第二節 郭の思い
「――入るぞ」
扉越しに掛けた声に返事はない。……今は事態が事態。無言は肯定と受け取り、リゲルは預かった鍵を差し込む。カチリとした手応えを合図に、開いた部屋の中へ足を踏み入れた。
「……」
後ろ手に扉を閉める。……もしかすると魔術が飛んでくるかもしれないと身構えていたが、その心配も杞憂に終わった。仮にもここは黄泉示の家。ああ見えて真面目な性格をしている郭ならば、無闇矢鱈と他人の家を傷付けるような真似はしないだろう……とは思っていたのだが。
「……」
当人の姿は直ぐに見付けられる。――ベッドの上。壁を背に、膝を抱えて蹲っているその姿は、どことなく意固地な子どものように見えなくもない。
「――大丈夫か?」
「……いい加減ほっといて下さい」
返されるのはにべも無い答え。……こちらを見ようともしない。下手に顔を上げさせようとすれば今度こそ一撃が来るなと、そう判断したリゲルは近寄らず、少し離れた扉の前から言葉を掛けていくことに決める。
「……ショックなのは分かるが、いつまでもそうしてたって仕方ないんじゃねえか?」
「――分かる?」
思いの外鋭く――しかしやはりどこか弱々しさを秘めた声で、郭はリゲルの発言に薄く嗤う。
「貴方に何が分かるんです? たまたま『救世の英雄』の息子で、たまたま魔術協会に保護されていたような人間が」
「そりゃまあ、そうだけどよ」
「僕も師匠の事も何も知らない身でずけずけと説教とは。大層な御身分です。身の程が知れますね」
「……」
棘のある言葉。いつもならどこか余裕を持って為されているはずの暴言も、今は率直に他人の身を刻むナイフのようなそれに変貌を遂げている。……一筋縄ではいかなさそうだと思いながらも、リゲルはどうにかそれを打破するための手立てを考える。
「……気になってたんだけどよ」
飛ばされた暴言を整理し、思い付いたのはとあること。
「お前、家族とかいねえのか?」
「――」
確かな反応。リゲルの言葉に一瞬、郭はピクリと身を震わせて。
「……この状況でそれを訊きますか。本当に何と言うか、空気の読めない人ですね」
「う……」
剣呑な刃の如き台詞を飛ばしてくる。一際不機嫌そうになってしまった郭に失敗だったかと思いつつも。
「いやでも、お前の言う通りだと思ってよ」
「……何がですか」
「俺がお前やレイガスの事、何も知らねえってことがさ」
――そうだ。
思えばリゲル・G・ガウスは、郭やレイガスの事について殆んど何も知っていない。協会で模擬戦をし、話こそしはしたが。これまで、郭やレイガス個人に向けて踏み込んだことは一度もなかった。
「だから今からでも、知ることにしたいと思ったんだが……」
「……」
尻切れになったリゲルの台詞を、郭は固定した視線で、無表情のまま受け止め。
「……全く」
溜め息のあとで、小さく漏らされたその声。
「人が立て籠もっている部屋にずけずけと入り込んできたかと思えば、勝手なことを言った挙句に、あろうことか途中でへたれる」
郭が視線を上げる。睨んでくるような目付き。
「支離滅裂です。何がしたいんですか、貴方は」
「……いや、なんつうかだな。その……」
「……はぁ」
気の利いた答えを返せず。言葉に窮したリゲルに、今度はあからさまな息を吐いて。
「――いいです。答えてあげますよ」
「――」
「貴方は――」
……今の流れは絶対に、追い出される流れではなかったのか?
