第十八.五節 芽を摘む者たち
「――急げッッ‼」
階下に響き渡る絶叫。その声に背中を押されるようにして、数人の人物が通路を駆けて行く。切迫した空気。
「――はっ、はっ――」
白い鎧を身に付けた騎士たちに囲まれるようにして中央を走っているのは、どこか気品のある女性。走るには凡そ向かないだろうと思えるドレスが、荒い呼吸を嘲笑うかのように優美なその裾を踊らせていた。
「陛下、お早く! 彼らが賊を押さえておけるにも限界が――!」
彼女の疲労を知りながらも殿を務める騎士がそう叫んだ、――直後。
「ガアアアッッ⁉」
――悲鳴。凄まじい破砕音と共に、一纏まりとなって進む騎士たち、その直ぐ後方の通路の壁が文字通りに砕け散る。弾け飛ばされた岩の破片から女性を守るため、騎士たちがその身を呈して防御の陣形を取った――。
「――ちいっ! もうここまで――!」
焦燥に満ちた声。それに応えるかの如く、一つの影が瓦礫の最中から立ち上がる。……信仰者であれば見慣れているだろう聖職衣。博愛と安寧を説くはずのそれが足元に血塗れの鎧騎士を敷いている光景は、冗談を通り越して悪夢とすら言える印象を見る者に与えた。
「……護衛騎士団、『白き手』」
現われた男が動けずにいる騎士たちを見遣る。
「鎧を着こんでいるといえ中々のものだ。……よく訓練されている」
血に染められた諸手。重装の騎士たちを素手で幾人となく仕留めた男の目が捉えるのは、守られている女性の怯えた表情。
「女王を守るのに、どこまで持つか――」
「陛下、お下がりください!」
後ずさる女性を脅威から遮るように騎士たちが前に歩み出る。その様を鼻で笑うようにして、男が無造作に一足距離を詰めた――。
――刹那。
陣形を取った騎士団、その真横を一陣の疾風が吹き抜ける。辛うじてその残像を捉えた者の目に映るのは、眩い白。
「――!」
応じた男との間で刹那に拳と剣が乱れ舞う。……一瞬の均衡の後、聖職衣の男が凶器たるその身体を飛び退くようにして後ろへと退き下がらせた。
「――おお!」
「――ロレンス!」
騎士たちから、女性から歓声が上がる。姿を認めた彼らの表情に広がるのは、安堵と暖かみのある赤。
「――申しわけありません」
男の前に立ち塞がったのは、純白の鎧を纏う騎士。振り返らずに発された声音は壮年と言うにはまだ若く、しかし、聞く者の胸に希望の火を灯すような力強さを秘めている。
「ご息女様たちの退避に手間取っておりました。処罰は何なりと」
「構いません。娘たちの避難は済んだのですか?」
「はい。ご安心ください。姫様たちは既に安全な所へ退避させています」
「――良かった……」
胸を撫で下ろす女性。その仕草、面持ち、零れる声の一つ一つから、母として愛する子への思いが伝わってくる。
「……お前は」
「――護衛騎士団『白き手』団長、ロレンス」
迎えて挙げられた名乗り――向ける切っ先と共に発せられるのは、澄み切った闘気。
「何処の手の者かは知らんが、私が来た以上、陛下には指一本触れさせん――」
声の端々に込められた意気が感じられる。――揺らぎのない強固な意志。それが騎士の全身を包み込み、一本の剣と化しているようだった。ましてや相対しているのであれば突き付けられた気迫は烈日の如く、対象の心身を焦がしている。
「……なるほど」
その気迫を意識しているように。しかし気圧されはしないまま口を開いた男。
「お前がロレンスか。噂には聞いていたが、他の騎士たちとは練度が違うな」
顔の方向を変え――。
「――どうだ?」
あらぬ方角へ、声を飛ばした。
「……?」
その意図を図りかねる騎士団員。仲間内で一瞬顔を見合わせるも、誰も何に男が話し掛けたのか分からない。
だがその直後――。
「……」
先ほど男が破った壁の中から、一人の人影が姿を現す。……騎士団員の誰も、今まで其処に誰かいたことを感じることすらできなかったにも拘らず。
「――」
聖職衣の男と変わらぬ軽装。闇の如くに暗い魔力を纏わせてはいるものの、着流しのような布切れは団員たちの着ける重厚な鎧とは比べるべくもなく、腰に下げられたのは見るからに脆弱と思しき東洋の刀。装備の差は歴然であり、目にした者なら誰もが騎士たちの優勢を確信しただろう。
しかし――。
その人物が姿を現した瞬間、ある種の本能的な直感が団員たちを貫いていた。――格が違う。
直後に理解が追い付く。……自分たちが獅子であるならば、この男は天を意のままに泳ぐ龍。狩られる身であるのは必定、こちら側であると――。
「――」
ロレンスもまた、現われた男に対し目を向けている。だが一様に畏怖の色を浮かべる団員たちとは異なり、その面持ちにはどこか、言い難い心情が込められているように感じられた。
「お前から見ても手古摺るようなら、二人掛かりと言うことになるが」
「……必要ない」
「だろうな」
どこか場違いに和やかな空気を醸しつつ、聖職衣の男が後から来た男に道を譲る。動作にしてたった一動作。それだけでも団員たちの恐怖を煽るには充分だった。……新たに現われたこの男は、今まで自分たちが相手取っていたあの男より格上やもしれぬと。
「……」
仲間の動きに応じるようにして前に出た男。半ば死を予感しながらも、女王を守ろうと団員たちが決死の覚悟を固めた直後。
「――待て」
落ち着いた声音が場に響く。恐らくは、団員の誰もが予想しえなかっただろう展開。
手を突き出すロレンス。利き腕に持たれた剣は切っ先を下げられ、当座の敵意がない事を表している。まるで男の歩みが、それで止まるとでも信じているかのように。そしてこちらもまた、大方の騎士団員の予想を裏切って。
「……」
――応じるように男が歩みを止める。……静かな眼差し。得物に手を掛けることなく佇んでいるその様は、自らに声を掛けた相手が話し出すのを待つ態度に相違ない。
「『救世の英雄』、蔭水冥希殿とお見受けする」
「――何?」
騎士団の間に広がるざわめき。――『救世の英雄』と言えばその名は誰もが知り得ている。かつてアポカリプスの眼を下し世界を危機から救った、紛うこと無き英傑たち。直接的な関わり合いの無い『白き手』の中でも、史上稀に見る偉業を成した彼らに尊敬の念を抱いている者は少なくない。
しかし今自分たちの前にいるこの襲撃者が、その一人――?
