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第五.五節 支部長たちの思い

 

「よう。立慧」


 ――夜。今日二度目となる治癒室への来訪。扉を開けた田中は、目当てのその人物に声を掛ける。


「……また来たのあんた」


 ベットの上に座っている范立慧。読んでいた本を閉じ、鬱陶しそうな目を正面の壁へと向けた。


「暇だったからな。なんだ? 来ちゃ悪かったか」

「ええ。悪かったわね」

「……お前さん、そう言うの割と誤解されがちだから止めた方が良いぞ。マジで」

「あんたに言われたくないわよ」


 普段のような遣り取りを終えて微かに息を吐く。その所作を見咎めたのか。


「どうだ調子は?」

「……悪くないわ」


 訊いた田中にそりゃあね、と。当たり前だと言うように立慧は返す。


「これだけ手厚い治療を受けてればね。ま、あと何週間かすれば治るでしょ」

「そいつぁ良かった」

「はいはいありがと」


 田中の気遣いを気のない返答で受け止めて。暫し目を逸らしていた立慧が、その姿勢のままポツリと言った。


「……『アポカリプスの眼』との戦い」


 口にされたのは最大の焦点となるその問題。田中が、敢えて一人で立慧の治癒室を訪れた事由。


「あんたも参加するんでしょ? 田中」

「……まあな」


 誤魔化したところで意味はない。力量の一端を披露してしまった以上、これまでのように取り繕うことはできないのだ。


「正直言って、俺はそこまでやる気がでねえんだけどよ。リアの婆さんに言われちまっちゃあお手上げだわな」

「……」


 なるべく明るめに言ってみせる。それでも立慧の表情は晴れない。どんな言葉をぶつけられるのかと内心にて田中が覚悟していたとき――。


「……悪かったわね」


 唇から零れたのは、意外な謝罪の言葉。


「助けてもらったくせに、こんな態度で」


〝――あのとき田中が来てくれなかったら、私たちは全員殺られてた〟


 いつになくしおらしい立慧の態度。田中の脳裏に、先日千景に言われた台詞が蘇る。


〝同じ支部長として礼を言わせてくれ。――ありがとう。田中〟


「私、あんたはずっと怠けてるんだと思ってた。折角支部長に選ばれてるのに、勿体ないって」


 訥々と語られていく。立慧の心情。あれほど腹立たし気に、しかし途切れることなく田中に関わり続けたわけ。


「だから苛々して、強く当たって……」

「仕方ねえよ。そいつはな」


 だから田中も、自らの事情を話す。


「なにせ俺は武人だからな。婆さんとの約束で、普段はばれないように気を使ってた。ばれちまってたら逆に事だ」

「……まあ、そうよね」

「俺が書類やら何やら仕事をほっぽり出してたってのは事実だしよ。お前さんが怒ってたのも、別段的外れでもねえってわけだ」

「そうね」


 二度目の返事は早く。田中の指摘を受けた立慧は気を取り直したように。


「――あんたが武人だなんて、全然思っても見なかったわ。全く、すっかり騙されたわよ」

「ま、亀の甲より年の功って奴だな」


 僅かに柔らかくなった台詞。――長居は無用。そう考えて踵を返し――。


「じゃ、またな立慧。――お、よく見りゃ、花まで飾ってあんじゃねえか」


 来たときには見過ごした、入り口近くに置かれている花瓶を田中は目に留める。……以前来たときには無かったと思しきそれ。


 珍しい花だった。白い五枚の花弁を付けた花の下から、紫色をした更に大きな花弁が星形に広がっているのだ。見舞いの花にしてはやや陰気な気もするが、綺麗は綺麗。恐らくは上守が置いたのだろうと、そう推測して向けた言葉――。


「――ミーナさんが持ってきたのよ。それ」


 返された立慧の台詞に、思わず浮かべかけていた笑みを止める羽目になる。口にされるとは思っていなかったその名前。


「……カダムが? そりゃなんでまた」

「当てつけでしょ」


 思った以上に硬い声音で立慧はそう断言する。


「〝早いうちに身の程を知った方が良い〟って、そう言われたわ」

「……」


 ――第三支部支部長、ミーナ・カダム。


 現行の支部長の中では間違いなく上位と言って良い実力を持っている魔術師。才気の有無は比べるべくもないとはいえ、重ねた経験の差から郭や三千風などの賢者見習いでさえ実戦となれば現段階では後れを取るのではと言われているほどの実力者。


 その立場は与えられた職務の遂行を第一と考える実務派であり、修養派、即ち自らの力を高めることに重きを置いて研鑽に励む立慧のような支部長とは折り合いが悪かった。……田中としても、とある事情から余り顔を合わせたくはない相手の一人。


