第十一節 不穏 後編
「まあ、そうね」
そんな俺の感覚を余所に、いつもと変わらぬ調子で話し出したのは立慧さん。
「一応面識がある程度だけど。実務派の連中となんて、余り話すこともないから」
「実務派?」
「協会での通常業務に専念している支部長たちの事をそう呼んでいるんですよ。范支部長や上守支部長は修養派と呼ばれています」
「私たちは業務もそうだが、それ以外に自分の腕を磨くための時間が認められてるんだ」
俺の疑問に答える郭の発言を受けて、先輩が解説を引き継ぐ。
「実務派が業務百パーセントなら、修養派は業務半分、修行半分ってところだな」
「実務派の方たちは、修行はしてない……ってことですか?」
「そりゃ全くしてないってわけじゃないけど。支部長は業務の中で戦闘に携わることも多いし、経験はそれなりに豊富だわ。ただ、上に行こうとする意欲がないだけよ」
言葉の後半。僅かに棘の出たようなその言い振りが、意識に引っ掛かり。
「そのことは事実かもしれませんが、非難の意味が込められているのなら撤回すべきですね」
他の誰かが反応を見せるより前に、これまでよりも少し硬めの口調で、郭が言葉を挟んだ。
「彼ら無くして協会の運営は成り立ちません。貴方たち修養派に回ってこない分の仕事も実質的に引き受けてくれているんです。感謝こそすれ、煙たがる理由はないと思いますが」
「……正論なんだけど、あんたに言われると中々ムカつくわね……」
視線を遣った――立慧さんと郭の間でぎこちないものになる空気。……一触即発という雰囲気ではないが、どことなく気まずい。その空気を掃おうとしてか。
「け、けど、あれは凄かったですよね」
「何かあったのか? ミーナさんと」
「大ありっすよ。偶然出会った後で俺と逆立ちプッシュアップ対決になったんすけどね? 接戦だったんすけど、ギリギリのところで負けちまって」
「……なによそれ?」
敢えて明るめの声で言ったフィアに先輩が顔を向ける。こう、とジェスチャーで示して見せたリゲルに、先輩たちはああー、と納得がいったような、いかないような、何とも言えない表情をしてみせて。
「相変わらずですねあの人は……」
「……気になっていたんだが」
呆れとも感心とも付かない呟きを郭が漏らしたのと同時、声を上げたのはジェイン。
「実務派と修養派では修行の時間が設けられている分、修養派の方が実力があるということか?」
「いえ。それは――」
「――寧ろ逆ね」
話し出そうとした郭を遮るというより寧ろ差し止めるようにして、立慧さんがジェインの方を向いた。
「実務派になるような支部長は大抵四十を過ぎてるわ。魔術師として経験豊富で、それまで上手く支部を運営してこれたからこそ、実務派の支部長として認められることになる」
話す口調はいつも通りだ。そこで一旦、用意を整えるように小さく息を吸って。
「修養派って呼ばれる支部長は大体、二十代から三十代半ばくらいまでの人間が多いのよ。少なくとも今の時点じゃ、私よりミーナさんの方が強いでしょうね」
「……」
……そうなのか。
ともすれば引くほどに筋骨隆々だった――ミーナさんの姿を思い起こす。確かに、あれと正面からぶつかって無事でいられる姿は中々に想像できないが……。
「まあ、あの人は結構な実力者だからな」
「第三支部の支部長ですからね。僕でも余り戦いたいとは思いませんよ」
「……やっぱりあの筋肉を使って戦うのか?」
「ええ。あの人にしかできませんよ。あの戦い方は」
揃って気になる言い方をする。一応俺は部外者。協会の事に首を突っ込むのもどうかとは思う。だが……。
「……それってどういう」
「まあそれはそれとして、テレビでも見ましょうか」
俺の問いをわざとらしくスルーして郭が電源を付ける。映し出される画面に響くのは笑い声と楽しげな音楽。コメディーか何かのようだ。
「テレビなんて見たってしょうがなくない?」
「一応ですよ。こんな時でもなければ見られませんしね」
どこか面白がっているような郭の手の内で――適当に切り替えられていく番組を眺める。ニュース、ドラマ、通販など、どれも至って普通の日常的な内容ばかり。特別目につくものはなく。
「……普通だな」
「まあ、こっちの事情が報道に出るなんてことはないからな。組織全体が差し止めてるし、国の上もそれを――」
リゲルの感想に相槌を打って話し始めた先輩。久し振りに目にする番組を眺めつつ、語られるその内容に耳を傾けた――。
――その時だった。
「――あれ?」
フィアが声を上げる。それまでの文脈から浮き出た調子外れな声だったが、思う所はここに居る全員が同じだっただろう。
突如切り替わった画面の景色。レポーターと思しき女性が、しきりに何かを叫んでいる――。
「――通報の通りです! 現われたテロリストたちは学園内にいる学生、教員を次々に殺害している模様! 既に大勢の生徒と教員が脱出して来ていますが、中にはまだ残された人々が――!」
心臓が一つ大きく跳ねる。耳に届いたショッキングな内容もそうだったが、何よりも。
映し出された学園の門。刻まれている文字は――。
「え――」
「……マジかよ」
「……シトー学園?」
ジェインが呟く。俺たちが通っていた、あの――!
