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第二十四節 レイガスの戦い 前編

 

「――ほう」


 レイガスの眼前。郭の発動した魔術を前に、黒騎士が目を細める。


「こいつは中々の魔術だな。光、音――」


 高い鼻をひくつかせ。


「……それに匂いか? 空気の乱れも含めて勘付かれそうな要因を完全に遮断してやがる」


 一目でその術の要点を見抜いて見せた黒騎士――ガイゲは、得意そうな顔でレイガスへと語り掛けてくる。


「ガキかと思ってたがやるじゃねえか。あの歳でこんだけのことが熟せるってのは、俺のいた時代でも多くねえ。――だが、それだけじゃまるで足りねえな?」

「……」


 レイガスは答えない。ただ出来得る限りの力を視線に込め、黒騎士と正面から相対するのみ。


「良いぜ。そういう目が見たかったんだ」


 その態度を正面から受け止めるガイゲ。楽しみにしていた玩具を手に入れた時のように不敵な笑みを浮かべ。


「――お前がガキどもを守るためにどんな術を披露するのか、見物させてもらうとするぜ」


 嘲るようにその言葉を突き付けてくる。相手がいかなる術を繰り出して来ても対処できると言う、絶対の自負。


「……」

「……」


 沈黙の内に互いを見つめ返す二人。……敵意と嘲笑。それぞれの感情を色として瞳に浮かべたまま、大凡十数秒の時が流れた――。


「……あ?」


 期待していた調子を外されたように、ガイゲが訝るような声を上げる。それを合図としたかの如く消え失せる魔術。……郭の魔力供給を受けて展開する【パンタソスの夢】の消失は、彼を始めとする五人がレイガスたちのいるこの領域から完全に逃げ去ったことを示していた。


「……」


 場に残るのはレイガスただ一人。相対する者たちの姿を今一度俯瞰し、レイガスは現状を再確認する。レジェンドの名を名乗ったこの三人。


 無論、名乗りを上げられたからといって信じて掛かるほどレイガスは純朴ではない。――偽名、誇張、揺さ振り。最初に浮かんだのはまずそれらのこと。そもそもが古くて何百年、新しいものであっても何十年単位での過去の人物。それが歴史的に実在し、尚且つ今目の前に立っているなどという超常現象は普段のレイガスなら迷わず愚にも付かぬ戯言として一笑に付していただろう。


 しかし――。


「……」


 理性より先に。どんな理屈を並び立てるよりも前に。……本能が気付いてしまう。この相手は、紛れもない本物だと。


 逸話の真偽など確かめようがなく、その点で目の前の相手が真に伝説に値するかどうかはレイガスにとっても分からない。しかし、逸話を聞かされたとしても納得できるだけの力を三人が持っているというということ、それについては否応でも認めてしまっているのだ。……時代錯誤的な衣装も。なぜかそこを重要でないと感じている自分がいる。真の強者を前にして外面などは至極些細な問題であると、ここに来て改めて思い知らされている気分でもあった。


「……おい。まさか――」


 分析に暮れるレイガスを前にして――。平然とその視線を移しつつ黒騎士、ガイゲは何かを確かめるように仲間へ言葉を飛ばす。


「逃げられちゃいましたね。今から追い付くことは難しいそうですし、お勧めはしませんけど」

「アノコタチ、モウダレモイナイ……」

「……」


 間を置かず掛けられた仲間の言葉に沸き起こる感情を誤魔化すように、頭を振るガイゲ。……この二人の述べた通り、既に郭たちはゲートにより別の場所へと転移している。ゲートは協会の許可を得た者でなければ使えないため、仮に今から三人が追ったとしても郭たちの足跡を辿ることは不可能。


