第十五節 次なる日々(めんどう)へ
「……ただいま」
「ただいま……帰りました」
どうにか全ての買い物を終了させ、部屋へと戻ってきた俺とフィア。各々靴を脱ぎ、玄関から廊下へと踏み出す。うがい手洗いを済ませてリビングへ――。
「置いてきますね」
「ああ」
向かう途中。俺の応えを受けてフィアが自室へと姿を消す。どうしてもと言うフィアには、服以外に自分の分のハンガーなどが入った小さめの紙袋を一つ持ってもらっていた。帰りはデパートの正面から出ていたバスを使って近くまで来たため、行きのように疲労困憊した様子はない。……始めからそれで行けばよかったとも思う。
「ふぅ……」
リビングまで来たところでテーブルの上に荷物を置く。どっかりとソファーに預けた身体。硬めのソファーにやや沈む感触が心地いい。
――今日は疲れた。
今日はと言ってもまだ午後四時過ぎであるわけだが。色々と慣れないことをしたせいか、思ったよりずっと疲労が大きい気がしている。体力的にというよりも、精神的に疲弊した感じだ。
誰かが常に傍にいることで慣れない気をやけに遣ったことや、店員への対応も気疲れの一因だろう。ここまでの時間をかけて買い物をすることなど、普段はないのだし……。
……とはいえ。
これからはそんな気苦労も徐々に減っていくだろう。疲れを享受する中でそう思う。連れ立って長時間の買い物に行くという、最大の難所はどうにか越えたのだ。学園が始まればそちらの方で時間や意識も埋められるはず。嫌でも慣れてくるはずだと。
「――っ」
そんなことを思っている最中、ポケットの中の携帯が突然に震え出す。――電話? 誰からだと考えたのはほんの一瞬。通話ボタンを押し、通話口を耳に押し当てた。
「――お、出たか? ……あ~~もしもし黄泉示? 俺、俺だけど」
……たまにこういう悪ふざけをするのが小父さんの悪い癖だ。
「……今日本で流行ってるって言う詐欺ですか? そうなら、立場が逆だと思いますよ」
「それマジか? 取り敢えず電話に出た相手に〝俺、俺だ!〟って言っとばいいって話だったような気がするんだが……違ったか」
――どこでそんなことを聞いたと言うのか。
「……冗談はあとにして――」
ちらりと扉の方に目をやる。……まだ廊下の方からフィアが出てきたような気配はない。フィアには悪いが、このタイミングで電話が掛かってきたのは俺にとって好都合だったかもしれない。
「何か分かったんですか? その……フィアのことで」
「……ああーー、それなんだがな」
電話の向こうで小父さんが少し言い淀むのが感じられる。……はきはきした話し方を好む小父さんにしては珍しい。これはもしかすると……。
「――さっぱりだ」
「……え?」
何かあるのかと身構えた俺の耳に飛び込んできたのは、そんな警戒を根本から取り去ってしまうような端的な台詞。
「色々とツテは当たってみたんだがな。……聞いてた内容に合致するような情報は、俺の方じゃ何も掴めなかった」
「……そうだったんですか」
……何も分からなかったというのは手痛いことだが、小父さんもわざわざ調べてくれてのことだ。落胆するどころか、寧ろそこまで方々に当たってくれた小父さんの行為に感謝したい。あわよくばと思っていたのも確かだったので、多少残念な気分ではあるが……。
「――まあそうがっかりすんな。俺だってただ収穫がなかったってことを伝えるためにお前に電話したわけじゃない。良いニュースもあるぞ」
「──! 本当ですか?」
電話の向こうで小父さんがにやりと笑った気がする。流石だと思いかけた俺に――。
「お前が行くって言ってた学校、確かシトーとかいったよな?」
「……そうですが……」
言われたのはそんな台詞。正確にはシトー学園だが。――なぜだろう。
小父さんは良いニュースだと言っていたはずなのに。先ほどから、ヒシヒシと嫌な予感しかしてこないのは。
「お前んとこの嬢ちゃん、……フィアだったか? お前と一緒に入れるようにしといたから」
「……」
――は?
