第九.五節 夜話
「……」
影の中。一切の光が差し込まない闇の中で、賢王は持ち込んだ敷布団を背に寝返りを打つ。
「……まあこんなものですか。いつもの物に比べれば劣りますが……」
この状況下では文句も言っていられない。早々に気持ちを切り替え、この場にいるはずのもう一人へ意識を向けた。
「――思えば、貴女とこうして話すのも久々ですね」
〝うん〟
舞い落ちてくる紙。あの時も、始まりはこうだった。
「選定の義以来ですか。一対一での会話は」
〝〝――私は冥王〟〟
脳裏に思い起こされる記憶。――自らの拠点に初めて冥王が尋ねて来たあの日。座している賢王の前に、不意にそんな文言の記された一枚の紙片が落ちてきた。
〝……《冥帝》に代わる冥王ですか〟
様々な罠や仕掛けの設けられた賢王派の拠点。ここまで入り込まれたことに多少の驚きはあったものの、相手が《冥王》ならばそれも一応の納得はできる。先代として悪辣の限りを尽くしたかの《冥帝》の後任として、新たな冥王が選出されたとの情報は賢王も聞き及んでいた。
〝就任の報告にはまだ早いようですが、なぜ私に? 貢物でも差し出しに来たのですか?〟
凶王全体の慣例として、新たに選抜された凶王は合議の場でその就任を他派の王たちに承認させることになっている。……その開催は今から五日後。この時点では例え王の座を勝ち取っていたとしても未だ正式な王とは言えず、そもそも王であったとしても賢王とでは歴が違う。まともに相手をする気などない。若輩を玩具に気晴らすつもりで告げた軽い皮肉に。
〝〝そう〟〟
あっさりとした肯定と共に目の前に置かれた大量の貴金属類と宝石。床に山を築くほどの輝きが、景色の明るさを塗り替える。
〝……は?〟
〝〝これで、私に王としての振る舞い方を教えて欲しい〟〟
唐突な申し出に暫し唖然とする。……王としての振る舞い方?
それは間違っても他派の王に教わるものではない。自ら王になった以上、己の手で作り上げ、築き上げるものだ。
それを、金銭を代価とした指導で得ようなど――。
〝……〟
思考の最中に過る考え。……前代の冥王、《冥帝》は王としては完全に不適格の、力を持っただけの狂人だった。凶王派の史上最悪と言っていいその愚行振りに比べれば、新たなこの冥王の態度は王の名に対し真摯とも言え、また可愛げがあるとも言えるのではないか。
〝……いいでしょう〟
――己に足りないものを率直に認め、教えを乞うに相応しい人間に頭を下げる。
〝基本的なことに限りますが。いいですか? まず、王というものは――〟
それもまた一つの王としての形なのかもしれない。少なくともこの自分にはなかったものだ。
「――あのときは驚かされましたよ」
そう思ったかつての自らを思い出しながら、賢王は含み笑いと共に思い出を語る。
「まさか他派の王に王としての振る舞いを尋ねに来る王がいるなどとは。――その甲斐あって上手くやっているようですね」
〝おかげさまで〟
返されるのはやはり素直な謝辞。現在の冥王派の様相は先代冥帝の時とは程遠い。先代によって危うく滅ぼされ掛けたとも言える冥王派が今の冥王になってからあるべき秩序と安定とを取り戻したことは確かであり、そう言った意味では賢王も冥王の事を評価していた。……少なくともあの狂覇者などよりは余程好感が持てる。無論、他派として気を許したわけではなかったが。
〝どうだった?〟
「そうですね」
話題転換。冥王から飛ばされた本題に、一時思考して賢王は答える。
「一応訊いておきますが、抜かりはなかったのでしょう?」
〝うん〟
「となればやはり違和感はありますね」
冥王の返答を確認して更に考察する。……それ相応に疲弊していたとはいえ、冥王の隠匿技術はただの一流を超えるもの。賢者見習いにさえ察知すらできなかったはずの気配を、直感的、不完全にとはいえ看破した。
「まあ、結局はどう転ぶか次第。見た限りあの男の見立てもそれほど間違っているわけではないようです。今すぐどうこうという必要はない」
先ほどのわちゃわちゃした光景を思い返しながら賢王は息を吐く。意図的な部分も多分にはあるのだが、まさかああまですんなりと行くとは。
「何しろあれだけ毒気が無いようでは。却って気が抜かされました。自身を殺そうとした相手を助けるなど、些か皮肉が過ぎます」
〝おもしろいよね〟
「……笑いごとでもないのですが」
それはともかく、と。賢王はずれかけた話の筋を戻す。
「場合によってはこのままでも問題ないかもしれません。器の期限は気にはなりますが、今はやはりそれより優先すべき事柄があります」
〝あれのこと?〟
「ええ」
澄み切った瞳に宿る情念。
「世界の行く末などという些事は捨て置くとしても、私たちの合議に非礼極まる闖入と襲撃とを果たしたあの三人」
繰り出す言葉に乗せられるのは、紛れもない憤りの色合いだ。
「せめて彼らだけは片付けておかなくては、我らの背負う名が霞むというもの。利用するには余りに頼りない顔ぶれですが、贅沢も言っていられませんからね。精々使えるように仕上げてみせるとしましょう」
そこでふと、思い付いたように。
「……というか貴女、少々やり過ぎではないですか? 暗殺者の長たる冥王が自ら能力を露呈するなど」
〝問題ない〟
短い返答。それだけでそうなのだということを賢王は理解する。暗殺者、殺し屋の長たる冥王がそう言うのであれば、賢王としてはそれ以上の勘繰りは無用だった。
〝それと、もう一つ気になることがある〟
「……あのことですか」
冥王が技能を披露した時に、既に気付いていたこと。
「確かに気にはなりますね。貴女の【陰影同化】を撥ね退けるとなると、賢者見習い以上のレジストということになります。そんな気配は感じられませんでしたが……」
少し考えこみ。
「まあ、それなりには面白そうな面子です。退屈はしないかもしれませんね」
一応の締め括りののち賢王は布団を被る。枕に頭を乗せ、目を閉じる直前に呟いた。
「――一人を除いて、ですが」




