第十一節 船内にて 前編
「全く、どことなく落ち着かないねえ」
窓の外に流れていく海原を見ながら――四賢者筆頭、リア・ファレルは軽く溜め息を吐く。例え視線で捉えずとも、室内のその存在感は無視するには大き過ぎる。
「……」
「……」
部屋の対角。それぞれに佇むのは、聖戦の義と執行機関の切り札――『十三番目の使徒』、並びに『№0』。一方は分厚い布を被せられた車椅子姿、他方には中身の窺えぬ機械的な銀色の直方体が鎮座していると、共に異様な光景。情報自体は今回の事件が起こる以前より入手していたとはいえ、紙の上で見るのと実物を前にするのとでは些か以上に伝わってくるものが異なっていると言える。
「――それはお互い様だろう」
声を放つのは真正面のソファーに腰掛けている緋神。一見注視していないように見せかけて、その実注意が机の上に置かれた一冊の本に向けられていることはリアも、そして恐らく聖戦の義の面々も気付いていた。……正体を知るリアからしても無理からぬことだとは思えたが。
「そちらの連れは大丈夫なのですか?」
「ああ。多分ね」
対角線上のヨハネに返すのは気のない返事。――出立から早々、バーティンは船酔いしたとのことでキャビンの外に出て行っていた。
今頃は海に向かって盛大に吐瀉しているだろうその姿を思い浮かべると、リアとしても少しばかり頭が痛くなってくる。下手な構え方がないのはバーティンの長所と捉えている点だったが、余りに格好がつかないのでは組織の幹部としてはやはり問題。メンバーを選抜したリアまでも軽く見られかねない……。
「ヨハンが着いている。問題はない」
体調不良者への付添いという名目で、機関の№2であるヨハンもバーティンと共に室外へと出ていた。……監視が主な目的であることは言うまでもないとはいえ、この状況下では平時に懸念するようなリスクもない。本来の意味での付添いとして、寧ろ適役と言えただろう。
「まあ、バーティン殿はヨハン殿に任せておくとしまして」
話題を執り成すのはヨハンの前に座るフェイディアス。
「こうして出て来たわけですが……相手方の動きに着いて、リア殿はどう見ますかな」
「向こうにはあれだけの転移を扱える術式がある。恐らく、島にはもう着かれちまってるだろうね」
軽い試しを兼ねるようなその問い掛けに、予め用意していた答えを以てリアは返す。
「ただ、永久の魔のヤバさが伝承通りなら、封印解除はちょっとやそっとで終わる代物じゃない。幾ら腕の立つ連中が相手方にいたとしても、一時間か二時間は掛かる」
封印自体の詳細がない以上、元大賢者であるリアと雖も正確な難度を量ることは難しい。とはいえ封印対象の強さと封印自体の強度とは基本的には相関して比例する。協会に伝えられてきたあの宝玉が宿していた、力の大きさまでもを考えるなら。
「どんな最悪を想定しても理屈的、現実的に三十分。そこがあたしらのデッドラインさね」
「座標が正しければ島までは二十分で着く」
相槌を打つのは緋神。
「十分あれば――奴らを片付けるのには充分だ」
「あんたらが貸してくれたこの船のお蔭さ」
機関専用の高速艇。数十人の人間を無理なく詰み込める大きさでありながら飛ぶような速さで海を割っていくその内壁を、リアは骨ばった拳の裏でコツコツと叩く。その分多少揺れるのが問題ではあったが。
「無駄な力を使わずに目的地まで行ける……技術の進歩ってのも、早いもんだね」
「……そうですね」
それきり沈黙が続く。……話題が尽きたのだ。既に作戦内容は互いの間で共有しており、またそもそもが談笑するような間柄でもない。
――堅苦しいねい。
ソファーに背を預けつつリアは思う。この空気を息苦しさと捉えるようになってきたのは、果たして齢に伴う衰えのせいだろうか。
――あっちも上手くやってるといいんだが。
階下にいるはずの葵と支部長たちとを思い、リアは内心で小さく息を吐いた。
「……」
リアが懸念する中。千景もまた、心地よいとは言えない時間を過ごしていた。
「なんでい上守。緊張してんのか? 珍しく」
「……そうじゃない」
「船酔いには梅干しが効果的です。要り様なら――」
「違う」
――って言うか何持って来てんだと、千景は葵が懐から取り出した小さな甕のようなものを横目で見ながらに思う。……出して食べてるし。入れ物の年季の入り様を見るに市販品とは思えない。もしや自家製であったりするのだろうか。櫻御門家に代々伝わる、秘伝の梅干し製法……。
「……」
そんなことを考えかけた思考を取り消して、今一度意識を正面に向けた。田中に否と答えつつも、実際のところは確かに緊張と呼べるような気分が千景を襲っている。但しそれは、この先に待つ決戦という大舞台を控えてのものと言うには適切でなく。
「――気分を害してしまったようで、済みませんね」
目の前にいる人物から発される聞き慣れぬ声。……この場にいる他組織のメンバーの、纏う雰囲気への緊張感と言った方が良かった。
「こんなことを言うと上に怒られてしまうかもしれませんが、僕自身はそこまで貴方たちに敵意を持っているわけではないんです。役目柄仕方のないこともあると言うだけでしてね」
千景たちに声を掛けてきてのは人当たりの良さそうな、一見して好印象を与えるにこやかな青年。頬にある特徴的な傷跡。凶頼癒と名乗ったこの青年は聖戦の義に所属する救難守護聖人の一人。いわば聖戦の義において千景たちと同じような立場にある人物だ。