「魔術師がどうやって魔術師になるか、知っていますか?」
一瞬そう思うものの、何はともあれ折角話をしてくれそうになっているのだと切り替えたリゲルの意識に飛び込んできたのはそんな第一声。脈絡も見えず問われている内容に、思わずどういうことなのかと内心で問う。
「……いや」
「魔術師としての才能は完全に個人的なものです」
知らない。数秒後に下されたその回答に向けて、お構いなく展開されていく話。
「当然術師としてどこまで行けるかには血筋や遺伝といった影響もありますが、近代以後の魔術が規格化・体系化された技術的なものである以上、それを扱えるようになる資格としての才能は、少なくともそれらに縛られることはありません」
意図は分からないがとにかくそれに付いて行けるよう、再度リゲルは目の前の相手の語りへ意識を集中させる――。
「両親が魔術師であっても魔術を使えない子どもが生まれることもありますし、逆も然り。現に今協会に所属する魔術師の大半は、幼年期には魔術というものを全く知らなかった人間たちです」
語られる内容に頭を過ったのは自分たちの境遇。確かに自分もそんなものは知らなかった。黄泉示は別だが、ジェイン、フィアもそういった知識はなく、家系でもなかったはずだ。
「そのため協会は各地に張り巡らせた情報網を使い、そういった才能を発露する人間を昼夜探し求めています。何故だか分かりますか?」
「……他の組織に持ってかれないようにするため、か?」
「その理由も勿論ありますね」
考えつつ言ったリゲルの返答に郭は今度は一つ頷き。
「三大組織の中では聖戦の義、それ以外では敵対する凶王五派、各国の国家機関、若しくはもっと小規模の組織など。特殊技能者としての人材を求めているのは基本的にどこも同じことですから。数が限られていればそれは奪い合い、早い者勝ちになります。事実としてその状況が一つ大きな要因であることは間違いありません。……しかし」
しかし。その言葉を使うからには、その話の行先が予見できる。
「協会がそういった才能者のいち早い発見に力を注いでいる、もう一つの大きな理由は――」
注意していなければ息継ぎと見紛うほどに僅かに。半拍の間を置いて、郭は言った。
「そういった素養を持つ人間が多くの場合、一般社会と適合できないからなんですよ」
「――」
……なに?
「魔術師の家系に生まれたならば当然そういった問題はありませんが……一般家庭に生まれた素質ある人間は、幼い頃に自身の持つ力を無自覚に使ってしまうということがよくあります」
適合できない? 告げられていくそれは、リゲルの理解にはない事柄。
「大抵はそれほどの素質を持っていないために大事まで至りませんし、多少の不自然さなら忘れられてしまいます。ですがもしも明確な形でそれを目撃されてしまった場合、ほぼ確実に何かしらの軋轢が起こる」
「……」
リゲルの心に疑問が浮かぶ。渡された間にそれを訊くべきかどうか、暫し、迷った挙句。
「……お前の場合も、そうだったってことか?」
「知っての通り、僕は賢者見習いに選ばれるほど優秀ですからね」
出来る限り慎重にその問いを口にした。覗かせる笑み――それが楽しい笑いでなくどこか自嘲気味なもの、皮肉気な笑みであることは直ぐに分からせられる。
「僕が初めて魔術を使ったのは四歳の時でした。よく覚えてはいませんが、確か何もないところから炎を起こしたんだと思います」
苦い失態を噛み締めるようなその口調。
「それを見た両親は酷く驚きましてね。暫くの間僕は色々な病院をたらい回しにされたし、異常がないと分かった後も腫物のように扱われて、その後は声を掛けることすらされなくなった。両親からすれば僕は理解不能な、自分たちの常識の及ばない気味の悪い存在だったんでしょう。家や建物に火を付けられては堪らないという、至極現実的な理由もあったことでしょうね」
それを責める気はありませんが、と、熱を失ったような声で口にして吐いた息。吐き出したかったものが何なのかについて、リゲルは判断を付けることができないでいる。
