第十九節 帰還 前編
――深夜の間に密かに『ギムレット』へと戻ってきた、翌朝。
「……ふう」
数時間の睡眠。いの一番に起きて身支度を済ませ、地下の部屋へと降りて来る。……俺以外にはまだ誰も起きていない。正真正銘、一人きりの時間だ。
「……」
〝この呪具の使い方はとっても簡単〟
右手に嵌まるリング――見つめる脳裏に、シンシアさんの説明が浮かぶ。
〝この指輪はね、キミの望むことを叶えてくれるの〟
〝叶える?〟
〝そうそう〟
尋ね返した俺に、シンシアさんは笑みを浮かべて。
〝大事な仲間を守ることも、憎い敵を討ち斃すことも。……キミのしたい事を全部全部、叶うようにしてくれる〟
穏やかな声で、歌い上げるようにそう言った。
〝当然対価は必要になるけどね。まあ、初めは軽いものから使ってみてよ。そうじゃないと早速死んじゃうかもしれないから〟
「……」
息を吐く。……どこまで本気だか分からないような言動だったが、とはいえ概ねのところは本当なのだろう。
賢王も言っていた。通常の魔具に比べて強力な力を持つ代わりに、負の情念から生まれた呪具は例外なく何らかのデメリットを持つものなのだと。シンシアさんの〝死んじゃうかもしれない〟という発言も恐らくはそれを指してのもの。……まずは言われた通り、小さなことから試してみるしかない――。そう判断して気合いを入れ。
「精が出ますね」
「――‼」
――直後。前方から掛けられた声に顔を上げる。……まさか。
「このような朝方から訓練とは……」
目の前に立っていたのは賢王。……一体いつの間に。普段と変わらずに抜かりなく整えられているその身なりは、俺以上に早い時間から起きて用意をしていた証のようにも見える。完全に予想外となる動向に、動きが止まり――。
「昨日の今日で見上げたものです。疲れてもいるでしょうに、そこまでする動機が果たして何かあるのでしょうかね?」
「……」
裏を含めた言い振りに冷や汗が伝う。――見透かされている。最近は慣れてきたと思っていたその作り笑顔が、今は何よりも恐ろしい。
「――呪具の力を使うつもりなら、なぜ私かエリティス、せめてあの賢者見習いにでも声を掛けなかったのですか?」
「それは……」
――無論、理由がないわけではない。
賢王にはシンシアさんの所まで連れて行ってもらった分、借りがある。エリティスさんはフィアたちの指導をしている上に昨晩出迎えても貰った。互いに休息が必要なはずで、起こすわけにはいかない。……郭もまた連日遅くまで修練を積んでいる身。やはり二人と同じことが言える。それに……。
――呪具のことはあくまでも、俺自身の問題だ。
力が足りないのに戦いたいと望んだ結果として、俺は呪具を手にすることになった。力の制御も把握も、やらなければならないのは俺自身。そんな極めて個人的な事情の為に、わざわざ時間を取らせたくなかった……。
「思っていましたが、貴方は少し周囲への遠慮が過ぎます」
それが本音である俺に向けて、賢王は諭すように声を紡ぐ。
「普段からでは論外といえ、必要な時は頼りなさい。取り返しのつかない失敗をしてからでは何もかも遅いのですよ」
「……ああ」
その通りだ。俺が此処でしくじれば、それはフィアたちに迷惑を掛けることにもなる。頼っても良いのなら――。
「……分かった」
「それでは、見ていますから」
頼らせてもらおう。傍観にはいる賢王。その前で早速呪具の力を使おうとして――。
「……」
「――どうしました?」
「……いや」
訊いてくる賢王に、躊躇いがちに。
「何を思ったものか、と思って。ここで――」
「……それすら決めないで、呪具の力試しをしようとしていたのですか?」
「……」
ぐうの音も出ない。気が逸るとはこういうことか。傍から見ていればさぞ間抜けだろうが、実際自分の身で起きてみると何とも言えない気持ちになる。
「はぁ……全く」
呆れたように息を吐いた賢王。聞き取れないような声量で何かを呟き。
「――世話が焼けますね、貴方たちは」
「ッ!」
――瞬時に吹いたのは一陣の風。反射的に顔を傾けて躱した俺の頬を、暖かな何かが掠めていく。振り返り映し出された視界の先。
「――」
……鳥とは思えぬ神々しい出で立ち。昨日目にした不死鳥の姿がそこにあった。あの時と違い炎は出しておらず、熱も纏っていない。しかしその身に漂う威厳は変わらず本物だ。
「これに貴方を襲わせます。見ての通り炎は使いませんが、普段の貴方なら十中八九敵わぬ相手」
賢王の言に応じてか、不死鳥がその翼を広げる。――これに?
