第十一節 要請…そして
「――本当に申しわけありませんでした」
着替え終え。漸くまともな服装になったエリティスさんから出されたのは、フィアへの謝罪の一言。
「……いえ、その、事故なら仕方がないですし……」
そう言ってみせているフィアだが、表情はまだ硬い。聞けばフィアの前に出てきていた時は全くの全裸だったらしく、床下から現われて大きく伸びをしている後ろ姿に仰天したフィアが勢い余って転倒したらしい。……さぞかしショッキングな光景だったことだろう。紛うことなき変質者が、誰もいないと思っていたその場所にいきなり現われたのだから。
「それで、今回はどのようなご用件でしょうか?」
柔和なその視線が、フィアから賢王へと移される。……と、いうか。
「一見させて頂いたところ、どうやら面識のない方々をお連れになられたようで。雰囲気からして、御配下の反秩序者でもないようですし……」
あのときの店員……店長だよな? 私服なので印象は違うが、俺がフィアのパジャマを買いに来たときの――。
「そちらの御仁には覚えがありますが。――その節はありがとうございました」
「えっ?」
「マジか」
「なんと。奇縁ですね」
賢王が言う。声を上げたフィアも意外そうに俺を見て。
「……いえ、こちらこそ」
「……そうなんですか?」
「まあ……」
お茶を濁す。あのパジャマは目の前の変態の勧めで買ったものなのだとは、逡巡した末に言わないでおいた。そんなのんきなやり取りを置いて。
「――エリティス」
先ほどとは打って変わった雰囲気。真剣な賢王の声色に、聴いている俺たちですら身の引き締まる思いがする。……ここからが本題だ。
「私たちがここに来たのは、貴方の協力を得るためです」
「協力?」
迎えるエリティスさんの声音に起こる変化。向けられるのは単純な笑みではなく、此方を観察するような視線。
「耳に入っているかどうかは知りませんが、今、我ら凶王派と三大組織とを巡る関係は実に混迷を期しています」
「三大組織が襲撃を受けたことなら聞いていますよ。あれは、近年では稀に見る大事件でしたね」
「それだけではありません」
言葉を切った賢王はそこで、息継ぐように少し間を置き。
「魔王と、狂覇者――我ら凶王の内二人が、組織を襲撃したのと同じ手の者によって殺されたのです」
「……魔王嬢が?」
その事実を告げられた――エリティスさんの眉根が、僅かに下がる。
「――僕は魔術協会において、賢者見習いを務めている者です」
それを機と見たのか、郭が話へと参加。
「三大組織も甚大な被害を受けました。先の襲撃を受けて結成された討伐部隊。戦力の大部分を費やしたそれが、破れたことを確認しています」
「……」
重苦しいその内容にエリティスさんが沈黙する。長い脚を組み、言葉を選ぶような数秒。
「……何者なのでしょうか。その、相手というのは」
「かつて『救世の英雄』が下した、『アポカリプスの眼』の再来――」
出された問いに、再び答えるのは賢王だ。
「現世に蘇った三人のレジェンド。加えてかの『永久の魔』と、それに匹敵するだけの首魁ヴェイグを備えた、世界の破滅を目論む一派です」
「……」
またも沈黙。腕組みし、暫し目を瞑り。
「……そのような壮大な話を聞かされては、賢王嬢ご得意の冗談かとも勘繰りたくなってしまいますが」
穏やかに微笑んで、そこで、賢王と郭とを見比べるように見る。
「どうやらその様でもなさそうですね。全て、事実――と」
観念したように小さく息を吐いた。エリティスさんが、俺たちを見た。
「そういえば、此方の方々はどういったご素性なのでしょうか」
「彼らはこの騒動に巻き込まれた被害者です」
詳しく説明すれば色々と面倒な事情を断ち切って、賢王がスパリと言う。
「とは言ってもまあ、戦う意志のないほどの小粒でもありません。頼りないことこの上ありませんが、今回の戦いでは一応、味方として位置づけられるでしょう」
「そうでしたか……」
エリティスさんは頷いている。……その賢王の説明も、強ち間違ってはいない。
「――改めて頼みましょう」
再び真剣を含む賢王の語調。
「逸れ者エリティス。これから彼らとの戦いに赴く私たちに、手を貸してはくれませんか?」
「っ……」
――遂に言った。
そのことに固唾を飲んで相手の表情を窺う。……あくまで見た感じでの印象だが、エリティスさんはそれほど乗り気なようには見えない。気に掛かるのは事実を伝えた際の重い溜め息。頼みの綱の賢王の言い方は何の搦め手もないストレートなものだった。これで、協力を取り付けることができるのか……?
