第二.五節 彼我の応対
「……」
レイガスは一人、その光景の内に佇んでいる。
本山の敷地内にある一角。他とは違う陰気な空気。樹木を植え、清掃を行き届かせ、環境を整えてなお払い切れないだけの雰囲気が、その場所が普段の生より離れた場所であることを暗示していた。
――墓地。一言で表すならそうなる。過去には墓荒らしという職業もあったそうだが、現代でもこと特殊技能社会において言うなら、それはただの過ぎ去った歴史的遺物ではない。
死霊術師、呪具師、その他諸々の系統に属する禁術師たち……彼らにとって人の死体、それも優秀な魔術師のそれは時として唯ならない魔術的価値を持つ。道徳や倫理など持ち合わすところなく自らの術の発展に注力する彼らなら、その為に墓を暴く程度のことはおよそ厭う道理さえもないだろう。
そうした事態を未然の内に防ぐため、魔術協会に属する魔術師たちの中でも特に力のある者たちは死後、特別な事情がない限りは本山のこの墓地に埋葬される。現在に至るまでこの場所に葬られた魔術師の数は百五十名余り。その最も手前に、真新しい墓石が一つ、彫られし名と共に建てられていた。
「……」
死後の冥福など祈りはしない。魔術師であるレイガスは魂という言葉の意義こそ否定しないものの、死後も当人に意識があるなどとは信じていないし、仮に魂だけとなることがあるとすればそれは最早当人とは掛け離れた別物であるとも思っている。それを差し引いても自分と彼とは決して友人であるなどとは言えない。祈る義理などありはしないのだ。
「――」
そう思いつつもその墓から視線が離せないでいるうちに。鼓膜に聞こえてきた物音に、レイガスは顔を向ける。
「……」
――櫻御門葵。平時のきびきびとした足取りは今や見る影もなく、手には献花と思しき白百合の花束。……秋光の死。
それを感情的に最も重く受け止めているのはこの女だろうと、レイガスは報告を受けた当初から見立てていた。……裏切り者である三千風零と相対し、最初に秋光の遺体を発見したのも彼女であったらしい。今レイガスが見るその瞳に光はなく、失意に沈んだ暗めきだけが宿っている。その姿を目にして――。
「……」
何も言わないまま。レイガスは墓前を開けるようにしてその場から立ち去ろうとする。……他者が故人を悼みに来たところに居座るほど、レイガスは無粋でも冷血でもない。そして死別の悲しみにくれる人間にわざわざ声を掛けてやるほど、温情のある性質でもなかった。
――馬鹿馬鹿しい。
レイガスは思う。いつかこんな日が来るということは、秋光の補佐官であったこの女がそれこそ一番よく分かっていたはずであり、分かっていなければならなかったはずのこと。四賢者筆頭である式秋光の死。字面にすれば衝撃的な出来事であり、現実にも大きな痛手であることは間違いがなくとも、それを悲劇と捉えるならば間違っている。……式秋光には、甘さがあったからだ。
上に立つ者ならば切り捨てねばならない甘さが。環境から力を受け継ぎ、力ある故にそこを捨てきれずに来れてしまった。友である永仙の離反を受けたお蔭で。その甘さを支持する者たちのお蔭で、四賢者筆頭にまで担ぎ上げられてしまった。
だから殺されたのだ。現代では忘れられがちだが、魔術協会とは魔術師における秩序を守るべく、その理念の為に生命を掛ける者たちの場であったのだし、今でもそうある。あんな甘い考え方をしている者がその場所、それも頂点に立てば、それは死ぬのが当たり前なのだ。
どれだけの力を持っていようとも、甘さを貫くならばいつか必ず限界が来る。――櫻御門葵は明晰。そのことを分かっていなかったはずがない。リア・ファレルもそうだったはずだ。
だが彼女たちはそれでもなお、秋光の志を変えさせようとはしなかった。ただそれを看過し、支え、見守って来ただけ。
それを死んでから悲しむとは――。レイガスにとってその思考は、理解から凡そほど遠い場所にある。
「……」
擦れ違いざま。通り過ぎていくレイガスにも、葵は何ら反応を発さない。それどころの心境ではないのだろう。それを抜きにしてもレイガスは秋光と方針を巡って衝突していた四賢者。方や葵はその秋光の部下として仕えていた補佐官である。互いに立場と力量は理解しているが、必要がなければ特に言葉を交わすこともない……。これまでもそんな風に一線を引いた間柄だった。
「……」