「無意味に傷を増やした無様な姿を晒したくなければ、精々早めに呪具の力を引き出すことです」
宣告と同時。反論の余地も無いまま不死鳥が、一直線に突っ込んできた‼
「っ!」
反射的に発動した【魔力解放】――向上する身体能力に任せて飛び退くが、躱し切れない。……見た目からは想像もつかないほど硬く鋭利な鉤爪。触れた俺の肩をバターでも通すように切り抜ける感触に堪らず『終月』を抜き放つものの、赤の翼は既に視界から飛び去った後。
「ッ――⁉」
振り返り構えた矢先に映り込む赤銅の軌跡に目を見張る。――何て速さだ。全力で追ってなお空中に残される残像。ジェインの【時の加速】があったとしても見切れるかどうか――。
「――グッ!」
視界の端に消えた軌跡に嫌な予感を覚えた直後、背後からの突貫を受け声を上げる。脇腹に走る鋭い痛み。振るった刀身はやはり、虚しく宙を掻くだけに終わらされ。
――マズイ。
焦りの中でその思いが脳裏を支配してくる。【魔力解放】は賢王の糸を防いだ時と同じ。全身の魔力を可能な限り収束させている状態だが、不死鳥の爪はそれを物ともせずこちらの身を切り裂いてきている。速度も今の状態の俺がまるで追い付けないほどのもの。敵うはずが――。
「……惚けている暇があるのですか?」
呆れるような声。その響きに一瞬、背筋の凍るような予感を覚えた――。
「ガッッ⁉」
――完全にその姿を見失っていた俺の頭上から強烈な一撃が脳天を直撃する。……痛みと衝撃に身体が痺れ、意識が揺れる。【魔力解放】が――。
「……っ‼」
寸前で踏み止まり、闇雲に振るった終月の刀身。その直後に後悔する。――こんな闇雲の攻撃が当たるわけがない。逆に生まれた隙で、また一撃を貰ってしまう――!
……だが。
「……?」
俺の予想に反して不死鳥はこの機を突いて来ない。俺の一撃を大きく避けるようにして、再度距離を空けた――。
「――」
――そうか。
今更ながらに気付く。……これはあくまでも訓練なのだ。呪具の力を試すことが目的で、その暇さえ与えないような攻撃は仕掛けて来ない。今は機を逃したのではなく、敢えてこちらに余地を与えてきただけのこと。
血の味のする唾を飲み込みながら、体勢を整える。……攻めに加減があるとはいえ、それでも流れる血と痛みは本物。食らい続ければ重傷になることは必然――。それを理解することで漸く意識が落ち着きを取り戻すことを自覚する。……賢王と不死鳥は真剣だ。その本気に、俺も応えなければならない。
――どうする?
警戒の中で回転させる思考。……このままでは不死鳥の攻撃を凌ぎ切ることは到底無理。どう足掻いても次の二、三撃で終わりだろう。――とにかく相手の動きが速すぎる。目端で捉えても身体の反応が追い付かない。
……もっと。
そんな声が脳裏に木霊する。――もっともっと、よく見ることができれば。そう思った直後――‼
「……っ⁉」
――見える。
感覚に思わずした瞬き。……不死鳥の動きが。幻覚や妄想などではない。目の前に広がる映像は確かな現実感を持って、俺の脳裏に流れ込んできている。
これは一体――?
「……!」
疑問を検討する暇もなく、向きを変えた不死鳥が此方に突撃してくる姿を認識する。攪乱するように変化と緩急を付けた複雑な軌道だが、それも今の俺の目にははっきりと捉えられていた。ジェインの【時の加速】のように不死鳥の動きが遅くなったのではなく、明らかに俺の眼球の動き、動体視力が高まっているのだ。
「――」
――だがそのことで。逆に自身に対応が不可能であることを理解してしまう。……目で見える動きに身体が追い付いていない。このままでは先ほどと同じように攻撃を喰らうだけに終わる。
――なら。
「ッ――!」
刻々と近付く不死鳥の翼。――望むことは決まっている。見える不死鳥の動きに追い付けるように、俺自身の動きを加速させること――‼
「――」
そのことを望んだ瞬間、身体に変化が起きていることに気付かされる。……軽い。はっきりと見えるようになった視界の中で鉛のように重かった身体が、羽のように。
「――っ‼」
――行ける。確信と共に力のこもる脚で前へ出る。これまでにない勢いで強く地を蹴った踏込み。俺のその所作を予測していなかったのか、焦って向きを変えようとした不死鳥の動きが映る。威嚇するように突き出された嘴を俊敏な動作で掻い潜り、その足首を掴んだ――!
「……!」
――こういうことか。
逃れようともがく不死鳥。その抵抗と羽毛の感触を手に、思う。……〝望むことを叶えてくれる〟。見ようと思ったものが見えるようになり、動こうと思うまま身体が動かせるようになった。これがこの呪具の、『破滅舞う破滅者の円環』の力……。
「――お見事」
掛けられる声。次いで賢王が一度手を叩くと、羽を振るいながらもがいていた不死鳥は俺の手に微かな熱を残し、霞の如くゆっくりと消えた。
「中途の気抜けとミスはあからさまな失態ですが、呪具の力を用いることについてはひとまず成功と言えますね。――何か反動はありますか?」
「……いや……」
言われて呪具のリスクを失念していたことに気付く。即座に自身の状態を探るが、特別分かるような変化は無い。
「特には――……っ⁉」
――何だ?
