第三節 英雄たち
「――こちらへ」
物腰丁寧な信徒の案内により通された一室。開けられた扉から中へ入り、窓際に佇む小柄な影に一礼しつつ、エアリーは声を掛ける。
「お久し振りです、ヨハネ様」
「……ええ」
振り返る影は聖戦の義第二使徒、黙示のヨハネ。皺一つない滑らかな肌。酷く落ち着き払い超然とした、全てを見透かしているかのような両の瞳……小柄な容姿と相俟って、見る者によっては十代の娘とも、幾星霜もの年月を経てきた媼のようにも思えてくる。記憶の中のその容姿と一切の変わりがないことを見て取りつつ、エアリーが気を引き締めた。
「本名で結構です。貴女はもう、聖戦の儀の信徒ではないのですから」
「――分かりました。アイリス様」
「……」
無言で見詰められる。何とも言い難い合間のあと。
「久しく振りですね。エアリー・バーネット」
名前を呼ばれた。そのことにエアリーは内心で安堵の息を吐く。……現役時にも見えたのは数えるほど。《怒りの使徒》として数多の異端を相手取って来たエアリーでさえも、この独特の間の取り方だけは容易に慣れることがなかった。
「此処を出て何年になりましたか?」
「十年です」
「あれからもう、十年ですか……」
当たり障りのない遣り取り。その裏に如何なる意図が秘められているのか、それとも本当にただの世間話なのかは、エアリーには分からなかった。
「……アイリス様。申し出の件なのですが――」
「――構いません」
「え?」
不意。余りに迅速な返答に、一瞬エアリーの方が訊き返す。
「聖宝具の一時貸出し、並びに一信徒の身柄の引き渡し」
アイリスの雰囲気は変わらない。先にあの信徒を通じて伝えられた内容が、淡々と並び立てられていく。
「どちらも結構です。他に条件は?」
「……ありません」
「そうですか」
返答を受け、エアリーから扉近くに控えていた信徒に視線を移した。
「あれを」
「はい」
合図を受けて出て行った信徒。数秒もしないうちに、その手に布に包まれた何かを持って戻ってくる。
――聖宝具、『セルジオの戦棍』。
間違いない。手に取らずとも、一目見てエアリーにはそのことが分かった。使徒時代に幾度となく共に死線を切り抜けてきた愛用の得物。他者の手により磨き上げられ、修復されていようとも、自分がそれを見間違えることなどない。
「……随分と迅速な対応ですね」
信徒から受け取った得物の手触り。懐かしい重さを掌に覚えつつ、言う。
「此度の戦いは、世界の命運を分ける戦い――」
その眼はどこか、エアリーではない遠くを見ているようだ。
「その為には例え、聖宝具と信徒一人と雖も惜しんではいられないという、教皇様のご判断でしょう」
アイリスの面が、エアリーへと向き直る。
「貴女はこれから、魔術協会の方へ向かいなさい」
静かに言い渡された内容に、またもエアリーの方が動揺する。
「宜しいのですか?」
「既に組織間で話は付いています。あちらに貴方の孤児院の子どもがいることも確認済みです」
「――了解致しました」
お心遣い痛み入ります、とエアリーは深く頭を下げる。顔を上げた時には既に、アイリスは窓の方を向いていた。
「――では。時が来れば、また」
「――それにしても、お元気そうで安心しました」
閉まるなりオートロックの掛けられた灰色の扉。四方を取り囲む白い壁に、一切の窓のない室内。
その場所でにこやかに向かい合っている二人。ソファーに腰掛けたレイルが差し出されたカップから一口を含むと、濃いめのコーヒーの濃厚な香りが咥内から鼻孔までをくすぐり通り抜けて行った。
「変わらず壮健なようで。何よりのことです、ガウス殿」
正面に腰掛け、レイルに話しかけているのは――老人。白くなった髪と端々まで糊の効いたスーツ姿。伸びた首と背筋とが、齢不相応なほどの活気を感じさせている。
「寄る年波には勝てませんよ。貴方のようにはとてもいかない」
