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第十九節 葵の戦い 後編

 

「……」


 久々に来た訓練場の床。そこに俺は座っている。……何とはなしに。


「……もう、始まってる頃でしょうか」

「……多分な」


 隣りに立っている、フィアの呟きへそう返す。……出発から既に二十分が経過している。今頃は、既に。


「……分かっちゃいたけど、何となく落ち着かねえな」


 言うのはリゲル。さっきから意味もなく腕立てをしているその様子。テンポ良く息を吐きつつも、汗一つかいていないのは流石と言うべきなのか。


「その無意味な筋トレを止めたらどうだ。鬱陶しい」

「てめえだってさっきからウロウロと同じ場所を歩き回ってるじゃねえか。電車ゴッコでもしてんのか、ああ?」


 いつもの言い合いも今の俺の意識を遮るには及ばない。……こうなってみて初めて分かるが、結果を待っているだけの身というのは、辛い。想像以上に。


「……」


 ――落ち着け。


 ざわめく内心に言い聞かせる。……俺は、小父さんに託すと決めたのだ。


 今更不安になってどうする。送り出した以上、俺たちにできるのは――。


「……で」


 ――信じることだけ。そう断じて上げた視界に映り込むのは、腕組みをして俺たちを見つめている郭の姿。


「どうして貴方たちがここにいるのか、そろそろ説明して貰っても良いですかね? ……師匠に行けと言われて来たんですが」

「僕がレイガスに頼んだんだ」


 既にリゲルとの言い合いを打ち切って、眼鏡を上げるのはジェイン。


「討伐隊のメンバーから外されて暇だろうから、模擬戦の相手に僕らはどうかとな」

「えっ――」


 フィアが声を上げる。……俺としては、なんとなくそんなことだろうとは思っていたが。


「てっきり、郭さんと一緒に修行するのかと……」

「どっちかな~って思ってたけどよ。つうか、よくあの爺さんが納得したな」

「レイガスです。ちゃんと名前で呼んでください」


 リゲルの発言を訂正し、息を吐いて。


「ま、いいですよ」


 僅かに姿勢を正した――郭が気配を変える。


「師匠も今日は協会の業務で忙しいようですしね。――僕もフラストレーションが溜まっているので。憂さ晴らしに付き合ってくれるなら願ってもないことです」


 ニヤリとした笑顔。見知っている俺たちからしても、思わずたじろぐほど悪い笑顔だが……。


「――うし」


 腕立てを止めて立ち上がった、リゲルがバシリと拳と掌を合わせる。


「やってやろうじゃねえか。――来いよ郭。どっからでも掛かって来いや」

「……リゲルさん、なんだかやる気じゃないですか?」

「そうか?」


 以前も大体こんな感じだった気もする。シッシ、とシャドーを打っているリゲル。まあ、外出試験の時のようなことにはならないだろう。


「威勢がいいですね。その方が痛め付ける甲斐がありますが」

「始める前にルールを決めよう。まず――」


 張り切り始める二人。語り始めたジェインの声を耳に。


「……」


 天井。見えることのない空に、俺は思いを馳せた。















「――チィッ――!」


 余裕の欠けた声。鋭く角張った爪と足裏とで大地を醜く削り取りつつ、零が下がる。追うように。


「――【水刃千乱舞】」


 短縮詠唱に伴い荒れ狂う水の刃は、極限まで圧縮され透明化された水流の嵐。凝縮された鬼神と竜との外殻を以てすれば、躱す必要すらないはずのその攻撃を――。


「――ッ‼」


 顔面をガードしつつ。大きく後方へ跳んで零は避ける。それでも表面を走っていく二、三本の筋。水刃の駆け抜けた部分が灰色に変色し溶けるように流れ出す、その際を間髪入れず突くは田中の杖撃。溶け出し軟化した部分を容赦なく連打が打ち据え、飛び散らされていく外殻の一部。


「ガアッ‼」


 咆哮。そうとしか言えないような所作で息を吐いた、零の前方の空気が歪む。予兆を察して即座に引いていた田中。寸前までその身があった大地を、断裂する空気の塊が微塵に砕き裂いて行った。


