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第十節 非存在のエリティス

 

 ――翌日。


「……」


 賢王の案内を受け、予定通り俺たちはその逸れ者、エリティスさんのところへ向かっていた。――時刻は早朝。疎らとは言え人通りはそれなりにある。普通に通れば人目を引きかねない状況なわけで、そんな中を歩いて行くと聞かされたときは耳を疑ったものだったが。


〝では、頼みましたよ冥王〟

〝任された〟


 殿を務める人物――冥王の技法により、俺たちは今、声も聞こえなければ姿も見えない状態になっているそうだ。俄かには信じ難い事だが……。


〝レジェンドの中に感知に長けた技能者がいます。本来ならもう少し手早い手段を使いたいのですが、こう言った時には徒歩が一番〟


 幸い目的の場所もそう遠くはないと言うことで俺たちは賢王のその案に賛成した。……事実、これまでに周囲の人間が俺たちに気付いたような様子は無い。こんな珍妙な一団が歩いているというのに、目もくれない始末だ。……多少は安心してくる気持ちで。


「にしてもよ――」


 すぐ横を駆け抜けて行った子どもたちを目端で追いつつ、リゲルが言う。


「俺らは見えてねえはずなのに、何で人にぶつからねえんだ?」


 ――そう。


 俺としても気になっていた点。認識できないようにしたとしても、いや、認識できないようにしているからこそ、相手にこちらを避けるなどという考えは浮かばないはず。本来であれば――。


「本能的、身体的な要素に、何かがそこにあることを無意識的に覚えさせる」


 答えたのは賢王ではなく――郭。


「初歩とは言いませんが、魔術師の中ではとうに確立されている技術ですよ」

「そうなのか?」

「ええ。単に見えなくなるだけでは不十分なことも多いですから。一人ならまだいいですが、大人数の隠匿となると会得しておきたいものですね」


 なるほど……。


「それだと、外から見た他の人間の動きがやたら不自然なものにならないか?」

「あ……」


 小さく口を押さえるフィア。――確かに。見えないものを無意識に避けるようにして人が進んでいる様は傍から見れば異様の極み。一般人なら気付かれないかもしれないが、技能者にそれを目撃されれば――。


「人ごみを通っているならそうですが、今はこの通りですからね」


 郭が周囲を見る。……早朝ということもあってか、道行く人の数は普段目にするより遥かに少ない。


「賢王もそれを意識して道を選んでいますし、おかしな光景に映ることはまずないでしょう。隠匿そのものを見破られた場合は勿論別ですが」


 浮かべるのは実に微妙な表情。


「……このレベルの技術ならまずあり得ないはずです。それこそ目と鼻の距離にまで近付かれなければ」

「そんなに凄え技なのか?」

「ええ。恐らく」


 端的で短い返答。そこに却って軽くない感情が込められていることは、響きからしても想像には難くなかった。……凶王は三大組織からしてみれば本来敵方。今は協力しているといえ、その技法を目の当たりにしていることにどんな思いがあるのか。


「――レジェンド相手ではそうもいかないでしょうがね」


 前を行く賢王が補足と言う様に口を開く。


「手負いであったとはいえ、私たちを追ってきた相手――『ヤマトタケル』は、冥王の隠匿技術をほぼ完全に看破していました」

「――」

「手を尽くしてどうにか引き離すことには成功しましたが。正直、今の状態ではできるだけ邂逅したくない相手です」


 告げられた内容に息を呑む。というかそれは――。


「……ヤベえんじゃねえのか? それ」

「さあ? どうでしょう。――今は冥王も本調子。同じように行くとは限りませんし、何より時を置けば不利なのはこちら側。エリティスの所まで行けばひとまずは安全なのですから、多少の博打はやむを得ないでしょうね」


 言われていることは尤もだ。せめてそれを事前に話していて欲しかった、とも思うが……。


「……」


 それでも選択は変わらなかっただろう。出て来てしまっている以上言っても仕方がないので、黙ることにする。見付かれば危険なのは賢王たちも同じこと。勝算の薄い賭けはしないだろうとそう思って気を紛らわせておく。……多分。


「……」


 何はともあれ。……できる限りのことはやり終えている。エリティスという人がどこに住んでいるのかは知らないが、二人がこの町を目指してやって来たのだから少なくともその域内ではあるはずだ。然程広くもないこの町内なら大した時間は掛からないだろう――。


