第七節 方針 前編
「……ふむ」
滑らかな指先。優雅な手つきで摘まんだサンドイッチを口に運んだ賢王は、味わうようにゆっくりと口を動かす。何度目かの咀嚼のあと、再度唇を開いて。
「……まあ、出来合いの品ならこんなものですか」
そんなありがたくもない感想を言ってくれた。
〝食事とは活動に必要なエネルギーを取り入れる行為。腹が減ってはなんとやら……それを自分たちから実行する必要がどこにありますか?〟
あのあと。ある意味尤もな賢王の言を受け、俺たちは台所前のテーブルに移動していた。人数は加わった凶王を入れて七人。普段は横長の四人掛けだが、長辺から裏の板を広げることでいざというときは倍の八人掛けにまでなるテーブルが役に立った。向こうで留学の用意を進めている時に、小父さんがやけに気に入って購入した物。
「……なんでコーンなんだ」
「うっせえな。それしかなかったんだから仕方ねえだろ」
食料の買い出しに行ったのはリゲルと俺。一々希望を聞いている余裕もなかったので、足早に出て取り敢えず一番近くのスーパーで足りると思われる分の食事を買い込んで来たのだ。……こういう時には出来合いということがありがたい。自分たちで作るにせよ出来上がるのを待つにせよ、調理の時間を待つことがなくなってくれる。
「……」
冥王も黙々と食事パンを食べている。あの姿で食べられるのか、どうやって食べるのかと思っていたが、食事風景はごく普通。闇の中に沈んだパンが徐々に消えていく様というのは、見ていて少し不思議でもあったが。
「……」
空腹だった胃が満たされていく感覚……食物が喉を通る度、緊張がほぐれて行くのを自覚する。……ごたごたのせいで遅めの朝食になってしまったが、それでもやはり食事というのは気分を和らげてくれるものだ。
「美味しい……ですか?」
〝うん。ありがとう〟
フィアの問い掛けに冥王は律儀に答える。……返事の仕方は相変わらずだが。
「つうか、冥王って味覚あんのか?」
〝あるよ。人間だもの〟
「……この状況下で、よくそんな話ができますね……」
先ほどの警戒はどこへやら。自分から話し掛けているリゲルに、郭が物言いたげな視線を投げ掛ける。……その間にも目の前の二人へと向けられている注意。普通に考えれば、郭の方がまともな反応なのだろうが。
「まあ、これからは協力するわけだしな。色々あったとはいえ、いつまでもギスギスやってちゃしょうがねえだろ。どの道な」
「……そうだな。気を許すわけではないが、現状でいがみ合っている必要は少なくともない」
二人の警戒は食事時までは持たなかったようだ。リゲルにしろジェインにしろ、この切り替えの早さは見習いたくもある。
「若者は順応が早くて喜ばしいですね。それに引き替え……」
意味あり気に。郭を見る賢王の視線は、明らかな嘲りの情感を含めたもの。
「賢者見習い殿はどうしたことか。柔軟な適応力がなければ、次代を担う者としては不適格なのでは?」
「その点を凶王に心配されるとは思いませんでしたね」
迎える苦笑。本当に口に合わないものでも食べたのかと言うくらい、浮かべられた表情は堂に入っている。
「危険を前に気を緩める賢者はいません。全員が綻ぼうとも自らが砦となれるよう、警戒を保っているんですよ」
「緩みとは。なに、心に余裕が生まれた証ではありませんか。真面目さ一辺倒だけでは、人は容易く潰れかねません」
賢王も負けていない。舌戦の中にも優雅さを崩すことなく、カップを掲げてみせる。目の高さまで。
「適度に気を休めることが肝要なのですよ。貴女も気を張ってばかりでは疲れるでしょう?」
「……いついかなる時でも変化に対応できる心持を整えておけと、師に言われましたのでね」
「そうですか。それも一つでしょうね」
