第十六節 葵の戦い 前編
〝――復讐なんざやめときな〟
決戦への参加志願を求めて下げた頭に、リアからの言葉が投げ掛けられる。
〝なんにもなりゃしない。卑怯な言い方だけど、あいつだってそんなことをあんたに望んじゃいないだろうさ〟
〝……分かっています〟
自分の知る秋光なら間違いなくそう言っただろうという思いを自覚して。なお、葵はリアに言葉を返した。
〝仇を取るつもりではありません。ですが、この思いをどうにかしなければ〟
顔を上げ、皺の中に刻まれた瞳。その強く揺るがぬ光を見る。
〝私は、前に進むことができません〟
今一度。葵は下げた頭にその旨を示した。
〝お願いします。リア様〟
「――」
駆ける葵の脳裏に思い起こされるかつての遣り取り。――憑依術。
召喚によって喚び出した別位相の種族を使役するのではなく、直接術者の肉体に憑りつかせる技法。指示を挟むようなある意味まどろっこしい形ではなく、より直接的・効率的に異形の力を自らに取り込めないかという発想から生まれた術理。
「――」
繰り出される爪撃。それを紙一重で回避する。――凄まじい速度だ。事前に掛けた上級の【身体強化】に加えて千景の三重陣地術、【火大・空大・仏眼】による援護を受けていなければ、とてもでないが付いていけなかっただろう。如何に葵が櫻御門流の鉄扇術を修めていたとしても対応できる力の大きさには限度がある。しかし――。
〝俺はいい〟
事前の話し合いで、田中は千景の援護をあっさりと袖にした。
〝いや……しかしだな〟
〝対象を分散させりゃあそれだけ上守の負担も増えんだろ? 俺の事は良いから、自分らのことに集中してくれや〟
……実際には千景の扱う陣地術は、通常の強化法とは違い範囲内における複数名への支援を前提とした術式。中の人数が二人から三人に増えたところで大した違いはない。そう説明してもなお、田中は術による援護を受けることを受け入れなかった。
「――」
武人としての意地なのだろうか? 自分が生まれるより前に活躍し、連盟の崩壊と共に表舞台から消えていったその技能者たちのことを、葵は当然のことながら良くは知らない。単に昔、己の身と得物のみを頼みとして戦う者たちがいたと言う知識だけがある。
とはいえ、現時点で確かなことは。
「――シッ‼」
目の前のこの男。田中が、支部長と言う立場からは及びも付かないほど高い実力の持ち主であるということだ。
「シィッ‼」
零が繰り出した掌。掴んだものを無惨にひしゃぎ砕くであろうそれが到達する頃には既に田中はその場所にいない。慎みなく肩まで出された腕を杖が絡め取るように崩し、あらぬ方向へ曲げようとしたところで振るわれた反対の怪腕に身を躱す。歩法、入り身、杖の技術。
得物は違えど櫻御門流の体術を修めた葵にはその一端をどうにか理解することができていた。……自分など及びも付かないほど高度に練り上げられた技の数々。幾年にも渡り不断に鍛え上げられただろう身体能力は、強化を受けてなお自分が及びも付かないほど。――レベルが違う。まさか殆んど一切の援護を受けずに、今の零と相対して互角以上に立ち回れるなどとは。
――武人は一対一の近接戦闘において最強。
葵の脳裏に蘇るのは、魔導院時代に習い覚えたその謳い文句。数ある技能者の中で最も原始的と言える装備を持ちながら、かつて彼らはその文言を恣にしていた。その光景が今正に、現実のものとして展開されている――。
――だが。
「――ッ‼」
田中の杖が残像を残す。ガードを固めた上から外皮を削り、鱗を削ぎ落とす連撃。
「……どうしました田中さん」
その損傷にも零はまるで怖気付かない。振り払うように振るった――腕の傷が煙を上げて回復していくさま。――高速の自己治癒能力。恐らくは元々の異形が備えていただろう能力を、零もまた自身のものとして取り込んでいる……。
「こんな攻撃では僕は斃せないですよ。こんなものじゃないでしょう。彼と渡り合ったあなたの実力は、この程度ではないはずだ」
確信があったかどうかは分からないが、結果として零の発言は的を射ていた。今の田中は事前の宣言通り、意図的に威力をセーブしているからだ。
〝――ま、木だからな。俺の攻撃はほんの少しだけ、突破力に欠ける部分があんだよ〟
こんくれぇな、と。指でセンチのスケールを指し示しながら言われた言葉。
〝仕留め切れなきゃ威力の上限を見切られちまう。だから、そのときまでは守りに重点を置いて行くぜ〟
