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第一節 始まり

 

「……そう」


 ベッドに座る女性はそれを静かに聞いている。暫しの沈黙が置かれた、次の瞬間。


「……っ!」

「――立慧⁉」


 立ち上がろうとしたその所作に、話していた小柄な女性が声を上げる。壁際に佇む担当の治癒師。白衣が駆け寄り、動きを押し留めようとした――。


「――止めて」


 その動きが、落ち着いた当人の声で止まる。


「傷自体はもう殆んど治ってるんでしょ? こんな時に、私一人だけ寝てられないわ」


 疲労と苦悶が滲む言葉に、しかし治癒師としてはそれ以上止める術を持たない。……大凡の容態は今本人が口にした通り。余程の無理をしなければ動いてもいい段階ではあり、早い復帰を望むならなるべく早い段階で動くのが得策ではある。しかし……。


「行くわよ千景。色々と状況を整理しないと」


 歩いていく二人の姿を前に。治癒師はただ、その後ろ姿を見送っていた。













「では次のニュースです。一昨日郊外の森林が一夜にして焼失した事件で、警察は出火の原因は未だ特定できていないと発表しました。幸いこの火災による死傷者は有りませんでしたが、土地の所有者であるバーゴン氏は――」


 ――平穏そのものを主張するような静けさの中。


「……」


 俺はテレビを見つめていた。……青空に流れる雲。室内に射し込む日光は柔らかで、暖かみのある日だまりを作っている。何もかも変わらない日常――。少しでも気を抜けば、そう思ってしまえるほどに。


 ――昨日。襲撃してきた黒騎士たちの前にレイガスを残し、ゲートから協会の外へと脱出した俺たち。偶然かは分からないが、転送先は俺たちが初めて先輩に連れて来られたあの場所――古びたビルの中の一室だった。


 俺たちは直ぐに行先を決めた。……なるべく安全な場所に。恐らく全員が抱いていただろう暗黙の了解の内に、そうして決められた場所は――。


 俺の借りていた、あの部屋だった。――幸いにしてと言うべきか。


 あの部屋なら郭を含めて五人、全員が個室を持てるだけのスペースはある。何より重要だったのは、あの部屋は魔術を含めた非日常的な要素に一切関わりを持っていないということだ。仮にあの三人がゲートのこちら側に来れたとしても、そこから俺たちを探し出すのは至難の業であるはず。


 念のために郭が魔力を遮断する結界を構築し、俺たちは眠りに就いた。死から逃げ遂せるというただそれだけのことで、今までにないほど精神的に消耗していたのだ。


 そして今――。


「……」


 俺は一人、リビングのソファーに腰掛けている。とはいえ一人きりというわけではない。今、この部屋には俺以外に――。


「……どうだ?」


 廊下から一人で戻ってきたフィア――。その重苦しい表情に結果を悟りながらも、虚しく尋ねる。


「……駄目でした。返事はしてくれるんですけど、途中からは〝一人にしてくれ〟の一点張りで……」


 ――郭はあれ以来ずっと塞ぎ込んでいる。朝になっても起きて来ず、様子を見に行ったものの内側から鍵を掛けていて取りつく島がない状態。……閉じ籠ってしまっているのだ。この部屋の鍵である以上キーは探せばどこかにあるはずだが、持ち出して無理に開けたところで何の解決にもならないのは目に見えている。下手に踏み込むような真似をすれば魔術で消し炭にされるかもしれない。……今は、間を置くしかないだろう。


「……どうでした? テレビは――」

「……駄目だ」


 首を横に振る。


 三大祖組織が総出で事に当たった決戦。何か少しでも手掛かりがないかと思ってニュースを攫ってみたが、それらしい出来事は何一つとして報じられていなかった。……当然と言えば当然。ただでさえ日常とは掛け離れた世界の出来事だ。組織側も事態の隠蔽はしているだろうし、こんな普通のニュースを眺めていたところで情報が手に入るはずもない。


「お二人は、まだ戻らないんですね」

「ああ」


 リゲル、ジェインは今この部屋にはいない。リゲルは一度自身の実家に戻った。レイルさんの帰還の有無、組織がどうなっているかを知りたいと言って。


 ジェインは教会と子どもたちの様子を見に行っている。やはりエアリーさんの安否と同時に、引き継ぎに関して滞りが無いかどうか確認しに行くのだそうだ。


 単独行動を取ることについて、当然不安の声も上がったが――。


〝アポカリプスの眼と三大組織が衝突したならば、どちらが勝ったにせよ相応の労力を費やしただろう〟


 耳に思い起こされるのはジェインの分析。


〝蔭水の父親……蔭水冥希が僕らを狙っているとしても、直ぐにこの場所を突き止めて来るとは思えない。協会に戻れない以上、現状を確認する手掛かりは一つでも多い方がいいはずだ〟