「――」


 二者の攻防から距離を離して葵は警戒を保つ。……【水の支配者】たる葵の強みは、何も金剛石をも切断する高速の圧縮水流だけにあるのではない。その真価は、櫻御門家の持つ祓の技法と組み合わされた時にこそ発揮される。


 古来より水は清めの手段として広く用いられてきた。神道系列の流れを汲む櫻御門家に於いてもそのことは例外ではなく、秘伝の術法により特別の過程を経て精製された水は、異形に対する強烈な浄化の作用を持つ『清めの水』となる。……鬼も竜も祓の術理からすれば穢れに位置づけられる異形。強固な装甲を完全に削り取ることはできずとも弱体化させることはでき、収束させた水流ならば完全に撃ち貫くことさえ可能かもしれない。


「……」


 ――だがそれらは全て、あくまで零の動きを捉えられればの話。


 水流に依る攻撃も速度としては紛うことなく高速の域だが、今の零の速さはそれを上回ってなお余りある。仮に完璧なタイミングで放てたとしても躱すことは容易であるはずであり、決め手となる一撃を当てるにはやはり、例え一瞬でもその動きを限られた範囲の中に封じなければならない。


【心眼】――。相手の意識的な心の動きを見通すその異能も、今の零に関しては効果が薄い状態だった。霊格すらも再現する憑依術の特徴のせいか、読み取れるのは断片的にしてごく僅かな表層意識のみ。殆んど役には立たないと言って良い。強烈な志向性を伴った思考くらいならどうにか読み取れるため、完全に無用というわけではなかったが……。


「……」

「――どうした三千風」


 動きを止め。呼吸を整えていると思しき零に対し、後衛の千景から声が飛ぶ。


「あれだけ余裕だった割には、随分とお疲れじゃないか」

「……そうですね」


 答える声音にも若干覇気がない。しゃがれた溜め息を吐きつつ。


「意外でしたよ。術同士の相性の差が、実戦でここまで如実に出て来るとは」


 苦笑い。声色から辛うじてそう判断できる表情を、葵へと向けた。


「正直舐めていました。ただの有能な補佐官じゃなかったんですね、葵さん」

「……」


 葵から掛ける言葉などあろうはずもない。その見通しの甘さ。傲慢さの代償を、直に払わせることになるのだから。


「ですが――」


 不意。唐突に起こされたその行動に葵は目を見張る。田中でも千景でもなく、葵への愚直な突貫というその選択。


「――」


 速い。これまでより一際速度を増した踏込み。辛うじて反応し出現した千景の障壁すら見事に回避して迫るその動作に、危うく反応し損ねそうになる――。


「ッ‼」


 寸前で放ったのは水流の束。自らの周囲を覆うように張り巡らせ、全方位へ走らせる水刃水槍を盾とした右腕に受けた零が斜めに跳び下がる。その所作に追い縋るのは田中。無数の杖撃で葵までの道筋を断ち、注意を自らに引き付ける。


「――浄化を施したその水は、あとどれくらいあるんですかね?」


 それでも零の視線は葵から外れない。確信を得ているように投げられた声。――そう。


 通常の水に浄化の効力を付ける工程は、何よりも下準備と時間が不可欠。特に零の憑依させている高位霊格の異形に対しては生半可な精製ではとても足りない。……あの襲撃から用意を整え、葵がこの戦いに持ち込めた水の量は凡そ一斗一升。


 腰元の両の衣嚢の内。魔具に収めたその三分の一ほどを既に使用している。最後に零に止めを刺すことまでを考えるならば、こうした牽制に使える残りの水量はそう多くはない。そのことを。


「――ぼやっとしてっと命取りだぜ?」


 看破されている。そんな不安を断ち切るような田中の言葉に連れて――零の両腕が弾かれたように跳ね上げられる。即座に側面から後方へ回り込んだ田中。杖によってあらぬ方向へ押し曲げられた、肩関節のねじ切れる音が確かにした。


「――っ⁉」


 その直後。両の腕を豪速で挟み込むように繰り出した零の所作に、葵は思わず我が目を見張る。


「心配は無用ですよ」


 反応して退いていた田中。……ゴキゴキと、まるでそこだけが別の生き物であるかのように蠢き回りながら元の位置へと戻されていく、零の両腕。


「今の僕は脆弱な人間とは違いますので。一回りしたくらいで外れることはありませんから」

「――みてえだなッ!」


 その際を狙って放たれた水流を躱す零に田中が付かず離れずの位置を保ち動く。――今の零の肉体は人体から逸脱している。強度と治癒能力だけではなく、関節の可動域、筋肉の動き。……破壊は容易ではない。その事実が田中の力量を以てしてもなお、あと一歩を攻めあぐねさせている……。