「……死神」


 呟きざまに、ガイゲは踊り子装束の女性――死神の方へと顔を向ける。


「どうしてあいつらを追わなかった? 逃げられるって分かってたんなら、さっさと仕留めてりゃあ良かったじゃねえか」

「あら、《誅滅の黒騎士》ともあろう御方が、他人頼みだなんて似合いませんよ」


 あからさまに不機嫌そうなガイゲに対し、答える死神はどこまでも余裕のある態度で返す。艶やかな仕草と声音は、まるで社交場で紳士でも相手にしているかの如く。


「らしくないじゃないですか。言いました。私はあの子たちを殺すのに気乗りしないと」

「……ヤマト。お前はどうして働かなかった?」


 理屈でなく気分で動かなかったと言う死神。それ以上の反論は難しいと見たのか、僅かな間を置いてからガイゲは矛先をもう一人のメンバーへと向け直す。


「お前なら幻術なんぞ関係なしに、この老いぼれごと奴らを一掃できただろうが」

「……ウゴケッテ、イワレナカッタカラ」

「――は?」


 傍から聞いているレイガスとしても予想外だったその答えに、ガイゲもまた一瞬惚けたような表情を見せる。


「ガイゲ、ウゴケッテイワナカッタ。ダカラウゴカナカッタ」

「……ああ。悪い。確かに俺は指示は出さなかったが……」


 歯切れの悪い返答と共にどこかバツの悪そうな雰囲気を漂わせるガイゲ。レイガスたちを挑発していた居丈高な態度も今はすっかり鳴りを潜めている。その態度の変わり様が、少し気になりはしたが……。


「――他人に注文を付ける前に、貴方がやっていれば済んだことでないですか?」


 笑顔で切り込む死神の言葉。


「こいつがどんな妨害をしてくるのか気になってたんだよ。まさか何もしないで突っ立ってるとは思わなかったし、少なくともお前らの内どっちかは動くんじゃないかと……」


 軽い舌打ちを挟み為されたガイゲの発言に、余計な注目を引かぬよう心の内でレイガスは首肯する。――やはり、自らの目算は正しかった。


 郭たちがこの場に留まっていた先ほど。この三人の会話を聞いていた最中に、レイガスはその内容から僅かな可能性と言える光を見出していた。……仲間でありながらも互いに異なっている、三人の態度。


 黒騎士――ガイゲはレイガスたちを皆殺しにしようとしていた分、方針の上では一番の脅威。しかし他方で殺す相手との会話を楽しむような緩さが見られ、手厳しさというものに欠けていた。


 死神と呼ばれる女性は任務に忠実そうではあったが、同時に本来の標的以外には余り興味を向けていないようでもあった。一応こちらを逃がさぬような構えを見せていたものの、それがある種のポーズであることはレイガスからすれば直ぐに分かること。標的自身が動いたなら即座に反応しただろうが、それ以外でも同じ対応を見せるかどうかは多分に怪しい。


 残る一人……。軍服姿の少女、ヤマトタケルについては意図も反応も読み辛かったと言う他ない。手に取られた得物と対照的に心ここに非ずといったその面持ち。此方が動きを見せた時、如何なる行動に出るか――。


 ……ただ。不確定的な要素が大きいとはいえ、こちらの動きに過敏に応じてくる様子はない。ならば総合して郭たちだけ逃げ遂せることは可能であると、レイガスは事態をそう見極めていたのだ。


 そしてその為に取った行動は先の通り。危険度の高いガイゲの意識を自らに引き付け、後の二人は動かず見逃すことに賭けた。予測が大勢で的中し結果として全滅という最悪の事態を回避できたのは、充分に満足すべき成果だろう。


 ――後は。


「そこまで含めての狙いですね。私たちの性格が一致していないことを利用して、部下が逃げ切れるだけの間を作る――」


 死神の目線が、レイガスを捉える。


「使い古された手ですけど、思ったよりやるようで見直しました。お爺様」

「だから分かってたんなら教えろよ! にやにや笑ってた俺が馬鹿みてえじゃねえか!」


 尚も抗議の声を上げるガイゲに、死神は冷ややかな視線を流し。


「良いじゃないですか。馬鹿っぽい方が可愛いですよ」

「――あ?」

「……」


 言葉に込められたからかいの調子。怒気を込めたガイゲの眼差しに、欠片も動じることなく死神は応じる。……見るからに険悪といった二人の遣り取りを目にしているはずの少女は、まるで無頓着。別世界の出来事であるかのように視線を遠くに固定したままだ。