……どうも耳の調子がおかしい。最近突飛な出来事が多かったせいか、疲労が溜まっているようだ。小父さんには手間を掛けさせてしまって悪いが、もう一度訊き直した方がいいかもしれない。
「すみません、よく聞こえませんでした。もう一回言ってもらえますか?」
「ああいいぜ。だからそのフィアっていう嬢ちゃんが、お前と同じ学校に通えるように手配――」
……。
無言で通話の終了ボタンを押す。――フィアはまだ戻ってこないのだろうか。多少時間が掛かり過ぎているような気もするし、少し様子でも見に行った方が――。
「……」
再び携帯に着信。表示される番号を目にしつつ、極めて機械的な手つきで通話ボタンを押す。
「――おいおい、いきなり切ることはねえじゃねえか。俺はただよかれと思ってだな……」
「……すみません。ちょっと良く分からない内容が聞こえてきたので、ひょっとして人違いかと思って」
「冷てえ反応だなぁ。身元も分からねえ人間を通えるようにすんのはこれでも結構大変だったんだぜ?」
ならなんでわざわざそんなことをしたのか。
「別に頼んだわけじゃ……というか、そもそもどうやってそんなことを」
「まあ、そこら辺は大人の事情って奴だ」
……実に不安の残る台詞だ。昔からそうだが、小父さんはたまに今回のような意図が読めない行動を取ることがある。十年近い付き合いの中でも、そういうところだけは変わらない。……いや、よくよく考えるとその部分だけじゃなく、他のところも大して変わっていないような気がするが。
「――黄泉示。お前がどう思ってんのかは知らねえけどよ――」
変えられた声色。いつになく真剣そうな小父さんの声が、思考を中断するように呼び掛けてくる。
「お前が学校に行ってる間、あの嬢ちゃんをずっと家に置いとくつもりか?」
「……それは」
確かにそのことは俺も気掛かりではあった。長い付き合いがあるわけでもない人間を長時間、しかも単独で自分の家に置いておくのは常識的に考えれば危険そのもの。……フィアの場合は記憶喪失という事情があるわけだし。
今のところそんなことをするような人間にはとてもじゃないが見えない。一応部屋には鍵も掛けられる。そういった点を踏まえて、問題は起こらないだろうと思ってはいたのだが。
――万一が起こらないとは、誰にも言えない。
小父さんはそうした楽観的な予測を俺が無意識的にするだろうことを見抜いていたのかもしれない。その上で、俺に注意を促してきた……。
「年頃の嬢ちゃんが一人で寂しく家にお留守番――んな不遇な境遇、お前だってどうにかしてやりたいと思うだろ?」
――前言撤回。
どうやら単にフィアを気遣ってのことだったらしい。……いや、当然それも大事なことであるのは確かだし、そう言われて初めて気付かされたことではあったが。俺が思っていたようなシビアな思惑はなかったということか。それも小父さんらしいと言えばらしいのだが。
「学費は俺の方で持っとくからよ。あ、それと嬢ちゃんから礼があればお前が受け取っといてくれ。わざわざ掛け直してくる必要はないってな」
――相変わらずのお人好しだ。
正直な話、やり過ぎではないかとも思う。フィアの境遇は確かに不遇なものかもしれないが、そこまでやる必要はないだろう。家に置くことを決めた俺自身ならまだしも、ほぼ関係のない小父さんが。
「……分かりました」
だが、そうも言えない。
俺として言いたいことは色々あるとはいえ。……これは俺ではなく、小父さんが決めたことなのだ。加えてその人の好さに助けられた身としては、尚更に。
「……んじゃ、伝えることは伝えたし、そろそろ切るぜ。学校の件、嬢ちゃんにしっかり伝えといてくれよ!」
そう言って俺の返事も待たずに、小父さんからの通話は途切れた。……耳を離したのとほぼ同時、廊下の方から聞こえてきたドアの開く音。フィアが戻ってきたらしい。パタパタと急ぐ足音が聞こえたあとにまた扉が開いて、リビングに姿を見せたフィア。
