第二十三節 本山での攻防
「ハハハハハハハッッ‼」
――哄笑を上げる。辛うじて人のカタチを留めた異形。赤黒く変色し鱗のこびり付いたその醜悪な右腕が、迫る魔術を物ともせずに目の前の標的たちに向けて振るわれる。
「アガッ」
「ゴプッ」
一閃。膂力を用いたただの一薙ぎで、展開されていた障壁ごと魔術師二人の頭が消え失せる。空中で砕けて誰のものかも分からなくなった頭部は壁にぶつかり、壁面に赤い液体と脳漿を撒き散らした。
「いやあ気持ちいいですねぇ! ストレスの発散に良い」
「ヒッ――!」
抗うことのできない暴威を前にして残された協会員の足が竦む。魔導の徒といっても力の及ばぬ脅威への反応は変わらない。逃げることもできず立ち尽くしているその半身を、狂喜を宿した爪が抉り取る――。
「――〝水よ〟」
「おっと」
刹那、自らに目掛けて撃たれた複数の水流を躱し、異形が後方へ跳ぶ。放たれ床を走った水流はどれも、恐ろしい異形の身を傷付けることはなかったが。
――あの暴威が退いた。それだけで、へたり込んだ協会員の胸に光を灯すには充分だった。
「――退きなさい」
「――あ、葵様‼」
上げられる声。座り込む協会員を庇うように前に歩み出たのは、櫻御門葵。大賢者と四賢者なき今の魔術協会において、残された数少ない最上級魔術師の一人。
「私が当たります。他と合流して避難を」
「は、はい!」
日頃と変わらぬ平静を保った、頼もしい葵の声に背中を押されるようにして協会員は逃げて行く。その背中を視線で追うこともせず。
「こんばんは。葵さん」
告げられた慇懃な挨拶に葵は意識を集中させる。……憑依を解除し、人の身で葵の前に立った零。変わらぬその姿からただ一つ変えられたその一点へ、否応なく視線が向く。
「遅くて待ち侘びましたよ。あの戦いの日から、千切られた左腕が疼いて仕方がなくてですね」
肩口から綺麗に消えた腕――。今は無いその部位を懐かしむように、零は自虐ともつかない笑みを浮かべて断面を撫でさすって見せる。わざとらしい上目遣いで。
「お蔭でまた何人か刻んでしまいましたが、怒らないで下さいね? 葵さんのせいでもあるんですから」
「……貴方に訊きたいことがあります」
吐き気がするほどムカつかせる所作。――挑発。分かっていてもなお湧き上がる嫌悪の情。胸に渦巻く情動を抑えつつ、葵は前以て決め置いた言葉を告げた。
「……訊きたいこと?」
「――貴方はなぜ、秋光様を殺したのですか?」
声を受けた零、意外そうな瞳の動きから読み取れるのは警戒と疑念。その表れに構うこと無しに言ってのける。――【心眼】は発動していない。
「――」
だとしても注視していた葵は、確かに目にした。その問いをぶつけられた瞬間、一瞬、零の顔から表情が消えたのを。――直ぐに。
「はは……はっ! いやいや――これは傑作ですね‼」
笑いがその空隙を埋めていく。よじった身を戻して。
「どうしたんですか葵さん。貴女らしくもない。そんなこと、今更訊くまでもないじゃないですか」
手を広げる。大仰に、何かを隠すように。
「僕は四賢者である先生を殺した。協会の掟からすれば赦されない裏切り者で、貴女が処分する理由なんて、それで充分でしょう?」
……あの時には、そこまで考えが及ばなかった。
考えを推し進める気にさえならなかったと言っていい。自分の中で渦巻いていた激しく得体の知れない情念は、葵からそんな思考の余地を隈なく奪い尽くしてしまっていたのだ。……秋光の仇を取るというただその一念。骨髄に徹するほどの恨み怒り。
――だが。
「……話してください」
仮にも協会を担う立場に置かれた身であるならば。……その盲目的とも言える態度は、決して相応しいものではない。
――誰も把握していないからだ。三千風零が式秋光を、師を、協会を裏切ったわけを。憎しみで目を鎖すことが、できないのであれば――。
「貴方が秋光様を殺した、本当のわけを」
「……」
訊くしかない。一対一での対峙。絶好と言えるこの機会に、そのことを。
