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第十三節 通告 前編

 

 ――翌日。


「……ガ――ッッ‼」


 二巡目の防御訓練の途中。それまでより幾分強引な糸の操作に、疲労も相俟って受け身を取り損ねる。……息が止まる。全身がバラバラになりそうな衝撃。反射的に全身の筋肉を締め上げて、多少は軽減したが――。


「――おい! 大丈夫かよ!」

「……っ……」


 強制的に立たせられる身体。……重い。痛みと疲労とに耐え兼ねて完全に身体を糸に預けてしまっている感じだ。リゲルの声掛けに答えるだけの、力が出せない……。


「――止めろ‼ ストップだストップ‼ おい‼」


 上げられた叫びに反応してか。なおも身体を動かそうとしていた、糸の手繰りが止まる。


「……はて」


 呟きを口にしたのは賢王。俺たちを見る目付きは、冷厳だ。


「今なにか、愚にも付かない叫びが聞こえたような気がしますね」

「嫌味なんぞ言ってる場合かよ! このまま続けてりゃ、下手すりゃ死んじまうだろうが‼」


 ――死ぬ。


「この程度で音を上げていては、前に立つなど夢のまた夢と言ったはずですが」

「それでも――‼」

「……大丈夫だ」


 リゲルの激昂を差し止めて。咳き込み掛ける喉を、気力と意志で押さえる。


「……悪い。続けてくれ。賢王」

「……おい、黄泉示……」

「初めからそのつもりですとも」


 有無を言わせない情け容赦のない操作。訪れる苦痛と衝撃に、歯を、食い縛る――……。









「……大丈夫ですか? 黄泉示さん」

「……ああ」


 昼飯を食べながら話す。……俺が負った疲労と傷は昨日より多く。


 フィアの治癒もいつもより時間が掛かっていた。午前の段階でこれでは、午後には。


「……適切なペース配分をしているのか?」

「愚問ですね。私を誰だと思っているのですか」


 疑わし気に訊くジェインに、些かも揺らぐそぶりも見せず賢王は答える。


「凶王だからこそ、信用できないと言うこともあるんですがね」

「……」


 郭。隣にいるフィアが、心配そうな表情で見つめているのを感じて。


「大丈夫だ。……それにしても、腹が減ったな」


 自分でも下手だと思いながらも。俺は、なるべく平気なように笑って見せた。








「……っ」


 ――部屋。夕飯を終え、風呂に入った後で、一人でいる時間。


 もう他の人間は寝ているだろう……。ベッドに横たわりながら思う。明日の修行のことを考えれば俺も早く寝なければならないのだが、様々な思考が渦巻いてしまっていて眠れない。


 ――今日の訓練は、危なかった。


 ギリギリだった。……完走は辛うじて。少しでもなにかを間違えていたなら無事では終われなかったかもしれないと、本当にそんな気がしている。今日の俺の命を繋いだのは多少の気概と、幾許かの幸運……。


「……」


 仰向けになった目に映るのは暗い天井。……あと五日。それさえ持ち堪えられれば、ひとまず求められている条件はクリアできるのだ。なんとしてでも、それだけは絶対に乗り切って見せる。そう思っていた矢先。


「――はい」


 聞こえてきたノックの音に声を放つ。鈍重な身体を起こしてベッドから立ち上がり、いつもより重く感じるドアを開けた。


「――っ」

「……こんばんは」


 待ち構えていたのは賢王。いつも結わえていた髪は下ろし、寝間着に着替えている。……雰囲気が違うせいか、昼間とはまるで別人のようだ。


「……女性を見るときは、そのように物珍しげな眼をするものではありませんよ」

「っ、悪い」


 印象に一瞬気を取られていた、その点を指摘されて目を逸らす。そんな俺に向けて、賢王は小さく一つ息を吐いて。


「……どうしたんだ?」


 なにか、用があるわけではないはずだが……。


「ここではなんですので、少し下で話しましょうか」


 やや気まずく尋ねた俺に、そう言って身を翻した。






「……」


 ギシギシと鳴る階段を歩き。賢王と共に降りてきた一階。既に店のカーテンは閉められ、窓から入る月明かりだけが中を淡く照らしている。……電気は付けられていない。差し込む光と並べられた衣服の作る複雑な陰影が、昼間とは違う不気味な印象を店内に齎している。


