第二十九節 本山へ
「――大丈夫ですか?」
「……ああ」
敵方の姿と気配が完全に消えたことを確認し、駆け寄って来る郭に返す答え。
「無事だぜ。なんとかな」
「全く……魔術に殴り掛かるとは、無茶をしますねこの脳筋は」
全くだ。とはいえ目の前で息を吐くリゲルもやはり怪我は精々が掠り傷。あれだけの相手と戦って治癒を必要とする負傷がなかった事は、俺たちの成長に依るものと言って良いのだろう。……きっと。
「素手で殴ってるわけじゃねえよ。衝撃波だっての、衝撃波」
「――凄い威力だったな」
「だろ? あの人形をブッ飛ばすのに編み出した技だからな。意力は抜群、今んとこは溜めに時間が掛かるのが難点だが……」
思ったままの感想を口にする。答えるリゲルはどこか、誇らしげで。
「そいつも何れは改良するぜ。――それより」
「――フィアは」
移されたリゲルの視線に促される先。……フィア。
「レトビックが見てくれています。前に出るのに彼女を抱えたままでは危険でしたので」
「ああ――」
――分かっている。郭の言葉を受けつつ、二人の下へ歩き出す俺たち。近付いて来るのはこちらも無傷なジェインと、ビルの壁に寄り掛からせた状態で座っているフィアの――。
「――ジェイン」
「蔭水。――三人とも、無事で何よりだ」
平静そのものと言った体で応じてくるジェイン。答える声もいつも通り。眼鏡と服に少し土汚れが付いてはいるが、それ以外で特に目立つところはなかった。
「途中であの男が向かった時はヒヤリとしたが、まあ、大事が無かったのならそれで良い」
「――カタストさんは――」
「少なくとも外傷はない。意識を失ったようだったから、一応は座らせたんだが」
「……」
瞳に捉えたフィアの姿。……苦しんでいる様子はない。目は安らかに閉じられており、眠っているだけのようにも感じられる。近づいた郭が――。
「……気絶しているだけのようですね。魔力払底でもありませんし」
「――幻術は」
「解けていますよ。流石にあの性悪女でも、あれを防ぎながら術式を維持することはできなかったと見えますね」
――良かった。
ひとまず安堵の感情が胸を過る。……フィアが幻術に掛けられていた時に目にした症状。なにだか分からないが、あれは本当に危険な状態のように思えたのだ。それこそ本当に、フィア自身が壊れてしまうのではないかと思うほどに……。
「本山に向かいましょう。念のため、早く休ませた方がいい」
「……そういや、ありゃ何だったんだ?」
「あれ?」
「ほら、フィアの手から光がパーッと出てよ。すげえ威力だったじゃねえか」
脳裏に蘇る映像。……あんな必殺技を放ったリゲルがそれを言うのか、という思いもあるが。
確かにそのことは気になっていた。――翳された手から放たれた光。襲い来る魔術の束を物ともせず突き進み、あわやセイレス本体を飲み込むところにまで迫った。奥の手と思しき大量の魔導書を引き出させてなお、内半数ほどを破壊して漸く相殺されたあの威力……。
「……分かりませんね。今までの彼女を見ていても、あのような力を扱える素振りはなかった」
俺たちの思考を代弁するかのような郭の呟き。暫し考え込むも、答えらしき言葉は誰の口からも出て来ない。
「――とにかく」
ジェインが進まない流れを切る。
「早く協会に向かおう。……場所は知られているし、新手が来ないとも限らない」
「そうですね。彼女は――」
「俺が運ぶ」
壁に凭れ掛かるフィア。その背中に手を入れ、抱え上げる。……相変わらず軽い。比べるのが間違っているのだとは思うが、何度抱き上げても慣れないほどだ。
「つっても、また罠があんじゃねえのか?」
「警戒していれば気付けます。無いとは思いますが、油断せず行きましょう」
「まんまと引っ掛かってた人間が口にすると、言葉に重みがあるな」
「――炙りますよ?」
相変わらずのそのやり取りに少し空気が緩んだ気がする。苦笑気味のリゲルと目配せをして、後に続いた――。
「……そう言えば」
ビルの入り口まで差し掛かった時、思い出したように言う。
