第十五節 選択
「……」
「……」
前を行くセイレス。……空中に固定されたままのフィア、その後ろに続く俺。
奇妙な順列で暫く沈黙の行進が続いている。進む方角からして、グラウンドに向かっているらしいことは分かるが……。
「――ずっとだんまりで詰まらないわね」
セイレスが振り返る。
「折角の機会だし、少しくらい喋ってみてはどう?」
「……」
無視して沈黙を貫く。……この状況で喋れと言う方が無理な話だ。元より喋る義理などどこにもない。
「そうね。なら喋りたくなるように、まずはこの娘の腕でも――」
「――何を話せばいい」
「良い反応ね。そうでなくちゃ」
低く忍び嗤いを零すセイレス。……落ち着け。フィアがセイレスに囚われている以上、ここで逆らってみせるのは得策じゃない。父の指示があるとしても、なるべく気を損ねないようにしなくては。
「正直に言うと、貴方に少し興味があるのよ」
「――」
「……なに?」
「あの蔭水冥希の息子にしては、やけに覇気のない人間だと思ってね」
……そういうことか。
口元に浮かべられる嘲りの笑み。……聞きたくもない話に耳を傾ける。
「見たところ魔術の才能は皆無。体術は専門外だけど、どう見たって素人に毛の生えた動きだわ。前回――」
以前の一幕を思い起こすように言う。
「当てられるはずだった攻撃を外したことから言って、他人を傷付ける覚悟もできてない。とんだ甘ちゃんね」
「え――?」
「あら、もしかして話してなかったのかしら?」
新しいからかい所を見付けたと言うようにセイレスはほくそ笑む。
「この男は前回私たちと戦ったとき、あろうことか私への攻撃に躊躇した。……あのとき一撃を貰っていれば、こうして話すこともなかったかもしれないのに」
「……っ」
――そうだ。
今更ながらに気付く。……あの時俺が攻撃を躊躇わなければ、少なくともセイレスはどうにかすることができていたのかもしれない。そうすればフィアが今こうして掴まっていることも、為す術なく従わされることも。
「可哀相ねぇ。どこかの誰かが弱さを見せたお蔭で、関係のない人間が大勢巻き込まれることになった」
追い打ちを掛けるような嗤い声が届く。……あの人たちが死ぬことも、なかったのではないか?
「この世の中は所詮食い合いと奪い合い。何かを通したいと思うのなら、他人の命くらい踏み付けにできなければ始まらない。そんなことも分からないようじゃ、ただの足手纏いね」
「――」
……セイレスは俺を動揺させようとしている。
それは明らかだ。セイレスの言っていることが正しいなどとは思わない。誰かを踏み躙るための覚悟など。
……だが。
〝ありがとう〟
黒焦げにされた遺体の姿と共に、感謝の声が耳に蘇る。あの人たちが苦しんだのは。
俺が――。
「――違います」
自責を遮る、声。
「黄泉示さんは間違ってません。間違ってるのは、貴女の方です。セイレスさん」
――フィア。動きを止められたまま、強い眼差しでセイレスを見据えている。幾分感情的になっているようなその口振りに。
「フィ――」
「――へえ」
止めようとした俺の声を、誰であろうセイレスが遮った。
「小娘の分際で言うじゃないの。なら、貴女の意見を聞かせて貰おうかしら? お嬢ちゃん」
――危険だ。
そう直感する。今はまだ嗤いを含む楽しんでいるような口調だが、下手に神経を逆撫ですれば何をしてくるか。
「……貴女のしたことは全部、貴女自身の責任です」
食い入るように見つめる俺の前で怖じ気ずにフィアは話し出す。此処で俺が口を挟んでも、また――。
「誰かに押し付けることはできません。黄泉示さんは貴女を助けた。助けられたその手で人を殺めたのは、貴女です。――それに」
今まで耳にした中でも特別強いと思えるような語調。沈黙の内にそれを聞いているセイレスを、どこまでも真っ直ぐな翡翠色の瞳で見つめ直して。