「……その、話というのは?」


 良い話とは思えない。昼間の失態の件で、なにか言われるのだろうか。


「――」


 振り返り――無言のまま俺を見る賢王。視線に息を飲んだ俺に対し。


「――貴方に、戦えるようになる見込みはありません」


 全く唐突に、そう告げた。


「……なっ」


 突然の通告に思考が止まる。……何を、何を言ってるんだ?


「今後は訓練に参加しなくて結構です。それを伝えに来ました」

「――! ま、待ってくれ」


 ――訓練への不参加。


 本来ならあり得ないはずの言葉を切り出されたことで、賢王が冗談でも何でもなく本気でそう言っているのだということに気付かされる。父たちアポカリプスの眼と戦えるレベルにまで俺たちを引き上げるなら、訓練をしないなどあり得ない。


「賢王は、一週間で俺たちを戦えるように――」

「――それはあくまでも才気ある者たちについての話です」


 縋るように放った言葉を容赦なく切り落とされる。


「貴方ではこの先、訓練について行くことは不可能でしょう。――今日の修練」


 たじろぐ俺を射抜くのは。無機物のような冷たい視線。


「お友達が止めてくれなければ、果たしてどうなっていたでしょうね」

「……!」


 突かれたのは、自分でも薄々思っていたこと。


「……それでも」


 それでも認めるわけにはいかない。どうにかして自分の中から反論を組み上げる。


「それでも俺は、最後までやった」

「そんなものでは何の手柄にもなりません。貴方は――……いえ。貴方たちはどうやら気付いていなかったようですが」


 此方の言葉がまるで響いていないかのように、どこまでも静かに賢王は言う。


「今日の訓練は、昨日のものより一段負担を上げてあります。明日は当然より重く。今日であのような醜態を晒しているようでは、到底着いて来られなくなるでしょうね」

「……⁉」


 突き付けられた予想外の台詞。……一瞬、確かにしていた足場が崩れるかのような錯覚を覚える。


「……なんで」

「時間が足りないからですよ」


 間髪入れぬのはにべもない切り返し。


「貴方たちは現状戦力として小粒も小粒。それをこの短期間であのレベルにまで仕上げるとなると、まともな訓練をしていたのでは話になりません。各々が持った素養に限界ギリギリの難題を吹っ掛けて磨き上げ、それでも漸く届くかどうか」


 ――分かりますか? そう問い掛けるように賢王の眼が俺を見た。


「貴方のような持たざる者――無才がいること自体が論外。話の外なのです」


 ――無才。


「……確かに俺には、才能はない」


 掌を強く握り締めながら。今まででも分かっていた、その事実を噛み締める。


「支配者の適性も、概念魔術も、固有魔術も」


 リゲルたちのようなものは持っていない。分かっている。それくらいは。


「だけど、俺は――ッ‼」

「――本当になにも分かっていないのですね」


 出鼻を挫く、その声音の余りの冷厳さに気が付いた、意識が怯む。


「あなたは今日の訓練で致命に近い失態を犯しました。対してあなたのお友達は、昨日と今日とでミスの数と重さに変わりがありません」


 ――なに?


「単純な持ち物の話ではないのですよ。貴方は才能以前にまず、基本的な対応力と器用さに余りにも欠ける」


 俺を見る賢王の目。……貫くような冷たさの中には、それ以外にどこか哀れみが混じっているようで。


「貴方は技術を身に付けることそれ自体に向いていません。二日の訓練でそのことがはっきりと分かりました」

「……」


 ……そこまでか?