「……勘違いしてませんか、葵さん」
答えを待つ葵に対し。……零は、酷く落ち着き払った声で応える。
「今更聞かせたところでどうにかなるものじゃない。葵さんの聞きたがっているような、都合のいい事情なんてものはどこにもないんです」
「……」
「……まあ、聞きたいなら良いですよ」
それでも視線を逸らさなかった葵に、押し負けたような素振りで零は口を開いた。小さく息を吐き。
「――先生から僕が課題を出されていたことを覚えていますか?」
「ええ」
話し出しに葵は頷く。忘れもしない。内容自体は教えられていなかったが、零が秋光を殺したのは正に彼がその課題の中途にある最中だったのだ。……だからこそ。
「〝四賢者として、最も相応しい心構えとは何か〟」
関係はあるのだろう。それを思いつつ耳を傾ける。
「それが先生の出した問いでした。その答え、葵さんなら分かりますかね?」
「……」
推測を進めつつも、葵は答えない。話す零が答えを求めているわけではないと、分かっているが故。
「――〝可能な限り、自らの力を振るわないこと〟」
葵の返答を待たずして告げた、零の声のトーンが一段落とされる。
「賢者のように力ある者は、必要な際にはその力を然るべき形で振るわなければならない。しかしそれ以上に、自分が力を振るわなくてもいい状況を作り保っていくことに注力しなければならない。律されない力は軋轢を生み、やがて問題を生む……」
―――力は問題を生む。
補佐官である葵とて、以前に語りとして秋光から聞いたことがあった。その考えは協調派である秋光の、式秋光という人物の中核を成す思想。現実に数多くの問題がある以上、力を持たないという選択肢はない。
問題に対処するための力は現実に必要。しかしそれはあくまでも積極的に振るわれるためのものではなく、手を尽くしてなお現れる問題に対処するためのものでなくてはならない。自らを律すことを忘れた者たちは各々が振るいたいが為の力を求め、結果として人と異形とを問わず多くの凄惨を生み出してきた。……だからこそ。
力を担う立場にある者は、可能な限りそれを扱わないよう自らを律していかなければならない。力を振るわずとも済むような状況を作るためにこそ注力する。それこそが賢者の責務であり、賢者と言うに相応しいものなのだと。
「……それが、どう――」
「……ああ」
引っ掛かりを覚える点はない。疑問のままに紡ぎかけた言葉が、ゾクリとする声音に遮られる。
「――やっぱり葵さんにも、分からないんですね」
「――」
零の瞳に浮かんだ色合いに葵は声を失う。……あのとき感じたのと、同質の歪み。
「力を身に付けておきながら振るわないなんて、おかしいじゃないですか。僕は振るわない為の力を身に付けたわけじゃない。僕のこれまでを、時間と努力とを捧げて来たわけじゃない。僕は――」
語る零の口調は葵に話しかけているのではない。――吐き出しているのだ。これまで押し隠してきた、彼の本心。
「僕はもっと、この力を振るいたかった。磨き上げた力と全身全霊を尽くして戦えるような、そんな魔術師になりたかった」
言葉の羅列が葵の耳に飛沫となって飛び散る。少し落ち着いたように。
「……三大組織の傘のお蔭で技能者間での争いは年々減っています。凶王派との間でもある種の均衡関係ができているために、かつてのような大規模な戦闘はなくなっている」
葵と秋光が是と、当然のように是と思っていたその中身。
「今もこれからも、四賢者が現場に出向くような必要はないんですよ。力を持って、ただその場所に収まっているだけでいい」
言葉の終わり際で皮肉気に笑う。
「耐えられますか? そんなこと。力を磨くだけで振るわず、ずっと椅子に座っている? それは囚人、虜囚と何が違うんですか?」
床に叩き付けるように吐き出される言葉に、返す中身が思い付かない。
「あの人は僕に僕の望む四賢者ではなく、自分の理想の四賢者を継がせようと思っていた。自分と先生との食い違いに気が付いてから、これまでに随分と悩みましたよ」