「目の前にいる誰かを傷付けたくないと思う人よりも。……平気で誰かを傷付けられる人の方が、ずっとずっと間違ってます」
突き付けるように、穏やかに言い切った。暫しの間のあと。
「……随分と威勢の良い口を叩くじゃない」
聞きに徹していたセイレスが口を開く。変わらない口調の裏になにが潜んでいるのかは、まだ分からない。
「この状況下でそんなことを口にすればどうなるか、考えもしなかったのかしら?」
「止めろッ‼」
赤々と発光する掌。目の前で弾ける火花に怯えた色を浮かべつつも、フィアが硬く口元を結んだ。
「――ッ!」
「――嘘よ嘘。冗談」
一か八かで思わず動こうとした瞬間、セイレスの手が翻される。
「大体貴女を傷付ければ、そこの彼が自殺してしまうもの。そんな詰まらない真似はしないわ」
「……っ」
「でもね――」
――助かった。そう思った瞬間に髪を掴んだセイレス。動けないでいるところを無理矢理引き寄せるようにして、フィアに顔を近づける。
「ッ――」
「――そんなことを言えているうちは、よっぽど幸せなのよ」
低く低く、地の底から湧き上るような。
「耳の腐りそうな綺麗事を吐かないで欲しいわね。現実も知らないようなお子様が」
「……っ」
ドスを利かせた声音。下唇を噛んで黙ったフィアを満足げに見つめ。
「――さて、お喋りはお仕舞い」
フィアの拘束を解くと、いつの間にか到着していた出口の中から外の方を指し示した。
「着いたわ。見てごらんなさい」
あれは――。
「……来たようだな」
校庭の中央に立つ、――父。それを一瞬で見止めた直後、視界に入るモノ。
「――そんな……」
フィアの唇から漏れる呟き。父からはやや離れた箇所。佇む黒服の側方に、倒れているのは――!
「リゲル! ジェイン!」
叫び。思わず走り出す。そのまま二人の下へ駆け寄った――。
「大丈夫か⁉ しっかり――!」
「ぐ……」
――息はある。
弱々しい、だが反応があったことに何よりも安堵させられる。僅かに顔をこちらに向けようとしたジェインの額から伝う、一筋の鮮血……。
「……わりい。下手打った……ぜ」
荒い息を吐きつつ、リゲルが言う。……二人とも全身、至るところを切り刻まれている。出血量から見ても個々の傷は浅いようだが、このままでは明らかに危険。
「フィア、頼む!」
「はい!」
同じ容態を診て取っていた――フィアが即座に治癒魔術を発動する。掌から放たれる光。流れる二人の血が次第に治まり、徐々に傷口が塞がれていく。
「――敢えて生かしてやった」
「……!」
飛び込んできた台詞に顔を上げる。校舎から見た時と同じ位置に立ち、此方を――俺を見つめている父の眼差し。
「興が乗るだろうと思ってな。さあ、黄泉示――」
その表情は以前に見えた時と変わらず。今し方二人を切りつけていたとは思えないほど、平静としていた。
「――答えを聞こうか」
「……こうしているだけでいいのか?」
唐突。彫像のような永久の魔から掛けられた重い声を、ヴェイグは向けた眼面で受け止める。『アポカリプスの眼』らが出立し、レジェンドらも出払っている今。この洞窟にいるのは、ヴェイグと永久の魔のみ。
「三大組織の壊滅に伴う貴方の復活と、禁忌領域の侵犯と消滅」
数時間近くを立ち尽くしたままの永久の魔に対し。様々に体勢を変えて気を紛らわせていたヴェイグは、よっこいせ、という声と共に立ち上がる。
「『世界』は確実に気付いているはずだ。だからこそ、向こうからコンタクトを取ってくる。必ずね」
岩壁に向けて歩きつつ。言う台詞はどこか、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえ。
「僕らにできるのは用意を整えて待つことだけだ。やれることはもう、全てやったよ」
「……」
壁にを背に吐いた息と共に出された返答に永久の魔は沈黙する。風のない淀んだ静けさの内で、そう言えば、と口にするヴェイグ。
