第二十二節 戦況推移
「ガアアアアアアアアアッッ‼‼」
「――っ!?」
上げられる絶叫。決着を見届けるつもりでいた千景は、思いがけない光景に目を見開く。
「ハアッ……ハアッ……‼」
痛みに身を震わせ、荒々しく息を吐いている三千風零。……防いだ。葵の渾身の水系魔術を。但しそれは、完全な形ではなく……。
「……!」
「……やってくれますね、葵さん」
肩から先のなくなった左腕。水流が我が身を貫く寸前、零は損傷の少なかった左腕へ憑依させた異形の肉を寄せ集め、盛り上がるその歪な盾で以て胴体への直撃を回避したのだ。切り取られた肉のカタマリは放物線を描き、千景たちの視界の端に鈍い音を立てて転がり落ちている。
「……正に化け物だな」
思わず呻くように呟く。片腕を失い血溜まりを作るほどの大出血。それにも拘らず零の双眸からは光が消えていない。憑依術の影響のせいか、異常なほどにタフネスが引き上げられている。だがそれも。
「……まさかここまで手古摺らされるとは」
ここまでだ。左腕を失った影響のせいか。徐々に肉体を覆う変化が崩れ戻されていっている。そのことを自分でも理解しているように、退くような素振りを見せた零に対し。
「逃がすわけないだろ」
「……」
無言で歩み出た葵。……祓を付与した水は恐らく今の一撃で失ったが、憑依術の解けかけている零は最早無力と言って良いほどの手負い。充分に仕留められる――。
「……嫌ですね二人とも」
どうにか面を上げて。苦笑のように吐き出す声は殆んどもう元の音色を取り戻している。血の気を失い、かつてのような好青年の面影を取り戻しつつある相貌に脂汗を浮かべた状態で、零は嗤った。
「僕がただで腕を渡すわけがないじゃないですか。大事な大事な僕の一部なのに」
「アブねえッッ‼」
唐突な田中の叫びに一瞬気を取られた、千景が何が起きたのかを理解する間もないまま。
「カフ――ッ」
視界の中の葵を――斜め横から筆を走らせるように描かれた三筋の線が貫く。振り向いた先に見えるのは切断されたはずの左腕。未だ異形化したままのその鋭利な爪先が、赤黒い細槍の如くに形状を変化して伸ばされている――‼
「櫻御門――‼」
「――っ今日はこの辺りにしておいてあげますよ」
溶けるようにして消えた異形の爪。続き昏倒した葵に向けて捨て台詞を投げつつ、完全に憑依術の解除された零が新たに喚び出したと思しき風精霊を伴って立ち上がる。周囲に起こされる風の動き――逃げられる。
「く――」
それを理解していながらも千景には打つことのできる手がなかった。葵の傷はそれなりに重傷であり、そこへ差し向ける治癒を引けば魔力がもう残っていない。唯一頼み置けるのは残された仲間――。
「――田中!」
「……やれやれだな」
追撃を頼もうと叫んだ千景の目に。中ほどから真二つに割り折られた、杖の残骸が映り込んだ。
「ッ――!」
「――調子はどうだ?」
「師匠」
二回の模擬戦を終えた直後に現われたレイガス。相変わらずの赫灼とした足取りで、戸口から此方に歩いてくる。向き直る郭。
「まあまあと言ったところですかね。一応全員、以前よりはマシにはなっています」
「そうか」
「……クソっ……!」
鼓膜に響くリゲルの悪態。二度に渡る模擬戦闘だが、二回とも俺たちの側があしらわれて終わっていた。……一対四。前の時より俺たちも成長しているはずなのに、あの時よりも寧ろ力の差が開いているような感じさえするほど。
「……」
肩で息を吐く。小父さんから新しく教わったあの技は結局披露できていない。俺が仕留めに行く前までに連携が崩され、崩れた箇所から各個撃破される。様々な属性による攻撃、障壁、幻術、トラップ……賢者見習いだけあって郭の手札は多く、一度見た程度では対応することはできなかった。しかもこちらの魔術の始動を徹底して狙って来る念の入り様。まるで容赦がない。
「……やはり中々厄介だな。少しは掴めてきたが……」
「全然……歯が立たないです」
「……」
分析を続けているようなジェインに、疲れているフィア。そんな俺たちの様子を、レイガスは眺めるようにして軽く目にし。
「……私が稽古をつけるか」
いきなり、そんなことを言った。は――!?
