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第十六節 歓迎

 

「それでは、行きましょうか」


 エリティスさんの住まいを出てから、――早二日。


 簡単な朝食を済ませ――宿を借りた町を出て賢王の後を歩いていく。向かう先は岩だらけの荒れ地。賢王の話では、今日辺り着くとのことだったが。


「繰り返しますが危険な相手です。くれぐれも注意を守るように」

「……どんな人なんだ?」


 賢王の言葉に身を引き締めつつ、ここ二日間気になっていたことを尋ねてみる。何度かに渡って言われた注意事には、余計な事を喋らない、訊かない、目立つような行動をとらない……など、不安を煽るような事柄しかなかった。


「あのエリティスと同じ、『逸れ者』の一人ですよ」


 端的な賢王の答えは半分予想していた通り。


「ただそうは言っても大きな違いがあります。既に目的を果たしたエリティスと違い、彼女は今なお禁忌に手を染め続けている人物ですから」

「……」


 ――禁忌。その言葉に湧いてくる疑問。……エリティスさんのことを聞いた時も思ったが。


「……どうしてそんな人が」

「禁術師と言え、全てが三大組織に反旗を翻しているわけではないですからね」


 逸れ者に? そんな俺の問いを先読みして返された答え。


「三大組織の提唱する秩序に真っ向から異を唱える反秩序者(アウトオーダー)もいれば、単に禁術師というだけでそうした抗争にはまるで興味の無い者もいます。邪魔をされれば反撃はするでしょうが、逆に言えばそうでもせぬ限り自らの研究に没頭している……」


 大きめの岩を越すタイミングで一度言葉を切る。


「加えてその人物が組織とて一筋縄ではいかないような能力を持っていた場合、敢えて交戦して事を荒立てる必要はないということでしょう。唱える原則に抵触しているわけですから、本来的にはクロですが」


 ――なるほど。禁術師と言っても目立った活動をしているわけではない。無為な被害を出さない為の選択。協会もその辺りは融通を利かせている……ということだろう。


「その人に直接協力を頼むことはできないのか?」

「無理でしょう。先に言った通り、その者は自身の研究以外には殆んど興味を示しません」


 多少の期待を込めて語った台詞は、予想以上に速い返答で打ち切られる。


「あのエリティスより遥かに扱い辛い人間です。此度の件ももしかすると、知っていて動いていないのかもしれませんからね」

「……」


 衝撃的な内容。……世界の危機を前にしたとしても、動かない人間がいるということ。


 ただ考えるだけならあり得なくはないだろうと思うが、実際にそれと向き合うとなると話が違ってくる。そこまで研究に執心しているのであれば、それは最早――。


「……賢王はどうしてその人と?」

「私の会得している技法と、その人物の扱う技法とに偶々類似点がありましてね」


 声の纏う雰囲気が微かに変わる。……どこか、昔を懐かしんでいるような口調。


「凶王となる以前に知り合ったのですが、なぜだか気に入られているようで。私としても話すに実りのある相手ということもあり、今に至るまで親交が続いてきたというわけです」


 そういうことか。ある程度納得する。似たような畑の、お互い実力のある技能者同士で話が合ったということなのだろう。そこまで研究に興味がない人間であっても、いや、没頭するほどその技法にしか興味がないからこそ、それで知り合いになれたのかもしれない。賢王の使う技法……。


「尤も昨今は忙しい身であったので、会うのは久々になりますが」

「その人が使う禁術って何なんだ?」


 これまで何度か見せられてはいるが。はっきりと目にしたのは糸くらいしかない。その禁術こそが俺が戦えるようになることにも密接に関わってくるはずだと、そう考えて尋ねた――。


「それは――」


 俺に答えようとした台詞。不意に、その言葉が脚と共に止められる。後に続く俺も当然、合わせて立ち止まることを余儀なくされるが……。


「……どうしたんだ?」


 訊く。背中から伝えられる気配。賢王の纏う雰囲気が、僅かに硬いものになっている――?