「まあ、才能に目覚めた人間の中にはそれを始めから悪用したり、無自覚に使用して周囲から疎外された結果として犯罪に走ってしまったりする人間もいます。……そうなれば直ぐに執行機関の処理対象ですからね。そうならなかっただけ、僕は幸運な方なのかもしれません」
処理――サラリと恐ろしい技能者界の常識を語って、途中からまた布団に固定されたようだった郭の眼差しが、少しだけ上を向いた。
「そんな僕の所に現われたのが、師匠でした」
「――」
「当時師匠は自分の弟子として相応しい人間を探していたようでして……特別大きな反応があったことを知って、自ら其処に向かったわけです」
レイガス。自分が聞きたかった郭との馴れ初めに対し、リゲルは心して耳を傾ける。その中途で――。
「あの時の両親の顔は忘れられません。……肩の荷が下りてほっとしたというような顔で、見知らぬ人間に付いて行くよう僕の事を急かすんですから」
「……レイガスとは、端から上手くやれたのかよ?」
変転した口元の歪みに少なからずヒヤリとさせられながら。――話題を変えた方が良い。
「始めは怖かったですよ。師匠は貴方たちも知っての通り愛想が良い方ではありませんし、指導も厳格そのものでしたしね」
そう感じて話を先へ進めたリゲル。幾ら自分から話し始めたのだとはいえ、相手が己の身を削りながら話していく姿を黙ったまま聞いていられるほど、自分は豪胆でも無神経でもない。 一つの事をできるまでやらされましたと、そう、郭はどこか懐かしさを交えたような面持ちで語り。
「……ただ――」
思い出を反芻するように一度、言葉を切った。
「――師匠は僕に、正面から本気で接してくれました」
思いの丈の込められた台詞。
「何か月か接していると自ずと気付くんです。師匠は確かに手厳しいですが、理不尽な理由で僕を叱ることは一度もなかった。不用意に声を荒げることもしませんでしたし……まあ、静かに怒られるのはそれはそれで怖かったですが」
「……」
「……師匠は僕にとって、本当に大事な人だった」
見つめるリゲルの前で、微かに笑みを浮かべていた表情が、再び歪む。吐露されていく思い。
「僕は自分が赦せない。この齢になってもああするしかなかった、情けない自分が」
「……何もかもがお前のせいってわけじゃねえだろ」
危険だと。そう分かりながらも、リゲルはどうにか言葉を選んで働きかける。
「あの状況じゃ他にどうしようもなかった。レイガスの爺さんは、自分で俺らの事を――」
「そんなことは分かっている‼」
霹靂がリゲルの言葉を劈く。吼えるような叫びは、どこか怒号にも似ていて。
「あれは確かに師匠の意志です。……けれど、それを選び取ったのは他でもないこの僕だ」
食い縛る。リゲルを見てリゲルを見ていない、その眼に籠るのはこれまでにないほどの力。
「何の恩返しも出来ずに……最後まで、助けられるまま……‼」
「……」
反響する室内を痛いほどの静寂が満たしていく。それを綺麗に破るだけの機転など、リゲルは未だ持ち合わせていない。
「……だけどよ」
ぶつかり合いばかりしてきた自分には。――それでも郭が本気で自分を責めていることが分かるからこそ、その点については口を挟まずに語り掛ける。それが伝えるべき言葉であるかどうかを、最後の一瞬まで自問しながら。
「お前が爺さんから受けた恩に報いれるとすれば、それはこれからのことについてなんじゃねえのか?」
――レイガスが魔術の師匠として、弟子である郭にそこまで本気で接していたのなら。
「何回か会っただけの俺でも分かるぜ。あの爺さんが、今のお前を見たらなんて言うかってな」
レイガスは望んだはずだ。……自らが死してなお、郭が賢者に相応しい魔術師になることを。
「将来賢者になんだろ? ……なら、少なくともあの爺さんと同じくらいには」
言い出す言葉の裏に自分の状況がフラッシュバックする。――同じだからではない。そのことを強く言い聞かせ。
「胸を張れる魔術師って奴に、なんなきゃいけねえんじゃねえのかよ?」
「……」
郭は動かない。然したる反応も見せないまま。……駄目なのかと。
「……本当に、ずけずけと物を言う人だ」
思いたくもない予想が胸中に浮かんだとき。ポツリと、聞き落としそうになる声で郭が呟く。
