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第二十八節 一つの決着

 

「――ッ‼」


 疾走。自分が慣れ親しんだその場所を力を込めて三千風零は駆け走る。――頬を打つ風。混じる血の匂い。身体全体を脈打っていく鼓動の音。


 ――そう。これこそが、自分が望んでいた戦場だ。


「ガアッッ‼」


 咆咻と共に荒々しく繰り出す右腕。触れれば衣服ごと肉をこそげ取るだろうその暴撃を、見るも優美に流れる歩法で以て葵は躱し切る。――円の動作。軸を切られたまま直進する零と距離を広げ、隙を突く波の如くに縄が飛んでくるが――。


「――!」


 一切の抵抗を受けることなく、固く結ばれたその縄目を千切り取る。一瞬葵の面に浮かんだ驚愕の彩を目にし、表情を隠すことなくほくそ笑んだ零。……その手はもう喰わない。


 前回の一戦を踏まえ、零は自身にとっての鬼門たる【祓】の術法に対する用意を盤石に整えてきた。元と言え零は魔術協会の賢者見習い。術理さえ分かれば対策は可能であり、それを実行しただけのこと。早い話が、こちらに憑依した異形を穢れと認識させなければいいのだ。


 そも鬼神とは元来が自然神。時として信仰の対象ともなるそれに聖の属性を付与することは、零からしてみればそれほど困難なことではなかった。――決定打となる弱点はこれで潰した。しかし――。


「――クウッ‼」


 撓む鞭の如く自在。螺旋に削り取る軌道へうねり狂い放たれたその奔流を瀬戸際で避ける。自らの肉体を術の媒体とする憑依術にとって、片腕という部位の欠損は如何ともし難く大きいもの。……以前のように鬼神と竜とを同時に憑依させるなどという芸当は及びもつかず、【白の支配】を発動してなお精々が鬼神一体。


 外殻の強度や治癒能力、霊格は大きく落とされ、前回では無力化できていたただの水流による攻撃に加えて葵の異能である【心眼】までもが有効になっている。重心の変化により全力で動こうとすれば身体を十全に操ることさえ難しい。それら全てを踏まえた上で、どこまで戦うことができるか。


「――【水刃千乱舞】」


 恐らくは相手方もそのことを看破している。短縮詠唱にて発動させられるのは葵の十八番たる高位水属性複合魔術。視認可能に混じる視認不可能の水刃が外殻を鋭く割り裂き、真皮にまで達し身を抉る。魔力感知の能力によりどこを水流が走るかの予測は可能だが、単純な速度差と物量差により全てを潜り抜けることは困難。走る痛みに同じ箇所を続けて狙われていることを理解して軌道を変える。殆んど機能していない治癒能力。一向に塞がらない傷口から、赤黒い液体が宙に散った。


 ――楽しい。


 不利、劣勢、濃厚となる敗色。


 それでもなお、三千風零の全身を躍らせるのは昂揚に相違ない。次代の四賢者という重責も、周囲や師の期待というしがらみも、今零のいる此処には何もありはしない。――ただ己の技能をぶつけられる、純然たる相手だけがいる。


 きっとこの時の為に、自分は技術を磨いてきたのだ。


 胸を貫く確信。願うことなら、このまま――。


「ッッ――‼」


 強烈な踏込みで軌道を曲げ――魔術の切れ目を勝機に迫る。近接戦にしても葵には鉄扇術がある。だが先の戦いで零はその技法の原理をある程度見抜いてもいた。……あれは相手の力を利用する返し技だ。


 ただでさえ葵と自らとの膂力と耐久力の差は歴然。強引に一撃を狙おうとするのでなく、細かく当てていくこと。掠めでもすれば重傷は免れず、それだけで戦局は変えられる。


「――」


 フェイントを織り交ぜて放つ爪撃。だがやはり身体技法では葵に一日の長があるのか、織り交ぜたと思った虚を見抜かれ懐に入られる。顎に当てられた硬い感触。体重差を利用されて――。


 ――させるか‼


 回転させられそうになった身体を強引に後ろへ。競り出した腕の突起物で退き様に鋸の如く葵の身を削り取ろうとする。――妙な感触。空振りではない手応えに前を見れば、脇腹近くを巡る流水、水の障壁がその色に赤を交えている。腕に纏わりついた服の切れ端。


「ハハアッ‼」


 好機。そう見て飛び込んだ零の血走った瞳を、上げられた葵の冷静な双眸が迎え撃つ。――怖気。退こうとした足先を貫いたのは水の槍。天井近くの死角から放たれたソレが、過つことなく零の指先を撃ち抜いていた。


