第六節 招かれざる客人
――夜が明けた。
「……」
起きて身支度を整えた俺たちは、リビングに集まっている。……ソファーに寝かされている、二人の人物を前にして。
――昨晩。二人に対するフィアの治癒が完了した後、俺たちは二人をこの部屋まで運び入れた。勿論郭が術を使い、通行人の目に付かないようにして、だ。
無事二人を運び入れ、一息吐いた後に念のため郭が容態を確認したが――フィアの施した治癒に問題はなかったらしく、特に異常はないとのこと。安静にしていれば目が覚めるだろうという見立てを受け、俺たちも一眠りすることにしたわけだった。……交代で見張りを付けようとの案もあったのだが……。
この二人が仮に暴れれば、俺たちの側にそれを抑えられる人間はいない。状況からして俺たちが二人を助けたことは分かるはずだし、フィアが治したと言え二人の傷はそれなりに重傷。直ぐに目覚めることはない。加えて俺たちも疲労していたこともあり、結局その案は取り止めになった。
――はずだったのに。
「……お前、もしかして一晩中起きてたのか?」
「――当然でしょう」
リゲルの問い掛けに、郭はぶっきらぼうな声を飛ばす。二人からやや離れた壁際に佇んでいるその姿。僅かにこちらへ動かした目は少し赤く、言葉通り一睡もせず二人を見張り続けていたようだった。
「爆弾を抱えたまま眠るなど出来るわけがありません。……僕からすれば、貴方たちの態度の方が余程信じられませんが」
「か、郭さん……」
「……」
フィアの声にも目を合わせることなく、視線を二人に戻してしまう。その硬直した態度に――。
〝――殺すべきです〟
冷たく言い放った、昨晩の郭の台詞を思い出す。
〝生かしておけば害にしかなりません。必ず、僕たちに牙を向くに決まっている〟
一切の逡巡なく、それが当然であるかのような言葉。
〝凶王とはそういう手合いなんですよ。……気を許せば付け込まれる〟
此処に連れ込むことには愚か、二人を助けることにさえ痛烈に反対していた。……そのせいもあってか今は、フィアとの間もどこかギスギスしてしまっているようだ。
〝――チャンスにはなる〟
同時に思い浮かんでくるのは、ジェインの言葉。
〝賭けにはなるが。……この二人を仲間に引き入れられれば、この状況でそれほど心強いことはない〟
――そう。俺たちが二人を此処に連れて来たのは、その協力を取り付ける為。
そもそも昨晩の俺たちの行動も、元はと言えばそういう意図があってのものだったのだ。……『アポカリプスの眼』。
父やあの三人、その先にいるものに対抗するためにも、今の俺たちには協力者が必用不可欠。俺たちに足りない力を補うという点で見るなら、この二人は協力者としては全く以て申し分ない。無論それが成立するかについては、浅からぬ不安があるが。
――今はリスク以上に成果を優先すべき時。
その方向で俺たち四人が一致したことで、郭の反対を押し切ってこの事態が成立することになった。……つまりは多数決で郭の意見を流してしまったことになるわけで、その点では郭が納得できないのも当然のことかもしれない。不機嫌そうなその表情は、根強い警戒心が消えたわけではないことを如実に表している。
かく言う俺たちとしても、内心は平穏なわけがない。……命を狙われたあの日。二人とも、特に賢王の方は明確に俺たちを殺そうとしてきた相手だ。先輩がそのせいで重傷を負わされたことも、忘れることなど出来ない。
しかし――。
それでこの二人を遠ざけてしまえば、また振出しに戻ってしまう。
この二人は負傷の身で俺たちの前に現われた。となれば、何かがこの二人を殺そうとしたということは確か。……それが俺たちの敵と同じだという保証はないとはいえ。
「……代わるから休めよ。疲れてんだろ――」
「結構です。僕より力量の劣る人間に、任せることなど出来るはずが――」
「……っ……」
僅かに開いた賢王の唇が、息を吐く。その所作に硬直した二人の遣り取り。……凝視する俺たちの前で、ゆっくりと開けられる、ガラス細工のように澄んだ瞳――。
「――‼」
瞬間、それまでとは比較にならない勢いで瞼が跳ね上がる。目にも留まらない速さ。霞む残像の中で、何かを手繰るような所作だけが辛うじて分かった。
「ッ――⁉」
「……」