社交辞令を受けて慎ましやかに首を振るレイル。やや伏せていた眼を上目遣いに遣り。
「それで、そちらの方は?」
老人の隣に座っている、もう一人を指し示した。
「付添いですよ。むさ苦しい男二人同士の会話より、花が出るかと思いまして」
「――初めまして」
電灯を反射して艶めく、老人と同じスーツ姿に、肩まで掛かるブロンドヘアー。それを僅かに揺らして女性はレイルに笑みを浮かべる。口調、仕草共に、気品溢れる居住まいだ。
「エリナと申します。本日はどうぞ、宜しくお願いしますね」
「これはどうもご丁寧に。ガウスです、宜しく」
レイルもまた微笑みを返す。双方礼儀作法に則った、実に和やかな語り合いと。
彼らの素性を知らぬ者からすれば。……いや。知っている者からしてもそう見えたのかもしれない。そう思えてしまうだろう穏やかな空気が、今の三者の間には広がっていた。
「まさかこのような美しい女性が出入りするようになるとは。引退して暫く離れていたが、機関も変わるものだね」
「お上手ですね、Mr.ガウス」
「いやいや。本当に驚いていますよ」
口元に手を遣る女性に対し微笑んだあと。顎元に指を当てて、レイルは嗤うように目を細めた。
「――№2と№3のお出迎え。どうやら私は余程の事、嫌われているらしい」
たった一つの台詞。ただそれだけで、場の空気が似つかぬものへと変わる。時間ごと氷漬けにしたかのような静寂。
「誤解ですよ。レイル殿」
然程間を置かず言い放った老人、ヨハン・カフェニコフ。冷えた空気の中で違わず湛えられている笑みも、彼を機関の№2と知って見ていればどこか不気味なものと映る。
「かの『救世の英雄』ほどのお相手をするのには、此方も相応の面子でなければ務まらないというだけのことです。生半可な者では萎縮してしまいますからな」
「そうですよ」
品格ある女性。機関の№3、フローレンス・ファリア・エリナもまた、穏やかな笑みでレイルに応えた。
「私たちがお相手することなど、普通ではまずあり得ないことなのですから。今は、その幸運を楽しんだ方が宜しいのではないでしょうか」
「なるほど、そうかもしれないな」
「まあまあ二人とも。話し合いに来たのですから。今回の用件についてですが――」
手で互いの動きを制しながらも、ヨハンが話を進めようとした。
「――」
その瞬間。レイルの背後から立てられたその音に。三者全員の視線が集中する。……開閉音。
「……あの、救世の英雄ってもう――」
無骨な扉の隙間からおずおずと顔を出したのは、高校生くらいかと思えるような少女。言い掛けたあどけなさの残るその唇が、レイル肩越しに自分を見るレイルを見て止まり。
「わわっ⁉」
盛大に尻餅を突いた。
「御堂さ――」
「す、済みません! 友佳里、どうしても『救世の英雄』が見てみたくって――」
「――大丈夫かな、お嬢さん」
ヨハンの声掛けを遮って。言い出した少女にレイルが手を差し出す。少女の転び出しからごく自然な所作で以て、尻餅を突いたその傍へと歩み寄っていた動き。
「座り込んだままでは汚れてしまう。立てるかな?」
「あ、ありが――」
差し出された手を見つめ、僅かの躊躇いを含みながらも少女が手を取ろうとしたとき。
「――御堂さん」
名を呼ぶ柔らかな声に、掌の進みが止められた。
「一人で立てますね?」
「は、はい」
慌てたように少女は立ち上がる。差し出されたレイルの手を借りずに。
「では行って下さい。事が終わるまで、寄り付いてはいけませんよ?」
「――すみませんでした!」
ぺこりと一礼して――少女が扉を閉める。あとに残された静寂。
「変わりませんな、レイル殿」
やれやれと言った体でヨハンが溜め息を吐く。
「随分と大袈裟な反応をするね。ただ単に、手をとるだけの事だというのに」
「……余り白を切らない方が良いのではないでしょうか?」