「――ッ‼」


 ――【緊急召喚】。


 痛みに居ついてしまった身体。放たれる水の奔流を意識して反射的に喚び出したのは慣れ親しんだ召喚先である水精霊。【水の支配者】を持つ葵の攻撃を完全には無力化できないが、それでも大幅に減衰させることは可能。――外殻でなんとか致命打にならない程度には軽減する。当然の如く無理をした召喚の制御は厳しく、この一撃だけを凌がせて帰還。即座に反撃に出る――。


 ――そのつもりでいた。


「――っ」


 零の肉体を。勢いを増した水流が、背面まで撃ち貫く。……なに。


「――」


 身と共に精神を襲う衝撃。下を見、身体にポカリと空けられた孔にたたらを踏む。……手綱が切れている? 驚愕の中で今更ながらに気付いたのはその感触。なぜ――。


 ――ああ。


 ……そうか。


 空虚の中で合点がいく。水精霊を始めとした四大精霊は、賢者見習いになって最初に零が盟約を結んだ召喚対象。自分の癖も何もかも、術式の弱所でさえも知り尽くしていたはずだ。通常よりも縛りの緩い【緊急召喚】であれば尚更。


「……はは」


 零れるのは淡い苦笑。これまで水精霊に反抗されたことなどなかった為に、忘れていた。


 鬼神や竜種に較べれば格の落ちる精霊種と雖も、水精霊はかの四大精霊の一角をなす異形。その力は一般の精霊とは比較にならない。万が一にも緩みのないよう、入念に縛り付けておかなくてはならなかったのだ。


「――」


 目の前で掻き消える、言葉を発さない精霊から、それでも術の経路を通して零には伝わってくる。一方的に踏み躙り苦しめた行いに対しての、自分たちを裏切ったことに対しての、怨みと怒りの念が。


〝――よし〟


 薄れゆく意識の中で――脳裏に聞こえてくるのは、いつか耳にされた師の言葉。


〝これで、零と彼らとは友達だ〟

〝友達……〟


 幾分年若い秋光に言われ、子どもの頃の自分は目の前にふよふよと浮かんでいるそれらを見つめる。……羽の生えた可愛らしい妖精に、綺麗な女性の姿。足に触れる感触を覚えて下を見れば、斑の蜥蜴と厳つい顔をした小人とが自分を見上げていた。


〝裏切らず裏切られない。友がいてくれさえすれば、どんな状況でも私たちは強くあれる〟


 振り向いた零の目に映された秋光のあの瞳。齢月を経て深みを増した色合いが、強く、強く見据えた何か。


〝この繋がりを守り通し、後世に伝えていくこと。――それが召喚士としての使命だと、私は思う〟


「……」


 ……先生。


「……僕は」


 ――結局、貴方のようにはなれませんでしたよ。














「糞ッ――‼」


 阻む手応えに、立慧は何度目か分からない悪態を吐く。崩れる体勢を即座に立て直し。


「――」


 縮地法で詰め切った距離。狙うは無防備な脇腹。十冠を負う獣は一切の魔術を展開していない。決まれば一撃で昏倒させられる――‼


「ッ――!」


 手応え。硬く、冷ややかな感触は、これまで何度も味わったもの。


「この――ッ!」


 ――鎖。交叉する二筋の鈍色が、立慧の拳撃をどこまでもしなやかに受け止めている。憤慨して力を込めるもびくともしない。反応して絡め取るような動きに、慌てて拳を離し――。


「ッ!」


 千景の障壁の援護を受けて、迫る鎖の刃から身を引いた。


「出過ぎだ立慧。少し落ち着け」

「……分かってる。ごめん千景」

「そうだぜ? もうちょい落ち着いて立ち回れよな」

「……あんたはもう少し前に出ても良いと思うんだけど」

「んなこととっくにやってんじゃねえか。ただまあ、あれを掻い潜んのはむじいな、実際」


 まるで意志を持つように動き回る幾重もの鎖。十冠を負う獣の全身から這い回るそれは、止め処なく溢れ出て尽きる気配がない。……田中が何本かの破壊に成功しているにも拘らず。


「そう気落ちする必要はないさ」


 涼しい顔なのは狙われている当人。十冠を負う獣。


「『救世の英雄』と四賢者、ナンバーズだって完全には潜れなかったんだからね。支部長が無理でも恥じることじゃない」

「……そういう問題じゃないでしょ」


 だが確かにこの状況では分が悪い。止め処なく湧き出て来る鎖の守り。突破するには全てを一時に吹き飛ばすか、十冠の獣まで一点を穿てる強烈な一撃が必要になる。だが、今のこの面子では。


