第四節 接近
「――それじゃ、協会に連絡は取れねえのか?」
リビングテーブルを囲み。全員が膝を突き合わせた話し合いの中で、リゲルが訊く。
「生憎の逃走劇でしたからね。通信用の魔具は持って来られませんでしたし、協会に直接接触を試みるのは余りにリスクが大きい」
それは同感だ。最悪の場合、張られているという可能性もある。
「状況が変わらない限りその線は捨てた方が良いでしょう。あの戦いで協会側が勝利していれば、必ず向こうからコンタクトがあるはずです」
黒騎士のあの言葉。あれを考えるに、とても戦いが無事に終わったとは……。
「それ以外の行動を取るとなると」
「僕らがマークされているかどうか、か」
――そう。今の俺たちの最大の懸念は、追っ手の有無だ。
あの女性の言葉を信じるなら、レジェンドたちの標的に俺たちが含まれていなかった可能性は高い。そして問題は、それが今も変わっていないのかということ。
「戦力という観点からすれば、相手は僕たちを歯牙にも掛けていないはずです。師匠と僕らとでは比べるべくもありません。警戒するどころか、意識を割いておく必要もないほどに」
「……ただ、あの黒づくめの騎士の好戦的な様子からすると――」
――遊び半分、暇潰しとして俺たちを殺しに来ることもあるかもしれない。
それが懸念材料として俺たちの間に広がっていた。そしてもう一つ、気掛かりなのが。
「黄泉示さんのお父さんは……」
「……確かに、俺を迎えに来ると言っていた」
〝私はあと一度だけ、お前を迎えに来る〟
脳裏に木霊する父の言葉。……あれが真実ならばあの三人は別としても、父が俺たちを探しにやってくる恐れもある。仮にそうなれば……。
「けどよ。流石にあのおっさんでも、俺たちが此処にいるってことまでは分かんねえんじゃねえか?」
「どうでしょうね。相手方の情報網がどれだけのものなのか、今の時点ではまったく見当もつきません」
「ゲートの使用履歴から僕たちが飛んだ場所を確定することは可能なのか?」
ジェインの問い掛けにハッとする。それができるなら、俺たちを探すことは決して難しくない。
「難しいと思います。ゲートには協会員でも専用の権限を持っていなければアクセスできませんし、下手に接続を試みれば機能が停止しますから。昨日の様子だと、相手方に純粋な魔術師はいないようでしたし」
「なら一応は安全……なんでしょうか」
「それでも蔭水冥希の力は本物です。こちらから尻尾を出すような真似はしない方が良い」
「不用意な行動は、避けた方が良いってことになるな……」
――全くその通りだ。
追っ手が来ているかもしれない状況下では、動くこと自体が軽くないリスクになる。そのリスクを負って動いたとしても。
「ひとまずは待ちってことになんのか……」
「あと、これは一応訊いておきたいんだが」
目算が立てられていなければ。思考の中でジェインが紡いだ問い。
「三大組織と『アポカリプスの眼』との戦いがどうなったか。……予想がつけられるか?」
「……そうですね」
事柄の核心。ある意味専門家である郭の意見を、固唾をのんで見守る。
「通常のぶつかり合いであれば、人数差もあります。敗北したとしても全滅ということはないでしょう。しかし……」
考えつつ、眉根を寄せ。
「あのレジェンドたちの言葉が本当であれば、『永久の魔』級の戦力が二体。そうなれば話は変わってきます。……全滅していてもおかしくはない」
「――っ」
郭の言葉が胸に重くのしかかる。ただ一つ分かっているのは、恐らくその分析が大凡的外れではないだろう、ということだけ。
「今、余りそのことは考えないことにしましょう」
自分の思考の出した結論の重さを少しでも減衰させるように、声色を変えて言う郭。
「分かっていることから、なにができるのかを考える、その方が生産的ですからね」
「ついさっきまで部屋に籠っていた人間の台詞とは思えないな」
「煩いですね。燃やしますよ」
「んなことより、一つ考えがあんだけどよ」
現実に火花を散らしそうになった遣り取りを食い止めたリゲル。――考え?