「え――」
「ルールは協会式の決闘法二番を使う。そこの連中を纏め上げて私に掛かって来い。郭」
「はあ⁉」
レイガスの台詞にそれぞれ反応した郭とリゲル。
「なんで俺らが纏め上げられなきゃなんねえんだよ。精々が協力だろうが」
「……師匠」
「格下を束ね挙げるのも賢者の務めだ。お前がどれだけ奴らを上手く使えるか、見させてもらう」
「……!」
「おい。……無視かよ」
リゲルを完全に蚊帳の外に置き。何かを感じ取ったらしい郭が、考えるようにしながらも俺たちの方へ歩いてきた。
「えっと……」
「――済みません」
戸惑っているフィアに向け、郭が始めに詫びる。
「ですが付き合ってもらえますか? 貴方たちにとっても、滅多にない体験とは思いますが」
「……まあ」
ジェインが言う。考えようによっては――。
「良い経験にはなるか。……あくまで模擬戦なら問題ない」
「協力ってんならやっても良いぜ」
「――そのつもりです」
……まあ、元々相手をしてもらっていたのは俺たちの方だ。先ほどまでの力量差を踏まえるとそんな気にもなる。
「但し指示は僕が出します。僕が一番、師匠の癖を知っていますから」
異存がないことを確認するように、俺たちを見回した。では、と言って。
「先ほどの模擬戦で貴方たちの能力は大体把握しました。まず、貴方が――」
ひとまず言われた通りの戦術を頭の中で組み立ててみる。……確かに、素人目だが悪くないような気はする。ジェインも布陣に対し特別なにも言わない。
「いよし。ブッ飛ばしてやるぜ」
「絶対に無理ですので。くれぐれも変な行動をとらないで下さい」
「……黄泉示さんたちが前に出たら、障壁を使って……」
「……いいか?」
尋ねてくるレイガスに郭が頷きを返す。その如何なる挙動も見逃すまいと緊張する俺の前で、レイガスが一歩、何気なく足を進めた――。
「――いいな。俺たちも混ぜてくれよ」
「――」
その瞬間。不意に割り込んできたその言葉。聞き覚えのない声に、反射的に振り向かされる。視界に映ったのは。
「おいおい。んな驚かなくたっていいじゃねえか」
制止するように手を上げているローブ姿。……三人。同じようなフードを被った三人の人物が、俺たちの真後ろにいた。
「こんだけザルみてえな警備してんだ。ネズミの一匹や二匹、入り込んだっておかしくねえだろ」
「侵入者……⁉」
「……何者だ?」
郭とは対照的に。先ほどより一段低く、既に冷厳さを増しているレイガスの声。
「魔術協会の本山に踏み入るとは――無論、相応の覚悟あっての愚行だろうな」
「おいおいおい」
それを受けてなおおどけたようなその口調に、走るのはえもいわれぬ不気味さ。
「この俺を相手に、こりゃまた随分と間抜けな脅し文句じゃねえか。そんなもんでビビるわけねえってのに――なぁ?」
「私たちにそんな事を言われても、困りますけどね」
「……」
女性? フードの下から聞こえてきた声に少し意外な印象を受ける。声色は紛れもなく若い女性のもの。もう一人は沈黙したまま……。
「なんだよノリが悪いな。だがまあ確かに」
良く喋るフードが俺たちを向いた。
「知らず存ぜずじゃ意味が通らねえ。なら颯爽と、自己紹介といくか」
そう言って胸元に手を掛け。勢いよく、ローブを脱ぎ捨てた――。
「――!」
「《誅滅の黒騎士》、――ガイゲ」
露わにされる三人のその姿に、俺たちの目が引き付けられる。高らかに自らを指し示すのは黒い甲冑に身を包む騎士。艶のない、闇をそのままに具現化したかのような鎧。見る者に畏怖と威圧とを感じさせるその出で立ちから一つだけ抜け出ている頭部からは、金髪を戴いた鋭い視線が意気盛んさを以て送られている。
「……《戦神》、ヤマトタケル」
静かな口調。軍帽と軍服に身を包んだ生粋の軍人を思わせる出で立ち。一目には区別が付かないものの、並ぶメンバーと比較して低めの背丈、胸部の微かなふくらみから女性であることが窺える。何を見つめているのかも定かでない暗い瞳にある種の強制力のようなものを感じ、視線を逸らした先。
「そして私、《止まずの死神》」
香の匂い。薄く露出の多い服装と艶やかな立ち姿に抱く第一印象は踊り娘。身体の随所で煌めいている金の飾りが醸し出すその艶めかしげな雰囲気に、思わず目を逸らした。
……なんだ?
