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第十節 出立

 

「じゃあ、行って来る」

「――頑張ってね。千景」


 不思議なほど変わりない治癒室の風景。いつも通りに見舞いを終え、扉に手を掛けた千景の背に、ベッドから声が掛かる。


「死んだら承知しないわよ」

「そっちこそ。私が戻るころには元気になってろよ、立慧」


 軽く交わす笑み。上げられた片手に答えるようにして、千景は背中越しに手を上げた。






「……」


 ――墓地。葵はその墓の前にいる。目の前にあるのは今日まで絶やさず備え続けてきた、白百合の花束。


「……行って参ります」


 黙祷。亡き人への思いを捧げ、眼を開き。


 決然として。葵はその一歩を踏み出した。







「……」

「……そろそろですね」

「……ああ」


 フィアが言う。考えるようにして座っている、俺の横で。


 今日、『アポカリプスの眼』との戦いに小父さんたちが立つのだ。……リゲルとジェインは既に見送りに向かった。フィアも焼き過ぎたという名目でクッキーを渡し――。


「……」


 小父さんからあの日聞かされた話に対し、俺の中ではまだ整理ができていない。様々な感情や思いが、心の中で渦巻いている。――それら全てを。


「……行こう」

「はい」


 飲み込んで。俺は立ち上がった。






「――留守は任せたよ」

「ああ。心配は無用だ」

「御武運を。ファレル様」


 ゲート前。着いた時には既に、別れの挨拶が交わされているところだった。法陣の上に乗るリアさんの前に立つ、郭とレイガス……。


「じゃあなリゲルくん。体調には気を付けるんだぞ?」

「分かってるって。親父もな」

「……では、ジェイン」

「……はい。神父」


 レイルさんとリゲル、エアリーさんとジェインもまたそれぞれに。自分たちなりの別れを告げている。そして――。


「――小父さん!」


 その人たちより少し遠くに見えた後ろ姿。既に法陣に踏み入ろうとしていた、その背中に声を掛ける。……止められた歩み。


「……黄泉示」

「俺は――」


 振り返ったその表情へ。頭の中に様々な言葉が散らばっている。胸を突く思いで纏まらない――。


「――東さん」


 その中で選び取る。……小父さんたちが挑むのは、帰れるかどうか分からない戦い。


 ――ならば。


「――あの日俺を助けてくれて、ありがとう」


 伝えるべきなのは、その思いだ。口にした言葉には暫しの静寂。他で話されているはずの声も耳に入らない……。


「……先に言われちまうとはな」


 静かな相対。小父さんがいつの間にか、寂しげに笑って俺を見つめていた。


「俺の方こそお前がいてくれて感謝してる。だから――」


 目を閉じて。迷いを断ち切る数瞬ののち、立てられた親指。


「任せて待っとけ、黄泉示」

「――お願いします」


 再び歩みゲートの中へと消える。……その足跡に、全てを託した。









「――」

「流石ね、バロン」


 セイレスの声に、冥希は眼下を見遣る。わずか数分前まではなだらかな丘陵であったはずの大地……。


 そこが今、大小様々な岩塊により侵入者を阻む過酷な地形へと変貌している。【岩の支配者】、支配級の適性を持つ同志、バロン・ゲーデに依る芸当。


「鬼たちの配備ももうすぐ完了します。足りなくなったところは端から埋めていきますから、物量で不足することはないでしょう」


 そう口にするのは三千風零。手管は本山強襲時と同じ。鬼門をこの島の裏側に設置し、そこから無尽蔵とも言える数の鬼たちを現出させている。力の支配によって従わされた鬼は零の意向に背くことなく、淡々と地形の中に潜み、立ち、大地を覆い尽くしていく。


「数は充分だけど、彼らじゃ幹部クラスは厳しいんじゃないかな?」

「ええ。元より彼らはただの肉壁です。多少動きを遅らせ、時間を稼げればそれでいい」


 同志の疑問に答え、零は振り返る。


「幹部を直接止めるには、文さんの喚び出すアレがいますしね」

「ま、そうだね」


 涼しげな顔で言う女性。零といえども内心では驚きがあった。現に見せられているとはいえ、まさかあんなものを完全な形で使役するとは。


「あとで鬼神を陣地の前面、黒龍を上空に配置します。それだけいれば当座の守りとして悪くないと思いますよ」

「そこに私の幻術と魔術が加わるのだから、果たしてここに辿り着けるかが疑問というところね」

「――油断はするな」


 バロンの声にセイレスは分かっているわというように肩を竦めて見せる。……彼女の力により、今この地形には無数の魔術罠(マジックトラップ)が仕掛けられている。加えて脅威となるのはその存在を認識しただけで内に貶められる幻惑――【存在幻術】。今セイレスたちがいる場所からは眼下が良く見渡せており、相手方からしてもそれは同様。この領域に踏み込んだその瞬間、彼らは幻術に囚われることになるだろう。


「……」


 その力を重々に理解しながらも、バロンは一切の気を緩める気配がない。その点に於いては冥希とて同様だった。【存在幻術】は確かに一夕の技能者にしては強力な技法。とはいえ既に機関で一度手の内を明かしてしまっている以上、対策は整えられていると考える方が無難である。セイレスもそのことは分かっているはずだが。


 此処に至っての虚静とは思えない態度を見るに、余程の事自身の技量について自信があるらしい。……つけられた、と言った方が正しいか。単独での機関本部強襲の成功。冥希としては無論の事、その急造の自信を全く当てになどはしていなかったが。


「陣地の維持に力を注ぐ間、私は大きな身動きが取れない」


 告げるバロン。地形を構築しただけでは役目の半分にも程遠い。自らの能力をフルに使い、バロンは操る岩で以て立ち入る者の動きを押し潰し、串刺しにする。敵の位置と動向の把握、岩塊の操作に意識を集中しなければならない為、その間別の動きをすることは難しいのが欠点ではあるが……。


「乗り越えて来る者の迎撃は――任せたぞ」

「……」

「任せておけ」


 無言の冥希と共に応じるのはアデル・イヴァン・クロムウェル。特例使徒時代に鍛え上げられた力と技から、冥希と並び白兵戦にて本領を発揮するメンバー。妨害を突破してくる人間の迎撃、厄介と思えた戦力への個別的対応と遊撃が主な仕事になる。二人とも身体能力は並み外れて高く、敵味方が入り乱れるこの複雑な地形でも移動に苦労することは少ないだろう。二人の魔力をバロンは予め記憶してあるので陣地が不利に働くこともない。


「ヴェイグの事が終わるまでここを守り切っていれば詰みだ。これほど分かり易い勝利条件も中々あるまい」

「……確かにな」


 その言葉に冥希も応じる。――ヴェイグは既に封印の解除に着手している。最奥部までに数多の罠が仕掛けられているらしい洞窟。掛かる時間の見込みは前以て言い渡されているが、果たしてその通りに終わるかは定かではない。……気の抜けない戦いになる。


「……」


 そのことを感じて冥希は晴れ渡る海原に目を走らせる。来るべき相対のときを、見据えるように。



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