、隙と言うものが全く以て見受けられない。賢王との苛烈な特訓で前以上にそうした機を見抜けるようになっているはずだが、それが全くの無為だったのではないかと錯覚させられるほど付け込みようのない佇まい。
……怯むな。
無理矢理にでも自らを鼓舞する。……俺は強くなった。父と同等以上の実力者である賢王も、先輩たちも前に立つことを認めてくれている。冷静に、今の俺にできることを。
……そうだ。構えを崩さずに置かれた現状を確かめる。幸運にもセイレスは動くつもりがないらしい。
殺気は放ってもこちらを歯牙にも掛けてはいないのか、父は構えを取ることもせず自然体のまま。……ただ無造作に下ろした指先を刀の柄に絡めるように掛けただけだ。あの状態なら動き出しは俺の方が速い。ならばいっそのこと此方から。
仕掛けるか――。
「――ッ⁉」
そう考えた刹那、視界に映る父の姿が、不意にずれる。――速く速く。流れるような起こりから瞬間ごとに加速していっているような奇妙な映像。……これは【絶花】? 意識の中で刀身それ自体の長さからはあり得ぬほど伸びてくる斬撃。だが、今の今まで何の構えも取られては――。
「ッ‼」
逡巡の間も削ぎ落とすように迫る黒刀に終月で以て応じる。――速い。円環で強化された動体視力を以てなお辛うじて捉えられるかどうか。腕先が霞んでいるその挙動に理解は追い付かず、だがやはり今ならば反応はできる。訪れるだろう威力に気合を入れて――。
「――」
迎え撃とうとした、直後に気付かされる。――消えた斬撃。先ほどまで迫っていたはずの刃は既に後ろへ引かれており、鏡映しの如く迫るのは逆の腕に持たれた切り上げる刃――‼
「――グッッ⁉」
辛うじて引き戻した終月の刀身。その峰を濡羽色の刃閃が強かに打ち据える。……重い。フェイントを交ぜて繰り出された一撃であるにも拘らず、握る両腕に落雷を受けたかのような痛烈な衝撃が走らされていく。――マズイ。
「ッッ‼」
思考より何よりも先に身体がそのことを理解した中で続けざまに迫る先ほどの刃。最早相応しい応対など考えている余地はなく、ただ両腕のしびれを振り払い我武者羅に終月を振るい出す! ――【一刀一閃】。焦りの感情に円環が呼応したのか、間に合わないと思えた追撃を無刃の黒刀は正面から迎え撃ち。
「――なるほどな」
――予測した強烈な手応えのないまま、ただ無意味に空を切った。
「――⁉」
空振り。痛恨のそのミスに反射的に刀身を正面へと引き戻す。――理解が追い付かない現象。
「それが例の呪具の力か」
「――ッ!」
だが、何をされたのかは嫌でも理解させられることになった。……気を抜いてなどいない。
「扱う技も変わっている。それも東の入れ知恵か?」
直後に発された台詞に走るのは、やはりという確信と震え。……今の攻防で父は冷静に、此方の力を見極めることに徹してきた。実力差に任せて攻めることも可能であったはずなのに、敢えてそれをせず。予めセイレスから聞かされていた呪具の性能を見定めることに一手を費やした……。
「己の全力でただ刀を振るう。技量がない以上、全霊で子供だましに徹するというわけか」
「……っ」
――【一刀一閃】も見透かされている。決着を焦るような真似はせず、ただ着実にこちらの勝機の芽を潰していく。焦燥の中で腕に覚えさせられる疼きと熱。反射的に振るった一撃で力を出し過ぎたのか、いつもよりも痛みが強い。……自然体ですら構えを取っている俺よりも速く、その上あの体勢からでは次に繰り出される技の予測がつかない。
「使用者へのリスクを度外視した、強引な身体性能の強化……」
加えてこの六、七メートル近い距離を伸びてきたあの斬撃。……以前先輩を切ったのもあの技だったのか。額に汗の浮かぶ中で必死に状態を取り繕おうとする、そんな俺の努力さえ見透かしているように。
「呪具らしい性質だ。一時的に得られる仮初めの力は、代償として使い手の身その物を蝕む」
淡々と告げられる見立てに僅かの抜かりもない事。それが今の俺にはただ、活路を閉ざす宣告のように感じられる。……駄目だ。
「無駄な時間は掛けられないな」
相手にならない、俺では。言い切った父が、目付きを鋭く変えた――‼
――その刹那。
「【重力――四倍】ッッ‼」
「――!」
響く叫びと共に。見えない拳の一撃を受けたかの如く、父の立つ大地が軋みを上げる。鮮やかな芝生が拉げるように撫でつけられ、耐え切れなくなったように陥没する地面。全身に掛けられた凄まじい重量に、父が僅かにその目元を歪ませた。