「ん――⁉」
「どうしたの千景」
「……いや。今、一瞬……」
言い淀む先輩。驚惑冷めやらぬ最中で、その所作を気に止めた直後。
「……!」
画面の切り替わりに映し出された映像。今度は俺の眼にもはっきりと見えた。映り込んだのは一瞬だったが。
――父。学園内を走り抜ける、蔭水冥希の姿が。
「――」
「……今のは」
「……あいつね。間違いない」
「な、なにか見えたんですか?」
「……覚えのある鎖が一瞬見えたわ」
先の映像に俺とは違う何かを見ていたらしい立慧さんが言う。
「《十冠を負う獣》よ。蔭水冥希と合わせて、『アポカリプスの眼』がやってるんじゃない?」
「――」
……なんでだ?
理解が追い付かない。意味が分からない。なんで、父が、『アポカリプスの眼』が。学園を?
わけが分からない。あの場所は、何も――‼
「これは……」
「貴方の予想で間違いないんじゃないですか」
郭の台詞に思わずそちらを向く。顎に手を当てたジェインが、険しい顔つきで画面を見つめていた。
「そういうことよね。胸糞悪い……」
「――どういうことだよ?」
続けて納得の入ったようなのは立慧さん。リゲルの問いに、郭が向き直り。
「これは十中八九、貴方たちを誘き寄せるためのものでしょう」
俺たちを、誘き寄せる……?
「『アポカリプスの眼』からしてみれば、貴方たちは今【大結界】に囲まれた本山の中にいる状態。龍脈との強固な結び付きにより構築されている結界です。協会の仕組みに精通した零もいないことですし、連中と雖も正面からの突破は難しい」
「どこかで僕らが学園に通っていたと言う情報を掴んでいたんだろう。旧友のいる学園を荒らせば、それを見逃せない僕らが釣れる。ついでに協会の関係者も誘き出せるかもしれない……」
「……だからってんなことするかよ、普通……!」
リゲルたちと共に画面を見つめる。……火が出たのか、校舎の奥から立ち昇る煙。必死で逃げて来たと思しき人たちが、血を流しながら何かを訴えている。
「――まだ残ってる奴らが居るんだ! 頼む、早く警察を!」
「先生が――!」
「友達が――!」
「……っ」
「……一応釘刺しとくけど」
悲痛な訴えに歪んだ――面持ちを見て取られたのか、立慧さんが話しかけてくる。
「助けに行くなんてのは無理よ。諦めなさい」
「そんな――!」
「立慧の言う通りだ。此処で救援に向かうことは、どうあってもプラスには繋がらない」
先輩の固い声。それが如何に、本気で言っているのかを伝えてくる。
「……このまま放置するんですか?」
「そうだ。私たちを誘き出すことが目的なら、無駄と分かった時点で動きを止めるはずだ」
「それまでの間、学園の人が殺されていくのは……」
「……」
先輩は何も言わない。ただその目が、仕方のないことだと語っている。
「三大組織が幹部クラスを失い国家機関も多くが機能停止に追い込まれている以上、止められる人材はいないでしょうしね。相手も当然、それを見越してこのような行動に出てるんでしょうが」
「――私たちが相対しなきゃならないのは、世界の敵よ」
郭の見立てに立慧さんがきっぱりと言い放つ。
「ここで感情的になって自滅すればそっちの方の可能性を減らすことになる。敵の罠に自分から飛び込んでくなんて馬鹿な真似は、どうあっても許容できないわ」
そうでしょ? と。同意を求めるように郭に視線が向く。冷静に語ろうとする言葉とは裏腹に、強く握り締められた拳。……平気な訳がない。立慧さんも俺たちと同じように、この状況をどうにかできるものならしたいと思っている。
――それでもなお耐えているのだ。最悪の間違いを犯さない為に、歯を食い縛って。その覚悟を俺がとやかく言うことなどできはしない。
「……ッ」
だが――。
「頼む! 警察でも何でもいいから早く呼んでくれ! このままじゃ皆殺されちまうよ!」
――本当に、それでいいのか?
