第二十六節 幻惑の最中
「味わわせてあげる。私の秘術――」
――声から伝わってくる怒気。その言葉の終わり際、ローブを着た女性の魔力が奇妙な蠢動を始めるのが分かる。魔術の兆候――!
「――ヤベッ!」
「そうは――ッ!」
同じことを見て取った二人が動く。リゲルさんは相手との距離を詰め、郭さんは魔術を発動させようとしている。私もいつでも障壁を張れるよう準備を整えた――。
「きゃっ‼」
直後、横からの強い力に突き飛ばされる。思わずそちらを向いた目に映るのは、先ほどまで私のいた位置を貫いている鋭い岩の先端。押し出されていなければ、あれに串刺しにされていた……。
「ちぃッ‼」
「ッ‼」
恐怖に身を竦めた私の前で――突き飛ばしてくれた黄泉示さんと、リゲルさんが走り出す。狙いはローブの女性。魔術が完成する前に、その発動を阻止しようと――!
「――【存在幻術】」
「――ッ」
した時に声が耳に届く。強い魔力の波動を感じた瞬間。
「え――」
全てが一変した景色に言葉を失う。木立もビルも見当たらず、広がるのはどこかの町の風景。
「……」
辺りを見回す。……せせらぎを伴って近くを流れる川。少し先には明るい灰色をした、石造りの橋が架けられている。川を挟むようにして立ち並ぶ家々……私が立っているのはその道の途上。
――雰囲気は似通っている。まず直感するのはそのこと。……少なくとも国や地域が変わったと思えるほど大きな変化は無い。けれど、先に私たちが居たのとは似ても付かない景色であることも、また事実。何が起こったのか――。
「よ、黄泉示さん⁉」
そのことが理解できずに焦りが募ってくる。……読んだ彼の名に返事は無い。予想はしていたはずなのに、そのことが思っていた以上に私を心細くさせていく。
「リゲルさん? ジェインさん? 郭さん?」
同様に。確かめるように仲間の名前を口にしてみても、答えが返ってくることは無かった。別の場所へ――。
「……っ」
一瞬で移動させられた? そんな想像が頭を過る。……もしそうなら、直ぐにでも戻らなくてはいけない。分断が狙いなら早く黄泉示さんたちと合流しなくては。
だけど――。
「……」
もう一度、周りを見る。……ここはどこなのか。黄泉示さんたちも飛ばされているとすれば、そもそもどこへ行けばいいのか。
……分からない。噛み締めるような想いでそれだけを判断する。見たことの無い景色、風景。頭の中を探ってみても思い当たるような手掛かりは何も無い。或いは記憶喪失でなければ覚えが有ったのだろうか……。そんなどうにもならないことを考えてしまって、頭を振る。
――このままこうしていても仕方がない。
この間にも黄泉示さんたちは苦戦を強いられているかもしれないのだ。そう考えて何とか自分を奮起させる。……とにかく、まずは人にここがどこかを――。
「……?」
そう考えて、気付く。……人がいない。時刻は昼間。太陽は高く昇っていて、降り注ぐ日の光が明るく町を照らしている。吹くそよ風と相まって、外出にも絶好のお散歩日和だ。
なのに、どうして――?
こんなにものどかな景色なのに。不自然な状況。それに私が一瞬思考を巡らせた――。
「――ッ⁉」
直後。聞こえてきた音に身を竦ませる。……遠くの方から、何か聞こえた。
「――‼」
聞き間違い? そう考えて澄ませた耳を打つ、重音。……間違いない。恐怖の中でそのことを把握する。大きな何かが、私の方へ近付いて来ている。逃げなくては――!