 そこまでできていないのか? 俺は。……小父さんたちとの訓練を乗り越えたという自負。自分ではもう少し、マシなつもりだったのに。


「貴方にどんなに気概があろうと、貴方である以上明日の訓練を乗り切ることは不可能です。――早い段階で必ず離脱することでしょう。今日以上の惨事か、或いはより酷い形で」

「……っ」


 ――これまでも、何度か言われてきたことはあった。


 模擬戦での郭の台詞。小父さんの忠告。父の、あの言葉。


 俺には才能がない。戦いに向けて状況づけられていない。戦いの場に立つには俺は余りにも弱く、不向きなのだと。


 努めて思わないようにしていた。努力を重ねさえすればなんとかなる。きっとどうにかできるはずだと思っていた。思うように努めていた。……しかし。


「……」


 ――今賢王は、それでは駄目だとはっきりと告げたのだ。今までのやり方では戦えない。努力だけではどうあっても補えない。却って足手纏いになると。告げられる言葉には嘘も誇張も含まれていない。……ただ自身の見立てを突き付けているだけという、そんな冷静で冷徹な口調だ。


「――そういうわけで」


 致し方なく黙った、黙るしかなかった俺を前に、会話が切られる。


「貴方にこれ以上指導を付ける動機はなくなりました。後は邪魔にならないよう、好きに過ごしていて下さい」


 言い残して翻った身体が行ってしまう。上へ、明日へ。取り返しの付かない先へ。


「ま――」


 ――何と声をかける?


 何を言えばいい? どう説得すればいい? そんなことは分からない。ただそうして迷っている間にも、賢王は。


「待ってくれ‼」


 遠ざかっていく。そのことに耐え切れずに言い放った、声に、賢王が立ち止まる。……それ以上距離の開かない背中に一抹の希望を見出すようにして、震える心臓から言葉を絞り出す。


「……フィアたちを戦わせておいて、俺一人だけ、戦わないわけには……」

「先にも言ったでしょう。貴方は戦わない方がいっそ賢明。それが事実です」


 取り付く島もない。返答に振り向くこともせず、再度歩き出した賢王。……また、また、崩れていく。


 フィアと、リゲルと、ジェインと。共に肩を並べて歩いていく、未来の像が。


「頼む! どうか――!」


 ビジョンが心を侵す。耐え切れないその怖れと不気味さに、縋るように懸命に手を伸ばした――


「――耳障りですね」


 焦燥で熱した脳を打つ、氷のような声音。


「ッ‼」


 ――身に迫る複数の気配を感じて身構える。咄嗟に発動させた【魔力解放】。反射的に近い所作で終月を振るい、迫る気配を連続で撃ち落とすが。


「ぐっ⁉」


 制し切れなかった四本目の糸が胴体を絡め取り、凄まじい力で俺を宙空に釣り上げる。……辛うじて間に刀身を入れた、それでも糸はギリギリと肉に食い込んでくることを止めない。抜けようと下手に動こうものなら逆に、俺自身が切られてしまうのではないかと思うほど。


「……この程度の奇襲に対処できない人間が、アポカリプスの眼らとの戦線に立つ?」


 吐き捨てるように言いつつ、賢王が見上げてくる。……【魔力解放】で俺の身体能力、耐久力は充分に強化されているはず。なのにそれがまるで問題になっていない。生身に直に鋼線を巻き付けられているかのような抗いようのない感覚に、実感として逃げられないことを理解させられる……。


「ただの自殺行為ですね。あの二人なら同じ状況に置かれたとしても、難なくいなしてみせたことでしょうに」

「……っ」


 それは――。


 ……そう、なのかもしれない。


 これまでの経験からしてもリゲルの身体能力は俺とほぼ互角。だがこと動きのセンス、技術に関してはあちらの方がずば抜けて上だ。卓越した反射神経と敏捷性で全ての糸を掻い潜り、ジャブで叩き落としていく様が目に浮かぶよう。


 ジェインの身体能力は俺たちほど高くはない。とはいえ【時の加速】があればその点を大幅に補うことができ、更にはリゲルと張り合うほどの優れた運動神経も持ち合わせている。……焦って判断を誤ることもないだろう。奇襲に対しても冷静に、どこまでも落ち着いて対処していたはずだ。