キャスターに、カメラに縋り付いている学生。……自身も血を流しながらも叫ぶ彼の姿が、瞳に焼き付く。画面の端で蹲り泣いている学生の声が、嗚咽が耳に。
「――お姉ちゃん……っ‼」
「――」
……そうだ。
彼らは――。
「――」
「――待ちなさい」
歩き出した俺の前に、立慧さんが立ちはだかる。
「一応訊くけど、どうするつもり?」
「……父の狙いは俺です」
咄嗟に。苦し紛れに言い出した台詞。
「学園の外から俺の姿を一瞬だけ父に見せます。それで、あとは協会のゲートまで全力で逃げ切る」
紡ぐ言い分の最中にも以前に見せられた父の速さが否応なく思い出されてくる。……可能性は高いとは言えない。それでも円環と【魔力解放】を使って全力で走れば、もしかすれば。
「――意外とバカなのね。あんた」
そんな淡い期待を呆気なく撥ね退けて。小さく息を吐いた立慧さんの、突き刺すような双眸が俺を捉えた。
「んなことしても十中八九捕まるわよ。そしたらもう帰って来れないんじゃない? 蔭水冥希があんたを連れて行きたがってるなら」
「……俺は」
テレビはいつの間にか消されている。だがそうだとしても、確かに聞いた。
「……誰かが傷付くのを黙って見ている為に、戦えるようになったわけじゃないんです」
俺が戦えるようになったのは、自分の為だ。
誰かのためなんかじゃない。フィアを、リゲルを、ジェインを、彼らだけで戦わせたくない。一人前に出ないままではいられないと、俺がそう思ったから。
――だが、何が違う?
喪いたくないと思っているのは、彼らも同じなのだ。中にいる人たちを助けたくて、それでもどうしようもできなくて叫んでいる。必死に、自らを省みることなしに。
……そうであるならば。
「なによそれ。私らへの当てつけ?」
「……私も」
小さく。しかし確かに伝える意図を以て場に出されたのは、思い詰めたようなフィアの声。
「……助けに行きたいです。……できれば、あの人たちを、見捨てるのは――」
「あんたらねえ……」
俺とフィアの声を受けた、立慧さんの口調に呆れと、半分ほどの苛立ちが混ざる。
「聞き分け良くすんなりと諦めなさいよ。ガキじゃないんだから」
「……ここで、俺たちが行かないと――」
「行きたいのはこっちだって同じよ!」
――叫びに身が打ち震える。
「でも無理だって言ってんの! 分かる⁉ 私らが此処で勝手に敵の罠に飛び込んだら、どうなるか⁉」
「……ッ」
思い浮かぶのは葵さん。賢王、冥王。
「……全部崩れるかもしれないのよ? それでも、あんたたちは行きたいって言うの?」
「……」
檄を受けたフィアは黙り込んでいる。俺も、すぐには答えられない。……何を言えばいいと言うのだろう。何を言うべきなのかも、何を言いたいのかも分からなくなった沈黙の中。
「――寧ろ、チャンスなんじゃねえっすかね?」
唐突に差し込んだその声に。俯いていた顔を上げた。
「リゲル……⁉」
「相手の居場所が分からねえのはこっちだって同じだったじゃないすか。だったら今ここで、出てきたあいつらをぶっ潰す」
バシリと。ぶつけられた手と掌が小気味のいい音を立てる。上げた口元で猛々しく笑んで。
「あいつらが仕掛けたと思ってる罠を逆に利用してやるんすよ。いつまでもやられっぱなしってわけには、いかねえってね」
「――無謀だそれは」
勇み立つリゲルを――諌めるように言うのは先輩。
「蔭水冥希がいることは確認したが、敵方の全容も把握できてない。……『アポカリプスの眼』だけでなく、レジェンドだっているかもしれないんだぞ」
「……!」
――そうか。
いつの間に決めつけてしまっていたが、何もあそこにいるのが父たちだけとは限らない。凶王を追い詰めるだほどの力を持つレジェンドが一人でも来ていた場合、今の俺たちでは殆んど確実に全滅する……。