「励まされているのか説教をされているのか分からないんですが、貴方的にはどっちのつもりなんですか?」
「……いや、それはだな……」
「……言ってみただけです。答えなくていいですよ」
咄嗟に答えかねたリゲル。その戸惑い振りを見た、郭はフッと目元を柔らかくし。
「――さて」
息継いだ郭の声調子が、少しだけ変わった気がした。
「いつまでもこんな狭い部屋に籠ってはいられません。いい加減、座っているのにも飽きましたしね」
他人事のようにそう言って――ベッドの上に立ちあがった郭は腕を伸ばす。
「二人はリビングにいるんでしょう? 早く行きましょう」
「お、おう……」
「連れ出しに来た人間が何惚けた顔をしてるんですか」
ストリと床に降り立った、その変わり身の早さにリゲルの方がついていけない。やれやれと言ったと呆れたような表情を、まじまじと見つめる。
「ホントに大丈夫か? 無理してんなら……ッ⁉」
バチリと。目の前で盛大に弾けた火花を避けようとしてドアにぶつかったリゲル。咄嗟に両腕を上げて構えていた姿を、郭は可笑しそうな目で見つめ。
「誰かさんのお蔭でそれどころじゃなくなりましたよ」
そう言ってリゲルを退かし。自ら部屋のドアを開けて、廊下へと踏み出した。
「――ありがとうございます。リゲル」
「――」
擦れ違う一瞬に届いた台詞。柔らかく穏やかな声音に、思わず自身の耳を疑い。
「今、何つった?」
「さあ? ――先に行きますよ」
出た問いに郭は意味ありげな笑みを浮かべる。ただ一言だけを残して、リビングの方へ歩いて行った――。
「――辛気臭い顔ぶれですね」
できることなどありはしない。何をするでもなく、文字通りにただソファーに腰掛けていた俺たち三人に。
「――」
聞き慣れた、だが半日振りほどに聞く、威勢の良い声が響いた。
「か、郭さん⁉」
――間違いない。
リビングと廊下を繋ぐガラス戸を開けて立っているのは、紛れもない郭本人。……閉じ籠っていた痕跡などどこにもない。記憶も何もかもそっくりそのまま数日前に戻ったかのような様子で、立ち上がった俺たちを見つめている。
「……そこまで驚かれるとは思っていませんでしたが」
「大丈夫なのか? その……」
出て来たということはつまりそういうことだ。それが分かっていても気になって、後ろから姿を見せたリゲルに目配せしてしまう。
「その台詞は聞き飽きましたよ」
よくよく聞けば。……郭の声にはまだいつものような覇気までは戻っていない。未だに吹っ切れてはおらず、それでもどこか気持ちを入れ替えてきたような顔つきで。
「今は塞ぎ込んでいる場合ではない。――迷惑を掛けて済みませんでした」
それを見て取って安心した矢先。郭が、頭を下げた――⁉
「――っ」
「か、郭さん」
「……おい、別に謝ることじゃ」
「――全くだ」
驚きに声が出せないでいる中で、一人冷静な声が響く。ジェイン――。
「僕はともかくとして、この二人やリゲルがどれだけ君の事を心配していたか少しは考えなかったのか?」
「ジェ、ジェインさん」
「……事実なんでしょうが、貴方に言われると中々に腹が立ちますね」
棘のある言葉を交わし合う二人の間を右往左往するフィアの頭。……言葉面ではそうだが、郭が反論していない。そのことにも驚きを覚え。
「――あー、その辺にしとけって」
見かねたと思しきリゲルが割って入ってくる。仲裁するように。
「今は仲間内で言い合ってる場合じゃねえし。フィアも困ってんだろ」
「……それもそうだな。今回はこれで手打ちにしよう」
その言葉に逆らわず矛を収めたジェイン。何はともあれと、移した俺の瞳に――。
「――」
一瞬。郭が、微かに口元に笑みを浮かべた気がした。
「――黄泉示さん?」
「……いや」
――気のせいか? 見止めたと思った変化はほんの一瞬。郭は普段作り笑顔以外で滅多に笑みを見せない。初対面の時からそうだったし、これまでもそうだったはずだ。
「……」
果たしてリゲルが、どんな魔法を使ったのか――。
「――さて」
それも気になるが、今の俺たちには訊いているほどの余裕がない。気を取り直した俺の前で。郭が口火を切った。
「早速話しましょうか。これからの、僕たちの事に付いて」