「――ま、気にすんな」


 自らが招いてしまった気まずい空気。妙手妙案もなく、茶を濁すように田中は無難な言葉を並べ立てに掛かる。


「今までだって散々言われてきたろ? んなことは。気にする方が寧ろ相手の思う壺だぜ」

「分かってるわよ、そのくらい」


 思いの外あっさりとした返事。その姿を見止めて、じゃあな、と田中が出て行こうとしたとき。


「――ねえ」


 不意に。恐れていた声色で、田中の背に声が掛かる。……止められた足。


「あんたなら、あのとき――」


 振り返る。……田中の目に映った立慧は。


「……何でもない」


 これまでにないような弱気な表情をしていて。それが直ぐに引っ込められたという、そのことに深く安堵する。


「疲れてるんじゃねえのか。休めよちゃんと」

「そうさせてもらうわ」


 つっけんどんな台詞。出て行けと言う合図を受けて、今度こそ田中は治癒室を出た。





「……」


 閉められた扉越し。田中の足音が聞こえなくなるまで遠ざかるのを、入念に確認して。


「――ッ!」


 布団を撥ね退けて立ち上がった立慧。素足のまま床を蹴るように歩くと、花瓶から抜いた花をゴミ箱へと投げ捨てる。力任せに掴んだ花弁が千切れるのも構わず、花瓶をそのまま払い落とそうとし――。


「……ッ」


 辛うじて。寸前でその手を止めた。


「……ちくしょう……ッ‼」






「……」


 壁越しに届く嗚咽。足早に遠ざかってなおそれが聞こえてしまう自身の感覚の鋭さを今だけは恨みつつ、田中は静かに思いを馳せる。……立慧について。


 ――支部長はエリート。確かにそれはそうだ。


 総勢数千人を押し退けてその座に就いている十五人。優れていないはずがない。力も才能もその点から見れば充分過ぎるほど。


 だがそれはあくまで視点を絞ればの話だと言うことに気付くのは、当人にとってそう遠い話ではない。上を見た場合、支部長がいる位置は決して高い位置とは言えないからだ。


 実質的な実力は大抵の場合賢者見習いの方が上であり、特別補佐官、四賢者、大賢者と、上には更に上がいる。加えて……。


「……」


 圧し掛かって来るのが年齢の問題だ。次代の賢者候補として抜擢されるのは概ね二十台までの術師。四賢者に自らの弟子として見初められるのなら更に早い。つまり将来的に四賢者になれると見込まれた者は、遅くとも三十にならない内にその立場を変えることになる。


 勿論叩き上げでなる人間もいないわけではない。現四賢者のレイガスなどはその好例であり、魔術師としては遅咲きだったが、弛まぬ努力と執念で今の位置を掴み取った人物として知られている。……可能性はある。


 ――ただ、例外はいつだって少数であることも事実なのだ。


「……」


 立慧の齢は今年で丁度三十一。支部長として、その望みが消えたすぐ後ろに立っている。……直ぐに諦め切れるわけでもなく、今までの様に朧気な希望が持てるわけでもない。どこまでも辛く続く、狭間の時間。


 そこにあっていきなり今回の騒動に直面した。凶王と対峙し、引退したはずの『救世の英雄』が突如協会に押し掛け、かの蔭水冥希を前にして全力で敗れ去った直後、それを同じ立場であるはずの支部長が渡り合った挙句に退かせた。


 本来なら人生に一つでもあれば大事なものを一度に四度も味わわされたのだ。――悔しくない、はずがない。


 とうの昔に諦めた人間と違って。……あいつにはまだ、夢と呼べるものがあるのだから。










「……支部くんだりまでなんの用だ」


 オーク材の椅子に腰かけた千景はその人物を見る。既にある程度の予想は付いている。だがその先に待っている面倒を考えると、そう簡単には認めたくはないのが人情というものだった。


「次の『アポカリプスの眼』との戦いに、貴女の力を貸して欲しいのです。上守支部長」

「その話なら断っただろ」


 そんな淡い期待をあっさりと裏切って――これ以上なく明確に投げ掛けられた内容。櫻御門葵に千景はすっぱりと否を入れる。協会における立場は葵が上とはいえ、ここは千景の統括する支部の内。支部長として預かったその座に収まっている以上、状況的な優位は千景の側にあると言えた。