 そう考えつつ黙々と歩みを進める。頭では理解していても心境は別。道行く人の姿もいつも通りに俺たちには映し出されている。聞こえないとはいえ、自分から堂々と話をする気にはなれなかった。


「――しっかしどこも平和だなおい」


 そんな俺の心情と裏腹に。やはり豪胆なのか、平然といつもの調子で声を出しているリゲル。


「あんなことがあったってのによ。何か釈然としねえぜ」

「なにを今更。知らなければ無いのと同じことです。彼らにとってはいつもと変わらぬ日常の最中。ごく普通のことなんですよ」


 ――それはそうなのだろう。


 立場が違えば俺もそう振る舞っていたはずだ。……知らなければそもそも気付くことはできず、どうしようもすることはできない。その点から言えば今此方側にいる俺たちと、あちら側にいる彼らとの間には決定的な境界があることになる。釈然としないと言うリゲルの思いも、彼らが日常を織り成していることも。どちらも謂れのあることなのだ。


「……」


 そんな益体のない思惟の中でふと思う。……倒れているフィアを見付けた夜。あの時も、思えばこんな光景を目にしていた。


 人々はフィアに気付くことなく、自然と避けるような位置を歩いていて。……あれも同じような技術によるものだったのだろうか? 脳裏に湧き上がる疑問。技能者の中で成立している技法ということは使用者がそれだけ多いと言うこと。珍しくもないのかもしれないが――。


「――」


 不意に前を行く背中が立ち止まる。止まっているのは賢王、当然続く俺たち全員が停止する形になる。……一体。


「どうしました?」


 疑問を覚えたと同時に尋ねるのは郭。……こんな何もないところで止まるとは。まさか――。


「どうも何も、着きましたが」

「え?」


 浮かびかけた暗い予想を裏切った声。予想外の言葉に思わず周囲を見回す。……どう見てもただの町の一角だ。出てきた俺の部屋から、十分と離れていない……。


 ――というか、ここは。


「……」


 吊り下げられたその名前に目を丸くする。――『ギムレット』。俺が昔フィアの寝間着を買いに来てリゲルとの待ち合わせにも使っていた、あの洋服店だ。


「今はここにいるはずです。行きますよ」


 そう言って賢王は躊躇うことなく、〝Closed〟の札が掛けられた店内へ入っていく。……鍵も掛けていないのか。尤もここが賢王の言うように逸れ者の棲家なら、その辺のコソ泥に入られたところで不都合はないのかもしれない。これから会う逸れ者への緊張よりも寧ろ営業時間外の店に立ち入ることの方に抵抗感を覚えつつ。


「……」


 俺も賢王に続いて店内へ踏み込む。真っ先に目に入ったのは、カーテンが下ろされた薄暗い店内。


 映る光景はあの時のまま。置いてある服などが幾らか変わっているようにも思うが、それ以外で特別な変化はない。……本当にただの服屋だ。こうして見る限りでは。


「……また随分と普通の場所だな」

「――エリティス」


 全員が中に入り。静かにドアが閉められたところで、賢王が大きいとも小さいともつかない声量で呼び掛ける。……返って来るのは静寂のみ。期待していたような返事はない。


「ふむ。即座に反応があるものと思っていたのですが……」


 賢王も少し意外そうな声音。


「出迎えがないところを見ると、まだ起きてはいないようですね。手分けして探しましょうか」 

「それは危険では? 面識のある貴女はともかく、僕たちは――」

「心配は無用です」


 郭の懸念に、確信に満ちた声で賢王が言う。


「エリティスはその辺りの血の気に飢えたような輩とは違います。例え見知らぬ侵入者を前にしても、いきなり攻撃を仕掛けてくることはないでしょう。目覚めていれば私が来たことは知れるはずですから、多分どこかで寝ているのでしょうね」


 確かに時刻はまだ午前五時の早朝。普通に考えれば寝ていてもおかしくはない。


「さ、探しますよ。動いて下さい」


 


 


 


 


 まだ出歩く人間が少ない朝の町。


 軍服姿の女性。ヤマトは、ヴェイグから貰ったローブを着てそこを歩いている。自らの任務、取り逃がした二人の始末を果たす為に。


「……」


 最後に補給をしてからこれで三日間。休むことなく街を練り歩いているが、捉えられる視界の中に標的の姿形は一片もなかった。……マークは既に外されている。残り香も皆無。ただ最後に感じた動きと方角からすると、大凡この辺りにいることは間違いないとヤマトには思われていた。負わせていた手傷はそれなりの重傷。それほど遠くへは動けないはず。