「――」


 理解を念頭に葵は歩を踏む。……もう少しだ。もう少しで――。


「――終わりにしましょうか」


 その意識を遮る唐突な宣告。思わず走らせた目に映るのは、再度の零の攻撃を受けて距離を取っていた田中の姿。


「お坊ちゃんが何言ってやがる。俺一人捕まえられてねえじゃねえか、あん?」

「僕としてはこのまま待つだけでも良いんですが――」


 田中の挑発をスルーして、零の目がまた葵へ向いた。


「葵さんの事ですから、どうせ何か企んでるんでしょうしね」


 ばれている? 不意を突かれたその直後、零の纏う雰囲気が変わる。爪先に現われたのは小さな白い輝き。それが消えていくに連れて、訪れたのは誰の目からも明らかな変化。沸騰するように沸き立つ零の肉体が、その大きさと濃色を一回り増し――。


 ――まさか。


「……ふぅ」


 ――もう一体? 信じられないような思いで目を見張る葵の前で、零が息を吐いた。


「これで少しはマシですかね。流石に少し疲れますが……」


 その外貌は更に歪に形を変え。慣らすように回された首。赫灼の双眸が、一点を向いた。


「着いて来れますかね、田中さん」


 刹那。


「――」


 葵の眼前で両者が激突する。間で飛び交い合う無数の交錯。目にも留まらぬ速さで戦闘が織り成され――。


「――っ」


 数秒後に退いたのは田中。その身は大まかに言って無事だが、切り裂かれた衣服の端々から鈍い緋が滲んでいる。生まれた後隙に。


「ほら、引いちゃダメじゃないですか――!」


 すかさず瞬転した零が葵を狙う。躊躇いなく自衛の為に打ち放つ水流。だが張り巡らせたその網を零は先ほどまでとは一段違う速度で掻い潜り、繰り出され。


「――ッッ!」


 展開された二重の障壁を貫いて。回避行動をとった葵の腕に、深々と赤黒の爪先が喰い込んだ。


「――櫻御門ッッ‼」

「おっと」


 叫ぶ千景。動きの居ついた際を狙った――田中の杖撃と水流とを避けて零が跳び下がる。引き抜かれた爪痕からドロリと溢れ出す血液。見る見る間に右腕が色を失い、襲う震えるような寒気に膝を突く。


「流石は田中さん。この状態の僕と渡り合えるとは驚きですよ」


 爪先の血を振り払い――零が、葵たちを睥睨した。


「そっちの二人はそうはいきませんでしたが。まあ、力に差があり過ぎますからね」


 ……力?


