第七節 実務派たちの行動 後編
「――田中殿」
協会の外庭にて。薙ぎから突きへ転化する最中、掛けられた声に田中は杖を繰る手を止める。数少ない記憶にある声の主。
「おお、ハディムさん。こりゃどうも」
「お元気そうですな。何よりなにより」
正体を認めて会釈する。丸っこい顔に微笑みを浮かべて歩いて来るのは、ハディム。第一支部支部長を務めるその人物を田中はよく知っていた。ハディムの方もまた、田中の事を古くから知っている。……田中が協会員となったあの日から。
「櫻御門特別補佐から事の次第をお聞きしました。複雑なところですな。貴方の力量が、こうして正当に評価される日が来たというのに」
「……いえ、俺はそんな……」
言葉を濁しつつ謙遜する田中。ハディムという人物の前で実力をひけらかすような真似は、例えその評価が適切であったとしてもする気にはなれなかった。目の前の魔術師がどのような来歴を歩んできたのかを知っていれば、到底そんな真似をすることはできないだろう。例え田中が、四賢者であったとしても。
「今でもまだ、魔術は使わないのですかな?」
「……ええ」
唐突な問い掛け。久しくしてぶつけられたその問いに、杖を握り締めて田中は答える。これまで幾度となく繰り返されてきた遣り取りから、田中が道を逸れることはない。
「そうですか。――いや失敬。今の田中殿が簡単な強化魔術でも扱えるようになれば、どれだけ伸び代があることかと考えてしまいまして」
年甲斐もなく野暮でしたな、と、ハディムは笑って謝罪してくる。その態度が、田中にはどこまでも罪悪感を以て映り。
「――今まで、済いやせんでした」
遅すぎることを知りながら。流すことができずに、そう、頭を下げた。
「色々と迷惑を掛けてきました。気に掛けてもらっておきながら、俺は意固地になって反発するだけだった」
田中が支部長としての業務を頻繁にサボタージュする件について、黎明期にハディムから提言があったことを田中は知っている。今でこそ昼行燈としての立場が定着しているとはいえ、他の支部長からの突き上げを食らわずに田中が今の立場にいられるのはリアと、この人物のお蔭であることには間違いがない。謝意を込めての行為に。
「何をおっしゃる。――田中殿は堅い信念を以て己を貫いて来られた。それを曲げようとした私は、ただのお節介者です。しかし……」
ハディムはどこまでも穏やかだ。途中で言葉を切ると、そこで相対する田中をしげしげと眺め。
「変わられましたな、田中殿」
「へ?」
「良い顔をしておられる。今まで私が知る中で、一番良い顔つきです」
「……」
「――ご武運を」
どう返したものか。迷った田中の目に映るのは、真剣なハディムの瞳。
「此度の貴方方の敵は強大。良き勝利が得られるよう、微力ながら祈っておりますぞ」
それだけを言い残して去っていく。こちらに感謝も何も言わせない。建物に向けて遠ざかっていくその背中に向けて――。
「……良い顔っつわれても、困るよなあ……」
ハディムの笑顔を思い出しながら田中は頭を掻く。あれより良い表情を、自分が浮かべられるはずがないではないか。
「……ふぅ」
その部屋を出て、唇からまず零れ出てくるのは息。否定しようのない事実に郭は自らの信条を追認する。……レイガスの部屋。
部屋の主がいなくなったというのに、記憶に新しいその部屋は何一つとして以前と変わらないままだった。残された品々を整理しに来たのだが、レイガスの持ち物は郭からしてもそう単純に扱い切れない物も多く、この短時間では終わらせられないと踏んで退出してきた。……本格的な整理は事が片付いてからになるだろうと、そんなことを思う。今はまず――。
「――誰ですか?」
思考の最中。部屋を出た時から着いて来ていた気配に郭は声を飛ばす。……感知できる魔力の胎動はごく僅か。率直に言ってかなり上手い。このレベルの魔力隠匿ができる人間は。
「――流石だな」
元からそれ以上隠すつもりはなかったのか。間を置くことなく通路の端から現われた姿に、一瞬誰かと考えて時間を掛ける。それも然程長くはなかった。髪型は前から少し変わっているものの、纏っている雰囲気は変わらない。
「俺だよ俺、寛人だ」
「――寛人さん」
ややおどけた表情で。降伏するように挙げた両掌を見せているのは、園城博人。第二支部を統括する支部長であり、郭にとって幼少期から面識ある数少ない協会員の一人。レイガスがその力を認めていた、数少ない魔術師の一人でもあった。
「お久し振りです。仕事の方は順調ですか?」
「ああ。そっちも元気そうで良かった」
郭の声掛けに笑みを見せた寛人は、そこで表情を暗くし。
「……レイガス様が、亡くなったって聞いてたからな」
「……ええ」