紅茶を含み。静かな音を立てて机に置きながら賢王は呟く。
「まあ、私がその気になれば詮無いことであるということを、心に留めているのならですが」
――そう。恐らくは、それもある。
目の前にいる賢王、冥王は俺たちとは比較にならないほどの実力者。仮に二人、どちらか一方でも俺たちを殺そうとしてくれば、抵抗できるのはもう一人か、それこそ賢者見習いである郭くらいしかいない。……警戒をしても実質意味がないのに等しいのだということは、先ほどの遣り取りでも身に染みて理解していた。
「ふむ、紅茶が切れましたね」
「あ、ポットがちょっと温くなっちゃってるので――」
中途半端に注がれる形になった澄んだ赤茶色の液体。置かれた陶器の肌に軽く触れ、フィアが温め直しに向かおうとしたところで。
「――【不死鳥】」
「っ⁉」
「うおっ⁉」
その手元から突然炎が上がる。隣にいたリゲルが驚いてひっくり返り、一瞬で熱せられた薬缶からは湯気が立ち上っている……。
「……⁉」
「――何をしてるんですか?」
「恩人の手間を省いてやっただけではありませんか。これだから小心者は困ります」
――それでも危ないだろう。フィア自身はいきなりの発火に固まったのか、ポットを落とさずに済んでいるが。語気を強めて言った郭に対し、事も無げに賢王は言ってのける。……炎が上げられたのはほんの一瞬。ポットの周囲に留まっており、フィアもただ驚いているだけとはいえ。
「……大丈夫か?」
「は、はい……」
「いって、頭打ったぜ……――いきなり何しやがんだ!」
「……家が燃えたらどうするつもりだ?」
「失敬な。この私が制御を誤ることなどありません。魔力の隠しにしてもこの程度の結界ではないも同然。後で私がもっとマシなものを構築してあげましょう」
「……」
押し寄せる非難にもどこ吹く風。……心臓に悪いので止めて欲しい。言いつつ悠々と紅茶を注いでいる賢王に、郭ももう言い返さない。返しても無駄だと悟ったのか、置かれるカップを目にして、一つ息を吐いたあと。
「――では」
気持ちを切り替えるように、そう切り出した。
「賢王、並びに冥王」
郭の真剣な表情と声音に、聞いている俺たちの側も自然と意識が引き締められる。
「貴女たちと協力関係を結ぶに当たって、幾つか訊いておきたいことがあります」
「構いませんよ。答えたくないことなら答えませんが」
〝冥王の、質問コーナー!(但し基本的な回答は賢王に譲る。ご了承ください――)〟
テーブルを挟んで丁度正面に位置する三人。こうして見ると影法師とはいえ、意外と冥王の方は表情が豊かなのか。
「……既に分かっているかもしれませんが、我々魔術協会を始めとした三大組織は、アポカリプスの眼との戦いで大敗を喫しました」
「そうでしょうね。この体たらくを見る限りでも、それは明らかです」
そのことは予測済みだったというように、平然と答える賢王。
「生き残っているメンバーもいるかもしれません。しかし少なくとも主要な戦力……幹部に関してはほぼ全滅だと思われます」
「……っ」
――そうだ。昨日も耳にした郭の予想。恐らくはその最も厳しい内容なのだろうが、それでも……。
「付いては、貴女たちの状況を教えて頂きたい」
郭の視線が一際真っ直ぐに二人へと向けられる。
「狂覇者、魔王、九鬼永仙。……この三人は、今どこで何を?」
「――!」
そうだ。沈みかけていた気持ちに光明が射す。……何も凶王は目の前にいるこの二人だけではない。魔王、それに俺たちは見ていないが、後一人狂覇者というメンバーがいたはず。
そして言わずもがな九鬼永仙。俺たちを相手に加減した状態でさえ、垣間見たその力は正に圧巻の一言だった。二人に加えこの三人が仲間になってくれれば、アポカリプスの眼らに対抗する手段も――!