「……」
案の定。賢王の言葉を受けたエリティスさんは、俺たち全員の視線を受ける中、考えるように床板を見つめ。
「……分かりました」
然程間を置かずに、そう言った……⁉
「協力を了承致しましょう。賢王嬢たっての頼みと言うこともありますし、状況が状況です。この世界が終わってしまうのは、私めとしても望むところではありませんからね」
「――礼を言います」
「……っ」
「ところで、お名前の方は何と?」
意外だ。次の瞬間にはもう笑顔でそう言ってくれたエリティスさんに、賢王が僅かに頭を下げる。……あの賢王が。その光景に同じく驚いたような郭に向けて、問い掛けたエリティスさん。
「っ失礼。僕は郭詠愛と言います」
「――詠愛嬢ですか」
素早く居住まいを直した郭の台詞に、何かを噛み締めるように復唱し。
「引き締まった細身の身体に、控えめな身体付き……」
瞳を大きくしながら語り出した――って。
「動きの邪魔にならないように纏め上げられた髪も、活動的で素晴らしいですね。ぜひ今度、御一緒に午後のお茶などを」
「……は?」
オイ。唐突な物言いに受容が追い付いていないのか、怒りや冷たさよりも当惑の乗せられたと思しき声。一瞬リゲルの肩がピクリと動いたのは、気のせいではないだろう。まさか……。
「――貴女のお名前は」
「え、えっと、カタスト、ですけど……」
疑いを覚える俺の前で流れるように次へと移る。警戒したようなフィアの言葉に、エリティスさんは見るも朗らかに微笑んで。
「それでは改めまして、――カタスト嬢。先ほどはとんだアクシデントがあってしまいましたが、あれは運命の女神の起こす悪戯。早目に忘れていただきまして、以後、どうかお見知りおきのほどを」
「よ、宜しく…………お願いします」
実に丁寧な口調で言ったものの、全く警戒を解けていない。フィアの最後の台詞も、何とか付け加えたように小さかったし。
「冥王嬢も相変わらずお美しいですね。黒は女性を美しく魅せる。古代から現代にまでおけるこの世の中の真理です」
〝そう? 嬉しい〟
……全身が黒一色の影法師では、どんなに頑張っても精々シルエットくらいしか分からないと思うのだが……。
「これだけの令嬢方に囲まれていては、断れる余地など無いというものです」
「……なるほどな」
「こういうことかよ」
嫌でも合点がいったようなジェイン、リゲル。賢王がやけにエリティスさんの協力が取り付けられることに自信があったのは、そういうことだったのか。端的に言ってしまえば。
「まあ、一先ず――」
――女性に目がないから大丈夫だと。微妙になった場の空気を変える為か、コホン、と一つ咳払いした賢王
「エリティスの件はこれで片が付いたとして、次に移りましょうか。貴方たちの――」
「ちょっと待って下さい」
その台詞を遮った郭。向けられる目線はどこか鋭く。
「協力が得られたのは何よりですが、これから行動を共にする相手である以上、エリティスの能力を知っておかなくては話になりません」
気のせいではないだろう。先ほどの発言ラッシュのせいか、エリティスさんを見る目付きが今までより厳しいものになっているようだ。……無理もないが。
「率直に尋ねます。貴方は技能者として、何ができるんですか?」
「なるほど。御尤もなお話ですね」
詰問とも取れる問い掛けに余裕を持って微笑むエリティスさん。……見つめる賢王がどこか、笑いを湛えたような顔をしているのが気になり。
「では、失礼致しまして」
優雅な会釈に続いて、エリティスさんが一度、そのしなやかな指を鳴らした。
「――ッ⁉」
瞬間。
あからさまな変化が場に起こされる。……消えた。フィア、リゲル、ジェイン。……郭に賢王、冥王。エリティスさんと俺を除いた全員が、一瞬で。
「え――」
「おお! 黄泉示!」
「り、リゲルさん⁉」
「……皆いるのか」
驚き声を上げた瞬間に現われるリゲル、フィア、ジェイン。全員様子には変わりなく、場所も先ほどまでと全く変わらない位置に座っている。……どういうことなんだ? これは。
「――なるほど」
「こういうわけです。分かりましたか?」
「……」
続いて郭、賢王、冥王も現われる。さっきまでいた場所に、まるで何事も起こっていなかったかのように。
「なにがどうなってんだ一体」
「認識を阻害する技能ですか?」
「はい。――【路傍の石】」
郭の回答を兼ねた問い掛けに、答えたのはエリティスさん。
「対象の存在感を操作する魔術です。今は私め以外の全員の存在感を一時的に薄めさせて頂きました。それによって皆様方は、自分と私以外を一時認識できなくなった……というわけです」
「……だから僕たちが声を上げた瞬間、見えるようになったのか」
