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第一節 合流 前編

 

「……」


 ――もう、どれだけの時間が経っただろうか。


 宙に揺蕩う中で自問する。……前も後ろも。左右も上下も。どこを見たとしても目に映るものは何も無い。いや。


 自分自身さえ認識することのできない中で、果たして見るという行為が成り立っているのだろうか?


 問うているのは誰だ? 答えようとしているのは誰だ? 境界が曖昧になり、何もかもがぼやけていく。触感も感じない。音も聞こえない。匂いも、味も。全てがどこかへ向けて緩やかに崩れ、溶け出して行くような感覚。恐怖でさえも薄布に包まれた他人事のよう。


 しかし――。


 その中にあってもまだ、それはそれとしての括りを失わずにいた。なぜなのかは凡そそれの知るところではないとしても。


 ――いつ終わるのか。


 そんなことは分からない。そもそもいつから始まっていたのかも、どれほどの時が経過したのかも。時間の感覚さえ消え失せているのだ。できるのはただ、待つことだけであり――。


 ――不意に。


「……ッ⁉」


 ――無い。それによって何かがあることに気付かされる。……漸くかという感想を胸に抱きながら、それはその方角へと手を伸ばし。


「――!」


 ──気が付いた時には、全てが元の現実へと戻っていた。……頬を撫でる風。


「……」


 土と植物の匂いとを孕んだ空気。紛れも無くここは、自分が良く知っている現実世界。そのことを再び足場にしている自分。この場所に以前まであったものは消えている。そしてその代わりに――。


「首尾は上々……か」


 何かがあっている。新たを掴んだという自己の感触。それを確信して男――ヴェイグは、最早なにもないその場所を後にした。















「っ……」


 低所からの着地。衝撃によろけそうになり、思わず力を込めて踏み止まる。……円環の副作用か。長くはない戦いだったはずだが、自分でも思った以上に消耗しているようだ。


「う……」


 腕の中で微かに声を挙げたフィアを抱え直す。疲労はフィアの方が大きい。万一倒れ込むようなことにはなるまいと、改めて心に活を入れた。


「何か久し振りなような気がすんな、ここも」

「そうだな。……ただ」


 ジェインが眉を顰める。言葉の意味は直ぐに分かった。


 ――強い残留魔力。俺でさえ分かるほどのそれが、辺りに充満しているのだ。協会員に依る出迎えもなく、何かがあったことは明らか。


「警戒しつつ進みましょう」

「分かった」


 頷く。ここで引き返すことはできない。これから先の動きを見据える為にも、今はあの戦いの結末を確かめなければならないのだ。全員が同意する無言のまま、暫く通路を進み。


「……!」

「誰か来ます」


 感じ取る気配。歩み出る二人を前にジェインと共に後ろに下がる。何かあれば直ぐにゲートまで引き返せるよう。変わらず意識のないフィアを背負ったまま、最大限の警戒を以て通路の先を睨みつけ。


「……!」


 その集団の姿を見た瞬間に、言葉を失う。受けた衝撃の深さは、向こうも同等のようだった。


「あ、あんたたち……」


 ――立っている。何よりもまず初めにそのことを意識する。……夢じゃない。全員が全員、俺の記憶にある姿のまま――!


