第十二節 突入
「ヒ――ヒッ!」
――廊下。響く爆音と轟音、火の粉の爆ぜる匂いが立ち込める中を、一人の学生が走り抜けて行く。
「――その調子その調子。中々頑張るじゃない」
聞こえてきた声に青年は絶望する。死の影――。青年の同級生、何人もの知人を消し炭に変えたそれが、必死で逃げてきたはずの自分の背後にまで迫っているのだ。逃げられない――そのことを意識して全身から力が抜け落ちる。
「もうお仕舞いなのかしら? 無様な逃走劇は」
へたり込んだ青年に向け掛けられる、嗤い。今の青年にとってそれは正に幼い頃から伝え聞いた悪魔そのもの。どれほど泣き叫んだとしても、祈る神などいはしないのに――‼
「じゃあ、さようなら――」
嗜虐的な笑みを浮かべた悪魔が、得体の知れない力によってその掌を輝かせた。
「――止めろ」
――声。だが此度のそれは、悪魔から発されたものではない。自分がまだ生きている現実に、思わず顔を上げた青年。
「殺すな」
その視線の前に立つのは、一人の男。悪魔の横に立つその男が、自分へ下るはずだった死を押し留めてくれている――。
「ヒイイイ‼」
奇跡、幸運。自らに訪れた思いがけぬ好機を理解した瞬間、一目散に青年は出口へ向けて駆け出していく。日頃死から離された世界で生きてきた青年の、それが精神の限界だった。
「……同志を邪魔立てするなんて、どういうつもりかしら?」
不機嫌さが支配する口調。逃げていく青年には最早目もくれず。
悪魔――セイレスは現われた男をねめつける。対する男、蔭水冥希もまた、冷徹な瞳で真っ向からその感情を受け止めた。
「ここにいる人間には逃げて貰う必要がある。黄泉示たちの目に付くよう、できる限り派手な形で」
「分かっているわよ。だからこうして事件を盛り上げているのでしょう? より人々の目を引き付けるよう」
「盛り上げは既に充分だ。報道が始まった今、外へ逃げる人数は多い方が良い。より早く、より遠くへ広まるように」
「……私があの男を殺すとでも思ったの?」
小馬鹿にしたように鼻白む声音。
「逃げてくる人間が無傷でない方がショッキングじゃない。殺され掛けて半狂乱になった人間が出てくれば、それだけこの事件の凄惨さをアピールできる」
自らの口にしているのが大儀であると疑わない頑なな態度。臆面も恥じることもなく、堂々とセイレスは言ってのける。
「全て滅世のためよ。あなたに止められる謂れは無いわ」
――やはり、分かっていない。
非難するような眼差しを受け止めつつ冥希は断じる。……この女は理解していないのだ。あの男の滅世が、何のためにあることなのかを――。
「あなたこそ本当はやる気がないんじゃないの? 蔭水冥希」
「……なに?」
「だってそうじゃない。こんな作戦を立案してみせた癖に、自分では手も汚さない」
口を噤んだ冥希に対し、弱点を見付けたと言うようにセイレスは居丈高に喋り続ける。
「言われた通りに言い付けを守るだけ。ねえ、『救世の英雄』さ――ッ⁉」
「――」
――瞬間。それまで得意げに語られ続けていたセイレスの言の葉が突如途絶える。……無言のまま柄へと掛けられた掌。
「……元はと言えば、これはお前たちの失態の結果だ」
殺気を放ってはいない。しかしその行為が何を意味しているのかは、仮に今相対している者でなくとも明らか。冷ややかな双眸でセイレスを捉えたまま、冥希は刻み付けるように声を出す。
「これ以上、力量の不足で周囲に手間を掛けさせるな」
「……っ!」
逆鱗を突く一語。呑まれていたようなセイレスの瞳に激情が宿る。冥希との間に流れる空気が、その険悪さを最高潮にまで至らせたとき。
「――」
気配感知の能力が告げる。……数は七。逃げて行くばかりの気配の中で、逆に外から敷地内に入り込んできた気配たち。
「セイレス」
「――一々言わないで頂戴」
呟きにも似た詠唱。それと共に学園を結界が覆い尽くす。……抵抗力の無い者への認識を薄め、詳細を記憶から消し去る補助結界。態度に不備があるとはいえ、魔術の腕自体はそれなり。これで外部から余計な手が入ることはないだろう。
「本当にこんな茶番に引っ掛かるなんて――馬鹿な連中。魔術協会の残党とやらも、大したことはなさそうね」
「……」
気を抜くな、とは、冥希は敢えて言う気にもならなかった。どの道この女はそう簡単に油断などしない。力量を持つ人間にはそれと認めた上で、格下であれば格下と判じた上で掛かるはずだ。
「黄泉示と仲間たちは生かして連れて来い。まだ殺すな」
「しつこいわね。分かっているわよ……!」
苛立ちを隠そうともせずに言い放った、セイレスの同意に冥希が踵を返した瞬間。
「――まだ未練があるなんて、哀れな男」
背に掛けられた声。思いがけず核心をついてきたその台詞に、思わず冥希の足が止まる。
「貴方のその矛盾がいつまで通じるか、じっくりと見させてもらうわ。『救世の英雄』さん……!」
嘲笑と共に捨て台詞を残して消えるセイレスの姿。僅かに振り返った視線で、その後の空間を目にしたあと。