「私は以前に一度、貴方に会ったことがある」
男の反応を気に留めず、ロレンスはただ語りかける。
「逸れ者による無差別誘拐事件の時だ。……あの時私は、貴方に命を救ってもらった」
告げられる過去。声に込められたのは、万感の想い。
「貴方ほどの人物が、なぜこのような輩に手を貸している?」
「……」
男は答えない。ただ差した刀に手を掛けた、それを返答としているかのようだった。
「……三大組織に起きているごたごたと、関係があるのか?」
声に緊張を含みながら、なおも語り掛けたロレンスの言葉――。
「――」
男がロレンスを見据える。意図の読めない眼差しに一瞬たじろぐも、直ぐに気を取り直したロレンス。
「――良い勘をしている」
初めて男の側から語り掛けた、――声。
「力量の方も確かなようだ。知恵があり、力があり、人望がある――」
氷のような目付きでロレンスの背後に立つ騎士たちを一瞥しつつ。……男が抜き放ったのは、手に持つそれと同じ黒色をした二振り目の刀。
「――放置しておけば障害となることは、間違いないな」
瞬間、その場にいる誰もが理解させられた。……静けさを撃ち破るようにして発せられる、目の前の男が放つ、強烈な殺気を――!
「――フッ!」
同時にロレンスもまた行動を起こす。――迅速にして果断。唸りを上げる白銀の剣から放たれたのは、猛速で空を裂いていく衝撃波。空気を断裂させて進む風の刃が男に回避を強要させ、その挙動を押し留める。
「急げ‼ 陛下を脱出させろ‼」
「は、はッ!」
殺気に射竦められていた騎士たち。ロレンスの号令に金縛りが解かれたかの如く動き始めた彼らの前で。
「――やれやれ」
応答の後を過る声。耳にした団員たちの背筋に、怖気にも似た恐怖が走る。
「意気込むのは勝手だが、忘れられるのは気分の良いものでもないな」
聖職衣姿の男。仲間が現われてから主だった所作を止めていた使い手が、動く。
「冥希が奴の相手をしている間、お前たちの相手は私が務めるとしよう――」
一つ息を吐いて歩み出す。相対する敵が一人でないことを思い出し戦慄する騎士たち。もう一人への警戒は保ったまま、男を止めようとロレンスが僅かに体をずらした――。
――だが。
「……」
前に差し出された手に、男のその動きが止まる。……もう一人の襲撃者。
「一人で充分だ」
「……」
冥希と呼ばれたその男が自らの仲間を押し留めている。――言い切る台詞。自らを遮ったその腕を、聖職衣の男は暫し見つめていたが。
「それもそうか」
零したのは微かな笑い。……そのまま後方へ下がり、完全に傍観の構えを取った。
「陛下、今です!」
「……っ」
一瞬の逡巡。駆け出して間も無く、女性は振り返り。
「ロレンス、無事で――!」
そう言い残して騎士たちと共にその場を離れていく。――そんな。
「……」
女性の声にロレンスは答えない。……逃げていく騎士団員たちには目もくれず、自身を鋭く射抜く視線。それに相対するためには、持てる集中の全てを注がなければならなかった。
「……慕われているな」
ほんの一瞬。刃の如き気勢が削がれたかと思うと、男から声が飛ばされる。
「かつての貴方ほどではない」
答え討つロレンスの台詞――。それに対し、男は再び正面から相手を見据え。
「――私は、お前たちを殺す」
告げる。端的で、取り違えようのない布告を。
「全力で抗って見せろ。余計なことを考えれば、奴らの命も直ぐに潰えることになる」
「……貴方があくまで陛下の命を狙うと言うなら」
対峙する男へ向けて。敬意ある言葉づかいを崩さぬまま、ロレンスは言葉を紡ぎ出す。
「『白き手』の団長として。――私は、この国に負った使命を果たさねばならない」
「……」
男は何も答えない。ただ、何を口にしたかもわからぬほど小さく何かを呟き。
「行くぞッ‼」
「――来い」
今、二者が激突する――。