胸中に沸き上がってくる思いを内で止める。……未だ割り切れたわけではないとはいえ、此処で表に出すものでもないということ、郭は遺漏なく弁えていた。いずれ上に立つことを志すならば、安易に弱みを見せることは想定外の隙に繋がる。例え仲間内であっても。
「……強いな。相変わらず」
言葉なく押し黙った、郭のその態度をどう解釈したのか。
「安心したよ。ひょっとしたら、覇気がなくなってるかもしれないって思ったからな。昔レイガス様にべったりだったこと、覚えてるか?」
「……本能的に頼りになる人物を見分けていただけですよ」
「違いない」
寛人は笑って場の空気を和らげる。……こうした対応ができる点は自分より上だと郭は思う。例え年の功だとしても、その陰に彼が秘めているものを知っていたとしても。
「――凶王の件についてだが」
予想通り。告げられたその内容に、郭は敢えてにべもない面構えを作り上げて見せる。
「葵さんとはもう話したんでしょう? なら、僕からそれ以上言うことはありませんよ」
「……」
予め用意しておいた台詞。受けた寛人の眼が、その真意を探るように蠢いて。
「……そうか」
小さく吐かれた溜め息を合図となし。郭がでは、と告げて、踵を返した――。
「――残念だよ」
その歩みを、打って変わった冷たい声色の言葉が止める。肩に手を掛けるように。
「お前がレイガス様の意志を継ぐものだと思っていたからな。見ない間に少し腑抜けたんじゃないか? 郭」
「……師匠がいなくなった途端にお前呼びですか」
振り返り。投げ掛けられる失望したかのような視線に、挑むような眼差しをぶつけた。
「そういう露骨な対応は止めて欲しかったですね。寛人さん」
「勘違いするな。俺はレイガス様のことは尊敬している。だが、お前はまだこれからだ」
肩を竦める。剽軽なその態度のあとでも、郭へと向けられた視線のある種の冷たさは変わっていない。物の価値を確かめるような。
「向こうの弟子のように道を選び間違える可能性もある。そうならないよう、支部長の立場からアドバイスしているだけさ」
「……腑抜けてなどいませんよ。僕は――」
「――おや」
二人の背後から響く一つの声。足音なしに現れたその気配。
「また見慣れない顔ですね。お友達ですか?」
「――」
振り向いたのは同時。居並んでいる二つの影の正体を認めた寛人の行動は。
――速かった。
「――ッッ‼‼」
瞬時に。郭が止める間もなく打ち放たれた四連の煌めき。狙われた対象の身を切るかと思われたそれは――。
「――これはこれは」
動くまでもなく影たちの目前、その手前の床に落とされて消える。その残滓を踏み越えて前に出た二人。
「随分と短慮ですね。貴方のお友達は」
「……」
射殺すような視線を寛人が向けた先――立っているのは賢王と冥王。三大組織の大敵である二人の王。
「尤も無知では致し方ありません。協会の今がどういった状況か、教えて差しあげた方がよろしいのではないでしょうか?」
「……ふん」
あからさまな挑発に乗ることなく、しかし一つ舌打ちをして去っていく寛人。通路へと消えるその後ろ姿が見えなくなったところで――。
〝行っちゃった〟
「流石にそこまで阿呆ではありませんか。からかえるかと思いましたが残念ですね」
「……賢王」
「――おや」
郭の指摘によって。僅かに焦げの入った衣服の裾を眺め、賢王は至極冷静に微笑む。
「腕前の方は中々。てっきり己の情念も御せない小粒かと思いましたが、支部長であるだけのことはあるようで何よりです」
「……」
仮にも敵陣の最中に於いてこの余裕ぶり。寛人に言われずとも、郭とて一抹の懸念はある。
派が壊滅し、事実上王ではなくなったのだとしても、この二人は凶王だ。本来ならば例え協力関係であったとしても本山内を闊歩させることなどあり得ないし、あってはならない。レイガスが生きていれば断固としてそう主張したことだろう。
だが葵も郭もそれを口に出さなかったのは、現実上止める術がないからに他ならない。今の協会と自分たちとではこの王二人を止めようがない。だからこそ敢えて無用の禁を課さず、当人たちの為すがままに任せている。不興を買わない分此方の方が幾分かマシであり、それで大人しくしているのなら寧ろ儲けものとも言えた。……秘匿情報を蔵す本山の機関部には、歴代の四賢者たちによって複雑怪奇なロックが掛けられている。
例え冥王賢王と雖も、正攻法以外でそれを突破することは不可能。状況を鑑みれば自分たちに徒に危害を加えることは流石に悪手と、そう判断していることもあった。……本来なら釣り合いようのないパワーバランス。その均衡をどうにか保っているのは……。
「……ふぅ」
自分たちの置かれた状態の微妙さに短く息を吐きつつ。今頃彼らはどうしているのかと。
郭は、身軽であるはずの四人の動向に思いを馳せた。




