第二十五節 黄泉示たちの攻防 後編
――瞬間。
「――ッ⁉」
「きゃっ⁉」
響き渡ったのは硝子の箱が砕け散るような破砕音。後方から打ち付ける爆風に思わず全員が動きを止めさせられる。間髪入れず振り向いた視線が捉えた、高速で向かって来る一つの影――!
「――ッ!」
そこから放たれた何かがセイレスを強襲する。――前方の障壁にて氷塊が砕け散った瞬間に凍り付くローブの周辺。動きを縫い付けたその後を真上の人影が追い撃とうとする最中。
「――ぬうん!」
動きを見せたのはバロンと呼ばれていたあの男。その巨体に見合わぬ俊敏さで空中に躍り出たかと思うと、鉄塊で熱線を防ぎつつ跳躍、飛翔する。瞬く間に近づく黒鉄の暴威。肩に担がれたもう一方の凶器が、無防備な人影目掛けて振り下ろされた。
――刹那。
「【雷の槍・最上級】」
「ッ――⁉」
男の更に頭上から撃ち落とされたのは、一条の雷。――男の巨躯を構えた鉄塊ごと飲み込む巨大な雷撃が、空を劈き。
「……!」
景色に荒れ狂う光の柱を発生させる。縦一列に並ばされていたセイレス諸共に捉える強烈な一手。それを撃ち放ったのは――。
「――人のいない間に、随分と好き勝手やってくれましたね」
「――郭!」
「郭さん!」
紛れも無い――! 歓声を浴びて俺たちの後ろから現れた郭本人。セイレスの魔術に捕われていたはずの――。
「へっ、漸くお戻りかよ」
「――無事か?」
「は、はい。何とか」
この隙に。立ち位置を変えたリゲルに遅れず、フィアの前に立った俺。……怪我はない。息を切らしていただけのようだ。よかった――。
「事前に仕掛けられていただけあって中々強力な術式でしてね。抜けるのに少々苦労しました」
そう説明した郭は俺たちの状況を一瞥したあと、前に視線を向け。
「……迂闊だったことを詫びます。先導する立場でありながら、貴方たちの身を危機に晒した」
「こうして戻って来てくれればいいさ。これでこちらからも反撃ができる」
――そうだ。
ジェインの言葉に俺たちが見据える先。あの攻撃を受けた二人は――。
「――これはまた」
煙の中から声が届く。次第に晴れていく視界に映し出されたのはあの女術師、セイレス。
「できるじゃない。そうでないと張り合いがないわ」
強襲を受けておいて未だ余裕のある口振り。魔術的な防御を行ったのか、見ればその身体は凍結と雷撃による影響を一切受けていないよう。周囲一メートルほどは焦げも煙も上げられていない。……あの郭の強烈な一撃を、完全に防ぎ切った……。
「大事ないかしら?」
「……ああ。一毫油断した」
答える重々しい声音は既に地に降り立っていた男――バロン。……こちらは落雷を直接身に受けたはずだが、やはり目立った外傷は愚か特別な後遺症があるようにも感じられない。精々電熱の影響で僅かに服が焼け焦げている程度。尋常ならざる耐久――。
「偽りの魔術でこちらの動きを釣り出すとは、中々の策士と見た」
バロンの目が郭を見る。――空中からセイレスを狙ったあの人影は、郭の幻術。
「そちらこそ、あれを受けて無傷とは驚かされました。手慣れた【属性同化】。適性は【岩の支配者】辺りですか?」
散々苦しめられた俺たちはよく分かっている。男に対する返答は丁寧かつにこやかで、しかし鋭く突き付けられたその分析に対し、僅かにバロンの眉が上がる。……岩の支配者? 以前協会で聞いた説明を思い返す。この男もまた……。
「――罠に落ちていた割には良く喋るようね」
会話の主導権を握られていることを嫌がったのか、二人の間に言葉で割り込んでくるセイレス。
「師を見捨てて無様に逃げたと聞いているけれど。口だけは人並み以上に回るのかしら?」
「――」
「――ッ」
焚き付ける言動。直後に全身に走る寒気は、相対する敵方から魔力の脈動を感じたためではない。
「臆病者の腕がどんなものか、見せて貰うとしましょ――」
「――余計な口を叩かないことです」
セイレスが口の端を上げたと同時、一直線に放たれる閃光。炎を通り越して白熱にまで高められた殺意一辺のその強襲に。
「ッ!」
「セイレス――ッ」
反射的に応じていたセイレス。展開された複数の障壁を障子でも突き破るかのように熱線が貫通し、背けたその頬を一条の鮮血が伝う。声を上げたバロンの前で。
「次はその喉を潰します。どの道討伐される身とはいえ、最期くらいは綺麗な死に様でいたいでしょう?」
「……っ!」
郭が送り付けたのは飛び切りの笑顔。目を剥いたセイレスの威嚇をものともしていない。伝わってくる殺気と怒気は記憶の中のソレを容易に塗り替える苛烈さを備え、それでいて崩れない口調と表情が更に恐ろしさを倍増させている。――強くなっている。
相対せずとも確信させられる。俺たちが手玉に取られていた相手を、こうも圧倒――。
「……やってくれるじゃないの」
楽観的な考えが俺の脳裏を過った直後。険しさを増したセイレスの目が、挑むように郭を見据えた。
「――手出し無用よ」
「……やり過ぎるな」
ローブを翻し。その内から取り出されたのは六冊の魔導書。意気込んだセイレスが前に出る動きに合わせてバロンが下がる。……これは。
「――面白い。正面からの撃ち合いですか」
「っ郭――」
「手は出さないで下さい。向こうもそのつもりのようですから」
そう言って俺たちを手で留めて前に出た――郭とセイレスが睨みあう。……真剣を構え合う剣客の如き殺気。魔術師同士の間に張り詰める滾るような緊張に、見つめる俺が思わず唾を飲んだ。
「――〝世界を満たす八精のうち五〟!」
瞬時、先んじて唱える声を張り上げたのはセイレス。
「〝我が意、我が命に背きし者らよ。彼の者の死を以て慰めとし――〟」
「――カビが生えたような古臭い術式ですね」
その手の内にある書物が散開したかと思うと、迸る魔力が複雑怪奇な文様の法陣を展開していく。矢継ぎ早の一節ごとに強大な力が円陣に加わっていくのが分かる。それに対して――。
「魔導書の力を借りてその程度とは。最先端の術理を教えてあげますよ」
「――【Catastrophe infecto】‼」
郭は一片も焦ることなく、余裕すら窺わせる体で蓄積されていく魔力を眺めていた。――当然先手を取ったのはセイレスの側。詠唱の完成を受けて撃ち出される、五つの属性を交えたと思しき巨大な奔流。郭だけでなく、その後ろにいる俺たち全員をも飲み込み尽くすほど強大な――‼
「きゃ――⁉」
「――」
フィアの悲鳴。吹き荒れる風と共に迫るセイレスの魔術を前にして郭が放ったのは――なんだ?