「……」


 焦りはなく、ただ事実としての時間の経過だけがヤマトにはある。疲れることのない自分は別にいい。しかし問題は、このまま捜索を続けていて果たして成果があるのかどうか。ヴェイグの、彼の望むような……。


「……」


 二人から期待されていたように、感知系統の能力にヤマトは自信があった。とはいえそれは生物とそうでないものとを見分ける感知能力。こうしてあちこちから生命の気配がする場所に逃げ込まれれば、判別することは容易ではない。それでもあれだけ特徴のある気配なら、慎重に比べさえすれば分かるのだろうが。


「……」


 考えとは別に足はまだ見ぬエリアを埋めるように動いていく。今日一日。それで収穫がなかったならば、一度帰ってみるのも手かもしれない。ヴェイグもガイゲも多分怒りはしないだろうと、そんなことを考えて――


「――ッ!」


 不意に覚えたその感じに、大きく円状に外套を靡かせた。


「……」


 目を凝らして景色を見つめる。気配を探る。一秒、二秒。


「……?」


 ――いない。


 ただ、文字の書かれた札が揺れているだけ。その建物の中からも生命の気配はしない。風に吹かれて揺られたのだろうか。


「……」


 標的の一人が高度な隠蔽技術を備えていることはその手の知識に乏しいヤマトとて理解があった。隠れている可能性はある。とはいえ流石にこの距離まで近付いたなら、隠し切れない生命の気配が確実にその場所を教えてくれるはずだった。しかし。


「……」


 先ほど感じた感覚が嘘であったかのように――ヤマトが今いるこの近辺からは、特別何も感じることはできない。ただ、どこもかしこも同じような建物と生命とが並んでいるばかり。


「……」


 ――メンドクサイ。


 進まない任務に起こった思い。一瞬、この辺り一帯を全て焼き払ってしまおうかという考えが過る。標的がこの辺りに隠れているのならつまりは、この町一つを潰せばいいのだ。それなら確実に焙り出すことができるはず。


「……」


 その直後に自分の考えを否定する。……ヴェイグからはそうした行為を慎むように言われている。彼も、そしてヤマト自身もできるならヴェイグの意に沿いたいと思っている以上、今自分の考えているそれは悪手でしかない。


「……」


 トリアエズ、キョウイチニチ。


 それだけ回ったならば戻ろう。そう考えを切り替えて。


「……」


 レジェンドの一人。ヤマトタケルは、考えられる他の場所へと歩き去っていった。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


「――いねえぞ?」


 奥の部屋を探してきた――リゲルが言う。


「留守なんじゃないのか? やはり下にもいないようだと、今さっき郭が言いに来た」

「……そうだな」


 そもそもこの店内はそこまで広くはない。一階はトイレから試着室まで確認し、今は居住スペースと思しき二階を探索しているのだが。


「変ですね。確かにこの場所で間違いないはずですが……」


 全ての部屋を見てみても人の気配はない。というか、生活感さえなかった。客室と思しき部屋のベッドはシーツも布団も乱れていなかったし、キッチンにはゴミがない。あとは雑貨が詰まった物置のような部屋があるだけだ。