「ったく、神器ってのはどいつもこいつも……」

「――あたしが仕掛ける」


 田中のぼやきを他所に、決然と言う立慧。袖口から錬丹を掌に落とし。


「千景、田中、援護して」


 嘗められたままでは終われない。せめて奥の手の一つや二つは引き出してやると、勢い込んだ立慧が踏み出そうとした。


「――」


 そのとき。場にいる四者が同時に感じ取ったのは、離れたもう一つの戦場の気配。


「……そうか」


 歪な魔力の消失。――撃退した。理解の直後に零すのは十冠を負う獣。


「――仲間もやられちゃったことだし、今日はこの辺りでお開きにしようかな」

「は――⁉」


 十冠を追う獣の雰囲気が変わる。応じて構えを強くした立慧たちに向け。


「じゃあね支部長さんたち。――また、会える日が来るといいね」



















「……」


 絶命した。目の前の体躯からそのことを葵は見て取る。……自分としても予想外の決着の仕方。


「……零」


 考えもなくその名を呼ぶ。掛けた声には当然の如く、返ってくる答えなどなく。


 崩れ落ちたその身体に空いた孔を。葵は暫し、鬱然たる思いで見つめていた。


「……」


 幾許かののちに気を取り直す。……敵は二人。一方が片付いたなら、いち早く他方へと馳せ参じなければならない。魔力体力に戦闘を継続できるだけの余裕のあることを確認し、葵が先に来た方角へと顔を向けた。


 その、瞬間だった。


「ッ――⁉」


 殺気。突き刺すようなそれに向けて反射的に繰り出していた鉄扇。身に付いた流しの所作が力に弾かれ、胸部に重い一撃を食らい止まる息。吹き飛ばされ、転がった自らの身体。


「……う……」

「グ……ガガ」


 身を打ち付けて地に伏したその体で。辛うじて上げた頭に、立ち上がり、動き出しているその異形を葵は目にする。


 ――馬鹿な。


 葵としても信じられないような思いだった。術者の命はとうに尽きているはずだ。本来ならばその時点で術式は解除されるはずなのに、ならばあれは。


 異形化による暴走――⁉


「キ……ゴ」


 葵のその発想を裏付けるように。悶えるように身を撓めた異形は自らを掻き毟り、その血だらけの双眸を葵へと向け直す。理性の光など欠片もないような純粋な害意。人ならざる圧力に、思わず身が竦み掛け――。


「――ッ⁉」


 ――目を見張る。葵に迫ろうとしていた異形の身体から立ち現われたのは、一振りの大刀。


「ア――」


 人が扱うには強大すぎる力を纏わされたそれが。……辛うじて原型を留めた肉体。鬼神の力を得たはずの零の身体を、絹でも貫くかのように刺し貫いている。膝を付く異形の向こう。剣を携えるは、昇る黒を纏った荒神。――神の世において暴悪を行い、後に人の世へと下る。


 神道系列の知識を持つ葵には理解することができた。太陽神たる姉と並び三貴子の一柱に数えられ、強大な位格を誇る神霊。それが今自らの目の前に顕現させられている……。


 ――誰の手で?


「……」


 沈黙のまま引き抜かれた剣身。支えを失った異形の肉体は、それ以上耐え切れなくなったかのように床へと崩れ落ち。


 声の一つも上げぬまま。人の残骸を晒して、動かなくなった。


「……」


 死んだ。それを理解しながら葵はまだ動くことができていない。床に広がっていくどす黒い血溜まり。役目は終えたとばかりに消え去る神霊の背後。そこにある、一つの人影のせいで。


「……貴女は」


 声が口を突く。……緋と黒が入り混じる服を着た、女性。年齢は若く、少なくとも自分より年下であることは容易に想像が付けられる。――覇気も殺気もない。ただ静かに、何でもないかのように景色の一部を占めているだけだ。