「今回の戦いに私じゃ足手纏いだ。支部の仕事もあるし、行く気はない」

「第七支部補佐への許可は取り付けてあります」


 ――いつの間に。


「リア様からも許可は頂きました。あとは、貴女が加わってくれるだけです」

「……」


 千景は頭を抱えたくなる。自分を補佐するはずの補佐があっさりと葵に言いくるめられていることと、上が余りにもこの補佐官の行動に無頓着であることに対してだ。


「……どうして私なんだ」


 のっけから撥ね退けるという選択肢は諦めて。千景は当然と思えるところから疑問を呈す。


「追加の戦力が欲しいならハディムとか、ミーナとか、他にもっと適任なのがいるだろ」


 ――そう。


 端から参戦が決まっているだろう幹部の面々を除き、既に田中と葵がメンバーに選抜されているという話は千景も聞いた。それはいい。田中の実力は先日の一件で分かっている。葵にしてみてもその立場は特別補佐。最上級魔導師の一人であり、実力的には準幹部クラスと言って間違いない。


 だが自分は支部長だ。その中でも実力は決して高いとは言えず、信条の為に使える術法も限定されている。今回の襲撃における蔭水冥希との一戦を踏まえるならば、声は掛けられないというのが当然の対応であるはずだったのだ。


「……戦闘が予定通りいけば」


 やや逡巡を交えながら、葵は語る。


「私と田中支部長は、三千風零を相手取ることになります」

「……ま、だろうな」


 そのことは千景としても予想内。葵がなぜ今回の戦いに志願したのかを考えてみれば、直ぐにでも分かることだと思われた。


「彼の実力は聞きました。武人とはいえ、かの蔭水冥希を相手取ったとなれば心強い味方であることは確かです。しかし……」


 葵の眼が、込められた力で正面から射抜くように千景を見る。


「念には念。三千風零を討ち取る為に、私としては万全を期したいと思っています」


 なぜ他の面々ではなく、千景に声を掛けたのか。


「戦闘における支援役として、貴女の力は他の支部長の追随を許しません。単独の相手についてなら攻め手は多過ぎても纏まりが悪くなるだけ。守りと回復、補助を得意とする貴女が加わってくれたなら、私にとってそれほど頼もしいことはありません」


 力量そのものの大きさではなくして、パーティの短所を補うための仲間選び。


「どうか、力を貸しては貰えないでしょうか」

「……」


 葵の言葉に千景は暫し押し黙る。吟味し、思考したのち。


「……自分の恨みを晴らすために、私に命を張れってのか?」


 未だ解消には及ばなかった、その疑念を突き付けた。


「あんたも補佐官なら、私の信条くらい知ってるだろ」

「……はい」


 傷付けず傷付けさせない。それは千景にとっての金言。決して曲げることのできない信念であり、生き方そのものだと言っても良い。


「それは敵だとしても例外じゃない。お前の目的があくまで、式の爺さんを殺した三千風零を殺すことなら」


 言葉の途中に確かめた反応。否定する素振りを見せないという、そのことだけで充分だった。


「――帰ってくれ。あいつらの面倒を見ていた間に、大分仕事が溜まって来てるんでな」


 視線でドアの方を指し示し、そのまま一瞥もくれることなく机に目線を落とす。……後はもう聞き流すだけだ。何を言われようとも応じない。そんな千景の内心を知ってか知らずか。


「……」


 再三の否を渡された葵は動かない。思い詰めるような目付きでその場に踏み止まり。


「――私は、今回の戦いで死ぬ気です」


 寸鉄の如き一言に、書類を追う千景の目線が止まる。


「正確に言うならば、死ぬ気で零を殺すつもりです。例え刺し違えてでも」

「……」


 千景の視線が上がる。こちらを見る葵の瞳を、正面から見定めた。


「……なんでそこまでする?」


 一瞬、自分が言わなければならないのかとも思う。


「お前が秋光様に入れ込んでたことは知ってる。だが、自分の立場も考えたらどうだ? お前がいなくなれば、後の協会が――」

「……三千風零は、秋光様を殺しただけではありません」


 それまでは淡々とした話し振りを崩さなかった――葵の表情が歯噛みするように変えられる。床を見つめ、辛酸を舐めるように。


「零は、禁術である憑依術に手を染めていました」

「……なに?」

「彼は秋光様の生き様さえもを裏切り嘲ったのです。本山を血で染め上げ、親しかった協会員たちも、皆」

「……」


 憑依術の使用。それが式秋光という人物に対して何を意味するかについて、知らない千景ではない。


「……貴女がいてくれれば、私たちの生存率は上がります」


 沈黙を受けて、葵が千景へと視線を戻す。


「私は彼にけじめをつけさせなくてはなりません。……私をとは言いません。せめて田中支部長を守る為に、どうか」

「……」


 三度頭を下げた。最早梃子でも動かないだろう、その姿を前にして。


 千景は今一度大きく、息を吐いた。



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