「――死にましたよ」
――そんな俺の心の昂ぶりは。
賢王の口から発せられた一言で、立ち所に掻き消された。
「え――」
――死んだ? 俺と同時にフィアも言葉を失う。突如として現われ、圧倒的な力で俺たちを翻弄したあの老人。……身に纏う威厳と風格。最後に浮かべていた笑みと、厳しさの中にどこか温かみを秘めたような眼差しが今でもはっきりと思い出せる。
あの永仙が――。
「――死んだ?」
「ええ」
辛うじて冷静さを保ったような郭の問い直しに、賢王は重ねて説明を続ける。
「レジェンドの名を騙る不届きものの襲撃を受けまして。……私たちは逃げ遂せましたが、恐らくあの二人は無理だったでしょう」
「――」
レジェンドを名乗る襲撃者。脳裏にイメージが過る。それはまさか――。
「……黒い騎士、踊り子、軍服を着た少女」
浮かんだイメージを形にするように、郭が並べていく言葉たち。
「貴女たちを襲撃したのはその三人ですか?」
「おや、そちらもそうでしたか」
僥倖だとでもいうように賢王は軽く笑みを浮かべ。
「ガイゲ、死神、ヤマトタケル――」
聞き覚えのある名が、その小さな口から流れるように告げられた。
「この三名で間違いないでしょう。認めたくはないですが、あれはまず間違いなく本物でしょうね。どれも厄介な能力を持っていましたし、何より気壮が違います。中でもヤマトにはしつこく追い回されました」
追い回された――。
溜め息を吐きながら口にする賢王。二人の傷は、その時に付けられたものなのだろうか。
「永仙も、その三人に?」
「ああ。あの男の死因はまた別です」
郭と裏腹に賢王の表情は変わらない。重苦しいその内容さえ、何でもないことのように言ってのける。
「あの男はアポカリプスの眼の首領――ヴェイグ・カーンに挑み、力及ばず敗れ去りました」
「――ヴェイグ・カーン」
郭が復唱する。……知らない名だ。父を始めとしたアポカリプスの眼のボス。
――ということは。
「先の襲撃時、貴女たち三大組織の本拠地が一度に異空間へ移されたのは知っています。――それを行ったのがこの男です。永仙との戦いを一部始終見ていましたが、字義通り桁違いの力を備えている技能者」
その人物が恐らくガイゲの言っていた相手で間違いないだろう。……永久の魔と同格。俺たちは実際にその場面を目にしてはいないといえ、あの永仙を破ったとなればそれだけで自ずと力の大きさは想像できるようなもの。……そんな相手がまだ後ろに控えているのか。
「これは貴女たちの方が良く知っているでしょうが、アポカリプスの眼の面々も組織を出し抜いて見せた以上、決して小粒でないはず。重ねてかの『永久の魔』がいるというのであれば、例え私たちが加わったとしても状況はこれ以上ないほどに絶望的でしょうね」
「――」
……違いない。
父一人であっても見せられたその力は凡そ圧倒的。その上アポカリプスの眼の全員、レジェンド三名、それに二人の絶対的な脅威を斃さなければ。
「……」
事態を打破することは出来ない。……分かっていたはずだが、今こうして改めて賢王の冷静な分析を聞くとその困難さに愕然とさせられる。何をすれば打開の糸口に繋がるのか、それすらも見通せない状況だ。
「ですが――」
沈む一方だった俺の思考。それが、賢王の言葉を受けて止まる。
「針の孔ほどの望みが、無いわけでもありません」
挙げた顔に、泰然とした賢王の笑みが映り込んだ。
「……貴女たちがここに来ていた目的ですか」
「ええ。理解が早くて何よりです」
郭は既に合点が入っているような反応。二人がここに来ていた、目的――?
「……この場所には、特殊技能者からしてみれば何の重要性もない」
考えるように言葉を紡ぐのはジェイン。
「そんなところになぜ、逃亡中の凶王二人が姿を現したのか」
「概ね正しい分析ですが、逃亡中、というのは些か表現が悪いですね。優雅な逃避行と――」
「現実にそうだからここまで来たのでしょうが」
「何か?」
「いえ別に」
流れるような一連のやり取り。……逃避行に優雅も何もあったものではないと思うが。
「まあ良いでしょう。――結論から言ってしまえば私たちがここに来たのは、ある人物の協力を仰ぐためです」
「……ある人物?」
俺の言葉に、賢王は芝居がかった調子で頷いて。
「『逸れ者』の一人がこの近辺に居を構えているのですよ」
「――!」
……逸れ者?
初めて聞く単語だ。他を窺うが、ジェインを始めとして大体は俺と同じような鈍い反応を見せている。対照的に、明確な反応を示していたのは。
「掴んでいませんか。協会の情報網も高が知れますね」
郭一人。その反応の意味を見て取ったらしい賢王が、これまた煽るような口調で言った。
「凶王の身でありながら、逸れ者と繋がりがあるのですか?」
「それは勘繰りとしては無粋でしょう。逆に訊きますが、私たちが結ぶ関係は全て組織間の抗争に益となるものでなければならないのですか?」
「……」
「彼らと結んでいるのはあくまでも個人的な親交です。それなりの歳月を生きている身ですから、そうした親交の一つや二つあっておかしくはないことくらい、充分に推測できることかと思いますが……」
「……あの」
黙りこくった郭に何とも皮肉気な賢王の言葉。それを遮って、フィアがおずおずと手を上げて切り出す。
「さっきからお二人が言ってる、『逸れ者』って……なんなんですか?」
「――そうか。貴方たちは知らないんでしたね」
気付いたようにそう言って、俺たちの側を向いた郭が話し始めた。




