第十節 不穏 前編
「……【大結界】は修復されている」
先日帰還したヴェイグ。洞窟内にいる彼を捉まえて、冥希は話を持ち出す。
「三千風零の欠けた今、本山に侵入は出来ない。別の方法で焙り出す必要がある」
「……そのようだね」
気乗りはしていない。だが頷かざるを得ないでいるヴェイグ。彼の反応を捉え、もう一息だと分析の語りを重ねる。
「これ以外の方法を取るとなれば、『永久の魔』か――」
「永久の魔も僕も、現状では動けない」
佇む永久の魔に視線を向けた冥希にヴェイグは首を横に振って答える。その回答は冥希としても予想通り。だからこそのこの策だった。
「確実に釣れるのかい?」
「――ああ」
その点に嘘偽りはない。幾度確かめようとも、違わぬ確信を持って冥希は頷く。
「分かった。この方法で任せよう。但し、くれぐれも」
「ああ、分かっている」
ヴェイグの言わんとするところを察して冥希は首肯する。計画の内容を伝えるため、ホテルへと続く法陣へ足を乗せた。
――翌日。
「業務の引き継ぎは完了しました」
集まった俺たちの前で、葵さんが宣言する。
「【大結界】の修復も完了した。これで一応、本山の防衛機能は元に戻った形になる」
「であれば頃合いでしょう」
先輩の言葉を受けた賢王の声に頷く一同。……元々の予定通り、エリティスさんの屋敷へ。
「回数を分けるのも面倒なので、一時に移動しましょうか。近くまではゲートで降りれば良いでしょう」
「一遍にって……大丈夫なの? もしあいつらに見付かれば」
「心配は要りません。今回はエリティスがいますからね」
「はい。私めにお任せください」
優雅に微笑んだ。賢王とエリティスさんの、その言葉通り――。
「……ふう」
――本山を出て、難なく『ギムレット』にまで到着した俺たち。……中に入って一息を入れる。エリティスさんのお蔭で存在感が薄れているとはいえ、やはりこの大所帯で外を歩くのにはどうしても緊張する。物理的に視界を遮る場所にいることに安心を覚えつつ。
「……こんなとこに住んでたのね」
「どう見ても普通の洋服屋だな……驚いた」
目の当たりにするのは初めての来訪となる先輩たちの反応。二人とも、こんなところに名の知れた『逸れ者』が居を構えていたことに驚きを感じているようだ。店の中をきょろきょろと見回している……。
「賢王嬢の頼みを入れた時から店員たちには暇を出しておきましたので、中は自由に使っていただいて構いません。この人数だと多少窮屈にはなってしまうでしょうが」
「――誠に助かります。事態が解決した暁には、損害の方は協会が責任を持って補填しますので」
「いえいえ。元々趣味でやっている程度の店ですから。そこまで畏まらなくても大丈夫ですよ、櫻御門嬢」
「ですが……」
「良いではありませんか」
やり取りをしている葵さんに賢王が言う。
「金銭的な謝礼など受け取らずとも、エリティスは充分満足していますよ。ほら」
「住まいが女性で華やぐと言うのは良いものですね。手を出せない……と言うのが少し残念ではありますが」
「……補填はしっかりさせていただくので」
「へえ。結構いい物が揃ってんのね」
なぜかそれを見て補填の意を新たにしたらしい葵さんの横で、立慧さんが掛けられたままの洋服を手に取った。挟んだ指を軽く滑らせるようにして。
「そうなんですか?」
「そうよ。この服とかデザインも良いし、生地だって――」
「お褒めに預かり光栄です。立慧嬢」
「――え」
笑顔と共に言われたその言葉に、思わず口から零れ出した声。……まさか。
「……服のデザインとかって、エリティスさんがやってるんですか?」
「はい。この店で売っている洋服は一応、全て私めが手掛けた物になります」
「……マジかよ」
思わず店内を見直すリゲル。――料理、家事、魔術、それに加えてデザインまでできるとは……。
「はあ~、素直に驚きだわ。変態だけど」
「これで変態じゃなければな」
充分すぎる多才だ。先輩たちの反応がエリティスさんの印象がこれまでより変えられたことを示しているように思える。……かく言う俺もだったが。小さな驚きを迎えて場の空気が一旦落ち着き――。
「――んで、これからどうすんだよ?」
リゲルから、本題が飛ばされた。
「敵の居場所も分からない。動向も掴めないのでは、できることは実に限られていそうだが」
「――予定は既に立ててあります」
続くジェインに葵さんが答え、俺たち全体にその理知的な眼を向ける。唇を割り開き。
「賢王らと今朝方早くに話し合いました。現状私たちがなすべきはやはり戦力の増強です。王二人とエリティスが加わったとはいえ、こちらは敵方に比べてあらゆる点でまだ劣る。そこで今回は、ある組織に助力を願い出に行こうという話になりました」
――組織?
