第十五.五節 それぞれの思惑
「……んじゃ、伝えることは伝えたし、そろそろ切るぜ。学校の件、嬢ちゃんにしっかり伝えといてくれよ」
――最後にそう言い残し、黄泉示からの返事を待たずに東は電話を切る。目の前で薄暗い光を放っている画面。型落ちのノートパソコンに表示されたままのメールの本文に今一度目を遣ると、消去するようにパタリと上蓋を閉じた。
「……」
先ほどの黄泉示との会話を思い起こす。東の話を聞いた黄泉示の反応は然程大きなものではなかった。それなりのサプライズにはなるだろうと思っていたのだが。
どうやら黄泉示も今となっては東が何をするのかについてある程度予想が立つようになってきたらしい。長い付き合いというのは、ときに厄介なものでもある……ないはずの箱から癖で煙草を取り出そうとした指を止めて、そんなことを考える。
黄泉示と共にいる少女、フィア・カタストを彼と同じ学園に通えるようにしたのはほんの気紛れだった。過去に縛られている黄泉示に、少しでも違う何かに目を向けて欲しい……。
そんな自分の身勝手な願いがそうさせたのだろうと、そう東は自らの行動を分析している。昨日調査の途中で黄泉示の通う学園の創設者の名前を目にし、どこかで見た名前だと気付かなければできなかっただろう芸当。以前に命を助けた相手から渡された名刺の。
あのとき助けたのは二十代そこそこの若造だったと記憶しているが、学園のホームページに載せられていた写真は随分と貫禄が出てきているように思えた。物持ちは良くしておくものだな……と東は思う。
身元不明の少女一人を生徒扱いにしてくれという至極難題な頼みであったにも拘わらず、快く引き受けてくれた懐の深さには頭が下がるところ。三十分に渡る昔話と説得、恩人であることの強調で快諾してくれるのだから、人間もまだまだ捨てたものではない。
「それに、こっちはこっちで問題あり……だしな」
テーブルの上に置かれた書類。東が当たった各ツテからの連絡書類で、〝該当無し〟という文字だけが目立って鮮明に記されている。
……記憶喪失の上、発見時には一般人から認識されていなかった……。身の周りのものさえ何一つ持っていないに等しかったという特殊な要素、極めて整っているという容姿の件まで含めれば関連する事件の特定は容易だと、初めの内は東もそう考えていた。
だが考えられるツテの殆んどを当たってみたにも拘わらず、結果として得られた成果はゼロ。幾つかのツテは正直端から期待していなかったのでともかくとして、現役時に最大の情報源として重宝していた情報屋たちからもなんの情報も得られなかったというのは小さくない驚きだった。しかも……。
どの情報屋も、東が切り出すまでそれらしい事件が起こっていることさえ知らなかった様子だったことが気にかかる。一人二人ならそういった事態が起こり得ることは東とてよく理解しているが、十を超える数に当たってそのような事態が起こるのは極めて稀。単なる偶然であるのか、それとも。
「……」
無論――より程度の低い原因も考えられた。東が特殊技能者としてある種の拍を付けられた人間であるとはいえ、既に引退した身であることは誰もが知るところ。
つまり今回の調査は相手からしてみれば、プロからの真剣な依頼ではなく、ロートルの趣味的な頼み事と映る公算が大きいということだ。その状況下で……。
依頼人その他の生命や進退に関わる用件ならいざしらず、今回のような単純な身元調査、それも長らく音沙汰がなかった人物からの唐突な依頼に対し、果たしてどこまでその調査力を遺憾なく発揮してくれたことだろうか。……ただでさえ、以前のルートでは連絡が取れなくなっている者もいるというのに。
「……ま、仕方がねえよな」
ぼやくように呟く。一線を退き、技能者の世界から離れた痛手を今更になって痛感させられている気分。世の中の流れから取り残されてしまっているような感覚は、自分一人、仲間と共に各地を駆け巡っていた日々の中では、決して味わうことがなかった情動だ。
「……止めだ止め。こんなこと考えてても何にもなりやしねぇ」
敢えて声に出すことで虚しい回想に区切りを付ける。……今考えるべきは黄泉示のこと。そして黄泉示が助けたフィアとかいう少女のことだ。
ツテには当たってみたがそれらしい情報は掴めなかった。ここから考えられる主なケースは三つ。一つ、特殊技能者の全く関わりのない一般の事件である。二つ、報告してきた奴らの怠慢か力不足。三つ、……当たったツテでは、そもそも知ることが難しい。
一つ目の事情であれば差し迫った問題はない。問題はあとの二つであり、それを確かめる方策は……。
「……はあ~~……」
大きく息を吐きながら軋む椅子の背に倒れ込む。……溜め息をついたのは、考えてもまるで少女に関する情報の糸口が見えてこないことについてではない。これから自分が取るべき行動を思うと、どうしても気が進まなかったのが主な原因だった。