その時の苦悩を思い出したかのように、深く息を吐いた。
「今更乖離に気付いたとしても、全てがもう手遅れです。先生の元にいる限り僕は力を好きに振るうことを許されないし、立場を変えて逸れ者になろうにも、状況がそれを許さない」
――それはそうだ。賢者見習いの道を歩んだ者として、それはある意味で当然のこと。葵には、責務として当然と呼べてしまうこと……。
「そんなとき、彼らに気が付いたんです。――初めは偶然でしたがね」
思いがけぬ天啓を得たと言うようにほころぶ顔。
「接触した僕を彼らは思った以上に快く迎えてくれまして。そのときに、この筋書きを思い付いたんです。彼らも丁度協会への駒が不足しているようで、僕たちは利害が一致していた。先生と戦いたいという僕の条件も、なんの障害にもなりませんでしたよ」
「……」
葵は押し黙る。明かされた零の内心。裏切りの経緯。一息には飲み込めないその内容を前にして。
「……貴方が」
辛うじて、覚えていたその問いを紡いだ。
「秋光様を戦いの相手に選んだのは、復讐のためなのですか?」
「……どうでしょうね」
――ただ単に戦いたいと言うだけならば、『アポカリプスの眼』が相手でも良かったはずだ。
「先生に見出されたお蔭で今の僕があることは事実です。あの人は僕を信じてくれていたし、僕が抱いてきた気持ちには気付かなかった。気付いて欲しかったなどと今更言うつもりはありませんし、あの人は好い人でしたから」
動向を先に掴んでいたのなら尚更の事。そう考える葵の前で、零は分からないと言うように首を振る。……自分でも。
「もっと単純で良いと思うんですよ。僕はこれまで積み上げてきた力をどうにかして振るいたかった。力を十全に振るう戦いの相手として、同じ召喚士であり実力者であった先生が相応しいと思った。それだけです」
「……」
「思ったよりつまらない話で済みませんね、葵さん」
何も言えないでいる葵に零は笑いかける。
「――でも、僕は葵さんが羨ましかったんですよ」
話題の転換と共に向けられる眼差しの色合い。その内にある暗めき。
「四賢者になれずとも失望されない。ずれた期待も持たれず、部下として一緒にやっていける。ただ傍にいて、先生を仰いでいればいい」
言って肩を竦めた。冷笑するように。
「随分と楽な立場じゃないですか。できることなら、代わって欲しくもありましたね」
「……零」
その物言い。余りに身勝手な言い分に。
「私はやはり、貴方を赦すことができません」
「でしょうね」
告げた葵の返答を、予想済みだったと言うように零は頷いて迎える。
「それでいいんですよ。僕は僕の好きなように動きました。自分の為に先生や協会員たちを殺し、彼らの理念や信頼を踏み躙った」
呵責なき表情と声音。それでも――と。
「力を振るうことは楽しいし、裏切りにも人を殺すのにも思ったより心は痛みませんでした。僕は先生や葵さんたちとはやはり違う。――だから」
浮かべられるのは以前と変わらぬ、それでいて全く異なってしまった、青年の笑み。
「葵さんも好きにやって下さい。貴女が先生の道を継ごうとどうしようとも、それは僕には全く関係のないことですから」
「……」
「……アポカリプスの眼にいると、どうも落ち着くんですよね」
言葉の出て来ない葵を前に、話は終わったとばかりに零は独り言つ。
「明日を見ていない人たちばかりだからですかね? あそこにいるのは……」
どこか遠くを見るような眼差し。戦いの始まりを予感し、葵が用意を整えようとした――
「――勝てないですよ」
間隙を、台詞が埋める。
「彼らは皆、それぞれの終わりを見据えています。……葵さんたちとはわけが違う」
変貌していく。青年の肉体が、ヒトからそうでないモノへ。異形に侵食されていく青年のその顔が、三千風零の顔が消え去る直前に。
「――良い戦いにしましょう」
ただ一言、穏やかな声でそう言って。