「主立った機関や組織は、レジェンドや『アポカリプスの眼』に潰されているんじゃないんですか?」
疑問をそのままの形で口に出す。俺たちの知る三大組織は言うまでもなく、葵さんが打診したという国家機関や逸れ者、賢王と冥王が助力を求めた凶王派も――。
「一件だけあるのですよ。敵方の毒牙に掛からず、勢力を維持しているかもしれない組織が一か所だけ、ね」
「――『落陽』ですか?」
立場に拘わらず、ある程度の戦力を持っているだろう組織は敵方の手によって無差別に潰されているはずで。勿体ぶった言い方をした賢王の台詞。その残響を、即座の郭の一声が塗り替える。
「おや、気付いていましたか」
「当然です。名のある組織の中で望みがあるのは、唯一あそこくらいのものでしょう」
「『落陽』――」
「あー、何だったけ? 聞き覚えはあるんだけどよ」
〝――少数の精鋭から構成される、暗殺者集団〟
うーんと唸る田中さんの前でヒラリと舞った冥王の紙片が。俺たちの眼を引き止める。……暗殺者?
〝元々は日本の暗部として天皇の直属にあったけど、ちょっと前にその立場を捨てて独立した。今は世界中どこの誰からでも依頼を受けるフリーランス〟
「おお、丁寧にありがとよ」
〝えへん〟
「えっと、でも、それなら冥王さんが声を掛ければ――」
「凶王たる『冥王』の旗下に入っているのはあくまで三大組織への反抗を唱える反秩序者であり、仲間内での保護を求める技能者のみ」
フィアに対して織り成されるのは流れるような賢王の解説。
「対する落陽は依頼とカネで動く仕事人であり、凶王派と組織との諍いには中立を宣言している『逸れ者』です。大勢を巡る小競り合いなど、彼らにとってはどうでもいいことなのでしょうね」
〝実はまだ会ったこと、ナッシング〟
「……暗殺を請け負う集団が、組織に野放しにされているのか」
「そこがポイントなんでしょ」
ジェインの呟きに立慧さんが応える。
「落陽ってのは特定の拠点を持たない組織みたいで、仕事の度に毎回滞在場所が変わる。大体どの地域にいるのかくらいまでは分かるけど、組織の情報網でもそこまでが限界。一番躍起になってる機関だってまだ捕まえられてなくて、執行者が何人か返り討ちにあってるって話だしね。潜伏技術は相当なもんでしょ」
「……なるほど」
暗殺者というのはあれだが、そういった組織なら確かに、『アポカリプスの眼』らの手を逃れている可能性は高そうだ。しかし……。
「……誰が行くんですか?」
訊く。……まさかここに居る全員で話に行くというわけじゃないだろう。
「私、田中支部長、賢王、冥王、そしてエリティス殿の五名という風に考えています」
「――」
隠密の為にエリティスさんを入れるのは頷けるとしても、分かり易く実力者を上から並べ挙げたようなメンバー。ということは、やはり。
「交渉に出向くと言っても、やはり少々は危険ですので。決裂した場合でも傷を負わずに済ませられるような布陣は整えておきたいと考えるのが人情というものでしょう」
「まあ流石の『落陽』っつっても、それだけの面子が揃ってれば仕掛けてくるような真似はしないだろうしな……」
しみじみと言った風に先輩が頷く。……念には念を入れて、ということなのだろう。戦力を増やすために交渉に赴いて、万一メンバーが減りましたでは話にならない。ただでさえ厳しい状況下。どう動くにしてもリスクを抑えるのは必然か。