「――待って下さい」
「――」
考え込むように静かに切り出したジェイン。
「賢王の話を聞くに、レジェンドは今でも凶王をターゲットにしている可能性が高い。協会との合流は知られているが、僕らが凶王と手を組んだことはまだ相手方も把握していないはず」
だとすれば、と。言葉を継いで、俺たちに目を向ける。
「学園にレジェンドまで出張っている見込みは低いのでは? 敵の狙いが僕たちなら、わざわざレジェンドまで割くとは思えない」
「ま、もし万が一ぶつかっちまったとしても、今の俺らなら頑張りゃ逃げるくらいはできるだろうし。そこまで深刻に悩まなくとも――」
「――ゴリラに相応しい能天気な意見ですね」
思わぬ援軍を受けて調子を上げたリゲルに、冷厳な郭の発言が切り込む。
「師匠がああするしかなかった敵相手に、僕らが逃げられる? どういう見立てをしたらそうなるんですか。はっきり言いますが現時点、しかもこのメンバーでは逃げに徹しても精々半壊が良いところです。奇跡が起こっても無損害と言うわけにはいかない」
「ぬぐッ……」
「ですが――」
そこで一瞬ジェインを見遣り。
「あの場にレジェンドがいないとの見方には僕も賛成です。これまでの傾向を見る限り、『アポカリプスの眼』とレジェンドは行動を共にしたことが一度もない。脅威になり得る勢力を効率よく潰す為に、別行動をしているんでしょう恐らくは」
「……それで?」
俺たちを擁護するような意見を述べた郭を、敵と見做したかのような厳しい目付きで立慧さんが促す。
「敵が『アポカリプスの眼』だけだから。あたしらにも行けって言うの?」
「僕がしているのは選択の可能性についての話です。以前の手応えを考えるに、『アポカリプスの眼』だけならこのメンバーでもどうにかできる可能性はある。確かめておかなくてはならないこともあります。それに」
向けた眼差しの色は。これまで目にしたことのないような、不思議な色合いに満ちていた。
「――覚悟の要らない責務などあり得ない。これが僕らの本来の仕事では? 范支部長、上守支部長」
「……あんたまでそう言うのね」
暫しの間、睨み合いのような時間が続き。
「――あーもう! 分かったわよ!」
観念したように。唐突に、立慧さんが溜めていた息を吐いた。
「行ってやるわよ。あんたたちだって戦えるようになったんだし、その代り、死んでも恨まないでよね」
「立慧。それは――」
「仕方ないでしょ。ここで私たちが反対してみたって、こいつらは行くつもりよ」
立慧さんが鋭く俺たちを一瞥する。
「だったら少しでも成功率を上げた方がまだマシじゃない。……それに確かにこれは協会の仕事よ。悪いことばかりじゃないわ」
「……」
既に事態を受け入れているような立慧さんに、先輩は暫し無言で。
「……そうだな」
小さく、力を秘めた口調で呟いた。
「確かに、郭の言うことにも一理ある」
「――なら用意を整えましょう。決まれば出発は早い方が良い」
「――はい」
「そうだな。うっし、気合い入れるぜ」
その一声を合図に各々用意を始める俺たち。部屋に置いた『終月』を取りに行く俺の耳に。
「ホント変わったわよねあんた。それもこいつらの影響?」
「さあどうでしょう。ご想像にお任せしますよ、范支部長」
立慧さんと郭の会話が届く。それらの声にはまだ、食って掛かるような険と持って回る言い方が含まれてはいたが。
「……やっぱりあんた嫌な奴だわ。郭賢者見習い」
「好かれているばかりで四賢者は務まらないと、師匠に良く聞かされましたから」
先ほどまでの張り詰めた空気は、もうなくなっていた。




