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第六節 実務派たちの行動 前編

 

〝出立は明日の昼になります〟


 嵐のような一悶着がどうにか過ぎ。


〝貴方たちが寝ている間に大凡の話し合いは済みました。補佐官たちの方が、用意に時間が掛かるようですのでね〟


 思い返すのは賢王が俺たちに言った言葉。本山の様々な業務が自分たち無しでも円滑に進められるよう、先輩や葵さんたちは色々とやるべきことがあるらしい。


〝私も本山内を見て回りたいことですので。出立までは自由時間とすることにしましょう〟


「急に自由って言われてもな……」


 俺たちは協会内を歩いている。夕飯までの五、六時間が完全に空いてしまった感じだ。


「用意たってすることねえしな。いきなり暇だぜ」


 リゲルの言う通り。元々この本山に宛がわれた自室は仮住まいだ。私物も特別なく、その為出立の準備もやることがない。精々が服くらい。それもサロンから一旦部屋に戻ったことで詰め終わってしまった。


「僕はまた書庫にでも行っていようと思うが」

「書庫ですか……」


 ジェインの言葉にフィアが相槌を打つ。……先ほどまでは本当に収拾がつかなかったが、どうにか元に戻ってくれた。俺としても本を読むのは嫌いではない。偶には読書に精を出すのも悪くはないかと、そんなことを思っていた――。


「――ああら?」


 中途。鼓膜に響いたのは、聞き慣れない高く野太い声。


「見慣れないお顔ね。ちょっと待ちなさい」

「――っ」


 呼び止められて足を止め――ゴツイ。


 現われたその姿に絶句する。以前見た『オールド・パル』の店長と同じか、それ以上。肩から下げられた丸太のように太い両腕には隆々と言うに相応しい筋肉が付いている。……なんだ? この人は……。


「――」

「……ええと、何方ですか?」

「ああら! まさか知らないの? 少しは有名だと思うんだけど」


 反射的にか。拳を構えたリゲルと一歩退いたジェインの横で、少し怯えるようにしながらも訊いた――フィアに答える口調のギャップにクラリと来そうになる。まあいいわと呟いて飛ばされたバチリとした勢いのウィンクが、開いていた眼に直撃して星形に弾けた。


「アタシは第三支部支部長、ミーナ・カダム。葵ちゃんと話があって来てたのよ」


 支部長。その単語に耳を留める。この人も先輩たちと同じように、どこかの支部を任された――。


「ところで貴方たち、協会員かしら? この時間にのんびりと歩いてるなんて、所属は――」


 実力ある魔術師。見た眼からではとても魔術師とは見えないミーナさんは、そこで話を戻して俺たちを今一度一瞥し、何かに気付いたように表情を変え。


「いや、待って。……そうか。貴方たちが例の四人ね」


 納得したように一人頷いた。


「リア様から聞いたわぁ。何だか色々と大変なことに巻き込まれてるダイヤの原石がいるって。まさかこんなに若いとは思わなかったけど」

「……随分と大袈裟だな」

「そんなことないのよ。永仙や凶王に狙われて生き残ってきたなんて、偶然だとしても凄いことだもの」


 ミーナさんは、そこで腕の筋肉を見つめる俺たちの視線に気付いたのか。


「うふふ。凄いでしょ、この筋肉」


 体勢を変えて肉体の映えるポーズを取る。……込められた力に一際膨らんだ力こぶ。凄い。確かに凄いが。


「お……カダムさんは、本当に魔術師なのかよ?」

「まあ失礼ね。仮にも第三支部の支部長であるアタシを捕まえておいて」

「……支部の数字に意味があるんですか?」


 言い方が気になった俺の疑問に、ミーナさんはそうよ、と答え。


「基本的にだけど、番号の若い支部の方がそれだけ古くて危険な場所にあるの。つまりそれだけアタシが優秀な魔術師として、四賢者様たちに認められた証ってわけ。決してただの美しいビルダーじゃないのよ?」