「――なのでその間、貴方たちにはこの場所を一歩も出ないことを要請します」
明確に告げて来るのは、葵さん。
「『永久の魔』、そしてヴェイグ・カーンがいる以上、現状確実に安全と言えるのはエリティス氏の魔術が掛かっているこの場所だけです。何か用ができたとしても協会に戻ったり、外に出たりすることは避けて下さい」
「敵方と邂逅しているいないに拘わらず、貴方たちの潜伏先として協会は真っ先に疑われる場所ですからね。相手方もそろそろ単純な捜索は諦めている頃でしょうが、この地域についても私たちがこの辺りに逃げ込んだということくらいは把握しているはず。――油断は禁物ですよ」
「どのくらいかかるんだ?」
先輩が訊く。俺たちとしても気になるポイント。
「そこまでは掛からないかと。遅くても夜までには戻ります」
葵さんが影に顔を向ける。反応して蠢いた冥王。
「蛇の道は蛇……冥王が彼らの居所を知っているようですので」
〝案内は任せて〟
〝――では。留守を頼みます〟
葵さんたちが出発したあと。
「……」
俺たちには再び暇な時間が訪れていた。自主訓練……と言うのも考えたのだが、賢王や葵さんが戻ってから指導が始まるのであればそれまでで消耗しているのは都合が悪い。
「エリティスがいないとおおっぴらに動けないってのは、やっぱり不便よね」
それでも助かってるんだけど、と。店のカタログらしきものを捲りながら立慧さんが言う。実物を見てデザインが大分気に入ったらしく、時々あ、これ良いかもなどと呟いていた。
「仮に『落陽』の協力が取り付けられたとすれば、そうした問題も少しはマシになるんだろうがな……」
「……そうなのか?」
「落陽が上手く『アポカリプスの眼』らの手を逃れてきたのだとすれば、それは相手の眼を掻い潜る何かしらの方法を得ていると言うことです。手を組むことはそうしたノウハウをこちらが取得することにも繋がりますし、少なくとも行動の自由度は増すと思いますよ」
「今のは僕が解説するところだったんだが?」
郭の説明に頷く。……確かにそうだ。エリティスさん個人に頼りきりになっている今よりも、もう一段ほど移動が楽になるのかもしれない。そう考えると益々、交渉が成功すると思いたくなってくるな……。
「――ただいま」
「あ、先輩」
「どうでしたか?」
「確かに凄いな。服屋の下にあんな空間があるとは」
息を吐く。今の時間、先輩は例の地下の空間を見に行っていた。
「部屋数は足りないらしいが、何人かはあっちで寝れば大丈夫だろう。問題は……」
「エリティスの覗きをどう防ぐかね」
ガクリと来る。一瞬冗談かとも思うが、先輩たちの表情は真剣だ。……まあ、無理もない。
――今から二十分ほど前。出発前に服を換えると言った賢王の着替えを覗こうと挑み、当然の如く見つかったエリティスさんは全身をがんじがらめにして天井からぶら下げられていた。手足全てが出鱈目な方角に折り曲げられているのが、蜘蛛の巣に掛かった獲物のようで不気味だったが……。
「それなら、賢王さんや冥王さんが……」
「だってあいつら凶王よ凶王。私らのガードだけわざと外すとかしそうじゃない?」
「ああ……やりそうっすね」
女性陣からすれば笑いごとでもない。頷いているリゲル。……確かにやりそうではある。
「――それについてはあとで傾向と対策とを伝えますよ。これまでの攻防で一応、パターンのようなものは分かってきましたから」
「マジかよ」