「ほら、今は仲間なんですから、玲華さんも少し愛想良くしないと」
「……話すことなんてないわ」
「またそんな連れない……」
取りつく島もないといった仲間の女性の様子に、向き直った頼癒は困ったような笑みを浮かべ。
「あー、無理しなくてようござんすよ。俺らもそんな、気にしてねえっすからね」
「そうですか? 済みませんね、どうも……」
田中の妙な言葉遣いに突っ込まずぺこりと頭を下げた。……できるな。そうではない。
千景も相手方の態度自体をどうにか思っているわけではなく、それでもそちらを気にするように動く視線を止めることができないでいる状態なのだ。――現行の救難守護聖人の中でも最強の呼び名が高い、《銀氷のアガタ》こと天城玲華。
支部長の間でも注意対象として名前の挙げられた、その本人が今正に目の前にいる。長い髪に隠れるように頬杖を突き、膝上に細身の西洋剣を乗せているその姿からは、ある種の物憂げな雰囲気が明瞭に漂ってきていた。
聖戦の義の救難守護聖人は千景の知る限り少なくとも六人がいたはずだったが、先の襲撃を経てこの場に姿を現しているのは頼癒と玲華の二人だけ。……心境は推して知るべし。田中の言うように無理をしてまで会話を試みる必要はないだろう。どの道島ではお互い、別々の相手を狙い合うことになるのだ。
「……あ! 日焼け止め塗ってくるの忘れちゃいました!」
「そうですか」
とはいえ確たる敵意も殺意も向けられていない以上、その二人に対しては軽い緊張感を覚える程度。今千景が、どことなく居心地の悪い空気を感じている最大の要因は。
「ネイちゃん、持ってないですか?」
「ありません」
「そんなぁ。どうしましょうか」
「……」
決戦前とは思えぬ言葉を平然と交わしている、この二人だ。共に執行機関のナンバーズ。幹部部屋でなく此方側にいることからして、番号的には低いのだろうが……。
「……そこの二人」
「ほえ?」
「なんでしょう」
千景の声に応えて此方を向く二名。自分のしようとしていることに僅かに躊躇いを覚えながらも、勝る疑問の方が最終的に千景を動かした。
「一応これから大規模な討伐があるわけなんだが、緊張感とか、気負いだとか、何かそういうのはないのか?」
おかしなことを訊いているとは思う。聞いた話では、襲撃により執行機関もそれなりの被害を受けていたはず。上位陣と他の場所にいたメンバーは無事だったものの、本部に駐在していた執行者らと一名のナンバーズが死亡。……被害の悲惨さとしては聖戦の義に近く、故にもっと重い空気が漂っていていいはずなのだが。
「うーん……そう言われましても」
問われた少女は、少し困ったように。
「いつも通りの事をするだけですし。緊張とか、そういうのはないですよ?」
「いつも通り?」
「はい」
聞き間違いではない。そのことを自覚しているからこそ、千景は続く疑問が口に出ることを止められなかった。
「……執行者ってのは、いつも世界を滅ぼそうとするような巨悪と戦ってるってことか?」
「まさかぁ。そんなわけないじゃないですか、映画じゃないんですし」
軽口を叩いたあとで、少女の雰囲気が僅かに変わる。
「――法を犯した犯罪者を裁くだけですよ。だから、いつもと同じです」
その口調は自らが考えた文句と言うよりも、刻み付けられた不文律を読み上げているようで。
「……そっちはどうなんだ」
「私も特別な感情はありません」
ショートの少女の声は更に無機質で、平坦。やはりあくまで当たり前の事を口にしているといった印象。
「罪は裁かれなければならない……私たちナンバーズは、その法を守る為にこそいます」
「……そうか」
呟いて千景はそれ以上の会話を打ち切る。……この二人の言っていることはある意味では至極真っ当。千景自身も力の乱用ということに否定的な見方を取る一人であり、その点については寧ろ賛同できるほどでもある。
――しかしその言葉と表情の裏に、文字通り他に何の動機もないことが千景をして震撼させるに至る。……罪を裁く。この二人の動機とは、ただ本当にそれだけなのだ。
「それに友佳里、女子高生ですし。お仕事も大事ですけど、自分の生活だって大事です」
「友佳里さんは少し私的な事情を気にし過ぎな気がします」
「ええ~⁉ そんなことないですよ! 友佳里、お仕事はちゃんとしてますもん!」
二人の会話を千景はどこか言われ得ない感情を以て眺める。ナンバーズの役割を考えたならば、その仕事の内容は主に特殊技能犯罪者の処分。悪人と断じるとはいえ、日常的に人を殺しておいて一般生活に片足を突っ込んだままでいるとは。
「――いやはや、そこまで平常心を保てていると最早羨ましい限りですね」
射し込まれた頼癒の発言に思考が中断される。二人の様子をどう見たのか、青年は相変わらず本音の読めない表情で愛想のいい笑みを浮かべているだけだ。
「凶」
「はい。分かっていますよ」
玲華の声に答えるその表情。注意していた訳では無かったが、瞳の奥に一瞬過った何かを千景の目端は鋭く捉える。表向きは柔らかとは言え、この男も確実に何かを背負っている。自分たちも、また――。
「……」
気付けば葵の表情が重さを増していることを見て取って。千景もまた、空気に従うよう口を閉じた。どのみちこの時間も長くは続かない。決戦の場に着くまでの間だと、そう言い聞かせて。




