第五節 遭遇
――マズイ。
闇夜の中。
人影はそう判断する。……先に感知した数人の技能者。離れていたそれが、明らかにこちらへ向かう動きを見せている。
本調子でないとはいえ、仮にもこの自分が押し隠した気配と魔力。凡百の技能者に感知されるとは夢にも思わなかったが……甘かった自らの見通しを反省する。――長期の逃亡劇で甘さが出て来ているのかもしれない。少し、気を入れ直さなければ。
「……」
意識したのと同時。闇が人影を更に強く包み込んでいく。……どの道一人がこれでは動くこともできない。可能な限り早急に手当てを――。
「……っ!」
前触れなく、視界が揺れる。連動するようにグラついた身体を立て直し、今一度自身の状態を確認する人影。……良い状態ではない。出血量が多過ぎる。日頃から殺される前に殺すことを信条としている人影であったが、今ほど治癒関連の技法に造詣の無いことを悔やんだ時は無かった。せめて、順番が逆であったなら……。
「――」
五人の気配が更に近付いていることを察知する。……当座の追っ手以外に敵も多い身の上だ。今はとにかく、見付からないことを最優先にしなくてはならない。
――見通せない黒に、深々と身を沈めて。
人影は重傷の息を殺し。ただ静かに、時を待った。
「人目は――」
「カバーしてありますので問題ありませんよ」
「あ、ありがとうございます」
「流石だな」
「流石だぜ!」
「……何ですかこの空気は」
中途でそんな他愛ない会話を挟みつつ、小走りに五、六分も駆けただろうか。
「……」
滞りなく進めてきた移動の最中。不意に、先導する郭の動きが止まる。
「どうした?」
「……気配が消えました」
それまでより目元をやや厳しくする郭。
「場所を探ります。待っていて下さい」
「僕らを警戒したということか?」
「可能性としては。今まで特に隠れる様子は無かったですが、近付いて来るのを察知して方針を変えたのかもしれません」
更に何か魔力を動かしながら……郭は続ける。
「感じられた魔力の脈動からしてかなりの実力者のようでしたからね。先ほどまでこの付近にいたことは間違いないでしょうが、あちらが拒むようであれば接触は難しいと思った方が無難です」
「まあ、そんときゃしゃあねえな」
「【時の加速】は掛けたままでいて下さい。万一があることも考えられますので」
「ああ。分かっている」
「……」
織り成される会話を聞きながら、思う。
近付いてきた俺たちを迎撃するでもなく警戒し、居場所を隠す。相当の実力を持つ人間だというのなら、なぜそんな手間の掛かる真似をするのだろうか。
交戦の意思を持たないのか、或いは――。
「周りを警戒してるってとこを見ると、もしかしたらそいつらも俺たちと同じように追われてんのかもしんねえな」
「……そうですね。まあ三大組織が半壊したことは余程の情報通でなければまだ知らないでしょうから、単にそれを警戒した反秩序者という可能性も――」
感知を続けつつ、次は半分聞き流すような体で答える郭。
「……?」
それらしい手掛かりがないかどうか周囲を見回していた俺の目に、何か怪訝そうな表情をするフィアの姿が止まった。見つめている方角……。
「――どうかしたのか?」
「……いえ」
問い掛けにも腑に落ちないといった感じの反応を見せてくる。言葉を選ぶように。
「なんだかさっきから、向こうの方が妙に気になって……」
「……向こう?」
少し躊躇いがちにフィアの指差した先。細い路地が入り組むようにして走っている区画。夜ということもあり、それ以上の仔細は見通せない。確かに何か出そうではあるものの……。
「どんな風に気になるんだ?」
逆に言えばそれ以外は何の変哲もない、至って普通の路地だ。もう少し突っ込んでみようと、重ねて訊いてみた。
「……その、自分でも上手く言えないんですが……」
「――隠れるにはうってつけの場所ですね」
そのとき。フィアの示した方角を見つつ、郭が割り込んでくる。――結果は。
「あ、どうでしたか?」
「駄目ですね。やはり魔力と気配を完全に遮断されています」
肩を竦める。……郭で分からないのなら仕方がない。打つ手がなくなったとも言えるが。
「どうしても会いたいなら付近を虱潰しに探してみるしかないでしょう。手始めにその路地から見てみるのも、悪くはないと思いますよ」
「まどろっこしい言い草だな。カタストさんの顔を立てる気なら、そう言えば――」