「【陣地空大】――」


 耳に届くのは千景の詠唱。追加された陣術の効果により、傷が癒され、出血が止まっていくのを感じる……。


「先生を殺した時にはまだ及びませんが、これで――」

「……なにが力ですか」


 ――動かない右腕、出血により乱れる意識。今の自分に注意を集めるのは、あらゆる意味において愚策。


 そう判じていながらも。今の葵は、思いが言葉に変わるのを留めておくことができなかった。


「鬼神と竜。それだけの数の異形を、同時に憑依させて制御する――」


 そんな、そんなことは。


「できるはずがない。貴方に、貴方などに」


 秋光と共に彼を見続けて来たからこその言葉。確信を持って言い放った台詞に、零は暫しの間無言で。


「――ばれちゃいましたか」


 ざらついた悪辣な声音で、嘲笑(わら)うようにそう言った。


「そうですね。流石に僕の力だけでは鬼神一体ほどが限度です。戦闘中も抑えられているかどうか常に不安がありますし」


 どこか誇らしげに。自らを飾り立てるかのように、耳障りな語りはつらつらと続く。


「だから、『アポカリプスの眼』としての力を使うんですよ」


 爪先に再び現われる輝き。……鈍く白く光るのは、鏃のような形状をした魔力の塊。


「【支配の鏃】。これを打ち込めば、どんな異形であろうと僕に服従させることができる。素晴らしい術ですよこれは」

「――」

「意思を奪い制御に掛かる手間を大幅に減衰させてくれる。繋ぎ止めておくための魔力は必要ですし、同時に行使できる数にも制限がありますが――」


 一度貶めたはずの理念を更に土足で踏み躙るように。どこまでも力に魅せられたような、陶酔したその語り口に。


「ふざけるな――ッ‼」


 耐えることなど敵うはずもなく。血反吐を吐くが如き声音で、葵は吼えた。


「振るっているその力とやらが何を意味しているか、貴方が知らないはずはない」


 憑依術が協会から禁術に指定されている理由は、単にそれが術者の乗っ取りと苦しめられた異形の腹いせによる暴走のリスクを孕むというだけではない。


 憑依術という技法が召喚術の根幹、術者と異形との関係を壊してしまうものである事こそその大きな理由なのだ。隷属を伴う強制的なヒトへの憑依は異形に多大な負担と苦痛を強いる。例え術者の死によって解放されたとしても、その異形は以降の召喚の呼び掛けに対し往々にして応じなくなってしまう。自分たちの立つ土台そのものを解体する愚行。


 大本となる召喚術が成り立つ前提を真っ向から否定し破壊する術法は、通常の召喚士からすれば赦されざる恣意に相違ない。……当然、零がそのことを知らなかったはずはなく。


「秋光様の下で、賢者見習いとしての指導を受けておいて」


 長らく主人と奴隷の関係性であった召喚士と異相種族との歴史に再び信頼を持ち込んだ――改革者、式秋光の理念と真っ向から相反することも、重々承知の上だったはずだ。


「貴方は本当に、何も思わないのですか⁉」

「……」


 叫びが響く。残響の中で水を打ったように場を支配するのは、僅かの沈黙。


「そういうの鬱陶しいんですよ葵さん」


 それを再度破った零の言葉に、僅かばかりでも期待したような音色は一片も無かった。


「折角人が楽しんでるんですから。水を差すような真似はしないでもらえますかね」

「……そうですか」


 受けて葵の心境が変化する。これまでのともすれば噴き上がるような、滾るような怒りではなく――。


 ――冷えて固められた、鉛の如き鈍色の殺意に。


「なら、貴方には此処で死んでもらいます。零」

「……その傷で?」


 零の目が抜かりなく捉えた部位。千景の張った陣により回復はしているものの、重傷には違いない傷。失った血のせいで、未だに頭がふらつく。


「強がりもいい加減にして下さいよ葵さん。貴女に――」

「貴方を仕留める為の布石はもう打ってあります」


 辟易するような台詞を振り払って葵は立ち上がる。理知を宿すその瞳に、勝機を見据えて。


「貴方の命運はもう、尽きている」

「……へえ」


 宣告を受けた零が浮かべるのは嗜虐的な笑み。獰猛な獣のごとく眼を細めつつ。


「それは楽しみですね」


 言って踏込みの構えを取る。起こりの隠しやフェイントなど無く、只々あからさまなその構えに。


「是非見せて下さいよ。その布石とやらを――‼」


 狙いは自分。そのことを心眼で読み取り構えようとした、葵の体躯がふらついた――。


「【四諦結界】――‼」


 零の姿が消える、その直前に動き出していた二人。葵と田中との間を線引くように結界が張られ、同時に零の眼前に立ちはだかったのは田中。武人の背中が静かに闘気を発したように見え。


「――」


 ……駄目です。


 まだ……。


「――!」


 葵の心に反して田中の手に持つ杖がうねる。恐らくは渾身の一技が、迫る零に打ち込まれようとした瞬間。


「ッ⁉」

「――見え見えなんですよ」


 足下を襲う強烈な振動。零が、目の前の地面にその拳を撃ち込んだのだ。地を走る亀裂と爆砕に一瞬だけ田中の足が居つく。――その一瞬で、葵を守ろうとした結界は微塵に打ち砕かれていた。零の突進に。