「なんですか?」
「俺、家がマフィアなんだよ。でだ、家の連中に頼んで――」
「一般人では協会への接触は困難です。認証に魔力を必要としますし、技能者でない彼らは僕ら以上に動向を察知され易いでしょう」
「あー、マジか?」
「――神父が留守を任せた相手が、元聖戦の義のメンバーらしいんだが」
「聖戦の義は離脱者に対して厳しい措置を取っています。一度抜けたのなら、もう関係者ではないと見做した方が無難です。何より事情の説明が――」
思い付くまま互いに案を出し。あれやこれやと話を続け――。
「……」
気付けばいい時間。窓の外は暗く、落ちた日が夜の訪れを告げ始める。挙げ連ねられた中でも、特別名案と呼べるようなものは出ず。
「――っ」
「……あう」
気の抜ける音が部屋の中に響く。隠すようにお腹を押さえたフィア。
「……腹減ったな」
「缶詰とか、非常食なら……」
思い起こす。この家に戻ってきたのは実に数か月ぶりのこと。使える食材が残っているはずもなく、冷蔵庫に入っていた食材はドレッシングなどを除いて殆んどが腐っていた。以前非常用に買っておいたものがどこかにあったはずだが。
「何か買って来るか?」
「食料があるならできる限り外出は避けた方が良いと思います。万が一で見つかるのは御免ですから」
――それもそうか。卵や何やらを買いに行って見付かったのでは、洒落にならない。リスクは押さえるべき……。
「取って来るよ」
「いや、俺が行くぜ。黄泉示は坐ってろって」
「あ、私も――」
立ち上がった俺にリゲルとフィアが続く。三人で行っても仕方がないので、ジャンケンで決めようかと口を開いた――。
――不意に。
「――」
弾かれたように顔を上げた郭。やや眉根を顰め、何かを探っているように、意識を集中しているように見えるその表情。
「……どうした?」
ただならないその動作に、思わず尋ねる。どこかを見ている郭の目付きは変わらず。
「……近い。これは……?」
質問には答えずに、なおも一人で何かを呟いている。焦りと緊迫から来ているようなその所作に、嫌でも不安が募ってくる……。
「なにがあった?」
「……」
重ねたジェインの声掛けを受けて漸く。郭は俺たちの側に視線を戻すと。
「――何者かがこの家の方角に近付いています」
そんな衝撃的な言葉を、口にした。
「――」
疲れで曇っていた頭の霧が一瞬にして晴れる。――恐怖と緊張がここまで人の頭をクリアにさせるものだとは、かつては思ってもみなかったこと。
「そんな……!」
「……あいつらかよ?」
「……分かりません」
慄くように口を覆うフィア。核心を突いたリゲルの問い。だがそれに対する郭の答えは、俺が思い描いた最悪のものとは違っていて。
「かなり強い力の持ち主が、二人。それは間違いないですが……人物の特定まではできません。分かるのはそこまでです」
「充分すげえよ。んなことまで分かんのか?」
「昨日ここに来た時にそれ用の術式も仕掛けておいたんですよ。万が一を考慮してのことでしたが、正解だったようですね」
言葉を交わすリゲルと郭。二人……。
「……まっすぐ此処に向かって来てるのか?」
「感知域ギリギリのところにいるのではっきりとは言えませんが、少なくともこの場所に近付いてきていることは事実です」
俺の問いに再度術式の感覚を探りながら言ったらしい郭は、そこで一呼吸を置いて。
「ただ、一直線というわけではなさそうですね。少し動き方に迷いがあるように思えます。何かを確かめながら進んでいるような……」
「――僕たちを探しているということか」
「その可能性もありますね」
「――」
「……だけど、二人、ですか?」
フィアが訊くそれは、郭の解説を聞きながら俺も覚えていた違和感。
協会を襲ってきた黒騎士たちなら、その人数は計三人。……父だと仮定しても一人。どちらにせよ今回の数には合わないことになる。勿論常に決まった数で行動しているとは限らないだろうが……。
「あいつらか黄泉示の親父だとすれば、数が合わねえな」
「あの人たちや、黄泉示さんのお父さんじゃない……ってことでしょうか?」
「それは楽観的すぎる」
敢えて二人で来る理由が思い付かない。そう思っていた俺の思考を遮るのはジェインの声。
「人数を変える理由なんて幾らでも考えられる。あの三人のうち一人が別の任に就いているのかもしれないし、蔭水の父親が念を入れて仲間一人を連れて来たのかもしれない」
「……確かに」
考えながらの発言は、郭。
「偶然にしては出来過ぎています。下手に希望的な意見は取らない方が良い。……二人という数には僕も違和感がありますが……」
そこでスパリと逡巡を断ち切るように。