不意の違和感。……視野が霞む。長時間本を読み続けた後のように、映るもの全ての輪郭がぼやけている。思わず目をこすろうとして――。
「――ッ」
腕が思うように上がらなくなっていることに気付く。……身体が重い。不死鳥との攻防はごく短時間。特に激しい動きも無く体感で五分も経っていないはずだが、それとは不釣り合いなほどに筋肉が疲労している――?
まさかこれが――。
「なるほど……」
「――っ」
声。俺でも賢王でもない第三者のそれ。
「これはまた。中々に興味深い力ですね、Mr.蔭水」
「……エリティス」
「……エリティスさん」
「おはようございます。お二方とも」
振り返った先。ぼやけがちな俺の視界に姿を現したのは――エリティスさん。……いつ見ても爽やかな笑顔だが、頭にナイトキャップを付けていることから賢王とは違って寝起きのようだ。馴染みの魔術で存在感を消していたと分かっても、この出現は心臓に悪いな……。
「――朝から客人を盗み見とは。また一段と手癖が悪くなったものですね、エリティス」
「ああ。非礼をお許し下さい。家の中で妙な力の気配を感じて、目が覚めてしまったものですから」
「それにしても」
ジョークを交えた軽いやり取りを交わして、賢王が再び俺の方に顔を戻す。
「所有者の潜在的な力を引き出す呪具とは。シンシアも面白い道具を見繕ったものです」
「――」
力を、引き出す――?
「しかし、やはり代償は避けられません。――エリティス。貴方の目から見て、先ほどの蔭水黄泉示の様子はどう映りましたか?」
「強化に相応の負荷を受けたかと。デメリットとしては妥当なところではないでしょうか」
「そうですか。概ね同じ見解の様ですね」
実力者たる二人の間で流れるように会話が交わされていく。……その呪具を持っている本人は、肝心の中身がさっぱり分かっていないのだが。
「貴方も気付いたと思いますが――」
俺の反応を見止めたのか、向き直った賢王が言う。
「その呪具は、貴方が持つ潜在能力を一時的に引き出すものでしょう」
「……潜在能力?」
「ええ。不死鳥の動きを捉えたことも、それに見事な形で対処為し得たことも」
俺の問い返しを受けて、賢王は語りを続ける。
「本来ならそれなりの時間を掛けた修練の成果として表れるはずのものです。しかし先ほどの貴方は、努力なくしては得られないその成果を先取りする形で披露してみせた」
聞く。……なぜかエリティスさんまで隣で頷いているような気がするが、気のせいだろう。
「そして代償は削除されたその努力自身に纏ろうもの。本来扱うに足りぬ身で今以上の力を振るう代わり、それに応じただけの負荷が肉体に圧し掛かると見えますね」
……なるほど。
今聞いた話を自分なりに整理していく。――鍛錬で扱えるようになるはずの潜在能力を引き出す呪具。但し修練無しで力を扱う代わり、俺の身体には引き出す力に相当した負荷が掛かる。先に目が霞んだ、身体が重くなった理由も、本来現時点では発揮できないはずの力を無理に使ったから、という解釈で良いのか。
ということは――。
「……つまり、これ以上力を引き出そうとすれば――」
「今以上の負担となることは間違いないでしょう。疲労が重なるのは愚か、組織自体の損傷という大事にも繋がりかねません」
――やはりそういうことになるのか。シンシアさんに言われた言葉の意味が今漸く分かったような気がしてくる。……効果は確かに強力だが、扱い方も難しい。呪具の名に恥じないハイリスクハイリターンな代物だ。
となると、問題の一つは。
「――どこまで当人の能力を引き出せるのかというのは、気になるところですね」
俺が思い浮かべていたのと同種の疑問を提示するエリティスさん。……そうだ。潜在能力を引き出すと言っても、果たしてどこまでの事が可能なのか。それによってやれることは随分と変わってくる。
「それもそうですが、いつ負荷が来るか、ということの方が重要でしょう。戦いの最中で突如疲労や眩暈に襲われていればそれこそ死にに行くようなものです。力を使った際、いつどんな形で代償が現われるのかについてはよくよく把握しておかねば」
また違った意見を口にした賢王が、何やら立ち上がった――?
「細かい調節でしたら、やはり私自身が舵を執った方が良いですね。あらゆる点で融通が利きます」
「え、ちょ――」
「手順は先と同じです。しかし、今度は先ほどのように甘くありません」
何やら準備を整えたと思しき賢王に狼狽する。加減しているとは思っていたが、あれで甘い? つくづく俺と賢王では基準に差がある――。
「無理だと思った時点で早めに言いなさい。多少苦しくはあるでしょうが、訓練に痛みは付き物です――」
「――ッ‼」
――いつの間にかエリティスさんが壁際まで退避している。そんなことを、頭の片隅で覚えながら。
先の疲労などに意識は遣れず。ただ今を死なないためだけに、俺は『終月』を構えた――‼