「大丈夫だ。ジェインも言っていた通り、昨日の今日で直ぐに追い掛けてくるようなことはないだろうし」

「……はい」


 頷くフィア。その表情に不安気な色が過ったのを見止めてしまう。……無理も無いことだろう。あんな連中に、俺たちが追われているかもしれないと思ったなら。


「……」

「……」


 互いに沈黙。フィアを勇気づける為、何か口にするべきかと俺が悩んでいた、その時。


「――ふぅ~……」


 扉の開く音。次いで聞こえてくるのは、耳慣れた低音により吐かれる息の音。


「よ。戻ったぜ」

「――リゲルさん」


 靴音が響き、直ぐにリビングに姿を現したリゲル。――無事だったか。一先ずそのことに安堵するも、別の疑問が即座に浮かび上がってくる。


「……どうだった?」 


 僅かの迷いを覚えながらも、訊いたのはその安否。


「やっぱり戻ってねえらしいな」


 返された答えは、半ば予想通りの形で希望に反するものだった。


「行く前に色々と指示は出してたみてえで、ファミリーの運営に問題はねえらしい。オヤジの片腕だった奴が、上手く纏めてくれてるみてえだったよ」

「――」

「……そうか」


 何よりだ、とも言えず。沈黙を選んでしまった俺とフィアの前で、リゲルがガシガシと頭を掻く。


「ま、そっちは一旦考えねえことにして――」


 自ら気を取り直すように。下げていた青の両眼を、俺たちの方へと上げた。


「あいつはまだ凹んでんのか?」

「はい……」

「……そうみたいだ」

「仕方ねえなあ。ちょっくら、俺が見て来てやるか」


 反転し掛けた足をふと、思いついたように止めて。


「悪い、部屋の鍵あったら貸してくれねえか? 多分言っても開けてくれないだろうからよ」

「……そうだな」


 こっちに、と言ってリゲルと共に廊下へ出る。俺の部屋に入り、壁際に置いてある棚、その二番目の引き出しからマスターキーのついたリングを手に取った。


「ありがとな」


 渡した鍵を受け取って――リゲルは歩いて行く。郭の引き籠っている部屋へ。入るぞ? と言う声のあとで、鍵を回したリゲルの姿が室内へ消えた。 


「……」


 ――上手く行けばいいが。


 郭にもなるべく早く戻って来てもらわなければならない。今の俺たちの中で特殊技能における専門家と言えるのは郭一人だけ。……本当に難しい話だと思いながらも、フィアのいるリビングへ踵を返そうとしたとき。


「――」


 再び玄関の方から扉が開く音。想定外の非幸運な事態でもない限り、音の主が誰なのかは考えてみるまでもなかった。


「……今戻った」


 姿を見せたのはジェイン。後ろ手に鍵を閉めつつ、見止めた俺の方へ歩いてくる。


「リゲルはもう戻ったのか?」

「ああ。今――」


 言葉と共に遣った視線。眼鏡の奥の瞳がそれを追って動き、ドアの前で止まる。


「なるほどな」


 リゲルの方は戻っていなかったことを伝えつつ、取り敢えず、と言ってリビングまで誘導。そこで待っていたフィアとジェインは挨拶を交わし。


「……どうでしたか?」

「引き継ぎ役の人間と会ってきた」


 投げ掛けられた質問に、そう答えた。


「仕事は問題なくこなしている。子どもたちも馴染んでいるようだし、取り敢えずの心配は要らないだろう」


 そうか――と、ひとまず安心したような空気が流れかけたところで息を吐く。


「……いつまで誤魔化しておけるのかは不安なところだが」

「……」

「……そうですね」


 俺としては黙るしかない。エアリーさんもやはり戻ってはいない。そうなれば――。


「蔭水の方はどうだ? 連絡は付いたのか?」

「……いや」


 躊躇いがちに返す。小父さんの携帯、日本の自宅など、思い当たる場所には掛けてみたのだが。


「自宅の方は留守電のままだし。……携帯の方は圏外だ」


 正確には、電波の届かない場所にいるか電源が入っていないと言われるだけ。連絡を取ることはできなかった。


「……そうか」


 ジェインの頷きの後で再び沈黙が場に訪れる。あの戦いに出向いた三人が三人とも音信不通。そこから導き出される結論は、あの黒騎士が言っていた通り。


「……」


 ――考えたくはなかった。


 だが考えないわけにはいかなかった。少なくとも小父さんたちは、確かに死を覚悟してあの戦いに臨んでいた。その結末がどうなったのか、今の俺たちに知る術はない。……手掛かりも。


「まあなんにせよ」


 トーンを変えた声でそう言って、歩き出したジェイン。


「今必要なのは休息だ」


 どっかとソファーに腰を下ろす。気を和らげるような目で、俺たちを見た。


「何をするにしても情報が少なすぎる。――ひとまずリゲルが郭を説得できることを、祈って待とう」

「……そうだな」

「……はい」


 ――気ばかり逸らせてみたところで、体勢の整っていない今では実際できることはない。


 それでも組まれたままのジェインの両手を見つつつも、思う。組織の事情に詳しい郭が戻らなければあの戦いがどうなったのかについて推測することすら難しい。……心境的に一番辛いのは師を喪った郭であるはず。無理に声を掛けることなどせず、本来ならその傷が癒えるまで時を置いた方が良いのかもしれない。


「……」


 自分自身でそれを認めながらも。彼女が立ち直ってくれなければ満足に動くこともできないでいる俺たち。そのことにどこか、心が嘲りを放ったような気がした。



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