「――君の戦いは終わったよ」


 葵の言葉には応じぬまま。女性は伏した三千風零の死骸に目を遣る。……自らが送った死を悼むような、悲しげな眼差し。


「それ以上は望まないだろう? 零」


 寂しげな音色を含ませた声でそう呟くと、そこで漸く葵に顔を向け。


「――裏切り者でも手厚く葬ってあげることはできるのかな? 賢者補佐官」


 そう、涼やかに声を掛けてきた。


「……」


 答えられないまま視線が合う。……艶やかで、美しく。力を持つ者に相応しい光を湛えたその瞳には、しかし同時に。


 ――どこか暗い、光の届かぬような陰りがあった。


「……」


 葵とて思うことは多々ある。だが何よりもまず、そのことを問わなければ始まらない。


「……なぜ」

「どうしてだろうね?」


 葵の問い掛けに、女性は自問と言える言葉を以て返す。


「正直どっちでもいいような気持ちもあるんだけど……強いて言うなら、零が可哀相だったからかな?」


 そこで目を合わせ、瞳に薄く笑みを浮かべた。


「――ヴェイグは今、世界を滅ぼす為の鍵を手に入れに行っている」

「――」


 告げられる言葉に覚えるのは、内容よりもその行為に対する驚愕。


「詳しいことは僕も知らないけど、動くなら早い方が良いんじゃないかい? 余裕のある内に」

「……なぜ、そんなことを」


 葵の言葉に女性は表情を変えず。


「――これ以上ここにいる必要はないかな」


 答える気は無いと言う風に、その踵を反転させた。


「零の事、よろしく頼むよ」

「待っ――!」


 発した声はみなまで届かないまま。


 恐らくは仕込んでおいた術式の力によって。女性は、白昼夢の如く葵の目の前から姿を消した。


「……」


 掻き消えたその姿。暫し掌が空を掴む。……残されているのは、自分と零の遺骸のみ。


「……」


 立ち上がる。……折れてはいない。身体の何処にも迅速に治癒すべき重傷がない事を確認しつつ、今自らの身に起きたことを反芻しようと努める葵の耳に。


「――葵‼」

「――櫻御門‼」


 聞き覚えのある、二つの声が響いた。駆け寄ってくる足音。


「大丈夫⁉ 敵は⁉」


 視界に映るのは見慣れた三人の姿。……范支部長、上守支部長、そして田中支部長。


「……問題はありません」


 臨戦と警戒を保ったままの三名へ、あくまで平静を装って告げる。走る鈍痛を堪えつつ。


「相手方は離脱しました。今は安全です」

「……気配はねえな。隠れてるってわけでもなさそうだ」

「そうか。良かっ――」


 千景の声が中途で止まる。葵の影にあり、それまで目に入らなかったもの。


「ちょっと、これ――」

「……仕留めてんじゃねえか。流石だな、補佐官」


 次いで息を呑む立慧に対し、平静を保ちつつ言うのは田中。贈られる賛辞に応じる心持は、今の葵には持ち得なかった。


「……三千風」

「――ま、漸く腐れ縁も終わりってわけね」


 敵である。その事実を理解していてなお、やはりどこか郷愁のような情念が残された千景の声。対象的にやや強い響きを以て口にされた立慧の台詞には、場の空気を執り成し、蹴りの付いた問題を振り払おうとする前向きさがあった。


「どうするの? 異形化した死体を放って置くのもあれだし、処置を施してからさっさと灰にする? なんなら――」

「……いえ」


 続けて言われた立慧の台詞を葵は遮る。……先の女性の台詞。


「清めを施した後、共同墓地に埋葬しましょう」

「お――?」

「死した以上害はありません。……彼も、元は協会の一員です」


 意外と言うような田中。葵の言葉に素早く眉根を潜めた、立慧の表情に次に来る言葉を予測する。案の定。


「……それ、本気で言ってるの?」


 不満げに突っ掛ってくる立慧。まだ口調は平易だが、その奥にある思いが噴出しそうになっていることは感じられる。


「こいつは何人もの協会員と、秋光様を――!」 

「――立慧」

「何よ――……っ」


 その激情に待ったを掛けたのは千景。促す視線にそこで、立慧は今一度葵の表情を見て。


「……分かったわよ。好きにすれば」


 息を吐き。肩の力の抜けた声で、そう言った。


「今はあんたに決定権があるわけだし。ただ、私は手伝わないから」

「ええ。構いません」

「本当に良いのか? 特別補佐」

「……ええ」


 千景の確認。戦いに入る前に交わした、零との会話を思い返す。


「彼にも何かしら、思うところはあったでしょうから」


 ――赦されるわけではない。


 そう葵は判断する。例えどんな理由やわけがあったのだとしても、その行為は紛れもない彼自身のもの。……行為の結果は続き、帰責は残る。永遠に。


 ――ただ、思い遣ることはできる。零のあの告白を経て、それが葵に言える精一杯の事だった。


「まあ、こいつで襲撃は退けられたしな」


 わざとだろうか。訪れた静寂の中、気楽な声を上げたのは田中。


「奴らの戦力を一つ削れたのは大きいんじゃねえか? 向こうの奴には逃げられちまったが――」

「……それは」


 葵は訊く。


「黒髪の……神霊を従える女性ですか?」

「――ああそうだ。気配を追ってこっちに来たんだが――」

「ちょっと遅かったわね。流石に四人相手だと厳しいと思って逃げたのかも。零がやられてるのを見て――」

「……」


 支部長たちの会話を耳に葵は今一度考える。……あの女性の行為。自分を助けた術法と、その後に告げられた言葉。


「――話があります」


 ――自身の抱いている情報が、現状の突破口となり得るのかも知れない。


 自分に集められる三者の眼。そんな久しく抱くことの無かった淡い希望と共に、葵は彼らに向けて言葉を紡いだ――。



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