薄く浮かべた笑みで語るのはフローレンス。――№3を務める才媛からの、意図を見抜いているという明らかなその示し。
「あの娘はあの若さにしてナンバーズでしてな。そうおいそれと、情報を持ち帰られては困りますので」
「なに」
プロファイリング。重ねてヨハンからも指摘されたレイルはソファーに戻り、大仰に手を広げて見せた。
「ただの遊びさ。ブランクのある私に後れを取るほど、機関も腑抜けてはいないだろう?」
「なるほど。それもそうですな」
鷹揚に頷くヨハン。懐から煙草を取り出そうとしたレイルの所作は、禁煙ですよ? とのフローレンスの一言に止められる。
「――さて」
どうぞ、とフローレンスから差し出され――煙草の代わりにチュッパチャップスを咥えた、レイルが風格を湛えた面持ちで言った。
「話を戻そうか。そちらからの要請は三大組織合同の戦線に参加しろ――こういう言うことだったね」
舌の上に転がるのは濃厚なキャラメル味。どうせならハッカか何かの方が良かったと思いながらも、レイルはその肉食獣のような微笑みを崩さない。
「私のような嫌われ者にまで助けを求めて来るとは、今回の機関は、随分と切羽詰まっていると見える」
「――貴方ももう、用意はできているのではないですかな?」
切り込んで来るのはヨハン。
「要請が来る以前。協会を後にしてから既に手近な問題を片付け始めている。私には、大事を前にしての身辺整理と見えましたが」
「流石は№2.要注意人物の調べはきちんとしているというわけだ」
発言を否定せず、無言で人の好さそうな笑みを浮かべるヨハン。自分よりこの老人の方が余程強かだなと、レイルは内心で苦笑しながら思う。
「――私からの要求は一つ」
元よりレイルとしてもこれ以上話を引き延ばすつもりはなかった。小さくなった飴を噛み割り、広がる甘さに辟易しながらも告げる。
「引退時に返還した執行者モデルを、今この場で貸し出して貰いたい。戦闘参加後には返せる状態なら返却しよう」
「まあ、妥当なところですな」
「では、こちらの書類にサインを」
フローレンスから差し出された一枚の用紙。内容を一読してレイルは自らの名を書き記していく。〝契約の履行が為されなかった場合、機関における執行対象となる〟という文言を気にも留めていないように、軽やかに書き終えた。
「――これで」
「……確かに」
署名を確認し、ヨハンが無線機でどこかしらに連絡をする。レイルが内心で秒数を数えることきっかり二分後。扉が開いたかと思うと、靴音を響かせて入って来たのは銀色のケースを持った職員。それをテーブルに置き、速やかに去っていった。
「――弾は通常弾が二百発」
ヨハンの声を耳に、レイルは開かれたケースの中身を確認する。
「特殊弾薬の内訳は見ての通りです。期日の前日まででしたら、本部へ連絡していただければ補充可能なようにしておきましょう」
「……至れり尽くせりだね」
徹甲、閃光、音響、炸裂、対術……。レイルが執行者時代に扱っていた一通りの弾丸は揃っている。数も充分。試射には数発あれば感覚が取り戻せるだろう。
「貴重な戦力ですから。本領を発揮できないようであれば、わざわざ声を掛けた甲斐がないと言うものでしょう」
「それもそうだ」
手にした感触。砥がれた刃のチェックを終え――レイルはケースの蓋を閉める。グリップを握り無造作に身体の左側に下げるが、隙間なく詰められた中身から物が動くような音は立てられない。
「問題はないようだ。では、これは預かっていくよ」
「どちらに?」
「白々しい質問をする」
軽く笑い。
「――勿論、息子のところへだ」
そう言って。開く自動扉から出て行った。背が閉じられる壁の向こうに見えなくなったあと。
「……怖い方ですね~」
「そう思いますか?」
「はい」
「……その直感は大事にすることです」
迷いないフローレンスの頷きに、ヨハンは言う。
「――さあ、私たちも用意を進めましょう」