「ええ。対象の存在感が増せばその分術の効力は薄れます。術の強弱を変えることである程度の行動なら薄め続けることはできますが」
「――エリティスの術は対象の存在感を薄めることで認識対象から外し、そこにいることに気付かなくさせるもの」
解説を引き継ぐのは賢王。
「既に強く認識されてしまっている場合には効果が薄くなりますが、そうでなければ効力は絶大です。例えあのレジェンドであろうとも、認識できない相手を感知することなど不可能でしょう」
「……!」
こちらの認識を不可能にする。それはつまり。
「安全な拠点を確保できる……」
「その通り。エリティスの術法が作用している場所に限りますが、少なくともこの場所にいる限り追っ手の事は考えなくてよくなります」
「……それは」
――凄い。正にそう言うしかない。俺たちがあれだけ悩んでいた問題が、エリティスさんのこの力一つで解消される……。
「……そんなことが」
「さて。では先ほど賢者見習いによって中断された、本題の方に移りましょうか」
やや納得し切れていないような郭を置いて。賢王が再度、その話を切り出した。
「あちらでも言っておいた通り、当面の課題は貴方たちの力を高めるための訓練についてです。――地下ですか?」
「はい。案内致しましょう」
歩き出すエリティスさん。わけは分からないが、続く賢王の後に続いてひとまず俺たちも歩き出す。向かったのは――。
「跳ね上げ扉になっていますので」
先ほどの床板。エリティスさんが何かを唱えて軽く踏むと、宣言通りそれが軽い音を立てて跳ね上がる。開いた中に見えるのは、下へと続いていく階段だ。
「一人ずつ気を付けて降りて下さい。そこまで深くはありませんから」
促されて順番に降りていく。穴の入り口は狭く、人一人がギリギリ通れる程度。だがその部分を抜けると空間が広がっていることが分かる。……これは。
「……おお」
「……凄いな」
続け様の感想はリゲル、ジェイン。感知式なのか、自動で点灯した照明に照らし出されたのは店内と同じ色の、しかし木とは異なる素材できた廊下と壁。一見ただの服屋に見える建物の地下に、こんな空間が広がっているとは。
「鍛錬場は此方です」
先を行くエリティスさんと賢王に続き――ドアをくぐった先、一際広い真四角の空間へ案内される。対面に見える部屋の隅には、トレーニング用と思しき機材が幾つも纏まって置かれていた。
「ここなら広さとしては充分ですね。――重ね重ねの協力、感謝します。エリティス」
「いえいえ。賢王嬢のお力になれるのでしたら、これくらいは」
「……なぜあんな器具が?」
郭が呟く。……確かに。よくよく見れば置いてあるのは普通のジムなどでも見かけるような何気ないバーベルや腹筋台。特殊技能者の逸れ者というイメージからは少し遠いような。
「如何に魔術の腕に秀でているとしましても、真の肉体美を作るのはやはり日々の弛まぬ鍛錬ですからね」
気もすると思っている俺の前で、にこやかに言うエリティスさん。
「いついかなるタイミングでその時が訪れてもいいように。やはり常日頃からの地道な努力こそが――」
「――それで、どういう風に始めるんだ?」
「そうですね。まずは指導者側の分担からいきますか」
熱弁をスルーしたジェインの問い掛けで、再び賢王が俺たちを見る。
「適切な指導者を選ぶことも肝心。技法の相性が悪ければ上達など見込めません」
「――僕は自主訓練で結構です」
「――」
流れを切るようないきなりの郭の一言。
「なにを連れない。伝統的ないざこざこそあれども、今の私たちは仲間ではないですか。遠慮する必要などどこにもないのですよ?」
「遠慮などしていません。僕の面倒を見る暇があるなら、その分彼らを仕上げた方が全体としての伸び代が大きいだけのことです。それに、僕は一人でも充分ですから」
「まあ、それはそうでしょうね」
あっさりと態度を翻し、賢王は先より少し真剣な眼差しを向けてみせる。
「良いでしょう。しかし念を押しておきますが、上達がなかったでは済まされませんよ」
「心配なら自分たちの方へした方が良いんじゃないですか?」
意味あり気な目つきで切り返した郭。……どういう。
「貴女も冥王も凶王であるからには、他者への指導など本来必要のないことでしょう。――僕の師匠のような適切な指導ができるかどうか、大いに疑わしいところだと思いますが」
「杞憂ですね。私の辞書に停滞の二文字はありません。着いてこられなければ死ぬという、それだけの話です」
〝私の指導は、実践あるのみ……何事も成せばなる。熱いハートと根性で頑張ろう!〟
「……冗談だよな?」
「さあ、どうでしょう?」
微笑む賢王。……聞くにも見るにも堪えない酷い有り様だ。まともなのはエリティスさんくらい――。