 そうなのか。自分でビルダーとか言ってしまっているが、そこはいいのだろうか。


「まあ、筋肉の重要性は貴方たちにはまだ分からないかもしれないわね。女の子はともかく、男の子も随分と細身だし」

「……あん?」


 俺たちをじっくりと見て。ミーナさんが口にした台詞に、リゲルが癇に障ったような声を出す。


「最近はスマートなのが流行りだものね。けどそんな細い筋肉じゃ、いざって時に――」

「――言ってくれんじゃねえか」


 続く批評を受け、一歩前へと進み出た。


「筋肉なら俺も一家言あるぜ? 鍛えてるんでな」

「へえ。ボウヤが言うじゃないの」


 袖を捲り力こぶを作って見せた、リゲルのその腕をミーナさんが眇めるように見る。


「なら、勝負してみる?」

「そうこなくっちゃな」


 二人の間に漂い始める闘気。……待てリゲル。幾らリゲルでも、この人と戦うのは――!


「『逆立ちプッシュアップ』で勝負しましょ」

「おうよ!」

「……ん?」


 ――

 ―


「――おおおおおおおおおッ‼」

「むうううううううううううッッ‼」


 ……なんだこれ?


 目に見える光景に思わず自問する。上着を脱ぎ捨て、シャツ一枚で逆立ちした二人がしているのは腕立て伏せ。ペースを落とさず高速で上下する鍛え上げられた彼我の肉体。天井へ向けて揃え上げられた脚は根元から固められているように直立を保ち、それらの運動を支える両腕は床から生えているのではと思えるほど始めの位置から微動だにしない。


「10、11、12――二人とも、今のところ全く互角です!」


 ミーナさんから審判役を頼まれたフィアが声を上げる。思いの外当人もノリノリと言うか……。


「まだまだっ! ペース、上げてくわよぉ⁉」

「来いやぁッ‼」


 互いに叫びを上げたところで宣言通り更にペースが加速する。15、17、20――。徐々に早くなっていくが、どちらも遅れは取らない。全くの互角だ。


「中々やるじゃないのぉっ‼ なら――!」


 これはどう⁉ と。声を張り上げたミーナさんの体幹が、腹から前後に揺れ始める。腕立てのペースを落とさないまま、前、後ろ、前――!


「ぬう! ならこっちは――ッ!」


 対抗心にリゲルの眼が燃え上がった次の瞬間、スーツの両脚が左右に振れ始める。くの字を描くように脇腹が大きく歪み、その度に吐き出される息。


「やるわね――‼」

「フンッ‼ フンヌッ‼」

「……」


 目の前で繰り広げられる意味不明な二つの動き。……どうなってるんだ? あれは。


「す、凄いです。二人とも……! 35、38、40――!」

「……まあ確かに、凄く暑苦しいな」


 人間にあんな動きができるモノなのか? ……同じ人間なのかどうか疑わしいほど異様。二人の熱気に当てられて興奮しているフィアとは対照的に、ジェインは相変わらずの温度だったが。


「フンッ‼ ――ちぃッ! やるじゃねえか!」


 歯を食い縛りながらも口元に笑みを浮かべた――リゲルが横を見ながら言う。額から滝のように流れるその汗が、果たして目に入らないのかどうか不安だ。


「そっちもやるじゃない! 細いのに中々――‼」


 ミーナさんの腕も汗をかいている。隆起した筋肉が汗に濡れている様はまるで、滝に打たれている岩壁のよう。


「どうすんだよ‼ このままじゃつかねえぞ勝負‼」

「ええそうね‼ なら――」


 意味不明な動きをしながら普通に会話をするのは止めて欲しい。そう思っている俺の前で。


「こうしましょう。ここは魔術協会、そしてアタシは支部長」


 ……なんだ?


 ミーナさんの身体が。溢れ出る熱気で、一回り大きく見えたような――。


「貴方も使える事は聞いてるわ。魔術を加えて、残り三十秒で回数の多い方が勝つ‼」


 ――いや、現実に大きくなっているのだ。一回り膨張したミーナさんの筋肉が運動の速度を一気に押し上げる。取っ掛かりなどない石の床を最早半ば掴むようにして、身体を動かし――!