その流れるような一連の動きが、突如として終わりを告げる。手を差し出しているのは冥王。伸びた腕型の影が、留めるように賢王の胸元の高さへ置かれていた。
「何の真似ですか冥王――!」
「……」
語気を荒げる賢王に対し、その視線を振り返る影。変化のない冥王と裏腹に、整った賢王の顔立ちに驚愕と困惑の色が浮かび上がる。
「……事実なのですか?」
「……」
相変わらず冥王が何かを話している様には見えない。だがそれも冥王を見据える賢王の真剣な眼差しの前では、一抹の疑念とすらならないもの。
「……分かりました。説明、感謝します」
そう言って軽く頭を下げた、賢王が改めて俺たちの側に顔を向ける。……作り物かと見紛うほど端正な顔立ち。
「……」
先ほどとは違い、此方の顔ぶれを一つ一つ確認して行くような目つき。品定めでもされているかのようなその所作に、嫌でも緊張するのが分かる。その行為に数秒の時間をかけて――。
「――なるほど」
合点が入ったと言う様に一つ頷いた、賢王が唇を開く。
「再結成されたアポカリプスの眼らに挑むため、私たちの命を助けた、といったところですか。戦端を開いた以上組織も無事ではないと思っていましたが、こんなあばら家にいることから見るに、予想以上に凋落が早かったようですね」
あばら家……。一応は俺がこの部屋の家主なわけだが、堂々とそう言われると却って何も言えなくなる。どう反応したものか分からずにいる俺たちの前で。
「わざわざご苦労なことです。日頃から敵対していた相手が窮地となれば味方に早変わり。実に能天気な頭の持ち主ではありませんか」
「僕も貴女たちを助けるのには反対でしたよ」
続けられる語りに切り返したのは郭。こちらも負けず劣らずの冷たい答えを返す。
「ですが、連れ込んでしまった以上は仕方がない。――協力してもらいます、賢王」
「――協力?」
そんな郭の提案を、賢王は形の良い鼻で笑う。
「私たちにそんな義務など微塵も無いということ、あのレイガス・カシア・ネグロポンテの弟子なら分からないわけはないでしょうに」
「確かに、僕に対してはありませんね」
それについては同意した郭の目が――賢王から移される。……フィアへ。
「しかし、彼女に対してならある。――先に冥王から聞いているはずです。身の危険を省みず、貴女たちを治癒した彼女の事を」
……なるほど。対立する二人の視線を続け様に受けて、二重に身を竦ませるフィア。
「王として――恥じぬ名を持つなら、貴女はこの恩に報いなければならない。違いますか?」
「……」
沈黙。直ぐに返されない答えが暗に郭の宣言が事実、少なくとも思慮に値するものであることを俺たちに告げている。息を飲んで見つめる数秒ののち。
「――勘違いしているようですね」
予想外。思いがけないほど冷徹な声が、早鐘のように鳴る心臓を打った。
「恩に縛られるのは愚者だけです。王は恩を着ることこそあれ、ソレに縛られることなどない」
同時に賢王から満ちていく気配。――恐怖ではない。だがマズイというその感覚だけで全身を絡め取るような威圧感。まだ殺気ではないにも拘らず、賢王と同じ場にいるというそれだけで、身動きを取ることができない――⁉
「この娘を残した他全員を殺すことなど、私には容易いことなのですが」
「……ッ」
「テメエ――ッ」
変化していく気配にリゲルが構える。郭が魔力を練り上げているのが分かる。――勝てない。そのことが分かりながらも、どうしようもなく俺が構えを取ろうとした――。
「……っ」
その時に。思い切ったように一歩前に出る足音。
「……止めて下さい」
「……っ⁉」
――フィア。賢王と相対するように歩み出、言葉を掛ける。握られた掌――。
「……ここで私たちが争っても、何にもならないじゃないですか」
震えている。その両手が、傍から見てもはっきりと。身に当てられる威圧に恐怖しながら、それでもなお臆することはせずに。
「だから……」
「……」
言葉を収めたフィアと賢王との間で、黙したまま睨み合いが続く。……一秒、二秒。
「……はぁ」
――息を止めるような緊張のあと。張り詰めた空気を解くように小さく息を吐いたのは、賢王の方だった。
「このような小娘に窮地を救われるとは、私も焼きが回りましたか」
紡がれるその言葉に棘はなく。俺たちの動きを抑えていた、威圧感が収められていく。……助かったのか?
