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第二十八節 残り火 後編

 

「――止めろッッ‼」


 字義通り血と共に発する叫び。その声も、今の彼女を止める手立てにはならない。


「はははははッ! 無様だな、蔭水冥希!」


 紫音が迫る。紫音の姿を借りた、『十冠を負う獣』が。その手に生じるのは濃密な暗黒の魔力。対峙する敵の命を奪う目的で放たれたそれが、容赦なく冥希の身を襲い来る。


「――ッ……‼」


 剣技、術理。持てる力の全てを出し尽くして攻撃に耐える。……【咎武罪装】はもう使えない。如何に力を尽くそうと、これが正真正銘今の自らにできる全力だ。


 ――まだなのか?


 耐えざる苦痛の中でそれだけを思う。……永仙やエアリーたちは、まだ――。


「――ちっ。その身体でしぶといことだ」


 傷付きながらも自身の猛攻に耐える冥希に業を煮やしたように――紫音の身体を得た、十冠を負う獣が舌を打つ。


「先に簡単な者から始末して行くか――!」

「ッ! 止せッ‼」


 動かされた目線に咄嗟に跳び出す。寸でのところで魔術に放つ【逆波】を【壱の閃】で分散。剣撃の壁を作ることで攻撃を防ぐが――。


「――ッ!」


 中途で切れる集中。描いた型から離れ不完全な形になった剣撃は衝撃の全てを切り裂くことができず、逃した分の魔力が仮借なく冥希の身を襲った。


「ぐっ……!」

「――大したものだ」


 滑るようにして膝を付き。それでもなお闘志を失わない冥希に、十冠を負う獣はどこか感心したように言う。


「《赤き竜》を斃しただけのことはある。あの老人共々、お前たち二人が最強格か」

「……」


 圧倒的優勢という状況の為か、十冠を負う獣にはどこか決着を急がない余裕がある。必要以上に刺激しないよう、いたぶらせているように立ち回り、時間を稼げれば。


「――無駄だぞ、蔭水冥希」


 そんな冥希の至高を読み取ったかの如く、嗤うように告げられる言葉。


「我々はそう易々と破れ去ることはない。この世に真の滅世を遂げるまで。――お前の仲間たちも既に、何人かは死んでいるかもしれんな?」

「……っ……」


 ――そうなのだ。


 その言葉で冥希は現実に引き戻される。自分たちが今相手にしているのは、決して容易く勝利を捥ぎ取れるような烏合の集ではない。『アポカリプスの眼』。各々が強大な力を誇る六人の実力者。そもそも勝てるかどうかでさえ定かではない状況下で、助けが来るのを期待することなど――。


「――隙だらけだなァッ‼」


 爆裂する魔力。反射的に展開した【暗鑑】は爆破に触れた瞬間、皹割れたガラスの如く無残に砕け散った。


「これも耐えたか。やはりこの身体では、本来の力を発揮するには時間が掛かるらしい」


 そこで思いついたように口元を上げ。


「だがお前たち相手ならば……寧ろこの方が得策か」


 最愛の妻の面を以て、これまでに見たことのない邪悪な笑みを作り上げた。


「――そうだ。私を引き剥がすことさえできれば、この女の人格は元に戻る」


 語られるその内容が冥希を揺さ振る。意図的な悪意に満ちたものだと分かっていたとしても。


「この身体も命も全てはこの女のもの。受けた傷も消耗も、全てな‼」

「――」


 放たれたのは特別強烈な一撃。踏込みで躱そうとした足が崩れ、咄嗟に繰り出した斬撃は押されて技の体を成さぬままに転がされる。衝撃の中で素早く天地の上下を元へ戻し。


「丁度良い場所に転がったな」


 その台詞に冥希は気が付いた。倒れ気絶したままの、東の正面――。


「死に体相手にこれ以上時間を取られても困る。他の戦況も心配なのでな」


 来る。紫音の姿をした十冠を追う獣の前に、これまで以上の力が集束していくのが分かる――!