「となると私は、魔術技法に関する手伝いをさせていただく形になりますでしょうか」
「そうですね。貴方たちの能力は、以前の邂逅である程度推察が付きます。エリティスにはフィア・カタスト……」
そう判断したところで賢王が順に俺たちへ視線を移す。……この流れは。
「……並びにジェイン・レトビック。残り二人は私が指導を担うとしましょう」
〝……私は?〟
「一人で自主練でもしていて下さい。賢者見習いと遊んでくれていても良いですよ」
「迷惑なのでやめてくれませんか」
〝……いじいじ〟
身構えた俺の予想とは少し違う形になった割り当てを聞き、影が壁に向かって体育座りの形になる。……ちょっと不憫だな。よく見てみれば、指で床にのの字を書いているし。
「……いいのか? あれで」
「冥王は扱う技法自体がかなり特殊でクセの強いものです。実力は王として相応しいですが、指導には向きませんね」
〝しょぼん〟
あ、立った。
「えっと、賢王さん……」
そうこうしている俺たちにフィアが声を掛けてくる。エリティスさんの方を向いて、物言いたげな視線……。
「……なにを言いたいのかは大凡分かりますが、指導の内容からすればこれが適切な割り当てです。――心配せずとも、エリティスは貴女に指一本手出しできませんよ」
そこで鋭い眼差しを向ける賢王。
「私と冥王が見ていますから。この娘に何かすればエリティス、分かっていますね?」
「おお、賢王嬢と冥王嬢に睨まれるとは、これまた恐ろしい……」
額に手を当てて天井を仰ぐ。……芝居がかった仕草だが、この二人が見ていれば大丈夫だろう。
「では。――お二人とも、此方の方へ」
「は、はい」
「……よろしくお願いします」
そう思うしかない。エリティスさんに招かれてフィアとジェインが端の方へ移動していく。その姿を目で追い掛ける間もなしに。
「――さて」
残された俺たちを、賢王の水晶のような瞳が捉えた。
「貴方たちへの指導ですが、時間もないことですので一から十まで、全て私なりの方法でやらせてもらいます。――構いませんね?」
有無を言わせない威厳ある口調。それでも敢えてこちらの意思を尋ねて来るのは覚悟の確認か、はたまた言質を取っておくためか。
「……ああ」
「そりゃまあ構わねえけどよ。どんな方法なんだ?」
「簡単なことですよ」
どちらにせよ断わる動機などあるはずもない。承諾した俺たちに賢王が微笑んだ、その瞬間。
「――ッ⁉」
右腕が跳び上がるようにして釣り上げられる。何の前触れもなく、力さえ込めていないのに上げられた自らの腕。……これは。
「どうしたんだよきゅ――うおッ⁉」
言い掛けたリゲルの右脚も同じように持ち上がった。……百二十度に。危うくもんどりうって転倒し掛けたところを、どうにか残された左足で持ち堪えたリゲル。
「貴方たちの身体の各部に、糸を付けました」
――糸? その言葉に細めた視界。左右に振った瞳に映るのは、照明を受けて輝くか細い虹色の光。……目を細めた状態でもほんの僅かしか見えない。こんなもので、俺たちの身体を持ち上げているのか?
「その状態で私の言う動きをしてください。蔭水黄泉示はあの居合いを、リゲル・G・ガウスはシャドーを」
指示と共に上がっていた手足が下ろされる。……言われるまま終月を手に取り、構えようとする――が。
「……ッ⁉」
直ぐに気付く。……肩、足、腰、首、胴。全身を動こうとするのとは逆方向に引っ張られている感覚に。相当の力を込めていなければ体勢の維持もままならないほど。この中で――?
「……くっ……‼」
「……おおッ‼」
恐らくは隣にいるリゲルも同じ状態。二人してのろのろと、刀を、拳をどうにか振るった。
「蠅でも止まりそうな動きですね。そこまで鈍間ならば、いっそ牛の歩みの方が幾分か速いのではありませんか?」
「……っ!」
歯に衣着せぬ物言いにイラッとくる。……ならば、と、前よりも更に腕に力を込めて振るう速度を上げる。……どうだ。これなら――。
「――ぐっ⁉」
いける。そう思った瞬間に取られた右足が浮き上がる。そこから先はジェンガが崩れるかの如く、踏み止まることさえできずに一息に持って行かれた我が身。見えない蜘蛛の巣に絡め取られたように宙吊りにされる。……動けない。引っ張られた手足首が全て背中側を向いて……‼
「――力の配分を考えなければそうなります。挑発に乗らず、少しは頭を使うことです」
「ッ!」
無造作に落とされた。――衝撃から休む間もなく立ち上がらされ、また後ろへと引かれる――。
「それなりの速度になるまでやり続けますので。賢明に励むように」
「……ぐっ」
隣りでどうにか体勢を維持しているリゲルを横目に。俺も、二回目の素振りに取り組み始めた――。




