第十八節 東の戦い 後編
「――ッ!」
選び取られた所作が逡巡を破る。片手にて地面に突き立てた刀を中心として広がる輪から噴き出したのは、大気を染めるような暗黒の魔力。冥希の姿を覆い隠す漆黒のその奔流が、迫る『夢桜』の刃を完璧に弾き飛ばして。
「おっと!」
なお猛るように噴出する。魔力の波に呑まれた【絶花】の剣先が鈍ったのを機に、東もまた自らの致死圏内から離脱していた。弾かれた『夢桜』と攻撃の最中であった『銀蘭』を引き戻し、必要なら即座に間合いへと踏み込める位置取りを保持。
「流石。こいつを完璧に凌ぐとは」
「……」
視界を塞ぐことを憂慮してか、東が距離を開けたのとほぼ同時に護法、【鎮罪】の奔流もその勢いを止めていた。……姿を現した冥希。東の軽口にも特別表情を変えはしない。――見定めようとしているからだろう。
今の東の行動。【絶花】を前に飛び込んできたその行為が、果たして真であるか否かを。
常識的に言えば今の東の行為はただの愚策。致命的敗着と言っても良い。満足に防ぐことも躱すこともままならない攻撃に身を晒すとは、えてしてそういうことに他ならない。
それでも冥希がその判断を良しとしなかったのは、第一に己の直感に従ったが故だろうと東は推測する。……その感覚は当たっている。冥希が決着のつもりで勝負を仕掛けてきたならば、それに応じるだけの用意が東にはあった。例えあの状態からであっても――。
「……」
とはいえ半分は博打であったのも確かだ。まだ見ぬ【参の切】の子細と蔭水の奥義が分からない以上、仕掛ける行為は全て博打の要素を含まざるを得ない。どれだけ警戒していたとしても、そうだ。
――そして何より厄介なのは、今し方冥希が選んで見せた対応それ自体。
今の東の行動は、ブラフという可能性も当然あった。押し通して勝ちになる見込みも存在したのだ。しかし冥希はあやふやな勝機に賭けるような真似はせず、堅実に戦況を保つ手の方を選んだ。……それはつまり、決着を急ぐつもりはないということ。
どれだけの手間を掛けてでも確実に東を殺すという、態度の表れでもあった。――相変わらず危なげない。東は心の内で苦く呟く。どうやら勇み足に逸る隙は狙えないようだ。もしかすると、こちらの戦闘様式からある程度手の内を推理するまでに至っているのやも――。
「っ」
僅かに意識が思考へと流れた、その虚を突いて再度冥希から【狂月】が撃ち放たれる。先ほどと全く同じではなく、此度は複数の太刀風を重ね合わせた複合斬撃。――【壱の閃】。面を持たない刃の塊に対し、流しは不可能――。
「シッ!」
射出と同時、撓るように『夢桜』を振るう。即座の分節により波打つ軌道を描いた刀身が迫る【狂月】を断ち割り、勢いを落とさぬまま冥希へと走り行く。――『夢桜』はただ奇襲が芸の刀ではない。柄に込められた射出機構は一撃の威力と射程を瞬時に増大させ、八に分かれる刃と節は蛇腹剣にも似た独特の斬撃を生むことを可能にする。並みの技量では見切ることも、避けることもできない一刀。
「……」
重ねられた衝撃波を両断するほどの威力――。視認できないはずのその脅威を、しかし冥希は警戒の素振りすら見せることなしに迎撃する。三歩ほどの距離を刹那に詰めたかと思うと、一見無造作に置かれた刀身。そこへ最適な角度でぶつけられた『夢桜』の刃が無意味な方角へひた走る。……一撃を受けた冥希は揺らぐことさえない。衝撃を完全に相殺し、体勢を維持している――。
「――シィッ!」
だが冥希が『夢桜』との距離を詰めた瞬間からその所作を予測していた東もまた応じ手を打っている。柄を操作することで弾かれた刃を素早く回収しつつ、居付いた素首目掛けて走らせるのは再度となる『銀蘭』の牙突。切っ先に全てを集中させた点の攻撃を、冥希はあろうことか事も無げに線で受けた。
「ッ⁉」
刃にて受けられた切っ先――東の驚愕を余所に、衝撃を一分も逃さぬまま円転。受けた勢いを自らの攻撃に加算し、東の身を両断する必殺の一撃を走らせる。――これは。
「――」
直感が告げる。――この距離で最早回避は不可能。『夢桜』はコンマ一秒の差で回収が間に合わず、受けると同時に流される形になった『銀蘭』は殺されている。片腕を捨てたとしても、この一刀は手甲ごと自身の胴を切り飛ばせるだけの勢いを持っているだろう。半端な守りでは用を成さず、即ち訪れる死は必然――。
――全霊が告げる。此処だと言う自身に幾許かの戸惑いを覚えながら。
「はっ――‼」
嬉しさと共に、東は自らが為すべきその所作を選び取った。