「これはまだ訊いていなかったね。管理者とはどんなものなんだい? 貴方の目から見て」
「……」
佇む永久の魔は応えない。……恐らくは無視ではない。答えるか答えまいかで迷っているのだろうと、これまでの短い付き合いからヴェイグはその胸中を推し量ろうとする。……細かな邪気の揺らぎ。ほぼ一切と言って良いほど表に現われない微細な変化を過たず捉えることは、ヴェイグとしても常に可能な事とは限らないが。
「……それは――」
今日は幸運だ。視線を送るヴェイグに対し、何事かを紡ごうと永久の魔が重い唇を開いた。
――そのとき既にそれは、終わっていたのだ。
「……!」
理解もない。気付きもない。初めから此処に立っていたことが厳然たる事実であるかの如く、眼前に広がるのは果ての無い地平線と白、そして果てのない天蓋。微かな輝きを放つ地面を、永久の魔は半ば忌まわしい想いで見つめる。
「……招待とは気が利いているね」
独り言とも付かぬように零すヴェイグ。日頃の彼を知る者ならば、その声がいつにない緊張を宿していることが分かっただろう。
「移動の手間が省けて良い。……お互いにということになるのかな」
「――そうね」
冷ややかな声。人として凡そ圧倒的な能力を持つヴェイグにも、最古最強の脅威足る永久の魔にも。その響きが届くまで、そこにいることを悟ることさえ出来なかった。
「私も丁度、そう思っていたところ」
小さな人影。距離にしてまだ遠く見えたはずのそれは、次の瞬間には常人でもはっきりと目視できるだけの位置に現われている。……小柄な。それでいて神とでも違えるかのような荘厳さに、思わずして構えていたヴェイグの眼が開く。
「――」
無機質に、しかし暖かみを以て白く抜けるような肌。頬の辺りまで下ろされた髪は艶やかに、一筋一筋が光を纏っているかのようにも見える。……目が離せない。ただ其処にいるだけで伝えられるのだ。この領域とそれとが、同一にも等しい調和を保っていることが。
「――ヴェイグ・カーン」
光に満たされているような雰囲気とは対照的に、再度冷厳な音が唇から発される。静謐にして畏姿。全てを超克したかの如くに美しく澄んだ瞳を僅かに動かし。
「永久の魔。あそこだと手直しが面倒だったから、喚ばせてもらったわ」
そう女性の姿をした何か。――『管理者』は、どこまでも無機質に目の前の二人へ告げた。
「……」
視線を向けられた永久の魔は何も言わない。ただ対峙した瞬間から手を遣っていた、腰に下げられたその剣を抜く。
「……侵食されたままなのね、その剣」
如何なる光でも照らし切れぬほど濃い紫に塗り潰された剣身。自らの姿を映さぬ剣に管理者はほんの少し、感慨のあるような呟きを漏らす。その機微が果たしてどこにあるのかは、此処に立つ者たちの預かり知らぬところだった。
「――会えて光栄だよ。管理者」
二人の間に流れる空気を破るかの如く。言葉を発したのはヴェイグ・カーン。抱えていた緊張の影は、今平常の居住まいに鳴りを潜めている。
「こんな見目麗しい少女体とはね。どうしてその姿を取ったのか、興味ついでに訊かせてもらってもいいかな?」
「用件は分かっているでしょう?」
冷厳とした態度を崩さないまま、一切の人間味を感じさせない声で管理者はヴェイグの言の葉を切る。
「永遠なる世界のために――滅世を望む貴方たちは今日、此処で消える」
「……同じ轍を踏むと思うな」
覇気と共に永久の魔の身から溢れ出す、闇と変わらぬほどの邪気。対峙する者の魂を揺るがす根源威圧に加え、嵐とも言うべき激烈な殺意を切っ先の黒紫に収斂させていく。それらが向けられるのは数多の軍勢でも勇猛たる英傑でも無く、たった一人の少女の如き相手。
「……なにを言っているの?」
正面から受ける管理者は、本当に言葉の意味が分からなかったかのように瞳を向け。
「――もう、初めから決まったことよ」