「黄泉示さんッ!」
「【時の加速・二倍速】‼」
フィアの声。同時の予測をそのまま肯定するように響く詠唱。障壁の微かな燐光が周囲で煌めきを放ち、視界全ての流れが遅くなる独特の感覚が湧き起こる。僅かに振り向いた俺の視界に映り込む――。
「ジェイン、リゲル――‼」
「――悪いな黄泉示」
「――済まない。目覚めが遅れた」
三人の姿。俺の隣に立ち並んだリゲル、後方でフィアと並んでいるジェイン。二人とも既にフィアの障壁を掛けられているようで、その周囲には俺と同じく微かな燐光が纏わされていた。
「カタストさんのお陰で傷は塞がっている。問題はない」
「でも無茶はしないで下さい。二人とも酷い傷で――」
「つっても無理なんじゃねえのか? こんな状況じゃよ」
「――また随分と騒がしくなったものね」
リゲルが見つめる視線の先で――陥没した地面に立つ父に、セイレスが一筋の視線を流す。
「完全に破綻したようだけど、どうするつもりかしら?」
「……」
問い掛けにも父は無言。……四倍の重力に晒されていながら全く変化のない姿勢と面持ち。流石の父もあの中では容易に身動きが取れないと思いたいところだったが。
「寝てて悪かったなおっさん! 先に負けといてなんだが、ここからはいっちょチーム戦と洒落込もうぜ!」
「無駄に挑発するな。――集中して掛かるぞ。蔭水は――」
「――リゲルさんッ‼」
指示の途中。空を割り走った剣圧の刃が、舌打ちしつつ身躱したリゲルの側面を撫でていく。地面に断裂を残し、弾けるような音を立てて消え去った風の刃。
「――!」
「ちィッ! もう出てきやがったか‼」
俺たちの視線の先にあるのは父。その身に圧し掛かる四倍の重力を物ともしなかったかのように、いつの間にか平然と魔術の範囲から歩み出ている。面持ちに疲労の色はなく。
「――セイレス」
「人使いの荒いことね」
当然の如く平静。合図するような言葉に連れてセイレスの指先が空中を走り書き――。
「っ‼」
「黄泉示さんッ⁉」
予感に俺たちが身構えた瞬間、出現した何かが一直線に俺たちの間を走る。――光の線。
「蔭水、リゲル!」
此方に向けて走り出そうとするジェインの動きを妨害し。グラウンドを斜めに走るそこから即座に出現したのは、……半透明の、壁――?
「こういうスマートでない遣り口は好みじゃないのだけど」
「可能性は排除すべきだ。それに、挽回の機会が欲しいとは思わないのか?」
「……有り難く貰っておくわ」
会話しつつ移動するセイレスがその壁を通り抜け、各々俺たちと相対する形になる。――しまった。遅れ馳せの理解に噴き出してくる汗。……分断された。二人ずつ、それも役割が被るリゲルと俺、ジェインとフィアのメンバーに……‼
「黄泉――」
「――ごめんなさいね、お嬢ちゃん」
どうにか壁を越えようとする二人の動きを、セイレスの優しげな声が止める。
「お仲間と離れ離れだなんて辛いわよね。まあ、前に『王家の書庫』を吹き飛ばされた借りもあることだし」
ローブの懐から取り出された一冊の本。それが開かれるのに応じて、幾つもの魔導書がセイレスの周囲へと出現する――!
「今度は間違いの無いよう、跡形が無くなるまで消し飛ばしてあげるわ――!」
「ッ――!」
「……ッ」
描き出される法陣。フィアたちの危機。張られている壁は見た目には薄い。全力で刀を、拳を叩き込めば或いは壊せるかもしれないと。……例えそう思っていたとしても、動けない。
「……」
父がいるからだ。自然体から刀二振りを抜き放ち、二刀流の構えになった父に睨まれている。……気を抜けばそれだけで終わると。伝わってくる気配に理解することができていた。
「――驚異的な精神力だな」
二人で以て。互いの死角をカバーするように構える俺たちに向け、声を飛ばしてくる父。リゲルだけでなく、その視線は壁向こうのジェインにも飛ばされているように思える。
「あれだけの手傷と力量差を刻み込まれた上で、まだ立ち向かって来る意志があるとは」
「はっ、こちとら生憎、可愛がりには慣れてるんでね」
固めた拳でファイティングポーズを強調するリゲルに呼応するように。全身に魔力を纏い、俺もまた滾る闘志を漲らせた。
「――そうか」
身体の脇にゆるりと下げられている二刀から。――次の瞬間に伝わってくるのは、冷気と紛うほどの爆発的な殺気。
「来るぞリゲル‼」
「おう! 来やがれッ‼」
下手をすれば身体を動かすことすらままならない威圧の中で、互いを鼓舞し。
「――」
閃く黒刃を、刀と拳とが出迎える――。