「――見てきましたよ」

「おお郭。フィアは?」

「念のためと言うことで、まだ一応一階を見ています。無駄骨と思ったので僕は引き上げてきましたが……」

〝隠し扉もなし〟


 残っていた郭、冥王も引き上げてくる。これでもう、一応この建物の中は全て見た。


「魔力の気配も何もない。本当に此処なんですか? 賢王」

「ええ。本人からの手紙にそう書いてあったので、それは間違いありません。虚偽を述べ立てる必要もないでしょう」

「なんの守りもないというのが引っ掛かるんですが。逸れ者の住処にしては、やけに不用心では?」

「それでしたら答えは単純です。――あの男にそんなものは必要ないのですよ」


 どことなくしたり顔の賢王。そうは言っても、いない者はいないわけだが。まさか屋根裏に潜んでいるというわけでもないだろうし……。


「まあ、留守なのでしたら仕方ありません。そう長らく店を開けるとも思えませんし、暫く待つとしますか」

「待つったってよ――」


 帰りがいつになるかも分からない。何か別の方法はないのかと、俺が賢王に尋ねかけた時。


「――きゃあああああああああッ⁉」 

「⁉」


 ――空気を引き裂く峻烈な悲鳴。余りに唐突に、耳に響いたそれ。


「――今のは」


 ジェインを筆頭に全員が顔を向き合わせる。問わなくても分かる。フィアの声だ。そのことを意識した瞬間――。


「――ッ‼」


 声のした方角へ走り出していた自分。――一階。端的なその理解を頭に落ちるように階段を駆け下り、見渡した視界に姿を探す。


「――フィアッ‼」


 ――くそッ!


 服が邪魔だ。店内を歩く客に見栄えの良いようにセッティングしてあるだろう棚が、今は視界を遮る障害物にしかなっていない。少しでも新しい視界を確保できるよう、それらを半ば突き飛ばす勢いで退かしながら懸命に駆け走り――。


「――黄泉示さんッ‼」


 会計台のすぐ脇に。腰が抜けて座り込んでいる、フィアを見付けた。


「――」


 すぐ傍まで駆け寄って周囲を見回す。……何もない。周囲には一見して俺の走りで揺れている服と、フィア当人が見えるだけだ。


「――どうした? 何が――」

「へ、へ……」


 尋ねた俺。震える指で、フィアは床の一角を指さし。


「変態です! 変態がいます! そこに……‼」


 ――変態?


「――これはまた」

「……」


 事情が飲み込めないうちにいつの間にか傍まで駆け付けていた王二人。その片方の賢王が何やら事態を理解したような顔で首を振る。――続けて。


「黄泉示、フィアッ‼」

「――無事か⁉ 二人とも」

「リゲルさん、ジェインさん!」


 駆け付けたのはリゲルにジェイン。その後ろから郭もやって来たところで、俺の腕を支えとして立ち上がったフィアが訴えかける。


「大変なんです! 大変、いえ、変態が――‼」

「――やれやれ」


 その声音を遮った、ここにいる誰のものでもない声の音色。見回しそうになった視線の先で、フィアの指差していた一点、床板が、上に開く。


「御来賓がいらしたようでしたので、眠気覚ましにとシャワーを浴びていれば」


 昇る足音を立てつつ。ポカリと空いた、その穴の中から姿を現したのは。


「まさか扉の前に見目麗しい乙女が立っているとは。――おお、なんという運命の悪戯。いきなり変質者の汚名を被らなければならないとは、これもまた、女神より与えられし試練でしょうか」

「――」


 ――スラリとした細身の男。一八〇はあるかという長身に、僅かに水気を孕んで流れるような金の髪。細く真四角のフレームをした茶縁の眼鏡が、映る電球の光を深い色に落とし込んでいる。……面に浮かべているのは零れる春の日差しの如く柔らかな微笑み。アイドルか、はたまた俳優か。そう思ってしまうほどには充分魅力的でありながら、しかしフィアは既に全力で男から引き下がり、縋るように俺の後ろに隠れてしまっていた。


 ――そしてそれが当然の対応だと、ここにいる誰もが思っていたことだろう。


 意味不明なポエムを呟きながら現われた男の出で立ちは。……その紳士的な物腰とは裏腹に、全裸にタオル一丁という有体だったからだ。


「……っ」

「相変わらずですね。エリティス」


 どう反応したものか困る俺たちを余所に、一歩前へ進み出た賢王が平然と話し掛ける。――相変わらず? これがこの人物の相変わらずなのか? というか。


「これはこれは」


 エリティス、と。反復したその内容を肯定するように、賢王を見た男の目が更ににこやかに細められる。


「この私めを訪ねてくるなど、どこの酔狂な御仁かと思えば。麗しき賢王嬢ではありませんか。その美しさには益々磨きが掛かっているようでして、太陽ですら霞んでしまうほどでしょう」

「そちらも変わりないようで安心しました」


 男の大袈裟が過ぎるお世辞を完璧にスルーする。……確かに手馴れている。どこか納得した俺の前で、賢王は俺たちの方へと振り向き。


「察しは付いていると思いますが紹介します。この優男が、今回助力を頼む逸れ者――」


 正式に、その名前を口にした。


「――《非存在のエリティス》です」



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