「ち――‼」


 重心の制御を取り戻した田中が反転する。だが間に合わない。自らに迫る暴威を前に、葵はただ淡々とそんな見立てを下し。


 瞳に向けて鋭利な爪が伸ばされていく最中、不意に全身から、力が抜けた。


「――」


 走馬灯のようにふと思う。……葵の目にしていた秋光は、決して取り乱すということがなかった。


 どんな問題が起ころうと静かにそれについて考え、思ったことを迅速かつ慎重に行動へ移した。それはただの経験の違いによるものなのかもしれない。自分がたまたま、彼の取り乱す姿を目にしなかっただけかもしれない。


 それでも。


 その秋光を知っている葵には。今この場に至っても、まるで零を恐ろしいとは感じなかった。――力に振り回されるだけの彼が、却って哀れにも見える。


 ……そうだ。


 極度に遅延化した景色の中で手にした得物の感触だけが明確になる。通常武器として用いられる刀剣などに比べて鉄扇はリーチが短い。敵の間合い、自ら死地に踏み込む覚悟を持たなければ鉄扇術はその体系の意味を成さず、無用に終わる。


 ――常に清廉な水面の如く。


 祖母から幾度となく言われた教え。幼少からの修行で身体に刻み込まれていた、その本当の意味。


 零の挙動は力任せだ。荒れ狂うようなその力には技がない。田中との攻防を見ていてもそれは明らか。であるならば――。


「――」


 鋭利な爪先が頭ごと葵の瞳を抉り取る。死の先端が、自らの睫毛に触れる。


 ――瞬転。零と葵とを囲む世界が、一転した。


「な――」


 呼吸を合わせて突き出した鉄扇に視線を誘い、入り身から巴へと移行する。櫻御門流鉄扇術、【飛龍鳶円離(ひりゅうとびえんり)】。


 先人たちが対異形用に練り上げたその術技を以て重心を崩し、強大な力そのものを利用して打ち上げた。――映り込むのはその背に太陽を受けて、天高く晒された化外の様。


「――」


 その場所に先んじて田中がいること、澄み渡る葵の感覚は確かに捉えていた。障壁によって階段状に形作られた足場。零の体勢はまだ整っていない。これならば。


「――フンッッ!!」


 確実に決まる。その確信に一分の違いなく、田中の手にした杖が刹那に無数へと消え失せる。


「グウッッ‼⁉」


 咄嗟にガードを固めた手足の外殻が弾け飛ぶ。赤黒い液体を四方八方へ撒き散らしながら砲弾の如く撃ち落とされた異形の体躯。先の地震を超える轟音を鳴り響かせ、激突した大地を震わせる。……上がる土煙の中から。


「グ……ッ‼」


 衝撃によろめきながらも立ち上がった、その姿は見るも無残。最高級の強度を誇る外殻は大半が削り飛ばされ、特に左胸。心臓のある部位からは無数の血管が走る皮膚が不気味に露出している。致命の一歩手前――。


「――」


 だがそれも極一時のこと。即座に働きを見せるのは鬼神らの有している自動治癒能力。脈打ちながらも再生して行く自らの肉体に、零がほくそ笑んだ――。


「〝天之狭霧――国之狭霧、神直毘――〟」


 瞬時。その蠢きが止められていくさまに、浮かべられた笑みが消える。周囲より湧き出し立ち込める霧。


「――【大祓】」

「――ッ‼」


 動かした視線に映り込むのは注連縄。自身を取り囲むように張り巡らされた縄を意識した瞬間、鎖で縛り付けられたかの如く身体が重くなっているのを零は感じ取る。治癒能力だけではなく、身体能力までも――。


「――結界を張りました」


 堪らず膝を付く眼前に立つ葵。その目の前に収束させられた清気を湛えた水を目にした、零がたじろぐ。


「今の貴方は穢れその物。……逃げることなどできない」


 櫻御門の結界構築の要となるのは何も詠唱だけではない。葵の踏んでいた足跡、密かにばらまいていた神酒に、これまで打ち放った水刃水槍。それさえもこの霧の結界を構築する一部となる。発動までは一切の魔力始動を伴わない儀式系統の魔術。如何に零が魔術協会の賢者見習いと雖も、門外不出の秘伝である櫻御門の結界張りを見抜ける由もない。


「グ――‼」

「終わりです」


 思考の間も無く放たれる水流。全身に無数の重りを結ばれたような重圧を抱えた零に、回避の余地などあるはずもなく。


 上げられた赤黒の飛沫が、白日に照らされた空を穢した。



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