「……もうとは。全くご苦労なことです」


 問いを無視して呟いた賢王は、一つ溜め息を吐くようにして俺の方を向いて。


「下がっていなさい。それと、先ほどの質問の答えですが――」


 再び前を向いたかと思うと、睨むように目を細めた。


「――口で言うよりも、実際目にした方が早いでしょう」

「何――」


 その真意を問おうとした、刹那。


「ッ⁉」


 全身に悪寒が走る。眼差しでも殺意でもない。何かに狙われているという、強いて言えば害意を向けられた時に近い感覚。危機を察しようとする本能が、その正体を確かめようと頭を動かす――。


「――!」


 岩だらけの視界に映り込む、異物。捉えた時は小さな点のようだったそれは、秒を置き去りにする速さで加速度的に正体を顕にしていく。……鈍色の胴体。重みで対象を裂断するような分厚い刃は、一振りの、斧――‼


「ッ‼」


 ――しまった。【魔力解放】を発動させつつ理解する。凡そ異常と呼べる斧の速度。最短で動いたとしても今からでは回避が間に合わない。一瞬後に賢王ごと両断されている自らが稲妻の如く脳裏を駆け走り、本能的に身を竦めた刹那。


「ッ⁉」


 突如として灰色の何かが視界を猛速で横切っていく。見つめていた視線の先から掻き消える斧の姿、遅れて響いたのは金属ボウルの中で氷を砕いたかのような鋭い音。……周囲に点在する直径数メートルはあろうかという大岩。


 それが斧目掛けて側方から叩き付けられたのだと理解するのに、そこまでの時間は掛からなかった。――俺の前に立つ賢王の所業。


「……」


 目の前の小柄な背中は先ほどから微動だにしていない。……賢王の糸はあんなものまで釣り上げることができるのか。今更だが、どんな理屈で動いているのか気になる――。


「――」

「なっ――⁉」


 ――緩んだ意識を引き裂く再度の金属音。反射的に身構えた眼に映るのは、大岩に弾かれ吹き飛ばされていく先ほどの斧。側方から俺を薙ごうとしていた凶器を、岩塊がもう一度、今度は下から強烈にかち上げたのだ。……どういうことだ?


 予想外の出来事に思考が混乱する。……凄まじい重量を持った岩との激突。踏み止まれるはずもない。幾ら斧に勢いがあったとしても小枝の如く吹き飛ばされ、はるか遠方にガラクタの如く転がっているはず。


 なのになぜ――。


「――」


 疑問と当惑が支配する意識。せめて僅かでも手掛かりを得ようと見上げた視界に、その回答は意外なほどあっさりと映り込んだ。


 ――高々と打ち上げられた斧。重力に従って落下するはずのそれが、不意にある角度で回転を止める。……静止した刃の先にあるのは紛れもなく賢王と俺。奇怪な挙動に俺が目を見張る中、そのまま一息に――。


「――ッ!」

「――やれやれ」


 ――加速して俺たちに迫って来た⁉ 異常な動きを見せる凶刃に終月を構えた、俺の耳に届いたのは緊張の欠片もない呆れ声。瞬間――。


「しつこさが増していますね。全く、此度はどれだけの手間を掛けたのやら……」


 眼前に映り込む銀の煌き。猛然と突き進む斧を賢王の繰り出した無数の糸が受け止めたかと思うと、一瞬その動きが鈍ったのを皮切りに、言葉を零すその合間にも執拗に斧の全身を絡め取っていく。……表面が見えなくなるほど幾重にも巻き付き、捻じ伏せるようにして動きを空中に縛り付けた。


「……っ」


 ――何だったんだ? これは? 


 岩塊を持ち上げる糸に完全に雁字搦めにされてなお、……蠢いているそれを安堵と不安の入り混じった心境で見つめる。まるで武器自体が意志を持っているかのような異常な動き。これが、俺たちが会いに来ている人の使う――。


「息を整えるにはまだ早いですよ」

「なに――」


 賢王の台詞に前を向く。……何も映らない。そう思えていたのは、彼方に微かな黒点を見付けるまでの数秒。


「……まさか」


 まだ遠い。しかし見えるあれは間違いなく、先の斧と同じような物。――四、六、八。


 咄嗟に数え上げただけでも十を超える数の得物が俺たちの方へ猛速で向かって来ている。……一つ抑えるだけでもあれだけの手間を要したのだ。なのにこれでは――‼


「――参りなさい」


 恐怖で身が凍り掛けた寸前。いつもと変わらぬ体で、これ以上ないほど冷静に賢王は言葉を紡いでいた。


 ――刹那。


「ッ――‼」


 突如として立ち昇った紅蓮の炎壁に後ずさる。……一瞬にして眼前を染め上げた紅き炎。その最中、現われた火炎の中核にいるのは――。


「――」


 一羽の、鳥――? 煌々と輝いている赤熱の翼。ただ身に炎を纏っているだけではなく、その羽の一枚一枚が凄まじい熱を伴っているのだと直感する。……鳥と呼ぶには余りに神々しい気配。威容に思わず息を呑んだ俺を余所に。