「余計な茶々を入れるのはどの口ですかね?」
「あ、ありがとうございます」
フィアが礼を言うことによってどうにか治まる。……こういうところは、前より少し変わった気がする。
「うし! そうと決まりゃあ、行っくぜぇ!」
「待って下さい。先走るのは――」
郭の制止も聞かず、やたら高いテンションを見せたリゲルが路地の方へ突っ込んでいく。路地裏に一目散に突っ込んでいくその様は、傍から見れば紛れもない不審者で。
「……まったくあの馬鹿は」
「どうしようもないですね」
それでも恐らくは場を盛り上げようとしてくれたのだろうに。妙なところで意見の一致を見ている二人を横目にしつつも、リゲルに続き俺たちが路地へ向かおうとした――。
「――ウッ⁉」
「――⁉」
瞬間。……短い。しかし確かに耳に届いてきたのは、間違いようのないリゲルの呻き。
「何をしてるんですかあの男は――‼」
「リゲルさん⁉」
通路の奥は俺たちからは死角になっていて見えない。即座にその方角へ走り出す郭に僅かに遅れるようにして、走り出した俺たち。――リゲル。不安に逸る鼓動を感じつつ、俺たちが路地へと一息に飛び込んだ――。
「――」
――狭い道幅。途切れる月明かりを受けて影の如く暗闇に映し出された景色の、その中に。
「……!」
――闇を更に塗り固めたような、黒色の影があった。不気味さを塗り固めたようなその影に喉首を掴まれて持ち上げられ、壁に押し付けられているリゲル。鍛え上げられたスーツの両腕は自分の首を絞める影の右腕を掴んではいるが――。
「――僕たちは敵ではありません。信じられないかもしれませんが、貴方たちに危害を加えるつもりは――!」
全くと言って良いほどに影響を与えられていない。下手に動いてはリゲルの身が危険。動きを止めた俺の斜め前では、先着した郭が必至に声を掛けている。
「……ッ……!」
それが届いているのかいないのか、リゲルを抑え付けた影はそれ以上の動きを見せないままだ。……どうしたら良い? 俺の後ろで立ち竦んでいる二人。この状況で、俺たちにできることは。
「……っ!」
「――カタストさん⁉」
――思考を遮ったのは、予期せず上げられたジェインの声。
「――⁉」
「何をッ――⁉」
その叫びの意味を理解した瞬間、闇夜に映える白銀が俺の隣を駆け抜けていく。――フィア⁉ 戸惑う郭の声も聞かず、普段と見間違うような勢いで影の方へと走り寄っていくフィア。――何をするつもりだ⁉
今影を刺激すれば。リゲルが――‼
「――ッ!」
蠢く影がフィアの方を向く。その動作に一瞬怯んだように見えたフィアはしかし、立ち止まらずにそのまま影の隣を走り抜けていく。路地の先へ行き、不意にしゃがみ込み――。
「――【治癒】」
紡ぎ出されるのは耳慣れた詠唱。覚えのある暖かな光が視界に零れ出していく。……これは治癒の光? だが、一体誰を――。
「……」
「……大きな怪我ですけど、必ず治します」
心なしか。俺たちに合わせて視線の方角を変えているような影。懸命に治療をするフィアを見つめているようなその影に向けられた、フィアの声が俺の耳にも届く。
「この人も。――貴女のことも」
「……」
それを耳にしたと思しき直後。リゲルの首元から影の手が離れ。
「――」
音一つ立てずにその場へと倒れ込んだ。……負傷していたのか? だがこの暗闇で、よくそのことを。
「――ェホッ! ッハ!」
「――大丈夫ですか?」
咳き込む声に視線を移す。影の拘束から解放され、蹌踉めきながらも立ち上がったリゲル。先ほどから影と対話しようと試みていた郭が、いち早くその身体を支えていた。
「……ああ。助かったぜ」
「……リゲル」
憔悴した声。明らかにダメージはあり、それでも命に別状はない様子に、思わず安堵した――。
「……これは」
最中。聞こえてきた声に振り向かされる。この短時間で倒れている人物への手当てを終えたのか、続けて今度は影の方へと光を放っているフィア。……その後方に立つジェインの視線を追ったところで。
――雲が晴れたのか。それまでより一際強い一筋の月光が、路地に差し込んだ。
「――!」
瞬間、気付く。……灰色の地面にあってなおその優美さを失わない華美な衣装。脳裏にフラッシュバックする光景。もっと早くに思い出すべきだった。光に照らされてなお、消えることのない影法師は……。
「……賢王、冥王」
ジェインの呟いた台詞が。俺たちを包む夜の静寂に、溶けていった……。