この連中は。……踊り娘のような服装はともかくとして、あとの二人はそれぞれやけに古めかしい出で立ちをしている。黒い騎士も、ヤマトタケルと名乗った女性の格好も、まるで今しがたそれぞれ別の戦場から抜け出してきたかのようだ。雰囲気も、姿も、何から何までがこの場にそぐわない。……そう強く感じる。
「――せっかく名乗りを上げてやったってのに時化た反応だな」
俺たちの反応を目にして不満げに鼻をならす黒騎士。
「特にそっちのガキども。まさかとは思うが――」
「知らないんじゃないですか? 私たちのこと」
「こんなところにいてか? それこそあり得ねえだろ」
意味の分からない会話。――だが。
「……」
「……レジェンド? いえ、まさか……」
俺たちの困惑を余所に。……レイガス、そして郭は、明らかに異なる反応をしていた。面に浮かんでいるその色は、驚愕。目の前の三人の出現が信じられないかのような……その光景を受け入れられないかのような表情だ。
「ま、流石にてめえらの方は当然聞いたことくらいあんだろ?」
黒騎士の視線が、レイガスたちの方を向く。
「教えてやれよ。自分たちの現状がよく分かって、震え上がれるようによ」
「……レイガス、郭」
「どういうことだよ?」
「……『伝説』」
レイガスの声が響く。
「その行いには功罪あれど。古代から今に至るまでの特殊技能者界の中で、その歴史に名を刻んだ者たちだ」
――歴史に、名を刻む。
「……聖騎士団と魔導連合との大戦において活躍し、単騎にて百万の異教徒を討ち取ったと言われる聖騎士、ガイゲ」
レイガスの解説。受けた黒騎士が満足そうに笑む。
「中世に生きた暗殺者。黒死病の影にその記録は埋もれているが、生涯において失敗はなく、時に都市一つを滅ぼしたこともあるという止まずの死神。……だが……」
「中々よく知ってるじゃねえか」
言い淀んだレイガスに対し、わざとらしい笑みの黒騎士が助け舟を出す。
「ま、こいつについて語ることがなくても仕方ねえ。何せこいつは、いないはずのレジェンドらしいからな」
「……」
軍帽をポムポムと叩く。ヤマトと名乗った少女はされるがままになっている。――いや、そんなことより。
「……どういうことだ」
ジェインが問う。俺も同じく、疑念の方が先に立つ。
「今のレイガスの話が本当なら。奴らは」
「――とうに死んでいる」
言葉尻を継ぐのはレイガス。
「命尽きた者だけがレジェンドとなる。お前たちは己が力を以て時代を生き抜き、その偉業を語り継がれることで伝説となった」
それも今日昨日の話ではない。先のレイガスの説明の通りならば、目の前の人物たちが生きていたのは今から千年近く前の話。その時代の死者ということになる。
「この場にいることなどあり得ない。……あり得て良いはずがない」
「俺たちも驚いてるぜ。まさか、こんな形で生き返ることになるとはな」
「不可能だ。反魂法など、如何な禁術師でも実現できた者はいない。今までも、これからも」
「口じゃあ何とでも言えるんだろうが、眼は正直だな」
――目?
「否定したくともできないんだろ? 信じられねえってことは少なくとも、見てるそのものを認めちゃいるってことでもある」
その返しに押し黙るレイガス。……言われる前から、何となく感じてはいた。
雰囲気、オーラ。……言葉で何と形容したものか分からないが、目の前の人物たちの出で立ちには妙な現実感がある。黒騎士の鎧に付けられた細かな傷。現代では嗅いだことのないような独特の香りに、軍帽のほつれかけた古めかしい刺繍と、所々が煤けたような軍服の跡。その徴の意味を計りかねるなかで。
「さてと。お互いよく事情が飲み込めたところで……」
新たな章節の始まりを告げるように。黒騎士が不敵に口元を歪めた。
「気分はどうだ? 攻勢に出たと思ってたその瞬間に、喉元に切っ先を突き付けられる気分はよ」
「……!」
その台詞で合点がいく。この三人は『アポカリプスの眼』の、父の仲間――!