「お互い会えるのも、これが最後でしょうから」
向けた葵の瞳に。歪んだ異形の笑みに取り込まれていく、変わらぬ笑顔が映った。
「――僕の方に気付くなんて」
田中の先導に続いて通路を駆けてきた千景と立慧。角を曲がりホールへと出た三人を、艶のある声が出迎える。
「主力を失った協会にも、まだ力のある人間が残っていたんだね」
紅と黒を基調とした衣装の――女。腰ほどまである長い黒髪に、沈み込むような紅い虹彩が妖しげな魅力を漂わせている。
「歓迎するよ。協会員たち」
「それはこっちの台詞だな」
口の端を上げて飛ばされた台詞に、千景は意識を更に高める。
「わざわざ本山まで乗り込んできてくれたんだ。手土産一つなしで返すのは悪い」
「お構いなく……と言いたいところだけど、そうもいかないらしいね」
自分たち三人を前にしても一向に気負いのない台詞。左右に開けた田中と立慧を捉える眼の動きは平静にして素早く、――強い。嫌でもそう窺い知れる雰囲気が漂っている。悟られぬよう小さく唾を飲んだ千景。まずは仕掛けを――。
「――僕はアポカリプスの眼が一人、《十冠を負う獣》」
陣地術を発動させようとした出鼻に被せられた台詞に、魔力の熾しを止める。……起こるのは感情の凝り。
「……私らを前にして名乗り上げか」
「余裕じゃねえかよ」
「あんたたちみたいな卑怯者にフェアプレイの精神があるなんて驚きね」
杖を手に僅かに身を屈める田中。十冠を負う獣の瞳がそちらへ動いた瞬間、隙ありとばかりに立慧が魔術を発動させた。――気脈操作。
これで今この場における運気は千景たちの方へと傾く。魔力の流れは感知していても術理までは掴めないはず。人数の差、地の利を踏まえても優勢は千景たちの側にあるはずだ。
「零から君たちの事は聞かせてもらっているからね。そのお返しさ」
だというのに――。十冠を負う獣、目の前の女性からは余裕が消えない。此処に至っても動きのない魔力。笑みを止めた眼が千景たちを舐めるように一瞥した。
「……そうだね。君たち相手なら――」
「ッ⁉」
その全身から魔力が立ち昇りかけた刹那、鋭い金属音を立てて空間へ複数の火花が散る。眼に負えぬほどの速度で走った攻防の内訳は、直後に元の位置へと戻った影により示され。
「田中!」
「……意外と堅えな、ガード」
「せっかちなんだねオジサマ。早いと女の子に嫌われちゃうよ?」
舌を打って杖を引いた田中の眼前には、変わらぬ姿の十冠を負う獣が存している。その周囲を取り巻いている異変。
「……!」
――先ほどまではなかったはずの、鎖。鈍い銀色の輝きを見せるそれらが、女性の衣服の裾から、袖口から、胸元から溢れ出し、その身を取り巻いているのだ。……魔道具。それも武人である田中の攻撃を防ぎ切るほどの。
「そっちの心配は無用だぜ。俺は――」
「――なに口走ってんのよあんたは‼」
「【陣地火大】」
「【真力解放】」
言い合いを繰り広げる二人を置いて陣地を展開した、千景の詠唱に被せられる女性の詠唱。
「――『グレイプニル』」
その文言。十冠を負う獣の周囲から空間に穴を空けて出現した夥しい数の鎖に、千景たちは目を見張らざるを得ない。蠢く無数の鎖の先端には鋭利な刃が取り付けられ、随所で音を立てながら此方を狙う蛇の如くにその鎌首をもたげている……。
「神器――⁉」
「あー……、道理で」
――神器。所有するだけで三大組織幹部に匹敵するほどの力を与えると言われている至高の魔道具。道具の側が使い手を選ぶために誰しもが扱えるわけではなく、組織側が把握しているのは九鬼永仙が聖戦の義から奪取した『名もなき栄華の剣』、保管されている『金砂の手套』と――。
「高々七人で組織に喧嘩を売るんだ。これくらいは用意しなくちゃね」
殺気。大型の爬虫類に睨まれたような威圧に立慧が【神行法】を稼働させる。千景が頭の中で有効な障壁と結界術とを選び出した前で、十冠を負う獣はさてと呟き。
「――見せてもらおうかな。君たち支部長の、力のほどを」