「僕たちが直面している問題は、今どうするか、ということでしょう」
言った。その言葉に一瞬沈黙が場を支配する。……相手の正体は分からない。
「……その人たちが来ない内に、皆で逃げるのは……」
「ここには俺たちを隠してくれる術式が張ってあんだろ? その外に出るってのは危険じゃねえのか?」
「居場所を知られていたら同じことです。僕が張った術式は魔力の感知を不可能にするというだけで、この建物まで見えなくしているわけじゃありません。それに念入りに準備はしてありますが、相当の腕を持った術師ならこの術式それ自体の気配に気付くことは出来ます。踏み込まれれば袋小路。一網打尽でしょうね」
「う……」
流れるような反論を受けてリゲルが言葉に詰まる。……ならフィアの提案がベストだ。今すぐ逃げ出すべきかと思うが――。
「……ただ」
付け加えるように。
「この気配が仮にあの三人か、蔭水冥希のものであるのなら、恐らくこの術式の外に出た時点で僕たちの居場所に気付くことでしょう。――そこからは」
「……デッドレースになる」
引き継いだジェインの言葉に、郭がはい、と頷きを返す。
「命を掛けた鬼ごっこです。幸い此方は補助系統の能力で言えば一級品が揃っています。僕もいることですし、逃げ切るのも不可能ではないかもしれませんね」
「……」
最早明確に言われずとも分かる。そういう言い方をするということは、それだけ難しい試みであるということだ。……あの時体感した父の動きを思い出せば俺でも充分に理解できること。あの三人が父と同等かそれ以上の実力者であれば、俺たちが逃げ切れる目は殆んどない。
つまり、どちらに転んでも――。
「ならどうすんだ?」
リゲルが言う。
「このままいてもやべえ、逃げても危ねえ。どっちにしろマズイんじゃ、やり様ってもんがねえぞ」
話を纏めると確かにそうなる。どちらにせよ危険なことに変わりないなら、いっそこのまま隠れていても良いかもしれない。
一瞬そんな考えが頭を過ったが――。
「……郭」
「はい」
俺の声に、郭が此方を向く。……曖昧な質問だが。
「二人が追っ手だったとして、このまま隠れ果せる見込みはどれくらいある?」
「大凡の見込みですが、十に一つといったところでしょう。近付かれれば確実に勘付かれますし、そうならない幸運を祈るしかありません」
予め予測を立てていたのか、迎えるのは淀み無い返答。……十に一つ。賭けるとなれば低く、しかし可能性が無いわけではないという、実に微妙な率ではある。
「逃げる方は?」
「……難しい質問ですね」
続く問いに今度は少し、思案するような素振りを見せて。
「幸い二人の位置はまだそれほど近くありませんが……ここから直ぐゲートへ向かったとしても、やはり一割あるかどうか」
――それを聞いて、腹が決まった。
「どっちも同じくらいの可能性なら、事態が悪化する前にこっちから動いた方が良いんじゃないか?」
集まる目線を意識しつつ、なるべく落ち着いて頭の中で言葉を組み立てる。
「まず全員で一斉に家の外へ出る。それで二人がこっちに向かって来るなら敵だ。ジェインの【時の加速】を使って、一直線にゲートまで逃げよう」
ここにいてはどうにもできない。見付かるか見付からないかという、ただその時を待つだけになる。だが、外に出れば――。
「逆にもし二人が僕らを追って来なければ、ここに留まっていればいいからな」
「――」
先を読んだような台詞に思わずそちらを向いた俺と合う、ジェインの視線。
「僕も同じ意見だ。確率が似たようなものなら、少しでも状況が変わるような選択肢を選んだ方がいい」
「いいじゃねえか。俺も、閉じ籠ってお祈りしてるなんざ性に合わねえと思ってたとこだしな」
二人が相次いで賛同してくれたことに胸を撫で下ろす。ここで話し込んでいては状況が悪くなるばかりだ。動くなら早い方が良いはず――。
「――あの」
そう思っていた矢先。少しおずおずとしたフィアの声が、耳に届く。
「その、もしもの話なんですが、仮にその人たちが私たちの敵じゃなければ……」
やや自信なさ気に。しかし止めることなく言葉を続けるフィア。
「逆に、私たちの方から正体を確かめに行ってみたらどうでしょうか」
「――」
「お、何でだ?」
「……これからのことを考えれば、少しでも協力してくれる人がいた方が良いと思うんです」
その口から出されたのは予想外の発言。慎重に、緊張感を以て説明が紡がれる。
「郭さんが言うほど強い人たちなら、敵でなければ、できれば会って仲間になってもらえないかなと……」
「――」
「なるほど」
言葉の意味を了承した――郭が頷きを返す。