補佐官の姿が目端から消えてから幾歩めか。レイガスは立ち止まる。……この補佐官がどうなろうと自分の知ったことではない。今まではそれで良かったのだし、それが罷り通っても来た。彼女の前には常に秋光がいたのだから。責務は傍にいる人物に任せ、見たいものだけを見させ、信じたいものだけを信じさせておけばよかった。
――だが――。
「……無様な体たらくだ」
秋光はもういない。戦力と言う意味で考えても、今の協会にとって葵は軽んじることができない技能者である。この状態を放置すれば、それが協会の不利益に繋がることはどう足掻いても間違いようがないだろう。
「微温湯のような奴ですら、今のお前を見れば叱咤したに違いない。何を呆けているのかとな」
「……」
残された四賢者である自身に否応なく被さってくる責務を疎ましく思いながら、レイガスは言葉の続きを口にする。葵は答えない。……自分でも分かってはいるのだろう。若いとはいえ、いや、若いからこそ頭の回転は悪くなかった。理屈の上では分かっていて、しかし自分ではそれを行動に移せないからこそ此処に来ている。
「協会の為に、お前が今何をするべきなのか……」
だからレイガスは敢えて具体的な指示をしなかった。言われて動く様な人間は補佐官の位置に必要ない。それが例え今のような状況に置かれているとしても、だ。その点に関して手を緩めるつもりなど毛頭なく、秋光が例えどのようなやり方をしていようとも、レイガスはレイガスのやり方で責を果たす。
「その頭で、もう一度よく考えてみることだな」
それだけを言い残して、今度こそレイガスはその場を後にする。……最低限の役目は終えた。立ち直れるか潰れるかは、既に相手次第だろう。
「……」
レイガスは淡々と葵から距離を取る。後ろ髪は引かれない。ただ、こんなことを今まで秋光はやって来たのかという表し難い疲労感のようなものがあり。
「――面倒なことだ」
誰にも聞こえぬよう、小さく口の中で呟いて――。
レイガスは、秋光の眠る墓所を完全に後にした。
「――何はともあれ、皆お疲れ様」
岩壁に囲まれた空間に響く朗らかな声。眼鏡をかけた人の好さそうな中年の男性――ヴェイグ・カーンは、微笑みを浮かべながら彼らを見回す。
「計画の第一段階はこれで終了になるから、次の決戦日まで、各自ゆっくり英気を養っておいてほしい」
その中にいる一人。――蔭水冥希。労うヴェイグの言葉を耳に、自室へと戻ろうとした――。
「――息子とやらはどうしたの?」
その肩に掛けられる声。煩雑さを覚えながらも、足を止める。
「連れてくると言っていたじゃない。まさか、断られたのかしら?」
「……他人の事より、自分の心配をすることだな」
冥希は白刃の如き眼光を向ける。
「今回は首尾よくいったようだが。次が本番だ。下手を打つことは許されない」
「八つ当たりは止めて欲しいわね。疑わずとも今回のような完璧な仕事ぶりを見せてあげるわ。心配するなら寧ろ、そこの二人じゃなくて?」
驕慢を含んだ鼻息が二人へと向けられる。
「二人とも目的は達成できたようだけど、互いに助力を得ての成果だもの。それに賢者見習いさんの方は大分お疲れのようね」
「……ええ。そうですね」
答えるのは零。息には僅かばかり、疲労の色が混じる。
「念願叶って些か張り切り過ぎたようで。……次の戦いまでにはきちんと回復しておきますよ」
「そう。――媛神の御嬢さんはどう? やる気が削がれてはいないかしら」
「失礼だねセイレス。協力してもらった以上、僕もきちんと約束は果たすさ」
如才なく返す黒髪の女性。
「僕の目的はまだ完全には終わっていないし。それに、手を抜いたりでもしたら小父さまに叱られるじゃないか。それほど怖いこともないよ。僕にとって」
「確かにな」
応答は傍から。笑いを含んだ声が答える。
「神の怒りならばともかく、かの『救世の英雄』の怒りなど間違っても受けたいとは思わんな」
「――アデル」
冥希の一言に、片手を上げて応えた聖職衣。……使徒最強格のバルトロマイとの死闘を潜り抜けてきたはずだが、その声色には消耗など微塵も感じられていない。その点を見てもやはりできるなと冥希は思う。想定外の成果に浮かれている小娘とはわけが違う。
「いずれにせよ、我らの目的の達成まで気は抜けぬ」
最後に響いたのは重々しい声音。
「存分に休むとするか。我らの勝利に向けて」