僅かも揺らがぬ表情で、言い放った――。
「――【波動断罪】」
返答の代わりに地に突き立てられた刃。純白色の地面に入る亀裂から瘴気が迸り、濃密な紫が領域そのものを飲み込むかの如く管理者へと押し迫る。――その圧倒的な力から日頃技を使うことの無い永久の魔が持つ、七断罪が一。かつて羽虫を払うに用いた時とは比べ物にならない、負の情念そのものの具象化とも言える邪気の奔流は、ただその壊滅的な威力と範囲のみで他の全てを蹂躙し尽くす。
「【Catastrophe】――‼」
同時。永久の魔の攻撃の起点を見て取っていたヴェイグもまた、合わせとばかりに秘術を撃ち放っていた。用いるは永仙との戦いで披露した全属性最高位連係魔術。絶大な魔力と精緻な技巧とで以て迸る八属性の力は、相互いに組み合わさりつつ数瞬の間にもその威力と規模を増していく。向かう二つの力は共に人の領域を超え、かつて神の御業とされた自然の災害でさえ、並大抵のものでは比肩できぬほど。
「……」
静かに向けられる静謐な瞳。それを前にして、管理者が見せた行動は――。
――ごく単純で、些細なものだった。
「――っ」
異変。気が付き剣を引き抜いた永久の魔。それより一瞬遅れてヴェイグもまた、魔術に力を注ぐことを中止する。
いや、止めざるを得なかったのだ。城一つ、町一つ、山一つ。矮小なヒトガタに向けて繰り出されるには凡そ過剰が過ぎると思えていた、力の大奔流は今。
「……」
悠然と佇む管理者の前で。完全に、その動きを止めているのだから。
「……詰まらない選択ね」
冷えた中にもどこか呆れたような響きを醸し出し、表情は変えないままの管理者が言う。
「せめて自分から服従を選ぶなら、ただ封じられるだけで済んだのに」
一歩。小さな管理者の足音が間に響く。――その瞬間。
「――ッ」
景色に張り付いた鏡が砕け散るように。静止していた力のカタマリは、一斉に砕けて空中へと霧散した。
「……」
後には残滓さえ残らない。見つめる二人の前で一切の静謐を取り戻す管理者と空間。あれだけの威力が、完全に掌で転がされた。楽に行くはずがないと予想していたとはいえ、現実に見せ付けられれば驚愕を禁じ得ないだけの異常。
「……これほどとはね」
ヴェイグの口を苦い驚嘆が突く。幸いにして不幸なことに、彼も永久の魔も、あの時管理者が何をしでかしたのかを、明確に理解し把握することができている。
〝――止まりなさい〟
ただそれだけ。管理者が口にしたたったその六文字だけで、天をも揺るがすはずの大災害は敢えなくその暴威を鎮められたのだ。
「……言霊に依る万象支配か。『世界』の時を止めているのも、それによる芸当ということかな?」
「そうね。貴方たちクラスになると、『世界』そのものの修正に抗えるから通じないけど」
ヴェイグの分析を涼しい顔で受けた管理者。再度二者に視線を向け直すと。
「――【Catastrophe】」
「っ――⁉」
変わらぬ静かな一言が零れ出したと同時。迸るのは属性の力の激流。大津波が如くにうねり荒れ、小さな二つのヒトガタを呑み込もうとする。
「――【穿貫断罪】」
動いたのは永久の魔。ヴェイグの前に立ち、虚空に向けて突き出した切っ先。その動きに堪えて収束した邪気の突きが大波を穿ち、二人の立つ場所を暴威から抉り取る。
「っ……」
「……なにを驚くことがあるの?」
管理者が目を向ける。ヴェイグの表情が全てを物語っていた。……今し方放たれたものが何であったのか。その正体。
全く同じものであったのだ。先に用いられたのと同じ。ヴェイグが自らの力と神器の力とを併せて生み出した絶技。
「ここは『世界』。私は『世界』の意志にして、この『世界』を管理する者」
その一片の曇りもない瞳が捉えるのはヴェイグの持つ本。神器。
「貴方のようにそれの力を借りなくとも――私は、『世界』内で起こり得る、全ての技法を扱える」