 個々の力は強大だが、いや、それ故に仲間意識というものは低いらしい。そうレイガスは彼らの様子を見て取る。活路があるとすれば、その一点か――。


「……ちっ」


 ――一触即発。そう思われた場の空気に、ガイゲの放つ舌打ちの音が響き渡る。


「まあ良い。これ以上仲間内でやり合ってても仕方がねえ」


 気を取り直すような台詞と同時。それまで滾るようだったガイゲの怒気が急激に治まっていくのをレイガスは感じ取ることができた。予想外の所作――。一見して我が強くはあるが、この黒騎士が中では一番協調の重要性を理解している。明確に自分へと向けられる視線を見止め、先に下した認識を正し、レイガスは再度その男と相対する。


「――下らねえ真似してくれるじゃねえか。爺」


 多分に笑いを含ませて掛けられた言葉。だがその肝心の瞳に、あるべきはずの喜色は込められていない。


「せっかく心優しい俺が一人で殺してやろうってのに、余程楽に死にたくねえらしい。安らかな最期は好みじゃなかったか?」

「……師は弟子を助け、先達は後に進む者を助けるものだ」


 緊張の段階を上げ、先の展開を予測しながらレイガスは言葉を紡ぐ。一人でさえ四賢者を優に上回るだろう力の持ち主が、三人。正面からのぶつかり合いでは凌ぐことすらままならないだろう。……下手な搦め手も潰されるだけ。なればこそ、全力を以て奇策で応じる必要がある――。


「なるほどな。一端のことを言うじゃねえか」


 レイガスの予想に反し、何処か感心させられたかのように頷くガイゲ。漂っていた不機嫌さを手の平を返すような速さで掻き消して見せたあと――。


「――で? そこからどうすんだ?」


 一転して嘲るような笑みを浮かべる。……立ち所に変えられる感情の色。ここに来てレイガスにも、目の前の黒騎士の性格というものが次第に掴め始めていた。


「高説は立派だが、まさか俺たちを相手に勝てる腹積もりでもねえんだろ?」

「……」


 問いには沈黙を以て返し、レイガスは既に整えていた分析を今一度呼び起こす。……軍服姿の少女の力は未知数。さりとて強大であることには違いない。死神は間違いなく暗殺者(アサシン)系統の特殊技能者。相手がその気になりさえすればそれこそ(またた)きする間にでも殺される恐れがあるだろう。


 だがやはり、この中で一番の問題となるのは――。


 目の前で下衆な笑みを浮かべてこちらを見つめているこの黒騎士。――ガイゲ。


 この三人は何れも『伝説』。定かではない逸話に於いてその力を語られる存在だが、この男に関しては歴史的な事実と符合しているだけに話の信憑性が高い。……聖騎士団に所属し、魔導連合との戦乱の世を生涯とした人物。比喩でなく、本物の戦争をこの男は体感してきている。――ただの殺し合いとは訳が違う。戦闘においては今より圧倒的に水準の高かったであろう、魔導連合の魔術師たちを敵として、だ。


 言ってみればこの男は対魔術師戦のエキスパート。……分が悪いどころの話ではない。文字通り最悪と言える相性の噛み合い。技術的な進歩と革新があるとはいえ、魔術の本質はそれこそ千年前の時代から大きく変わってはいない。召喚士でも禁術師でもなく、ただの魔術師である自らが勝てる見込みは――。


「……既に聖戦の義と執行機関の幹部を手掛けてきたと聞いたが」


 纏わりつく不吉な推測を頭の片隅に留め置き、レイガスは今の自身にできる最良の策として言葉を紡ぐ。


「数を効かせておいて手応えがないとは、また随分と殊勝な物言いだな」

「おいおい。勘違いして貰っちゃ困る」


 大方の予想通り――ガイゲはこちらの言葉に対しあくまでもまともに反応してくる。……分かっている弱所が一つであればそこに最大限付け込むのが筋というもの。いつ他二人の気が変わるとも分からないリスクを負ってでも、無きに等しい突破口を見付け出す為、今はただこの時間を長引かせることが必要だった。


「俺たちはきちんと一対一でやってきたさ。てめえらクラスなら正直単体で釣りが来るし、相手の方が形振り構わねえ分こっちが数的不利になった場面もある」


 大仰な手振りで自分たちの潔白をアピールするガイゲ。……嘘を吐く必要はなく、レイガスからしても其処に嘘が含まれているようには感じ取れない。確かに伝え聞く彼らの力量であれば、幹部二人を同時に相手取ることも可能だろうとレイガスは推測する。この時代で間違いなく上位に位置するだろう自分たちであっても、やはり歴史に名を轟かせる人間とでは差があるか……。


