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第九.五節 支部長の内心

 

「――おい」


 賢王によるいきなりの修行が始まった闘技室で、リゲルと黄泉示が蹂躙されている最中。


「おい、待てって立慧」


 歩いて行くその背に田中は声を掛ける。……振り回されている二人を置いて足早に部屋を出た素振り。いつもとどことなく違和感を覚えさせるそれが、気になっていた。


「どうしたんだよ? んな慌てて」


 ホール前まで来て立ち止まった。それでもまだ、振り返りはしない。


「……見せられないでしょ、こんな姿」


 背中越しに返された声が、硬い。よくよく目を凝らせば、その肩は僅かに震えているようにも見える。


「なんだよ。そうしてっと、まるで怖がってるみたいだぜ?」

「……そうよ。怖いのよ、私は」


 其処に来て漸く、髪を靡かせて振り向く。田中を見る瞳は、痛切になにかを訴えかけているようだった。


「あんたも見たでしょ? あの子たちの成長ぶり」

「……まあな」


 一見して立慧たちの側が圧勝したように思われる先の模擬戦だが、傍目で見ていた田中にもそのことは分かっていた。……あれは、決して表面上に見えるような圧倒的な力の差のある戦いではなかった。


 立慧にせよ千景にせよ、いずれも当初見込んでいた以上の力を使わされていたからだ。少なくとも立慧は本来ならより早い段階で決めるつもりだったことは、今の口振りからいっても分かる。予定していた決着。それを躱され引き伸ばされた挙句、最後に蔭水黄泉示に向けて繰り出したのは彼我の経験の差を踏まえれば大人げないとも言えるほど本気の込められた一撃。


 特別補佐である葵でさえ、リゲル・G・ガウスを相手に他へ魔術を撃ち放つ余裕を失い、彼一人に集中せざるを得なくなった。当然全力でなかったとはいえ、あの一戦で立慧たちが黄泉示たちに明確に勝っていたのはなんのことはない。覆しようのない戦闘経験の差と、そこから来る実戦のノウハウだけだったのだ。


「普通に考えて信じられる? あの子たちはまだ、戦い初めて数か月しか経ってないのよ?」


 信じたくないと言う様に口にする立慧の言わんとするところ、田中とてそれは、片隅で思っていたことではある。


 稀有な才能、才能の不足を埋める道具、これ以上望めないほどの師に、切磋琢磨する仲間と強いる状況。……力を伸ばす要素は充分に揃っている。増してや彼らは年若い二十代前後の若者たちだ。今が正に伸びていく時分であり、そのこと自体は何もおかしくなどない。ある意味で当然だとも言えるほど。


 ただそれらを踏まえたとしても、事実として見せられている伸び方は驚異的だった。……実戦経験はまるでなし。ずぶの素人と言って差し支えなかったような学生の状態から、魔術師のエリートである支部長に近い実力を持つまでにこの短期間で至っている。二十三雄の弟子として幼少期から研鑽を積んでいた田中自身でさえ、過去にあれだけの成長を遂げられていたかどうかと問われれば分からない。


「追い上げてくるあの子たちが怖い。いつか抜かされるんじゃないかと思うのが怖い。私の努力なんて取るに足らなかったものみたいにされるのも、それであの子たちを妬んじゃいそうな自分自身も」

「……今の伸びが続いてくわけじゃねえさ」


 故に立慧の今感じている、立慧だからこそ切実に感じているだろう怖れを慮り、名案の思い浮かばなかった田中はひとまず、正論で茶を濁すことにする。


「力ってのは要素が揃ってりゃ途中までは一足飛びに伸びてくが、ある程度のところからはどうしても壁ができてくるもんだ。そいつを撃ち破っていくには時間が掛かる……。お前だって分かるだろ?」

「……あんたになにが分かるのよ」


 零された言の葉は、暗鬱。


「一緒にしないでよ。あんたみたいに才能があって、努力してきて、現に力まで持ってる奴に」

「……お前だって大した才能なんじゃねえのか? 十万人に一人。支部長って地位まで来てんだから――」

「――支部長だから何だって言うのよ‼」


 耐えられなくなったかのように。堰を切ったように放たれたその叫びが、聞き流すつもりでいた田中の両鼓膜を震わせた。


「支部長なんかじゃ駄目なのよ‼ 支部長じゃ、凶王にも、あいつらにも、あんたにだって敵わない‼」


 そこで悔しげに唇を噛み。


「……あんただって見てたでしょ? 私はあいつに、相手にすらされてなかった」


 吐露するように言った、その台詞が何を指しているのかは田中も分かる。――《十冠を負う獣》。三千風零と共に本山を襲撃した『アポカリプスの眼』のメンバーが相対した中で警戒を見せたのは、唯一田中に対してだけだった。……同じ戦場にいた立慧と千景に対しては終始、彼女は平常と変わらぬ程度の意識しか向けていない。