「――」
二人分の膂力を乗せた必殺の太刀。全ての選択肢を切り落として成ったはずの黒刀の一閃が、硬い手応えに受け切られる。
盾のごとくに翳された刀身。――並みの刀剣を三本結合させたかのような幅。四尺を優に超える大太刀もかくやというその全長は、数瞬前までその手に握られていた『夢桜』とは言うまでもなく異なる別の何か。……競り合い。
「ッ‼」
「……ッ!」
鼓膜を引き裂くような金属音を残して弾かれ合う互いの得物。ともすれば腕を破壊しかねないほどの衝撃を。
「――ちっ……」
敢えて全身へ広げ、分散することで東は威力を殺す。見遣る冥希もまた、同様にして自身の損傷を免れていた。
「……漸くか」
小さな呟き。東を見るその瞳に映るのは、自らの技を相殺する威力を生み出した無骨な一刀。夜月六刀が一振り、『紅桔梗』。
六刀の中で最大の全長と重量を持つ大刀であり、通常諸手で振るうことを想定されている刀剣。東はそれを並みならぬ鍛錬と魔具である手甲の力により片手で扱うことを可能にしていたのだが、しかし今ここで重要なのは刀の特質よりも寧ろそれを振るうことを可能にした原理の方。
無論のこと今の攻防にて東は抜刀をしていない。既に握られた刀を別の刀へと移し変えたのは、腰に差されている鞘の能力。
――『一輪挿し』。一度この鞘に納め、ある種の儀式的手順を踏んだ刀同士の交換を可能にする魔道具。各々の宝刀の担い手が一人ではなかった時代、この鞘によって宝刀は瞬時に別の戦場、別の使い手を自在に行き来したと言われる。……現役の頃には力を借りることのなかった道具。
「……」
他ならぬ家の助力によって今の自らが支えられていることを覚えながら――気取られぬよう、東は出来る限り十全な構えを取って見せる。手甲の補助を受けているとはいえ、大刀の持つ重量はそのまま負荷となって東の肉体に加算されている。全盛期ならいざ知らず、ブランクのある今そう何度も全力で振るうことは出来ない。……使う場面は基本的に限られてくるだろう。あわよくば今も武器破壊ができればとは思ったが。
結果的に成し得たのは相殺まで。如何に突破口を見つけるのが困難であるかを改めて思い知らされる。……手の内を一つ切らされた。同時に東の気に掛かるのは今し方冥希が口にしたあの台詞。――〝漸くか〟。
確かにそう聞こえた。それを言葉通り解釈するなら、東が『紅桔梗』を出現させたのを見て呟いたことになる。東が『夢桜』を『紅桔梗』に持ち替えた際、冥希の表情に動揺の色は無かった。……決め手として捉えていたあの一閃。あれはまさか、決着を付けるための一手でなく――。
「……」
――不意に。『紅桔梗』と『銀蘭』を見て何を思ったか、冥希の構える刃が冥希自身の胸に差し向けられる。一瞬後の惨劇を想像させるようなその構図。
「ッ!」
起こりを見た瞬間に東は『銀蘭』を鞘へと送り返し、再度手にした『夢桜』の刃を撃ち放っていた。当初から警戒していた一手。共に戦った頃から知り得ているその技法の発動を許すほど甘くはないが――。
『夢桜』単体では防がれる。それを見越して冥希との距離を詰めに掛かる東。――問題ない。この距離なら間合いに到達するのに数瞬。あの技法は強力だが発動までに数秒のラグを必要とする。最大の全長を持つ『紅桔梗』なら、『夢桜』が弾かれた時には既に冥希をその射程に捉えているだろう。魔術に依る守りも、この刃の前では意味を成さない。
そう判断して東が一段と速度を上げた、刹那。
「……ッ⁉」
冥希の目が此方を向く。――罠――! 寒気が走った時には既に時遅く、『夢桜』の延長線上にいたはずの冥希、その姿が掻き消える。ともすれば姿を見失い兼ねないほど高速、低空の踏込み。『夢桜』を掻い潜って接近する冥希に向け、反射的に『紅桔梗』を振るおうとする東。だが冥希は中途で『夢桜』の刃を刀身に絡め取ると、引く勢いで東の体勢を崩しに掛かる。
「ち――‼」
崩しに堪えて繰り出された『紅桔梗』の振り下ろし。だが体勢の維持に意識を割いていたためか、十全と言えない斬撃は冥希の一刀により敢えなくその威力を逸らされる。――滑り込むように達した間合い。ゼロ距離と呼べる位置取りから夜の如き漆黒の刀身が、東の衣服に触れるように軽く押し当てられた。
――その攻撃かと訝しむ所作に、東がこれまでで最上の恐怖を覚えた瞬間。
「――【壱の閃】」
「ッ――!!」
猛速で動いた刃。撫で切るような五筋の剣閃が、為す術なく東の正面を切り裂いた――。