「……」
代表として言葉を向けられていると思しきレイガスは答えない。何かを考えているのか、険しい瞳で黒騎士たちを見据えたまま。
「喋れねえのか? 歳を食ってる割には存外詰まらねえな。まあ、てめえの間抜けさに恥じ入ってるってんなら分からねえこともねえ」
そこでまた嘲るような笑みをして。
「要はお前ら全員、まんまと罠に嵌まったってことなんだからよ」
「……え……⁉」
思わずして出されたフィアの声。黒騎士はそちらを一瞥だけして、また視線をレイガスへと戻す。
「大事な大事な封印の鍵が奪われた。奪った奴らの行方は分からねえ。最悪の災厄である『永久の魔』の復活を阻止するには、封印が解かれる前にかの地で首謀者たる『アポカリプスの眼』を壊滅させること……」
滔々と語る。俺たちが聞いていた、三大組織の大まかな見通しを。
「封印の解除には時間が掛かる。幾らあの規模の空間転移を行える術者であっても、少なくとも数時間。なら敵を叩き潰す時間は充分にある――そっちの考えとしちゃあこんなところか? 爺さんよ」
変わらず答えないレイガスに対し、小馬鹿にしたように一つ鼻を鳴らした。
「全く以て順当な判断じゃあるが、読みが足りなかったな。封印の鍵を奪った時点でその先が一本道になるってんなら、端から勝算なく動くわけがねえ」
そこで黒騎士は、最大限に口の端を上げ。
「――『永久の魔』の封印解除に掛かる時間は、二十分だ」
「――‼」
――空気が一変して帯びるその気配。脈動の如く波打って伝えられたその異様を、戦場から離れたリアは過つことなく察知する。……状況は概ねで優勢。
「……何だい?」
「……」
にも拘らず。零されたリアの声に、隣に佇むアイリスは答えない。……今し方感じた気配には、言いようのない不気味さがあった。まるで……。
「――」
直後に覚える。……地の底から湧き上がるような暗い感覚。一過性ではない。溢れる泉のようにこんこんと、次第にその濃さを強め。
「まさか、こいつは……ッ」
いつになく険の込められたアイリスの視線。リアの声を、ただ粛々とした瞳が受け止めていた。
「――その事態を想定していないとでも思ったか?」
動揺する心の内に、レイガスの声が平静を呼び込んでくる。
「戦略は常に最悪の状況を考えて立てるものだ。正体不明の術者が特別強力だった場合に備えて、手は打ってある」
言葉と共に俺を支えるのは、事実に裏打ちされた揺るぎないその落ち着き。
「三大組織の総力を捌けるかどうか……お前たちこそ、身の振り方を考えるべきではないかと思うがな」
……そうだ。
言い聞かせる。三大組織だって事が万事順調に進むと限らないことは承知しているはず。当然それに対する備えもしている。心配など要らない。
「……はぁ」
「やれやれですね」
それを迎える黒騎士たちの表情。呆れ果てたかのようなその眼差し。隣の艶めかしい女性さえ、大仰に肩を竦めていた。
「ここまで平和ボケしてられるとはな。全く羨ましい限りだぜ」
何だ? 口調は先ほどまでと同じ皮肉だが、何か、苛立っているような――。
「数を集めたかったのはこっちの方なんだよ。取り逃した小蠅の残党に、チョロチョロ逃げ回られたら鬱陶しいだろ?」
――何?
「……何だと?」
「お前らはそもそも彼我の戦力差を見誤ってる。本気で総力を挙げてるってんなら、どうしててめえらはこんなとこに残ってる?」
指すような眼光は、紛れもなくレイガスと俺たちへ向けられたもので。
「手強い敵だ――そりゃそうだ。油断できない――まだ足りねえ。お前らは持てるあらゆる手段を使ってでも、何を差し置いてでもこの戦いを取りに来なきゃならなかった」
なのに、と。そう告げている。戯れに憐れむような、黒騎士の目が。
「死に物狂いにならなかった時点でてめえらの負けは確定してる。駄目押しで教えといてやるよ」
悪意ある嗤いに瞳を歪めて。
「俺たちを従えてる奴は、かの『永久の魔』と同格だ」
最大級の爆弾となる言葉を、明確に告げた。
「何だと――⁉」
「そうそう、その面が見たかったんだよ!」
初めて声を張り上げたレイガスに対し、子どものようにはしゃぐ黒騎士。
「理解したか? 健気な努力だ。お前たちの仲間が一刻も早く敵を全滅させようと焦ってる間に、封印の解除なんてのはとっくのとうに終わってる。歯抜けの総力とやらを迎え撃つのは『永久の魔』級の戦力二体。分かるだろ? 文字通り蠅を潰すみたいに叩かれて――」
バチリ。金属の重々しい音を立てて、黒騎士の両掌が打ち合わされた。
「――お終いだ」
「……」
レイガスは黙っている。郭は何も言わない。その空気が一層圧し掛かる重圧を重くしていくようで。
「ま、これでお仲間がどんな状況にあるかはよく分かっただろ。――次はお前たち自身の話と行くか」
黒騎士の雰囲気が変わる。漂って来るのは剣呑な殺気。後方の二人は特別な変化を見せないが、それだけではっきりと自分たちが窮地に立たされていることを悟らされる。一瞬でも気を抜けば死ぬという、それは理屈でない明確な直感――‼
「俺たちはそのボスから言われて来ててな。早い話が、お前らにも此処で死んでもらうってことだ」
「ッ――!!」