「私は一刻も早く力を付けなきゃいけないの。支部長なんて早く超えて、あいつらとは違うんだってことを証明しなくちゃならない」


 でないと、と。本当はそれを恐れるかのように、声を震えさせながら。


「そうでなくちゃ。今までやってきたことも、千景との約束も、なにもかも全部無駄になる。全部、全部……」

「……」


 息を切らし、言葉を途切れさせた立慧と、沈黙したままの田中。微かな息使いだけが廊下に響き渡っている。


「……正直な話」


 ――仕方ねえか。


 置かれた状況にそう内心で一つ零して。田中は、自分の告げるべき言葉を口にした。


「羨ましいと思うぜ。そんだけ、必死になれるもんがあるのはよ」

「ッ――!」

「――失っちまえば、空っぽだからな」


 瞬時、憎々しげに田中を見た双眸。声を上げ掛けた立慧の反応を遮ったのは、一切の熱を失ったようなその声音。


「お前さんを見てると思い出しちまうよ。昔二十三雄を目指して必死に修行をしてた、どこかの誰かさんをな」

「――」

「……そいつには結局のところ、何一つ残らなかった」


 演技などではない。思い出したくもないかつてを無理矢理記憶から掘り起こしながら、田中は心底自嘲気に笑う。


「目指すべき上も。活躍する場も。切磋琢磨する友も。……全部一変に無くしちまったんだ」


 見えない空を仰ぐように上を向いて。……息を吐き切ったそこで、地上の立慧へ視線を戻した。


「どれだけ鬱屈した情だろうと、それがあるってことは、お前さんがなにかを失わないでいるからじゃねえのか? ――なくしてねえから悩むし、もやもやした得体の知れねえ情念に襲われることもある。元からそんなもんだろ。人間なんてのはよ。加えて言やあ――」


 そこで重苦しくなった口調を変え。


「それを自覚した上で悩んでるってのは立派なことだと思うぜ? 少なくとも、この俺よりはな」

「……そういうことを言ってるんじゃないわよ」


 応える立慧の声に、先ほどまでの激はない。暫し互いに口を噤み。


「……」

「……あんたは」


 沈黙を破ったのは、立慧からの声。平時に近い色へと戻された瞳が田中を向き。


「連盟が崩壊したって聞いたとき、どんな気持ちだったの?」

「……」


 無言。無言のまま、田中は問うてくる視線から顔を逸らす。だがその表情が完全に隠される直前、立慧は一瞬、確かに目にしたことだろう。


 ――深い深い、滾るような赤を湛えた眼を。


「……聞きたいかよ? そんなこと」

「……」


 色を取りなし――笑みを見せる田中に、立慧は何も言わない。……言えないでいるまま。


「やめとこうや。今更そんな話しても、なんにもなりゃしねえ」


 すっかり元に戻った田中が、意味ありげな笑みを浮かべて立慧をその瞳に映す。


「まあ? 後輩に追い抜かされそうで焦ってる先輩にはだな。俺の修行の秘訣を是非とも聞いときたいとこなんだろうが――」

「っ、あ~! いいわよもう!」


 そのかき回すような台詞回しに憤慨したような、立慧が改めて前を向く。振り払うように。


「――あの子たちがどれだけ強くなろうと関係ない。私は私で、強くなる為の努力をするだけだから」


 そう言って。ふと、田中を見る目線を伏せた。


「……悪かったわね」


 先ほどの態度を思い返しているのか、ややばつの悪そうな口調。


「怒鳴ったりして。……軽率だったわ」

「おお? 珍しいこともあるもんだ」


 しおらしい態度を迎え――田中はニヤリと笑う。


「いつもそんな風に素直にしてりゃあ、ちっとは可愛げがあるのによ」

「あんたこそいつも真剣にしてれば、もっと周りの見る目も変わるのに」

「いいんだよ俺は。このくらいの方が性に合ってんのさ」


 言葉を交わしつつ。二人の支部長は、並んで廊下を歩いて行った。



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