「……」
再度前を向き。蔭水冥希は、校舎の奥へ進んで行った。
「――どうだ⁉」
報道陣の目を掻い潜った突入後。校舎を目指す移動の中で叫ぶリゲル。
「幾つかの強い気配が点在してる! そっちと、あっち。それに向こうに二つ!」
答えるのは立慧さん。大まかな方角を指し示すと、髪を靡かせながら表情を顰め。
「もう一つはかなり奥の方ね――。それ以外でもちらほら人の気配がある。多分、ここの学生や教師たちよ」
計五つ。ならばジェインや郭の予測通り、レジェンドは来ていない可能性が高い。先ずはそのことに安堵する――。
「――手分けして向かいましょう。でないと手遅れになる――」
「――!」
郭の言葉の中途。頭の毛が逆立つような違和感を覚える。……これは――。
「結界か」
「相手方もこちらの侵入に気付いたようですね。まあ、当然でしょうが」
――結界。この状況下である限りその意味は一つしかない。……外部との隔離。俺たちを内部に閉じ込め、戦いの用意を整えるための措置。
「規模はデカいが、出る時には破れるな。そこまで複雑な術式じゃない」
「そっちは後で考えましょ。それより今は」
「――どう分かれる?」
敵方は五か所に散っている。それぞれにまだ取り残された人がいるなら、悠長に一つずつ回っていくわけにはいかない。同時進行で事を進める必要があった。
「あんたたちは二人ずつで行きなさい。あたしらは一人で行くわ」
「そうですね。それが妥当かと」
直ぐ様返してくる二人。……今はその言葉に甘えよう。実力的に見てもそれが一番生存率の高い選択であるはずだ。
「なら、俺と黄泉示は分かれた方が良いか」
「そうだな。同じ理由で僕とカタストさんも分けるとすると……」
「……俺はフィアと行く」
敢えてそう口にする。安全を考えるなら正直リゲルと一緒に行かせたいところだが、先ほどから不安気にチラチラと俺を見てくるフィアの心境は明らかだろう。俺の言葉に、どこかホッとしたような表情を浮かべ――。
「――よろしくお願いします。黄泉示さん」
「けっ、お前とかよ。分かっちゃいたけどよ」
「仕方ないだろう。――無謀な行動で足を引っ張るなよ」
「お前こそビビッて動けなくなんじゃねえぞ!」
「――担当を伝えます」
組み合わせの決定を受けて――これまで敵方の気配を分析していたような郭が口にする。
「最奥の気配は僕、二つ並んだ気配は支部長の二人。残る西棟三階と、南棟二階の気配はそれぞれ貴方たちが」
正門を駆け抜ける一瞬で地図を覚えたのか、俺たちの向かう場所を具体的に告げ。
「一般人を逃がした後は校庭へ。合流して彼らを迎え撃つか、場合によっては撤退も視野に入れましょう」
「おう!」
「分かりました」
「分かったわ」
「了解です」
それぞれが答える。……用意は整った。目の前に見えてくるのは分かれ道。覚悟を決めさせるその道に唾を飲み込む。
「――ではまた」
第一に。素っ気ない一言を言い残して、一人速度を上げた郭が中へ消える。
「僕らはこっちだ。――また会おう二人とも」
「じゃあな。負けんじゃねえぞ黄泉示、フィア‼」
続けてジェインとリゲルが。分かれ、俺たち四人だけになった行先。
「……あんたたちの覚悟は買うわ」
静かに立慧さんが言う。
「けど絶対無茶すんじゃないわよ⁉ ヤバいと思ったらすぐ逃げること! いい⁉」
「私たちもいることを忘れるな。――死ぬなよ」
「はい」
「立慧さん、千景先輩も――」
案ずるようなフィアの言葉に軽く手を振って、先輩たちが脇道へ姿を消す。……この先が、俺たちの行くべき場所だ。
「――行こう」
「はい」
皆の背中。それを目に焼き付けながら。
俺とフィアは、目指す方角へ向けて駆け出した。覚悟を胸に――。
「――ほう」
感知した動きに、バロンは声を発す。
「動き出したな。迅速な判断。思い切りがいいと言うべきか……」
校舎に侵入してきた気配。一塊で行動してくるかとも思ったが、あの男の予測通り。バロンたちに数を合わせるようにして散開した。
「こんなちゃちな仕掛けで釣れるのかと思っていたが、杞憂だったようだな」
答えるのは聖職衣姿の拳士――アデル。掴んでいた教職員の頭を投げ捨て、視線をバロンへと移す。
「分かれるとするか。此方が固まっていたのでは分散のさせようがない」
「そうするとしよう」
提案に応え、バロンは立ち位置を変えに動く。……目指すはまだ一般人の気配が多く残されている東棟。あの位置まで行けば、自分の戦術が最大限に優位を発揮する――。
「――バロン」
歩む中途。アデルから掛けられた声に、足を止めたバロンは振り向く。
「どうした? クロムウェル」
「会えると良いな」
血に濡れた床の上で、神に仕える聖職衣を着た男は笑っている。
「互いに、望む相手に」
「……ああ」
端的な受け答え。それだけで全てを理解したように、バロンは鉄塊を引き摺り、闇の奥へと進み、姿を消した。