「……千景先輩、立慧さん」

「お、無事だったかおめえら」

「田中のおっさん……」


 再会を分かち合う中で。……一人。


「久し振りです郭」

「お久し振りですね、葵さん」


 郭と言葉を交わす女性。――葵さん。凶王との戦いで治癒棟にいるとのあとは消息を聞いていなかったが、無事だったのか。そのこともまた喜ばしく。


「カタストは――」

「――」


 何時の間にか、近寄って来てフィアを見ていた先輩の発言に意識を引き戻される。――そうだ。


「戦いの途中で倒れたんです。外傷はないんですが、敵の幻術を喰らって――」

「う――」

「っ!」


 途中で聞こえてきた声に思わずその方を向く。薄らと開けられた、フィアの瞳。


「フィア!」

「……黄泉示、さん?」

「――気が付いたのか?」

「あれ、私、また……」


 リゲル、ジェインたちも此方を向く中で。頭を振り、自分が抱え上げられていることを知ると、手を離れて立ち上がろうとする。


「大丈夫か? 無理は」

「ええ。寧ろ、まだ休んでいた方が」

「……だ、大丈夫です。これくらい……」


 よろめきながらもどうにか一人で立った、その目が。


「――」


 先輩たちの方を向く。重たげだった瞼が、一気に覚めるように跳ね上げられた。


「――ち、千景先輩?」

「暫く振りだな、カタスト」

「……立慧さん。それに、田中さんも……」

「よ」

「久し振りね」


 立っている面々を見る。……そのまま少し、目を見張らせて固まったかと思うと。


「――っ⁉」


 開かれたその瞳から唐突に、大粒の涙が溢れた。


「……よ、良かったです……」

「お、おい」


 泣き出したフィアに狼狽える先輩。立慧さんも、田中さんさえ多少戸惑っているように見える。


「本当に……。先輩たちがもう、戻って来ないんじゃないかって……」

「あー……」

「……」


 ……無理もない。


 俺たちがここから逃げ出した後、先輩たちの安否はずっと不明だった。不安にもなる。最悪の場合、もしかすれば此処には本当に誰もいなかったかもしれなかったのだ。


「……心配性ね」


 立慧さんが、ポンとフィアの頭に手を置く。


「私らは支部長よ。そう簡単には死なないわ」

「……ああ」

「おーおー、優しいな立慧は。俺に対してもその十分の一くらい気遣いがあればいいんだけどよ」

「あんたのどこに気付かう要素があるってのよ……」

「す、すみません……」


 まだ少し涙を流しながらもフィアが顔を上げる。空気を読んでか、泣きやみ濡れた目元を拭うまでのその間。


「さて……」


 沈黙していた葵さんが声を発する。落ち着いた視線が、緩みのない光を湛えて俺たち全員を見渡していた。


「お互い積もる話もあります。――場所を移しましょうか」













「では、賢王と冥王……」


 事情の説明に一区切り付き。語り終えた郭の言葉を、葵さんが反芻する。


「二人の凶王と手を結んだ、と?」

「ええ。その通りです」


 俺たちの代表として、協会を脱出してからこれまでの経緯を伝えてきた郭。まず焦点が合わされるのは、最大の山場であろうその部分。


「……本当に大丈夫か? フィア」

「はい。暫く眠っていたせいか、今は少し調子が良くて」


 ソファーで隣に座っているフィアを見る。……顔色は普通だ。セイレスの幻術を受けた影響が心配ではあったが、本人がそう言うのと、話を聞いておきたい気持ちは分かるので強くは言えない。大丈夫だと自分自身に言い聞かせて、先輩たちの方を向いた。


「危ないところを助けたとはいえ、よくあいつらがそんな話に乗って来たわね」


 今一つ納得が行かないような意見を述べるのは、立慧さん。


「賢王、冥王って言えば凶王の中でも特に話の通じ無さそうな部類じゃない。あんたなんか真っ先に反対しそうだけど」

「そうなのか?」

「当たり前でしょ。権謀術数を得意とする《賢王》に、暗殺者や殺し屋を束ねる《冥王》よ? まともに交渉なんてできると思う方がどうかしてるわ」


 ……確かに改めて肩書を聞くと、郭があれだけ二人を警戒していた理由も分かる気がする。実際には第一印象と違い、それほど危険と言う感じもしないが……。


「僕も初めは反対でしたがね」


 気持ちは分かるといった風に言葉を継ぐ郭。


「王故のプライドという奴でしょう。カタストさんに救われたことをかなり気に留めている様でしたので、そこを逆手に取らせてもらいました。それに当面の利害は一致しています。話した通り、既にあちら側もレジェンドらによって相当の被害を追っていますから」


《魔王》と《狂覇者》。二人の凶王をレジェンドの襲撃により喪っていること。


「――あっちも形振り構ってられないってことか。レジェンドってことを差し引いても、《魔王》を殺すような奴なら残りの二人だけで相手取るのは相当厳しいんだろうし」

「ん? なんでだ?」

「……こうしてみるとあんたたちもただの一般人って感じね」


 どこか納得したように言った立慧さんに、リゲルが飛ばした疑問。同様の思いが顔に出ていたのか、俺たちを一瞥した立慧さんは軽く息を吐いて。


「一纏めに凶王って言っても、戦力的には同格じゃないの。《魔王》と《帝王》はその中でも別格。対して《賢王》と《冥王》はお互い、直接的な戦闘能力じゃ一番低いって言われてんのよ」


 ――そうだったのか。頷きかけるが、そこで今までに見た光景を思い返す。……あの賢王と冥王とで、戦闘能力が低い……?