「二人纏めて葬ってやるとしよう」


 狙いは自分と東の双方。伝わる気配からしてかなりの威力を誇る範囲魔術。回避を選んでも完全には躱せず、東は間違いなく死ぬ。凌ぐには正面から受け切るしかないが。


 あのレベルの攻撃を今の自分がまともに受け切ることは不可能。冥希の思考が過たず判断を下す。庇えば二人とも消し炭になるのは目に見えている。相手もそれを承知の上での行動だろう。少なくとも一人、良ければ二人を一度に消す算段で――。


「さらばだ」


 ――時間がない。その現実が更に焦燥を駆り立てる。どうする? どうすればいい? 必死で思考を働かせるが、どれだけ考えても答えは一つしか浮かんでこない。


 東を見捨てることは出来ない。自分たちが身を置いている、この戦いも言わずもがな。


 ならば、自らが採る道は――。


「――【狂月】ッ‼」


 魔術が放たれようとする寸前。創痍の身で繰り出した風圧の刃、【月の太刀】における奥義が十冠を負う獣を直撃する。


「ははっ、何だこれは。力の入らぬ身で悪足掻きか?」


 敢えて行動するまでもなく高嗤う。身に纏う魔力の波動だけで弾かれた風の斬撃。消耗し切った身体ではその奥義も本来の威力を発揮することができない。


「――‼」


 そう、思っていたはずだ。


「――【参の切】」


 その隙を穿つように。全霊の精密さで以て、その一刀を押し通す。


 十冠を負う獣の纏う波動は確かに強烈。堅い守りだが、意図的に張り巡らせた防御でない以上、随所にほんの僅かではあるが切れ目がある。力場の流れにより刻々と移りゆくそれに、斬撃の軌道を変える【参の切】を用いて刃を差し込んだ。


「カッ――」


 浅い。絶え間に沿って流した刃は急所を通らず、その頬筋に線を入れて動きを止めただけに終わる。表情に浮かぶ驚愕の色。痛みを表現するように荒れ狂う波動――。


「――馬鹿な。きさ……‼」

「……」


 もがきながらもなお魔術を放とうとするその身体を、更に深く。ブレを増した波間を通して切り付けたのは喉首。言葉になろうとしていた息は、赤緋い裂け目から零れて意味のない音となり。


「ガ……ッ」


 最後に一つ痙攣して。身を地に沈め、十冠を負う獣は今度こそ、動かなくなった。


「……」


 血に塗れた刀が落ちる。震える膝を付き、力の入らない両腕を血溜まりに突いて。


「……紫音」


 冥希は呼んだ。最も愛しい人の名前を。


「紫音ッッ……‼」


 






 


 