「――」


 広げられた翼がただ一度、大きく羽ばたく。そのことを合図としてか、一段と強く燃え盛った炎の壁が迫り来る狂気の得物たちを飲み込んでいく。……火に入った羽虫のように呆気なく。


「……」


 灰となって崩れていく凶器群。――何が起きているのか。事態の把握がまるでできないでいる俺の耳に――。


「――あー、もう! それは反則!」


 響く声。子ども同士の喧嘩で口にされるようなその軽い文句が、混乱する俺の思考を少しだけ現実へ引き戻した。……誰の。


「何分今は手間をかけている場合ではありませんので。久の再会に無粋とは思いましたが、手早い方法を採らせてもらいました」


 顔を向ける俺の前で、いち早くその方角へと視線を向けていた賢王。……それを追った先。俺の瞳に映り込んだ声の主の姿は。


「もー! 相変わらずズルいなあ、賢王ちゃんは!」


 ――頬を膨らませ、愚痴を言いつつ此方へ歩み寄ってくる一人の女性。……肩の辺りで短く切り揃えられた髪。着ている服はまるでどこかの神官のもののような、ゆったりとした茶地の衣装。上から下までが一繋がりになったタイプの服だが、ドレスとはまるで違う簡素さがある。


「ですから、仕方なかったと言っているでしょう」

「言い訳はいいの! あんなものまで持ち出して来てさ。大人げないよね」


 賢王と会話を交わすその表情に目が行く。――若い。外見から言えば間違いなく二十代。髙くはない頭身と溌溂とした声もそんな印象を強くするのに一役買っているだろう。……今更か。エリティスさんも、考えてみれば賢王も。その実年齢からは考えられないような容姿をしている。恐らくだが。


 ――とにかく。気を引き締める。賢王の態度からしても間違いない。俺に力を貸してくれるかもしれない技能者というのは、この人の事だ。目的の人物が、今正に目の前にいる……。


「……今回は本当に時が惜しいのです。あちらの方はまた時間があるときにでも」

「ホント? 約束だよ? 今度は忙しいなんて言わないでね?」


 漸く納得したように、何回か頷いて――。


「ところでキミ、誰?」


 唐突に俺へと顔を向けてくる。……まずはここが肝心だ。


「蔭水黄泉示です。……こんにちは」

「こんにちは! 名乗られちゃったからには、私も名乗り返さないと失礼かな?」


 だが何と言ったものか。ひとまず挨拶をするに留めた俺に対し、女性は揚々と返してくる。掴み辛いテンションのまま。


「私はね――」

「――待ちなさい」


 自己紹介に移ろうとした女性を、賢王の一声が引き止めた。


「私を差し置いて二人だけで勝手に話を進められては困ります。――シンシア」


 女性の名乗りより先に名前を呼んだ、賢王は正面から相手を見つめ。


「今回貴女に会いに来たのは、この青年に関係する事柄です」

「そうなんだ」


 軽く答える。俺と賢王とを変化の無い瞳で眺めた後。


「……ふ~ん。何だか重要そうなお話みたい」


 場に漂う空気を読んだかのように、そう言った。


「ならこんなとこで立ち話もなんだし、こっちへどうぞ! 美味しいお茶とお菓子が用意してあるから」


 俺たちの返事も聞かず、女性は半回転してそのまま歩き出してしまう。下手をすれば足を取られそうな岩場を、慣れた足取りで軽やかに――。


「――え、ちょっと――!」

「無駄ですよ」


 呼び止めようとした俺に届いた賢王の制止。


「見ての通り、彼女は大分自由な性格をしていますから。何か話がしたければ、まずはあちらの流儀に乗ることです」

「……」


 諦めているような口振り。――賢王でさえも、ということなのだろう。終始皮肉やからかいを挟み、他人のペースに乗ることなど考えもしないようなこの賢王がそう言うのであれば。


「……分かった」


 俺に他の選択肢など無いことは明らか。短く一度、賢王に返事を返して。


 先行く女性を見失わないよう目で追いながら、賢王と共に、俺は岩の転がる道を歩き始めた……。



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