情報屋たちが真剣に動いていない可能性がある。そうでなかったとしても、個人として動く彼らには元よりいかんともし難い限界というものがある。それを考慮して思い浮かぶのは自身に残されているであろう、二つの大ツテ。一方は非特殊技能者界において大きな情報網を持つ人物の、そしてもう一つは……。
「……連絡、してみっか」
ボソリとした呟き。引退して以後、その人物と東とはどちらからも殆んど連絡をとっていなかった。同時期に組織を抜けた他二人と違って現役を続ける彼に引け目を感じていたということもあるし、加えて近頃では彼はある大きな問題に巻き込まれ、その処理でひたすらに忙しい日々を送っていると耳にしていた。
彼から東の方に連絡を取る余裕はなかっただろうし、東としてもそんな状態の彼にわざわざ時間を割かせるような用件があるわけでもない。今頃は流石にもうだいぶ落ち着いてはいるのだろうが、それでもやはり連絡をとることは躊躇われる。……だが。
「ふぅーー……」
――それももうそろそろ、終わりにすべき時期なのかもしれない。
自分は決して逃げたのではない。愚かしくも自分が失わせてしまった者に対して少しでも、できる限りの償いをしようと思った以上は、ああするよりなかったのだ。……そして今回の一件は、紛れも無くその償いに関わっている。その為にも……。
「――ま、自業自得、ってことだな……」
ここで背を向けていることはできないだろう。些か自嘲気味な思いに駆られながらも意を決した東。彼の知るその番号に向けて、ダイヤル上の指を走らせ始めた――。
「……漸く着きましたね」
目の前に聳え立つその巨大な岩窟を認めて青年は息を吐く。魔術で隠された入口から中へ入り、穏形を解除。目立つ衣装を顕にした男と並び、遠くなる光を背に足音を響かせて進んだ先。
「――やあ」
高さ幅共に数百メートルはあるだろうか。広大な空間に踏み出た青年と聖職衣を纏う男性を、緊張感のない朗らかな声が迎える。……全体的にヨレヨレとした身なり。
「お帰り。首尾はどうだった?」
青年たちに向けて穏やかに声を掛けるのは、中年を過ぎたと思しき一人の男。厳めしさに欠ける顔付き。疎らに生えた鬚とナチュラルな頭髪からは素朴で人の好さそうな印象を受けるが、その他にこれといった特徴があるわけでもない。
背丈と体格はどこまでも平均的で、見方によっては外見以上の若さがあるようにも、同じく経験値があるようにも見える。そんな平凡極まりない男。
「特に何と言うことはない。事は全て順調に進んでいる」
「予定通り、支部長は始末しておきましたよ」
答えた二人のうち、ローブを付けたままの青年の方が、話し掛けてきた男の奥の暗がりへと目を向けた。
「……他の皆さんも、もう揃っているようですね」
「もうとっくにね。君たちで最後だよ」
答えたのは年若い声。恐らくはまだ二十歳前後と思われる女の声が、ローブ姿の四人の中から飛ばされる。
「済みません。痕跡を消しながらここまで移動するのに少々手間取りまして。クロムウェルさんがローブをなくしていなければ、もう少し移動が楽だったんですが……」
「え、なくしちゃったのかい? あのローブ。まだ記録してないんだけど……」
「支部長の手腕でな。まあそう言うな」
初めに二人を出迎えた男の反応に対し、聖職衣の男が笑いながら執り成す。
「事のついでだ。何もかも順風満帆というのでは面白みもないだろう」
「まあ……次はなくさないように頼むよ。作るのには結構苦労したんだ」
「だがそのことは別にしても、予想以上に三組織の動きが迅速であるのも確か」
男がどこからか取り出した新しいローブを手渡す横で発せられる、低い男の声。他の者たちと比べて一際大柄なその体躯。ローブを羽織った上からでもなお、筋骨隆々とした巌のような筋肉を纏っていることが見て取れる。
「何か特別に、彼らを焦らせるような要因でもあったか……」
「どこの誰とも知らぬ輩に戦力を潰された上、犯人も特定できないのでは彼らの面目も丸潰れというもの。沽券に関わるとあって、なけなしのプライドを守るのに必死になっているのではなくて?」
嘲笑めいた含み笑いを声音に乗せたのは先ほどとは別の女性。声にも滲み出るプライドの高さ。決め打つような女の言葉に、その場にいる誰かが口を開こうとする気配がし――。
「――違うな」
全くの前触れなしに。別所から飛び込んできた男の声に、それ以外の気配が一瞬止んだ。……ただ意見を発した。
「姿なき敵の犯行……組織側からしてみれば、これらの事件は全て永仙による犯行だと見えているはずだ」
それだけのことで、その場を囲む者たちの空気が僅かではあるものの、明らかに変化を遂げる。……声に秘められた深い海のような落ち着きと、氷河もかくやと言うべき冷厳さとが。
「……そういえば僕も聞きましたよ。今回僕たちが仕留めた支部長ですが、何日か前に支部への襲撃を受けた際、彼の姿を目撃していたとか」
男の声に導かれるようにして、言葉を口にした青年。