「協力してあげましょう。――ですが勘違いしないことです。あくまで私が報いるのは、その小娘の礼に対して」
ひとまずは。そう思った最中、大仰な手振りと共にその瞳と眉根に険が戻る。
「それ以外の有象無象に関して加減はしませんし、分を果たしたと思った段階で好きにさせてもらいます。背後から射抜かれても文句は言わないように」
「……っ」
「……もう一人はどうするんです?」
鋭い気配。安堵を吹き飛ばすような目つきに息を呑んだところで、郭の放った問いに意識の方向を変えさせられる。……そうだ。相手はまだもう一人いる。先に止めてくれたことを考えれば賢王よりは好意的なはずだが、果たして――。
「……?」
――冥王はと。固唾を呑む俺の前に、ヒラリと落ちてくる何か。……紙? 歪な四角形に切り取られた白いその紙切れを手に取って見る。何も書いていない。目に見える白に引っ繰り返した裏面。
〝――いいよ。協力しよう〟
「……」
数回。短いその文面を敢えて見直す。……なにか随分とくだけている。というか。
「……冥王ですか? これは」
尋ねる声。視線を上げて見れば、郭もいつの間にか同じような紙片を摘まみ上げている。フィア、リゲル、ジェイン。俺たちの側の全員がそうだ。
「ええ。冥王はそのような形で会話します」
〝話し辛いかもしれないけど、よろしくね〟
「……宜しく」
「お、おう。……宜しくな」
続いて落ちてきた紙に返される挨拶は硬い。郭に至っては当然。いつもなら陽気に答えを返しそうなリゲルも、流石に昨日殺され掛けたばかりの相手に対しては、どうにも声が強張っていた。……敵ではなく協力関係になったのだと、頭では理解していても早々に切り替えることなど出来ない。今し方でさえこちらを殺そうとしていた相手なら、尚更――。
「――ところで」
そんな俺たちの内心など知ったことではないかのように。不意に、室内を見回して見せる賢王。
「この家では客人に茶の一つも出さないのですか? 嫌々ながら味方に加えられてこれでは、意気も下がるというものですが」
「……ああ、なら今――」
「客人ではなく協力者でしょう。お茶くらい自分で入れて下さい」
淹れようとした俺の動きを遮って、要求を突っぱねたのは郭。……確かに言葉尻を捉えればそうなるが。
「それとも一派の王とやらはまさか、自分で茶一つを淹れることもできないんですか?」
「やれやれ。弱卒が、随分と舐めた口を利きますね……」
「……いいよ」
早速舞い戻って来た険悪な空気。起こり得るごたごたが面倒になって言う。
「俺が淹れてくる。ちょっと待っててくれ」
返事を聞かないで台所に向かった。……一応、あの二人は怪我人だ。
やかんをコンロ上にセット。棚からパックを二つ取り出し、カップに入れて沸くのを待つ。郭からすれば調子に乗られないようにとの意味合いもあったのかもしれないが、俺としてはこれ以上話をこじらせたくなかった。……フィアが作ってくれた機会を、無駄にはしたくない。
「……」
そんなことを考えている内に沸いたお湯を注ぎ。色が出ているのを確かめてから、リビングへと戻った。変わらない位置で相対している二人に――。
「――ほら」
盆ごと差し出したカップ。その中に入っているお茶を、賢王の瞳が見て。
「……はあ」
不服そうに溜め息を吐いた。……なんだ?
「茶と言われて本当に茶だけを持って来るとは。決められた動きしかできない茶運び人形ですか、貴方は」
「――っ」
「だったらどうしろってんだよ」
リゲルがボソリと呟く。……俺も同じ感想だ。流石に其処まで言われる筋合いはない。
「気の利かないことこの上ありません。というか、揃いも揃っていて分からないのですか?」
俺たちを見回し。反応がないことに、呆れたように言った。
「疲労から目覚めたならば、真っ先に為すべきは体力の回復――即ち、食事です」