溜め息を吐きながら言う郭。いつの間にそんなノウハウが。驚きと共に感心する俺の前で。
「まあ、あの執念は凄まじいな。――こんなのもあった」
地下のついでに色々と見て回って来たのか。先輩が机の上に置いたのは、二冊の本。
「なんですかこれ?」
「写真集だ。下の本棚にあった。署名がしてあるから、多分自作なんだろ」
指し示された裏には黒インクで書かれたサイン。……達筆すぎて言われなければ分からないが、確かに〝エリティス〟の文字のようだ。表紙は無地で、タイトルは『真夏の太陽 ~麗しき女性たちとの出会い編~』となっている。あのエリティスさんの作った写真集……。
「へえ、見てみましょうよ。あんたたちだって興味あるでしょ?」
「……いや、俺は……」
「おい郭。なんでこっち見んだよ?」
「……いえ」
食い入るようなフィアの視線にそう答えるしかない。リゲルから視線を逸らした郭が、溜め息と共に二人を見て。
「協力者のプライバシーを探るのはどうかと思いますがね。相手が『逸れ者』とはいえ」
「硬いこと言わない。得体の知れない『逸れ者』だし、手掛かりは見ておきたいじゃない?」
当の立慧さんにとってはそれほど意味を込めた台詞ではなかったようで、全員に見えるようにして本を捲っていく。表題の通り、中はエリティスさんが撮ったと思しき女性の写真で埋まっているが……。
「……」
「……凄く綺麗に撮ってあるな」
見ていく内に俺が抱いたのと、同じ感想を先輩が零す。
「そうですね……」
「被写体の映りもいい。技法を使った撮り方だな」
「そうね。もっと際どいアングルとか、盗撮みたいな写真もあるもんだと思ってたけど」
続けてページを捲る。……そのような写真はやはり見当たらない。正面、横顔、満面の笑顔、微笑み、真顔、泣き笑いのような表情、後ろ姿、拳を振り上げているその瞬間。一人のモデルに付き一枚ずつ。各人の最も映えるその瞬間を光で切り取ったかのような、そんな写真ばかりが並ぶアルバム。そうこうするうちに。
「こっちはどうなんだろうな」
背表紙が閉じ。立慧さんより早く先輩が開いた二冊目の本。
「……あれ」
その中身に目が引き付けられる。……白紙だ。開かれた見開きには写真も何も挟まれていず、文字一つ印刷されてはいない。完全な白。
「……何も書いてないのか」
「本の形しといて、実はノートなんじゃねえのか?」
「それかインテリアなんじゃない? よくあるじゃない。雰囲気を出す為の小道具みたいな奴」
「ああ……あれか」
相槌を打ちつつパラパラと捲って見る先輩だが、どのページも変わらなかったようで直ぐに本を閉じる。……よく見てみれば此方の方はタイトルもなく、後ろにサインもされてない。二人の言う通りか、まだ写真などを貼る以前の物だったのかもしれなかった。
「まあなんにせよ、エリティスの意外な一面が見れましたね」
「そうだな。ただの変態じゃなかったってことだ」
「あれだけ良い洋服を作れるんだから、その辺りの情熱は本物なのかもね」
戻してくる、と言って席を立った先輩も、五分と経たないうちに戻ってくる。……これでまた手持無沙汰だ。沈黙が暫し続き――。
「そういえば……」
何か話そうと考えている中で、ふと思い付いたこと。
「昨日、ミーナさんって支部長に会いましたけど、先輩たちは知り合いなんですか?」
「――」
……?
話題を出したあとで一瞬違和感を覚える。今なにか、先輩たちの空気が変わったような気が……。