 ――俺は一人だった。


 知ったような気になって、家の連中を馬鹿にして。粋がりと気に入らなさに従って宝刀を持ったまま家を飛び出した。右も左も分からない外国で、一人で我武者羅に動いて――。


 ――そんな時、あいつらに出会った。


 そこからは驚くほど刺激的だった。エアリーに出会い、レイルに出会い。


 本気でぶつかりあえる相手。語り合い、ぶつかり合い、切磋琢磨する日々。


 本当に大切だった。あいつらとなら文字通り、何でも遣り遂げられる気がしていた。


 ……。


 ……あの一件のあと。


 六刀を返還する為。久々に日本に戻ってきて、気付かされた。


 あばら家になった道場。割れかけた看板。記憶とは似ても似つかない夜月の家。


 いつだってやらかした後にはもう遅い。目を瞑りさえしなければ、その時気付かなかったことが後になってわんさか視界に押し寄せてくる。


 俺のために、爺がどれだけ苦労をしていたかも――。


 俺のせいで出て行った連中が、どれだけの努力をしていたのかも。


 全部全部、取り返しが付かなくなってから気付く。自責と慙愧の念に苛まれながら、どうにか始末を終えて――。


〝――〟


 あの家で黄泉示を目にした時、痛感した。……喪われたものの重さ。


 決して取り戻すことのできないこと。父と母のいる毎日。揃った家族で仲良く食卓を囲む。俺があいつらから、目の前のこのガキから。


 ……そんな未来を、永劫に奪ってしまったのだと。


 ……。


 ……それからはずっと、償いだった。


 ――冥希が生きていると聞かされて、鈍器で頭蓋を殴られたような気分がした。


 死んだと思った親友が、生きている。


 そしてあろうことか世界の破滅に手を貸している。かつて倒したはずの、『アポカリプスの眼』に身を置いて。


 ――信じられなかった。


 少なくとも俺の知る以前のあいつからは考えられない。だが黄泉示と仲間から話を聞いた以上、それは疑い様もない事実。


 あいつがそれだけ、変わっちまった原因は――。


 一つしか、思いつかねえ。


 ――俺があいつを、止める。


 目玉を抉られようが、手足を落とされようが、必ず。


 生きたまま、こっち側に引き戻してやる。


 お前のいる場所はそこじゃねえ。黄泉示の隣で、エアリーの、レイルたちのいる場所だ。


 その為だったら、俺は――。






「――ッ‼」


 右手首を走る灼くような痛み。半ば本能的に緩んだ指腹から『死椿』の柄が滑り落ちる。妖刀による強化は消えた。


「オオオッッ‼‼」


 それを知りながら東は左の一刀を振るい出す。先に振り抜いたばかりの刀。既に決めの一撃へと移った冥希には届かないという、そのことをも知りながら。


 ――死んでも構わない。


 元よりそのつもりでこの戦場に来た。例え半ばで命尽きようとも。


 刃が血肉へと喰い込む。生命の灯を消し去る絶望的な裂傷は『梅切』の力で瞬間的に癒え、しかし次の瞬間には限界を迎えた小太刀から溜め込んだ損傷が溢れ出してくる。内側から裂かれていく苦痛。想像を絶する苦痛の中を、ただ一念で。


 ――『枯菊』は使い手一人に付き、一度しかその真価を発揮できない刀。


 平時の切れ味は数打ちに劣り、強めの衝撃で呆気なく曲がるほどの鈍ら。だが稀代の名工が心血を注いで作り上げたと言うその刀は、一度だけ所有者の願う誠に切りたい物を切る力を秘めると言う。


「――――‼‼」


 声にならない悲鳴。血飛沫の上げられる中で、古びた刀身が刹那の輝きを放った。






「――」

「……へっ」


 ――永遠にも思えるような刹那。予想だにしないその感触に、冥希とて目を見張るよりなく。


「……どうよ……気分は」


 目の前に立つ男。身体に刻まれた幾つもの傷は、その身に刺した小太刀の効果が限界を迎えたことを示している。


「また一緒に飲もうぜ、親ゆ……」


 口元から流れる鮮血。燃えるような光を湛えていた瞳は暗く。声にならない言葉に微かに唇を動かし――。


「――」


 皆まで言うことすら叶わずに。夜月東は、冥希の目の前で崩れ落ちた。


「……」


 斃れたその姿を見遣る。限界を迎えた小太刀からの揺り戻し。【終の刃】による斬撃を受けて、バラバラの血達磨となった肉体。完全な死――。


「……」


 ただ静謐と凄惨のみがそこにはある。【咎武罪装】を解除する冥希。……最期の一刀。


「……」


 東の振るった一刀は、確かに冥希の身を切り抜けた。……抵抗感無しに。殺意すら皆無。刹那の攻防の中にあって反応の出来なかった所以。ただ一つだけあった変化は。


 ――【赤き竜】の消失。……単純な解除ではなく、経路が断ち切られている。再度の使用にはまたヴェイグと契約を結び直す必要があるだろう。それまでは……。


「……」


 あの声を聞くことはなくなった。事実の確認を終え、血を振り払って鞘へと納める二刀。立てられるのは涼やかな音色。


 ――最後の攻防。


 例え脅威ではなかったとしても。……その一閃へ対処できるだけの用意が冥希にはあった。あの様子では手を残していたことに気付いてすらいなかったのだろう。最後までその気がなかったことも含めれば、殺し合いという場での勝負では名実ともに冥希の圧倒的な勝利に終わったと言える。


 だが――。


「……」


 胸中に残る虚しさ。……友を、自らの手に掛けた事実を今一度身に刻み付けて。


「……」


 冥希は静かに、己の戻る場所へと歩みを進めていった。



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