「……良いのですか? 彼――」

「良いじゃねえか。最期くらい好きにさせてやりゃあ。どうせ今更何をしようが無駄なんだからよ」


 忠告と呼べる死神の言葉を分かっていると言う風に流し、ガイゲは間を置かずレイガスに目線を戻す。……見抜かれている。此方の目論見を完璧に。但し黒騎士がそれを承知で乗ってきているということはレイガスにも了解が付いていること。どの道その油断と傲慢を徹す以外に自身が生き残る道はない。


「それでも歯応えが無さ過ぎるってことだ。――見ろよ俺らの格好を。ここまで二連戦してきたが、生憎傷一つ付いちゃいねえ」


 見せ付けるように翳された鎧甲。そのことにも既にレイガスは気付いていた。……黒騎士の言う傷は愚か、戦いを通過してきたという痕跡すら残されていない。果たしてどれだけ一方的な勝利を収めて来たか……それを理解しているからこそ、思考と経験とを総動員して穿つ綻びを探し続ける。


「この時代じゃそれなりに歯応えのある奴らだと聞いて来たが、拍子抜け過ぎて欠伸が出るぜ」


 尚も途切れずに続けられる言葉を悟られぬように聞き流す。この男の台詞は大半がこちらを煽り苛立たせるための道具立て。付き合う必要はない。耳に入れているような雰囲気さえ醸し出せていれば――。


「これならまだあの凶王とかいう奴らの方が幾らかマシだったな」

「――何?」


 此処は聞きに徹しておくべき。そう考えていたはずのレイガスの口から、声が零れる。……この状況の最中に遇っても、無視できないその言葉。


「そいつも知らなかったのか。戦力で劣るうえに情報戦でも負けって、お前らホント救い様がねえな」


 更に調子を変えたわざとらしい哀れみの目線。だが今のレイガスにその変化を気に掛けるだけの余裕はない。齢七十を超えてなお明晰であるレイガスの思考力は、漏らされた話の断片からだけでもその全容を大まかに把握することができていたからだ。……行方知れずとなっていた凶王。使者を差し向けたにも拘わらず、応答が為されなかったその理由――。


「……何だ、元のお前たちのボス……九鬼永仙だったか? そいつと凶王が手を組んでお前らを結託させ、同時に俺たちに対する防波堤にもなろうとしてたってわけだ」

「――」


 ――告げられた内容に呼吸(いき)が止まる。……胸の動揺を知ってか知らずか、ガイゲは嘲笑うような表情を変えはしない。


「ま、結局そいつはヴェイグにぶっ殺されたし、凶王の方は俺たちが仕留めた。てめえらもそんな体たらくで、一切合財が無駄だったって始末だがな」

「……」


 下卑た笑み――。自らの真芯を貫くその表情。暫しの間訪れる静寂の時間にも、レイガスは最早その合間を埋める言葉を持ち合わせていない。……自身にとって何よりも信じられない事実。信じたくない事実。しかしそこに嘘偽りが混ぜられていないことを、誰であろうレイガス本人の直感が明白に告げている。そもそも、この相手にわざわざ自分をそんな虚偽に掛けるメリットは存在しないのだ。


 ならば――。


「……馬鹿な」

「信じられないってか。偏屈な老人ってのはいつの時代でも哀れだな。――あいつから聞いてるぜ?」


 ガイゲはさらに続ける。思いがけずレイガスの胸に突き立った杭を、更に奥深く捩じ込むように。


「お前ら、よりにもよってそいつらを最後まで敵だと勘違いしてたんだろ? ――つける薬もねえよなぁ?」


 秋光の言葉が脳裏に浮かぶ。……そんな夢物語はあり得ないと思っていた。


 だが実際に。この現実の状況下において、間違っていたのは――。


「まあ、そんな哀れな爺に優しい俺たちが引導を渡してやろうってわけだ。てなわけでさっさと――」


 立ち尽くしているレイガスを殺すべく、ガイゲが合わせている視線を新たにした――。



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