「――っ――‼」
そう思ったのも束の間。向かい側の建物を超えるようにして、音の正体が姿を現した。
――大きい。私の見上げている全長は、並んでいる家々の二倍はある。それでいてどこか実体のないような、影が凝り固まったかのような黒いヒトガタ。
一瞬冥王さんの事を思い出す――けれど、今私が目にしているものはその奥に何が有るか分からないような冥王さんのそれとは違う。……純然たる不吉。
予感というものがあるのなら私の全霊が離れろと言っているような、ただ恐ろしさだけがそれにはあった。とても……。
「――」
逃げられないと悟った身体が強張る。怖くて、息が上手くできない。自分の身を守るために障壁を張ろうとする、けれどそれさえもあれの前では意味の無いものだと直感してしまう。
「……」
「――っ」
影が――私の方を見た。走る震えに一瞬身構えるが――。
「――……?」
幾ら待っても、その瞬間はやって来ない。なぜなのかということも、同時に私は理解していた。
――静止している。世界が。黒い影も、小川の流れも、私を除いた何もかもが、その動きの一切を止めてしまっている。
これは――?
連続する不可解な現象。理解の追い付かない光景に、惑う。……幻術? 郭さんから説明を受けた。だけどこんなものを見せて、どんな意味が――。
「……っ」
不意に感じた気配。……景色に、皹が入る……?
次第に広がる亀裂。――その奥から。
「――ッ⁉」
避けられない勢いで。それは、此方側に姿を現した。
――悪くない。
それが男――バロンの初めに抱いた感想だった。……全体の動きを加速させ、無駄な消耗を押さえつつ回避する立ち回り。隙あらば攻勢に出ようとする気配、強敵を相手にしているのだとの程よい緊張もある。魔術協会に匿われ、つい数か月前までは暢気な学生生活を送っていた者たちとは思えぬ進歩だ。
内一人が倒れてから更にその驚きは増すこととなった。……半ば遊びとは言え、セイレスの魔術を真っ向から障壁で受け止めるだけの力量。一見して逃げ回るだけにも見えた少女までもが、戦うに相応しい力とそれを扱う為の腕を持っている……。
尤もその能力については以前、三千風零や実際に矛を交えた蔭水冥希から聞かされていたことでもある。重力魔術と拳闘、時の概念魔術に固有魔術、言わずと知れた蔭水の血筋。いずれもそれ単体でそれなりに見るべきところのある要素には違いない。
ただ、実際にそれを使用している様を見るのとではまた評価が異なる。窮地に陥ってはいたが、例え賢者見習いが来なくとも後幾許かは耐えられただろう。それがバロンの下した率直な見立てだった。
現われた賢者見習いについてもバロンは決してその腕を軽んじてはいない。……自らを一瞬でも欺いた精緻な幻術。こちらの手の内を見抜く観察眼、セイレスの魔術を突破した高度な術法と言い、その技量が並みでない事は明白に過ぎる。侮れば痛い目を見るのはこちらだろう。
――しかし。
「……」
セイレスが【存在幻術】の始動に着手した刹那。……バロンは既に、この戦いの終わりを確信していた。
――師への侮辱を怒ったのだろうが、セイレス相手に焚き付ける真似はマズかったな。
岩塊を操作して敵の動き出しを軽く妨害しつつ、他人事のように思う。――【存在幻術】。術者の存在認識自体を引き金とし、対象の全感覚を欺く高度な幻術。引金の特異性から初見で免れることはまず不可能であり、レジストしたとしても退けるまでに幾許かの時間が必要となる。あの四人については言うまでもないが……。
賢者見習いとてそれは同じこと。そう断じてバロンは得物を執る手に力を入れる。……動きの取れない一瞬。其処を突けば、無防備な彼らを仕留めることは余りにも容易い。
「――」
妨害に屈せずこちらに向かってきた――二人の動きが止まる。その瞬間を見逃さず、サングラスの青年目掛けて突き入れた鉄塊。
――さらばだ。