「あくまで凶王内での話です。客観的に見るなら、二人とも間違いなく三大組織幹部級以上の力量はあるでしょう」

「てか、その《魔王》を殺した奴らと今後一戦交えんのよね。なんか頭痛くなってきた……」

「……確かにこれからのことを考えれば、戦わずに済むならそれに越したことはないな」

「良いんじゃねえか? リスクはあるかもしれねえが、状況から考えりゃ簡単に裏切るような真似はしねえだろ。向こうも手札がねえんだからよ」


 補足してくれる葵さん。後の二人からも概ね肯定的な返事が返ってくる。……思っていたより冷静な反応にどこか安堵している自分がいる。最終的に郭がそれで矛を収めたように、平時の確執よりも現状の打開を重く見ているということなのかもしれない……。


「――思う所はありますが」


 葵さんの眼が郭を捉える。


「王二人を仲間に加えられたというのは大きな功績。私たちでは成し得なかったことでしょう。――感謝します」

「そ、そんな。私は、ただ――」

「凶王まで助けちまうとは、嬢ちゃんは将来大物になるぞ?」

「全くだ。先が楽しみだな」

「え、えっと……」


 突然織り成される賞賛にフィアは少し戸惑い気味だ。疲れのせいもあってか、照れると言うよりは普通に困っているように感じられる。そのことを見て取ったのか。


「――話を戻しましょう」


 手早く流れを切る葵さんと、そのことに少しホッとしている様子のフィア。


「賢王の知古だと言う『逸れ者』……《非存在のエリティス》は、協力の意を表明しているのですか?」

「ええ。直接的な戦闘能力はそうでもないようですが、隠れ家の提供など彼にしかできない支援をしてくれています。……態度的にもかなり好意的です」

「なるほど。それは僥倖ですね」


 後半をぼやかした。……あの性格についてはおいおい会った時にでも話せばいいだろう。口では中々に説明し辛いことだし、見てもらった方が早い。


「とにかく今は少しでも戦力が欲しいところです。『アポカリプスの眼』に、レジェンド……」


 呟くように言う、葵さんの目付きがそこで少し険しさを増した。


「そしてあの、『永久の魔』に対抗する為には」

「――」


 先に先輩たちから聞き終えた内容。小父さんたちが望んだあの戦いの、顛末。


「やはり、『永久の魔』は復活していましたか」


 居並ぶ三大組織の幹部たちを前にして見せた、圧倒的な力。それまで均衡、贔屓目に見ずとも組織側が押していたであろう戦況を、たった一撃の下に叩き潰してみせた。……俄かには信じ難かったが、その場にいた当人たちに語られてしまえば事実と受け止めるよりない。


 そして更に、事の深刻さはそれだけではなかった。


 三大組織が密かに温めていたという最高戦力。満を持して投入されたそれらも、『永久の魔』、そしてたった一人の男の前に敗れ去ったのだという。


「……ヴェイグ・カーン」


 賢王から聞き、俺たちが伝えた名を葵さんが呟く。


「そいつが今回の黒幕って訳ね……」

「聞かない名です。記憶している限りですが、協会のデータベースにもそのような名は見たことが無かったかと」

「そうですか。葵さんに心当たりがないなら、現状それ以上の情報を得ることは望み薄……ですね」


 息を吐く郭。――『アポカリプスの眼』の長にして、一連の騒動全ての元凶。三大組織を建物ごと別空間に転移させ、『永久の魔』の封印を解き、九鬼永仙を撃ち破った。


 文字通り圧巻と言える力の大きさもさることながら、一切の正体が分からないという謎がその影を更に不気味にさせているような印象がある。あのレジェンドたちをも従えるほどの……。


「……それと、気になる点がもう一つ」


 郭が話し出す。葵さんたちからの、もう一つの新情報。


「そのメンバーがあちら側の情報を漏らしたと言うのは本当ですか?」

「……ええ」


 先輩の視線に、考えつつも頷いた葵さん。事の顛末は俺たちも聞いている。……不意を突かれての昏倒。致死は免れない攻撃を受けそうになっていた場に現われ、葵さんを助けて去って行ったその人物。


「私たちには、《十冠を負う獣》って名乗ってたわね」


 《十冠を負う獣》……。


「討伐記録のある元々の『アポカリプスの眼』では、《赤き竜》に次いで副官と見られていた人物ですね。組織構成が変わらないならその女性も、それなりの立場にいると見て良いでしょう」

「そいつは良かった。流石にあんなのが平じゃ、堪ったもんじゃねえからな」


 郭の言葉に田中さんが肩を竦める。大層な名前だとは思ったが、やはり幹部に近い立ち位置なのか。


「つか、何でどいつもそんな妙な名前してんだ?」

「『アポカリプスの眼』はその名称通り、黙示録に記述のある存在から名を取っているようです。理由としては不明ですが」

「黙示録……ってなんですか?」

「キリスト教の聖典ですよ。細かい内容は省きますが、その中に出て来る四人の騎士、獣、そして赤い竜。これらの名を『アポカリプスの眼』はコードネームとして使っています。……まあ聖戦の義も彼らに関して情報を掴んでいないようだったので、ネーミングに然程大きな意味は無いんでしょうが」