「――済みません。服をしまうのに、時間が掛かってしまって……」
「――丁度良かった」
携帯をポケットにしまいつつ、フィアに告げる。
「今、小父さんから電話があった。調べ物の件についてなんだが……」
「あ、はい……! 何か分かったんでしょうか?」
フィアは意気込んでそう訊いてくる。……まあそうだろう。当人なら尚更そのことを考えるのが自然なはず。常識的な反応を目にして少し落ち着いた気分。
「いや、残念ながらそっちは何も分からなかったらしい」
「……そ、そうですか……」
「ただ、小父さんから一つ伝言がある」
「? 何でしょう?」
フィアはキョトンとした顔で俺の方を見つめている。それは分からないだろう。俺だって分からないと思いながらも、例の件をフィアへ伝えた。
「……俺が行く学園に、フィアも通えるようにしたらしい。俺と同じ新入生として扱われるみたいだ」
「……?」
――沈黙。俺の言葉を耳にしたフィアは無言のまま、ただその微かに緑が掛かった碧眼を表情豊かに瞬かせている。言われた内容が飲み込めない。
「……えっと……」
そんな反応だ。それでも次第に整理ができてきたのか、まだ多少戸惑うような表情ではあるものの、僅かに開いた唇で何かを言わんとする。
「つまり、私も黄泉示さんと同じ学校に学生として通える……ってことで良いんでしょうか?」
「……まあ、そうだ」
またもや訪れる沈黙。前のときのように重苦しかったり、気まずかったりするものではない。……ただ純粋に俺もフィアもどう反応したら良いのか分からない。それでお互い無言になっている感じだ。
「……す、すごいですね。そんなことができるなんて……」
それでもどちらかが話し出さないといつまでもこの沈黙が終わらないと判断したのだろう。先の発言に引き続きフィアが非常に常識的な意見をくれる。
「まさか学校に通えるようになるなんて思ってもみませんでした。……凄く顔の広い方なんですね、黄泉示さんの叔父さんは……」
「……まあな」
――言えない。
実はどんな手段を使ってフィアが学校に通えるようにしたのか、俺自身もまるで見当が付かないなんてことは。言葉を濁した俺の前で、フィアは気が付いたようにあ、でも、と表情を曇らせて。
「学費とかは小父さんが持つらしいから、心配しなくていい」
「え……」
「いいんだ。小父さんが好きでやってることだから」
重ねて言った俺に、フィアはなおも少し物言いたげにしながらも。
「……ありがとうございます。その、叔父さんにお礼を……」
「それもいいらしい。――忙しいみたいだ。今は」
「そ、そうですか……」
為す術なく。善意を受け取らされる形になったフィアはなんと言うか、しゅんとしたような表情になる。……礼が言えないのが気に掛かっているのだろう。小父さんの気遣いは、フィアには寧ろ逆効果か……。
「また今度電話も掛かって来るだろうから、そのときにでも言えばいいんじゃないか」
「そう……ですね」
俺の言葉に自分を納得させているようなフィア。……学園に通うとなれば、今日買ったものだけでは不充分だ。
「……」
最低でも筆記具にノートくらいは必要だろう。持ち運びの為の鞄も買うとして……。
「――黄泉示さん」
そんなことを考えていた最中に掛けられた声。……なんだ?
「今日はどうしますか? その……」
……そうか。
思い出したが時刻はまだ四時過ぎ程度。何かしようと思えばまだ時間はある。……とはいえ。
「……夕飯まで休もう」
流石に今日は疲れている。特に予定もない以上、気のない状態で無理に動きたくはなかった。
「六時くらいで良いか? あまり遅くならないうちに……」
「は、はい。大丈夫です」
言葉の中途で頷いたフィア。そうか、と一つ答えて、俺はまだ手付かずだった今日の荷物へと視線を向けた。