「下部の構成員にはまだのようですが、上層部には既に情報が伝わっていると見て間違いないでしょう。先日協議も行われたことですし」
「……なら今頃三大組織は大慌てだろうね。警戒体制の設置がやけに早かったのも頷けるよ」
「まあ彼の思惑については分かりませんが、何にせよ組織に刃向ってくれると言うなら有り難い事です。こちらはそれに紛れる形で事を勧められるでしょうし、場合によっては漁夫の利を得ることも狙えるかもしれません」
「……」
「……あら」
青年と年若い女性とが意見を交わす中にあって、この話題の始まりであるはずの男がなぜか以降の沈黙を守っている。その様子を見咎めたのか、面白半分といった口調で先の女が男に問いを投げ掛ける。
「彼について、何か思うところでもあるのかしら?」
「……いや、特にはない」
否定する男。だが先ほどまでの言葉と違い、冷厳さの引いたその口調にやや歯切れの悪さが目立っていることは明白だった。会話を聞き、聖職衣の男が口を挟んでくる。
「とうに袂を分かったとはいえ、かつての盟友。やはり動向は気にはなるか」
「そんなことはない。ただ……」
再度他者の意見を否定し、一転して冷徹さを取り戻した声で男は言った。
「襲撃が成功し、奴が我々にとって都合よく動いてくれているとはいえ、なお三大組織の力は強大だ。……僅かでも浮かれれば足元を掬われるということ、各々が今一度胆に銘じておくべきだと思ってな」
「――分かっているとも」
楽観的な見方をしていた人間に対する皮肉とも取れるその言葉に、大柄な影が頷きを返す。
「事が起こるとき、そこには一片の呵責も良心もない。ただ須く……我が悪逆を押し通すのみ」
「……毎度のことながら、心強いですことね」
「――さて」
巨躯の男の携える鉄塊を目にして青年が頷いたとき、それまでとはやや語調を変えた女性の声が場に満ち満ちた空気を切る。
「報告も済んだことだし、行ってもいいかな? もう一つの方もそろそろ忙しくなりそうなんだ」
「構わないよ」
心なしか、ローブの上からでもそうと思い描ける程度には浮き足立っているように感じられる声調子。その様子に気付いたかどうかは定かではなかったが。
「今日集まってもらったのはそれぞれの首尾を報告してもらう為だったし、計画の中身に変更はない。……次集まってもらうのは決行のときかな? また近くなったら声を掛けるから、それまでは好きにしてくれていて構わないよ」
「助かるよ」
中年の男は快い返事を女性へと返す。軽く会釈をするようにして女性が感謝の素振りを見せたあとで、では、と。
「僕もお暇しましょう。余り長い時間ここにいるのもなんですし、戻るのは早い方が良い」
「立場のある二人は大変ね」
青年もまたローブと共に踵を翻した。その背中に向けて飛ばされた軽口。
「二足のその草鞋、脱げないように祈っているわ」
「心配は無用ですよ。僕にとっては遣り遂げてこそ意味のあることですから。……それでは――」
その主である女にわざわざ振り向き、そう告げてから青年は歩み去っていく。離れていく姿はすぐに闇の中へと溶け、数歩のあとには完全に見送る者たちの視界の中から消え去っていた。その様子を眺めて、続こうとした女性に――。
「――文」
冷厳な男から掛かる一声。立ち去ろうとした若い女性は反応して足を止めたが、先の青年とは違って、完全に振り返ることまではしていない。肩越しに視線を後方へ流し。
「なんだい、小父さま」
「言うまでもないとは思うが、くれぐれも気を緩めるな。――特に、身の振る舞い方についてはな」
「……分かってるよ。襤褸が出るような真似はしないさ」
水を差されたような声音でそう返すと、女性も暗がりの中に姿を消す。……残されたのは五人。ローブを付けたままの三人と、聖職衣の男。それと変わらずにこやかな表情をした中年男性一人が広い空間の中に佇んでいる。先んじて――。
「……私も部屋に戻るとするわ。大仕事の前に、一度書庫の手入れもしておきたいもの」
声を発したのは高慢そうな女。出口へと続く闇を暫し見送ってからそう言って背を向け、確固たる足取りで輪から離れていく。壁際で一瞬光が見えたかと思うと、直後に消え失せているその気配。
「……どうする? 親睦を深める為に、四人でトランプでもするかい?」
「生憎今日の鍛錬が終わっていない。残念だが、その話はまたとさせてもらおう」
「私も遠慮させてもらう。……今は決戦のときに備え、力を蓄える時分なれば……」
共に参加を拒絶し、どちらからともなくその場を去っていく二人。発光に連れて同じように消える気配に。
「あーー……、どうだい? 二人でババ抜きでも……」
残ったのは冷厳な気配の男。粘る中年男性に、冷たい一瞥をくれたあと。
「……一人でやることだな」
不参加を表明してその場をあとにする。三度消える気配に、一人洞窟に取り残された。
「……ははは……。皆、協調性がないなぁ……」
中年男性の乾いた呟きだけが、虚空へと虚しく溶けて消えていった――。
次回の投稿から第二章に入ります。