 フィアへの回答としてそう言葉を結ぶ。……そうか。確か三大組織の一つである聖戦の義は、正にそのキリスト教を基盤とする組織だった。『アポカリプスの眼』の名が何かしらその方面で意味を持つのなら、本職たる聖戦の義が情報を掴んでいなくてはおかしいという訳か。


「《十冠を負う獣》ってのは二番手なんだろ? 一番はその、赤い竜って奴か?」

「そうですね。《赤き竜》は組織内で指導的な立場を担っているとされています。現行の組織の中で誰がその名を負っているのかは分かりませんが、恐らくは……」

「有力なのは蔭水冥希かと。技能者としての彼の功績はやはり、メンバーの中でも頭一つ抜きん出ている」


 言葉を引き継いだのは葵さん。父が、『アポカリプスの眼』のリーダー。告げられた見立てに複雑な感情を覚える……。


「世界を滅ぼす為の、〝鍵〟を手に入れに行っている」


 話を戻そうとしてか、聞いた内容を今一度繰り返した郭。


「そう言ったんですね? その、《十冠を負う獣》は」

「ええ。確かに」

「……何なのかしらね。それって」


 立慧さんの呟きが耳に留まる。……鍵。単純に考えれば文字通りの意味なのだろうが。


「……」


 考えようとしたところで沸き上がる疑問。……余りに漠然としていて、創作ものの中ではありふれているだけに見過ごしていたこと。世界を滅ぼすとは一体、どのようなことを意味しているのか?


 人間を全て皆殺しにする? 動植物を含めた生命体全てを絶滅させる? それともいっそのこと、拠り所となっているこの地球そのものを破壊する?


 そうなってくれば正に空想の域だ。幾ら永久の魔やヴェイグ・カーンがずば抜けた力を持っているのだとしても、流石にそこまでのことができるとは思えないが。


「……世界を滅ぼすって、具体的には何なんでしょうか」


 殆んど同じタイミングでポツリと呟いたのはフィア。似たような疑問を持っていたのか、リゲルも首を縦に細かく頷いている。


「確かにな。映画とかの中だと、この星をぶっ壊す! とか、人類絶滅! とか色々あるけどよ」

「……ヴェイグ・カーンと『アポカリプスの眼』が過去の目的を引き継いでいるのだとすれば」


 言葉を紡いだ葵さんに目が向く。


「それは後者の方でしょうね。十年前の『アポカリプスの眼』が稼働させようとしていた術式は、我々人間を被術対象としていましたから」

「……高々数名の組織が作りあげた術式で、そんなことができるものなのか?」

「過去の『アポカリプスの眼』自体は、創設千年以上というかなり歴史の古い組織でした」


 ジェインの疑問に答え始めるのは郭。


「完全に狙い通りとはいかずとも、それだけの期間に渡る改良と開発の蓄積があれば近いことは可能でしょう。僕も協会が当時押さえた術式の一部を見せてもらったことがありますが、凄まじいまでの執念と偏執さで以て描かれたような代物でしたから」


 それに、と。聞き入る俺たちを前に続けて。


「かの『永久の魔』と……もし同格とするならば、ヴェイグ・カーンの力は文字通りの桁外れです。影響力は少なく見積もっても中規模の自然災害に匹敵しますし、それだけで時間さえあれば地球上の人間を皆殺しにすることができる。……とはいえ」


 一息を吐き。そこで、それまで僅かに浮かべられていた笑みが消えた。


「そのような行動に直ぐ様出ていないことを考えると、愚直に地ならしをするより手っ取り早い手段を持っているんだと思いますがね。以前に『アポカリプスの眼』が開発した術式を、完成させているのかもしれません」

「ヴェイグがあの空間転移を行った術師であるならば、可能性はありますね」


 概ねで同意する葵さん。……それは、思っていたよりも。


「……ま、要は良く分かってないってことでしょ?」


 思わぬ沈黙が続いてしまった中で、気を取り直すような立慧さんの声が響く。


「ならひとまずこっちの状態を整えとかないとね。訊きそびれてたけど、凶王派を迎えに行った二人とはどこで落ち合う手筈になってるの?」

「エリティスの住居です。なにぶん数が多くなるかと思うので、なるべく早い段階で身を隠してもらう予定になっています」

「なら、なるべく早いとこ向かった方が良いんじゃないのか?」


 先輩が言う。


「お互い向こうの襲撃に遭ったなら、合流は悟られてるだろ。それこそまた別の面子が来るかもしれない」

「そうですね。敗走した今即座に動くとは考え辛いですが……」

「一先ず移動しますか? あそこに全員が入れるか、少し微妙ではあり――」

「――その必要はありませんよ」



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