「――っ」
ただの魔力の塊。何の創意も工夫もない、そうとしか思えないような白の球体。不安の過る前で衝突する二つの魔術。覚えた予感に違うことなく――。
「……ッ!」
「嘗めてくれるじゃない!」
押され始める。郭の側が、瞬く間に。一瞬耐えたように見えた魔力の球は押し寄せる怒涛の勢いに敵わず、すぐさま彩の奔流に飲み込まれるように見え。
「賢者見習い! この私を侮ったこと――!」
「――嘗めてなどいませんよ」
――押し込まれる。そう確信した刹那。
落ち着き払った声と同時に。飾り気ない魔力の球体に、一筋の輪が加わった。
「……っ⁉」
「今は羊でさえ牙を持つというのに。よりにもよって、野良犬相手に油断など」
更に一つ、二つ。高速で回転する輪が押し寄せる属性の勢いを弾き飛ばし、押し返している。息を呑んで見つめる前で少しずつ、少しずつその拮抗をずらしていき。
「属性的に偏りのない術の先撃ちが有利だったのは百年前までの話です。同じ時代に生きている術師でも、尖端と末端とではそれほどまでに違いが出る」
「ッ……‼」
歯を食い縛って術を維持しようとするセイレスの前で。完全にそちら側へと迫っていた、球体が大きく振動した。
「その骨董品のような術式でここまで粘った気概には敬意を表します。――さようなら」
「――ッ!」
「――セイレスッ‼」
残り数メートルというところで完全に撃ち破られた五色の奔流。――同時に爆散した魔術からバロンがセイレスを庇い立てする。地面に突き立てた二重の鉄塊を城門の如く盾と成し、衝撃の威力を塞き止め――。
「おお……」
「――なにを驚いているんですか?」
威力の余波の中でリゲルから漏らされた感嘆の声。一結びにした紙を靡かせて振り返りつつ、鼻で笑うようにして郭が視線を寄越した。
「四賢者レイガスの弟子たる僕が、野良の魔術師風情に負けるはずがないでしょう」
「……」
――頼もしい。
あのセイレスを正面から完璧に打ち負かした。これまで見せられていたような激情的な強さとは違う。協会の魔術師としての、賢者見習いとしての真っ当な力量を目にしたという印象。想像以上の心強さに思わず俺が心の中で拳を握った――。
「……ふ、ふふ」
……なんだ?
直後。バロンに庇われる形で助けられていた、セイレスが唐突に笑いを零す。押し負けた影響かふらついている足取り。その術法を今し方郭が真っ向から撃ち破って見せたはずなのに。
「流石は賢者見習い。敵わないわね、――正攻法の魔術では」
危険だと、そう感じられるだけの何かが今のセイレスからは漂ってきている。自嘲するように言って更に変えられた目つきは、執念の籠るような、噛み殺すが如き双眸――。
「――バロン」
「理解した」
「――っ」
声を掛けられた男が鉄塊を握る。――戦闘に加わってくる。それを察して構えを取った瞬間。
「味わわせてあげる。私の秘術を――!」
「――ヤベッ!」
「――させませんよ」
見据えたバロンの後ろで魔力が蠢く。所作に反応するリゲル、郭。ほぼ同時に二人が動きを見せようとした。
「――ッ!」
「きゃっ‼」
その間を足下から競り出した鋭利な岩杭が削り取っていく。反射的にフィアを突き飛ばし、終月を盾にギリギリのところで身を躱した自分。――あの男の力か⁉ 何にせよ今ので――!
「ちぃッ!」
「――【存在幻術】」
時間を稼がれた。同じく岩の杭を回避していたリゲルの舌打ちが響いた、その刹那。
「――⁉」
視界が無明に包まれる。何が起きたのかも、抵抗する余地すらも与えられないまま。
俺を包む世界が、一挙に暗転した――。