「確かに今の僕たちではとてもアポカリプスの眼に対抗できる力はありません。戦力は当然多い方が良い」
それは先に話し合っていた中でも痛感したこと。……数は力。それは単に力の大きさというだけでなく、取れる行動の種類にも直結する。現状で有効と思える手がないことは否定しがたい事実。それを少しでも変えられるなら――。
「二人の正体は不明ですが……仮に追っ手でないなら、協力を仰ぐことは得策かもしれませんね」
「大丈夫なのか? 接触に危険性は――」
「どこの世界でもそうでしょうが、基本的には実力者であればあるほど話が通じるケースが多いんですよ」
ジェインの懸念にそう答える。……仮にこの事態を恙無く遣り過ごせたとしても、良くて振出しに戻るだけ。今俺たちの置かれた状況を変えるにはそこから更に一歩踏み込んでみせる覚悟が要る。
――それに、フィアの言葉で気付くことができたのだ。
「んじゃ、とっとと行こうぜ」
リゲルが立つ。
「そいつを見極めるためにもな」
「ああ」
「ゆっくりもしていられません。――急ぎましょう」
そう言って立ち上がった郭に続き、俺たちも躊躇うことなく席を立った――。
――固く靴紐を結び。
「……」
全員が揃った状態で、俺たちは玄関に立つ。相身互いに見合う視線。
「いいですか? 外に出たら直ぐに、【時の加速】を全員に掛けて下さい」
「分かっている」
「その後で僕が合図をすればデッドレースの始まりです。合図まで気を抜かないように」
「……はい」
「分かってるぜ」
全員が為すべきことを確認し、頷く。……準備は整った。あとは。
「――行くぞ」
行動に移すだけ。言葉と共に扉に手を掛け――。
「――」
一瞬、ブルリと震える身に躊躇する自分を感じる。……この扉を開ければもう選び直しはできない。この金属の扉一枚が、俺たちにとっては正しく死線――。
「――ッ!」
ぐずぐずしている暇はない。言い出した俺が怯んでどうするとその一念で気合いを入れ、一気にドアを押し開けた。――流れ込んでくる冷たい風。
「――【時の加速・三倍速】」
息吐く間もなく、一糸乱れぬ動きで外へ出る俺たち。……澄んだ空気。昂ぶる心と対照的な冷えた夜気が、闇に晒された肌を引き締めるように撫でていく。
「……」
引き延ばされた時間の中で。緊張に砥がれた感覚を全神経に集中させて合図を待つ。……一秒、二秒。
「……」
何事も無く十数秒が過ぎ――フィアが不安そうに郭を振り返る。同様に振り向いた視線の先。郭は念入りに何かを確かめるように、暫し険しい表情をしていたが――。
「……幸運ですね」
やがて吐きだした息と共に、そう言ってくれた。
「……っ!」
緊張していた身体から力が抜けていく。郭の言葉の指すところは、つまり。
「当たりというわけか」
「ええ。念のために軽く魔力を放ってみましたが、何の反応もありません。追っ手でないと見て間違いないでしょう」
さらりとそんなことを言ってのけた。追っ手なら気付かれるのは時間の問題だったのだろうが、よくそんなことができるな……。感心半分、呆れ半分といった心情。しかし今は最悪の結果を免れたことへの安堵の方が勝って――。
「ふ――あっ⁉」
「――っと」
反射的に伸ばした腕。柔らかな感触と共に軽い重みを感じ、支えられるよう少し力を込める。
「大丈夫か?」
「す、すみません。安心したら、急に……」
腰が抜けてしまったのか。脚にも力が入らないようで、一気に崩れ落ちてしまったようなフィア。
「仕方ないですよ。空腹の上にあれだけの緊張に晒されていたんですから」
……それもそうだ。体力的にはフィアは決して余裕のある方ではない。緊迫した状況が続くのも辛かっただろうし、栄養補給もできていないとなればある種当たり前の事。せめてこれ以上負担を掛けないよう、力の配分に注意する。
「ともあれ、これで一難は去ったってわけか」
空を見上げるリゲル。微かに瞬く星を見据えた、その視線を直ぐに戻し。
「――行くんだろ? そいつらに声掛けによ」
「……ああ」
そう。まだ終わったわけではない。
追っ手でない事は幸運だったが、まだもう一つの仕事が残っている。戦力となる協力者の確保。
「幸いそれほどの速度で動いているわけではないようです。追い付くのに苦労は要らなさそうですね。――行けますか?」
確かめた、郭がフィアへ問い掛ける。
「――立てるか? フィア」
「はい。もう大丈夫です」
俺から離れ、自分の足で立った。……少し心配だが、これなら大丈夫か。
「済みません……ありがとうございます」
「ああ」
「――行こう」
促すジェインの声に、俺たちは前を向き――。
郭に続く形で、夜の町を駆け始めた。