「【熱情の歌】――!」

「っ! なら――」


 負けじと速度を上げようとして無理だと悟ったらしいリゲルが、集中するように一際大きく息を吸った。


「――【重力三倍】ッ‼」

「ぬうっ⁉」


 一気入魂の詠唱に応え、ズシリと。手元から足先まで、ミーナさんの身体全体が沈み込む。三倍の重力増加。全体重を腕で支えなければならない逆立ち状態でこれはかなりキツイはず。これで勝負は――。


「んんんんんんんんんんんッッ‼」

「ぬおおおおおおおおおおッッ‼」

「の、残り三秒ですッ!」


 分からなくなった。白熱する二人の戦いに残り時間を告げるフィアの声。ラストに至るデッドヒートかと、そう思われたとき。


「――ッ⁉」


 突如としてミーナさんの身体から爆発的に上げられる白い煙。……水蒸気? 湯気のようなそれが視界を覆い、二人の姿を包み隠す。決着は――。


「……アタシの勝ちね」


 目を凝らした俺の視界に立ち現われて来たのは、逆立ちの姿勢を保ったままのミーナさん。顔を向けているその先に、俯せの状態に崩れ落ち、荒く息をしているリゲルがいた。


「あ……」

「時間前に崩れ落ちたんだもの。文句はないわよね? ボウヤ」

「……ああ。完敗だぜ」


 力を使い果たしたように動かないリゲルを尻目に、ホッ、と腕の筋肉だけで軽快にミーナさんが立ち上がる。……まだ余力を残していたのか。リゲルも相当に頑張ったが、勝敗は――。


「――中々やるじゃないの」


 手を伸ばす。その動作に、思わず引き付けられる瞳。


「まさか、術を使ったアタシにここまで喰らい付いて来るなんて思いもしなかったわ。良い筋肉してるじゃない」

「……」


 贈られる讃辞を受け、リゲルは差し出されたその分厚い掌を暫し見詰めたあと。


「……へっ!」


 手を借りて立ち上がり。固くガッシリと、握手を交わした。


「……」

「リゲルさんもミーナさんも、凄かったです……!」

「……」


 彼我の肉体上で煌めく汗。感激しているフィア。その横で黙る俺たち二人だけが、胸を打つ情景から取り残されていた。














「ふぅ……」


 協会に保護された青年たちとの別れのあと。二の腕を擦りながらミーナは足を進める。……久々に良いトレーニングができたと、そう思いながら――。


「――あら、お二人さんじゃない」

「……カダムさん」

「……」


 足音に顔を上げた。前から歩いて来ていたのは上守、范支部長。魔術協会の新任でもない支部長同士、勿論互いに面識はある。尤もミーナと二人の場合、それは本山にて定期的に行われる報告会で顔を合わせるという、極めて事務的なものでしかなかった。……今を含めた、数少ない邂逅を除けば。


「懲りずにまぁだ頑張ってるの? 若いっていいわよねえ。お仕事でもない無駄なことに時間を費やせて」

「……」

「……立慧」

「分かってるわ」


 距離を詰めながら話し掛けるミーナ。端的な立慧の返しを受けて、千景がそのゴツイ姿へ双眸を向ける。


「今は色々と忙しい時期だ。お互いの仕事もある。余計な口出しはなしにしよう、ミーナさん」

「ああらそうね。ごめんなさいね二人とも。范ちゃんも上守ちゃんも、相変わらずとってもキュートよぉ」


 賞賛か皮肉か分からない台詞を置き土産に、じゃあね、と言ってミーナは去っていく。ピッチリした衣服に筋骨が隆々と浮き出ている、その背中に――。


「――私は諦めないわ」


 ぶつけられた言葉。声に乗せられたその音色に、ミーナは振り返る。


「貴女たちとは違う。必ずこの協会の、頂上までの階段を駆け上がって見せる」

「……威勢がいいわね」


 相見合う二者の視線が中央でぶつかり合う。数秒をの状態を続けたのち、力を抜くようにふっと口元を緩め。


「楽しみにしてるわ。その高慢さが、いつ折れるのかねん」


 再び背を向けて歩き出したミーナ。二人の姿が角へ消える前に一度だけ、その太い右腕を大きく振った。



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