「あの男たちはどうしたんだ? 来た時に立っていた」
――そう。
急な出来事の連続で忘れていたが、元はと言えば入口に屯していた連中と話を付ける為に郭が前に出て行ったのだ。セイレスの魔術には男たちも共に捕われたはずで、郭が脱出できたなら同じく彼らも出て来ていておかしくない。それなのに……。
「――死にましたよ」
「え?」
――思いも寄らなかった一言。考えるより先に訊き返しの声が口を突く。
「僕らが来る前にセイレスの接触を受けていたんでしょう。……全員意識は抜け殻。仕掛けられていた術式は、彼らの魔力と生命力を根こそぎ奪って発動するものでした」
感情を交えない、先ほどまでとは打って変わって淡々とした話し振り。
「閉じ込められた時点で彼らが事切れたのを確認しています。死体は、術式内部にでも残っているんじゃないですか?」
「……」
迎える沈黙。……名前も顔も知らない人々。
ゲートの近くに来ていたことからも友好的な相手であったとは思えない。きっと郭の言うようにどこか別の組織に所属している人間で、正気で出会えば恐らく俺たちと衝突する羽目になったはずだ。
――だが、それでも。
「――行きましょう。時間が惜しい」
さしたる反応も示せない間に走り出す。その背中に続いて。
残っている人員との合流を目的に。……俺たちは、協会の本山へ向かった――。
――ここはとある都市の一角。
立ち並ぶ高層にしてガラス張りの建築群。訪れた者が何処を見ようとも近代的。現代科学の勢力が蔓延っているような景観の中に、そのビルはあった。
一見すれば周りのものと何ら変わらない。ガラスが張り巡らされた、近代都市の象徴のような建造物。……しかし。
その実態として。そこが凶王の一人、賢王の拠点の一つであるなどと、果たして誰が想像できたことだろうか。
三大組織でさえそのことを把握してはいない。一般人では進入不可能な地下に設置されているのは賢王派の根城。拠点の中でも最大規模。有事の際に派の主立った人員たちが集まっているはずのそこに――。
「……」
「……」
賢王と冥王とは立ち尽くしている。如何に二人が凶王であるとはいえ、他の派の所属者を仲間に組み入れることは容易ではない。抵抗が詮無いことを一目で分からせるためにも、まずは従わせやすい各々の派閥からということになったのだが。
「……これは」
〝……やられたね〟
零す賢王の言葉に舞い落ちる紙。受ける冥王が音階を発せないとしても、二人の心境を図るにはその一言で充分な重さがあった。
――空気に充満する、血の臭い。殺しを厭わない立場であれば嗅ぎ慣れているはずのそれが今、かつてない濃密さを以て二人を出迎えている。……焼け跡。
亀裂、血痕。随所に残るのは血生臭い惨劇の痕。転がっている遺体の殺され方、破壊の規模からしても仲間内で争ったのでないことは明らかだ。腐った肉の香りが漂って来ないことから、今よりそれほど以前に殺されたのではないということも分かる。これは……。
〝殆んど全滅?〟
「……ええ。腕の立つ者から殺されています」
僅かな時間で惨状の詳細を見て取ったらしい、賢王が言う。逃げ延びた人間もいるかもしれないが、それが少なくとも此処に潜んでいることは皆無だろう。立っている二人以外、空間は完全に死の気配だけが支配していた。
〝見覚えのある切り口〟
「――あの無礼者どもですか」
把握できる痕跡から読み取った下手人に舌を打つ。隠すつもりもない。残された足跡は間違いなくあのレジェンドたちのもの。自分たちが見付からないと見て標的を変えたのか……。
「――急ぎ向かいましょう」
自身を擁する派の壊滅。それを見届けた後も、賢王はあくまで毛ほどの動揺も無いかの如く判断を下す。
「……他も、同じことかもしれませんが」
〝……〟
考え得る最悪の想像。それを予感として胸の内に抱きつつ。
躊躇うことなく反転して。……二人は暗い、血の広がる地下を後にした。
この節で八章は終わりです。次節から第九章に入ります。