別れの言葉は胸中で告げておく。同時に岩杭を発生させ、一時に全員を殺す目論見。まやかしに捕われたまま、痛みなく逝けるなら幸せだろう。
バロンがそんなことを考えてすらいた――。
――最中だった。
「【時の遅延――四分の一倍速】‼」
「――⁉」
届く魔力の波動。自らの動き、その全てが急激に引き延ばされていることに気付かされる。これは――。
「……っ」
――時の概念魔術。そう理解して意識をレジストに振り向ける。……何故だ? 想起されるのは使い手であった眼鏡の青年。セイレスの術を、始動とほぼ同時に振り解いたとでも――。
「――ッ」
レジストの成功で世界が急激に早さを取り戻す。――刹那。
「ウラァッッ‼」
「ぬッ⁉」
覇気と共に放たれた一撃。それを反射的に鉄塊の鎬で受け止める。此方の一撃を強引に流し、体を崩した上でのカウンター。拳を防いだ刀身からの衝撃が、巌の如きバロンの身を震わせた。
「【時の加速――二倍速】!」
届く詠唱。同時に目の前の青年の姿が掻き消える。支援を受けた上での恐るべき速度による身のこなし。
「はあッ‼」
攻防を兼ねて自身とセイレスの周囲に岩杭を乱立させる。続けて動きの止まっている連中の足元からも出現させ、その体躯を刺し貫こうとするが――。
「――させませんよ」
意識を取り戻していた賢者見習い、その魔術により挙動を阻まれる。――流石はあのレイガスの弟子。強力といえ得意の体系であろう幻術で、長くの足止めは叶わなかったか……。
「ゲスイ真似してんじゃ――ねぇッ‼」
同時に数十の逆棘を掻い潜り、自身に攻撃を加えてくる青年への対処を余儀なくされる。動きも拳撃の威力も自らを脅かすのに充分なもの。気を移せばただでは済まないだろう。
――予想外だった。
胸中でそんな声が響く。如何に得意と言え賢者見習いがこの短時間で【存在幻術】を破ってきたことも、自分がここまでの接戦を演じさせられていることも。
だが、何よりも――。
熾烈な攻防の中でバロンは思う。――勘違いなどではない。自分が今相対する青年は、セイレスの【存在幻術】を仕掛けの段階で。賢者見習いより早く突破して見せた。
そして……。
瞳が一瞬だけ捉える姿。――後衛たる眼鏡の青年。あちらに関してはそれ以前の問題。端から幻術が効力を発揮していないように感じられた。
現に今二人が動きを止めていることからも、幻術の側に問題があったわけでないことは直ぐに分かる。……そもそもあのセイレスが、例え本気でなかったとしてもそのようなミスをするとは考え辛い。挑発に対する意趣返しであったのならば尚更だ。
だとすれば、この三人は――。
「――ふ――」
――思いがけぬ幸運だ。自身の血が沸き立つ感触に、笑みを零す。
「……良いだろう」
「――チッ!」
籠る力。勢いのままに鉄塊で青年を弾き飛ばす。その流れに逆らうことなく、自ら跳ぶようにして衝撃を殺す青年――。
――ここからは、正真正銘の殺し合い。
「まさか三人も突破するだなんて。つくづく可愛げのない連中――」
「――セイレス」
「……あら」
一度距離を戻し、送った言葉と視線。悪態の最中であったにも拘わらず、セイレスは気を取り直したようにそれに応じてくれた。
「やる気になったの?」
「ああ。見込んでいたより悪くなさそうだ」
バロンが前に進み出るのと対照的に……セイレスは力を収めてやや後ろへと下がる。……戦いの主役を自らでなくバロンへと譲渡した形。この先セイレスは前衛たる自らのサポートに回ることになる。
「……」
前に出て来たバロンを警戒しつつ、此方を見据えるスーツの青年。その視線を正面から受け止めることに、どこか往年の心地よさを覚えつつ――
「――我が名はバロン。バロン・ゲーデ」
名乗りを上げる。その時だけ昔を思い出しながら。バロンは高らかに今を詠った。
「アポカリプスの眼の一員にして、同志と共に世界の破滅を志す者。……止めたくば、死に物狂いで挑んで来るが良い」