零は冥希と渡り合った田中を警戒している。……葵や千景に無理な攻撃を仕掛けないのもそのため。仮に田中の全力を以て零を仕留め切れなかった場合、脅威でないと断じた零の猛攻は遥かに御し難いものになるだろう。――そう。
零もまた、現時点では力をセーブしているのだ。だからこそここまで互いに大した危険なく戦闘が続いている。互いに機を見出せすことなく、踏み込む覚悟を欠いたまま――。
「――ッ」
放つ縄。後ろに目が付いているかの如くそれを躱して此方へと狙いを変えた、零の動きに葵は距離を取ることで対応する。間に展開された障壁は千景の援護。零の動きと攻撃を阻み、田中が追い付くまでの一瞬を作り出している。
「――さっきからしつこいですね、葵さん」
間に入った田中の動きを受け――追撃を止めた零が言う。
「そこまであからさまな狙いを張られると辟易しますよ。祓の技術に長けているんでしたよね? 葵さんは」
――そう。異形と化した今の零になら、対霊・対異形用である祓の技法が通用する。櫻御門家は元来巫女としての役割も受け継いでいた家系。
「……」
通常人には使えないそれがフルに機能することは大きい。そしてそれとは別に、葵は事前からもう一つの勝機をも見出してはいた。――憑依術の持つ一つの特徴は、異形の持つ力が術者の肉体の大きさに凝縮、集中させられる点。
身の丈を超える異形を憑依させた場合、振るえることになる力は通常の召喚術として比較して大きなものとなり、そのことは端的な長所。だが当然のことながら、異形と人間とでは元々抱えている力の総量が大きく異なっている。術者が無事でいようと思えば結果として要求されるのは通常の召喚術より遥かに難易度の高い異形と術式の制御。
――そのはずだ。
「――」
立ち回りながら葵はそのことを再確認する。……赤黒く隆起した肌は鬼神。混じる鱗と角は竜。見える特徴から葵はそう推定する。決して低位ではない霊格の異形二体。
「――鬼神に、竜ですか」
間隙に話し掛ける。
「大したものですね。貴方の齢で、それだけの異形を従えるとは」
「へえ、少しは褒めることもできるんですね。葵さん」
皮肉と知ってか知らずか、余裕の体を取る零が応じてくる。
「これは僕独自の発見でしてね。種族の異なる異形を同時に憑依させ、両者を拮抗状態に保つことで自身への負担を軽減することができる」
語る口調はどこまでも得意げに。
「慣れない内はバランスを取るのが難しいですが、修練の甲斐あって今はこの通りですよ」
そう自らの腕を広げて見せた。……竜と鬼、人とがギリギリのところで混ざり合い保たれている、紛れもない化け物の腕を。
「……」
零のその言葉通り、憑依させた異形は葵の眼からしても完全に統御されている。……暴走の兆候もない。そのことを認めていてもなお、葵には先ほどから消しきれない疑問があった。
憑依術は制御が非常に困難な術法だ。憑依させる異形の数と霊格が高くなればなるほどその難度は加速度的に増し、例え四賢者クラスの技能者であっても十全には扱い切れないものとなる。……鬼神一体だけでも相当に集中力を削られるはず。竜も含めて二体。それも、これだけの話す余裕を持ちながらなど。
できうることではない。先ほど語られた内容が事実だとしても、そもそも難易度が桁違いなのだ。如何に三千風零が才気ある召喚士であろうと齢の問題だけは如何ともし難い。余程以前から離反の意志を固めていたのだとしても、秋光の目を掻い潜って修練に費やせる時間はそう多くはなかったはず。
或いはそれほどまでの実力を隠していたのか? だがそれならば師である秋光が気付かなかったはずがない。零の力量自体は自分たちが知る頃から大きくは離れていないはずであり。
ならば――。
「――ッ!」
目の前を過ぎていく赤腕。その都度に、葵の情念が風を受ける湖畔のごとくにざわめく。
……そうだ。
憑依術を自らが手に入れた力として誇る零の姿には、恥じ入りも何も窺えない。知らないはずがないのだ。なぜ憑依術が協会から禁術として指定されているかについて、あの零が。
――式秋光の弟子であった、零が――。
「……」
沸き立とうとする怒りを心の水底に深く鎮める。……零の力量は葵が見立てたものからそう大きく離れてはいない。田中の力量は予想以上であり、その力を警戒するために零が狙えるのは精々が葵まで。後方の千景までをその凶爪の射程に収められてはいない。その事実があれば充分。
零を仕留める段取りは既に出来上がっている。そのことを胸中に、葵は戦場に身を躍らせる――。