「まあ、あの少女ならこれはまだ防げないかもしれませんが……」


 分かるでしょう? と。問うように合わせてくる瞳。……フィアと俺とでは求められている役割が違う。フィアが後衛である以上、こういった攻撃に晒されること自体がまず少ないはずで、逆に前衛であるはずの俺は正にこのような攻撃に対処できなければ話にならない。そもそもフィアなら事前に障壁を用意していれば、それで充分に身を守ることができる……。


「――自分の無用さが分かりましたか?」


 思考に追い討つような賢王の言葉が入り込んでくる。


「貴方では単独で戦力となることは愚か、仲間内での役割を熟すことさえできません。貴方が共に戦おうとすること自体が、彼らへの重荷となるのですよ」

「――」


 ……重荷。


「連携というのはあくまでも互いが近しいレベルであって初めて意味を成すものです。力の劣る者を交えればそれはただの介助となり、協力関係には程遠い」


 ……そうだ。


 その情景を思い描く。……俺が弱くとも、リゲルは気にするなと言ってくれるかもしれない。ジェインは不足を補うための戦略を考えてくれるかもしれない。フィアはそれでも俺と一緒にいて、俺を守ろうとしてくれるのかもしれない。


 ……だけどそれは、どういうことだ?


 そんなものはただの、俺の――。


「そんな体たらくでなお戦いたいなどと言い張るのは――置いていかれたくないという貴方の浅ましい我欲以外に、何があると言うのですか?」


 内外から突き付けられた言葉が思考を、胸を刺す。抉る。潰していく。


「悩んでも結論は変わりません。朝までその状態で、精々頭を冷やすことです」


 賢王が背を向ける。その動作を俺は否定できない。去っていく歩みを、止められない。意図に絡め取られた状態でただ見つめ――。


 ――だけど。


「……」


 自分の内側で声がする。――それでも、だ。


 ―ーできないだろ。そんなこと。リゲルを、ジェインを、フィアを。


 戦わせておいて、自分だけ何もしない? あのとき――俺は誓ったのだ。


 誰かに任せるのではなく。フィアたちと、共に戦っていこうと。


 なら――


「……っ‼」


 一転して込め出した力。皮膚に糸が食い込む、その痛みに歯を食い縛る。


「――貴方の膂力では破れませんよ」


 気配で俺の抵抗を察したのか――立ち止まり言い放つ、賢王の後ろ姿。


「徒に力を込めれば却って自らの身を傷付けるだけ。……身体が幾つかの部位に別れても構わないと言うなら、続けることを勧めますが」

「――っ」


 忠告に違わず。直ぐに覚えるのは肌に糸が切り込む感触と、痛み。裂かれていく内側から血が滲み出し伝っていく。身を襲うのは如何ともし難い恐怖――。


「……‼」


〝この技法は一見発動すれば終わりなように見えて、そうじゃないわ〟


 ――窮地。そこにおいて脳裏に蘇る、声。


〝使い手の魔力制御によって纏う魔力の動きが変わる。……要するに、あんたの心一つで強くも弱くもなるってこと〟


 立慧さん。魔術協会に来て間も無く、【魔力解放】の指導を受けていた頃の。


〝今はそこまでの余裕も無いだろうけど、もしできるようになったらやっときなさい? どんな状況であれ、自分を高める努力が役に立たないことなんてないんだから〟


 ――そうだ。


 この技は、俺の意志力で纏う魔力を制御できる。息も継がせぬような日々の中で、そこまで手が回らずに過ごして来てしまったが、今ならば。


 きっと――‼


「……く……ッ」


 苦痛の中でイメージするのは魔力の収束。……力だけではない。この糸を引き千切ることができないのは、そもそも糸と拮抗するほどの守りが俺の身体にはないから。纏う魔力をより強固に。魔力の密度を上げることさえできれば、行けるはずだ。


 ――いや寧ろ、これしきのことができないのなら。


 俺は、……本当に。


「……っ!」


 切迫してくる焦り。意志と感情と裏腹に、身体を裂く痛みは一向に鈍ってくる様子を見せない。思い描く魔力の収束ができているのかいないのか、それすらも掴めない状況。広大な闇の中を手探りで彷徨っているような恐れが、少しずつ俺を蝕んでいく……。



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